いなたくんへ
最近おもしろかったまとめに『いつの時代も、今がサイコー!という話。』があった。『魔王との契約』(1943)などいくつかの小説の紹介で、半世紀後の人からすれば不便極まりない過去でも当時の人にとっては黄金期である、という話。
主人公のフェザースミス氏が黄金期だと記憶していた1900年代では、人々は一週間に一度しか入浴せず、ガス灯と共に周囲に悪臭を漂わせている。食事は脂っこくて健康に悪いものばかりで、手に入る果物はリンゴだけ。
— カスガ (@kasuga391) 2017年10月10日
生活も文化も価値観も、半世紀もすれば社会の様相は大きく変わる。技術革新の連続する近代においてはその傾向は顕著だろう。では、今から次の半世紀にはどこまで変わるか。
最近では人工知能が大きな話題で、「人間から労働を奪う」という不安も囁かれる。『人工知能と経済の未来』(2017)ではその懸念を肯定。2030年以降に実現する汎用人工知能は「生産主体」となる点で従来の技術革新と質的に異なり、労働人口は全人口の1割にまで激減し、資本主義が終焉すると予想した。
『人工知能と経済の未来』では、生活の補償手段としてベーシック・インカム導入を提案する。ベーシック・インカムに関しては財源をめぐる議論のほか、労働意欲の減退も懸念される。
そこで『ベーシック・インカム入門』(2009)を読むと、家事労働など賃金をインセンティブとしない労働は現在でも多くあるし、21世紀には労働の形がネットワークを中心とした「非物質労働」に遷移しつつあって、そもそも成果を「時間や場所」「個人」に帰属させることに無理が出始めていると述べている。
矛盾するようだけど、両者を併せると次のようなことが言えそう。
- 労働の多くは汎用人工知能に代替され、人間の労働者が消滅することで資本主義は終焉し、人間はベーシック・インカムの給付を受けて暮らす
- 人間は賃金というインセンティブがなくとも、「生」のための労働や「自分のための労働」を行う
経済や労働のあり方がそこまで変わった未来において、社会体制はどんなものになるだろう。私は、そのときこそマルクスの予言した共産主義社会が実現すると予想する。
ということで今回はその紹介。最後に自己批判もあるよ!
Summary Note
第1段階:人工知能による分配は社会主義社会を実現するか
歴史はなぜ資本主義社会を終わらせるのか
- 労働のあり方の変化と必要労働量の減少は「第2の大分岐」にも符合する
第2段階:共産主義社会への到達と「技術の時代」
- ベーシック・インカムは共産主義社会を実現できる
- 「技術の時代」において経済は社会を支える存在となる
人工知能が実現する共産主義社会は、どんな社会か
- 働かない人が増えるが「それでもいい」
- 「自分のための労働」が行われる
- 人工知能にも手の回らない労働には相応のインセンティブが支払われる
- 知財制度は失われる
- 人工知能の技術革新が次なる「革命」をもたらす
自己批判せよ!
- 人工知能は「フレーム」に至れるのか
- 人工知能が「フレーム」を超えたらどうなるのか
言わずと知れた共産主義思想史の巨人マルクスは、ゴータ綱領批判と呼ばれる文書において、資本主義から共産主義への変革を2つの段階で定義した。
- 共産主義社会の低い段階(第1段階)では「各人は能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」
- 将来の共産主義社会の高い段階(第2段階)では「各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」
資本主義からの移行直後に起こる第1段階は、労働に応じた分配を国家が行う社会主義社会にあたる。本題(第2段階の話)に入る前に、第1段階の実現を考えてみる。
『人工知能と経済の未来』では、同書がおススメするベーシック・インカムとの比較としてソ連型社会主義の分配構造を論じていた。
ソ連型社会主義で目指されたのは、所得を等しくする経済体制ではなく、努力と能力(労働の成果)に応じて報酬が得られる経済体制だった。失敗の要因は「計画経済を採用せざるを得なかったこと」である。
社会主義経済においては、労働に対する分配を市場原理に任せず中央計画当局が担う。これについて経済学者フリードリヒ・ハイエクは次のように述べている。
「偏在し、全知である」ばかりでなく、全能でもあり、したがってすべての価格を、必要とされるちょうどその分だけ、時期を失することなく変更することができるような集団主義的経済の指令機関を考えること自体は、論理的には不可能ではない
『人工知能と経済の未来』より、フリードリヒ・ハイエク『個人主義と経済秩序』の引用
思考実験として想像するならそれはよい。が、現実問題としては「価格を決定するために必要な需要と供給に関する無数の情報を一カ所に集めることは(中略)不可能」というのがハイエクの考えであり、歴史はこれに同意した。
しかし時代は変わった。ビッグデータ解析は未来予測をも実現させるに至り、Amazonはユーザの消費行動を先読みして商品を勧める。物理学者ミチオ・カクは『2100年の科学ライフ』(2012)で、技術が需要と供給とを可視化しアダム・スミスの「完璧な資本主義」に近づけていると指摘した。
- ビッグデータ解析による未来予測を、企業はすでに使い始めた(『ビッグデータの正体』書評1/3)(希望は天上にあり,2014/1/26)
- 「第4の波」「完璧な資本主義」「穴居人の原理」に基づき予想される未来の社会(『2100年の科学ライフ』備忘録として)(希望は天上にあり,2016/6/12)
センサネットワークが現実世界のすべてを見、ビッグデータを人工知能が管理する社会では、ハイエクの言う「偏在し、全知であ」り「全能でもあ」る論理的な「指令機関」が実現するのも夢ではない。
これは「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」社会主義社会の成立である。
『人工知能と経済の未来』では、2045年時点の人工知能はなお人間と比べて劣った部分があると想定し、完全な分配はできないものと予想する。データ解析に基づく予測の難しさを論じた『シグナル&ノイズ』(2013)でも確かにノイズの排除は困難としていて、手だけとはいえ人工知能に「神」の水準を求めるのは酷かもしれない。
ということでここでは議論を先に進めて、第2段階の実現可能性を考えてみる。
第2段階と言いつつその前に、第1段階以前である資本主義自体もけっこう無理が来そうよね、という話に触れたい。
前提として「資本主義」の定義から。
封建制度に次いで現れ、産業革命によって確立された経済体制。生産手段を資本として私有する資本家が、自己の労働力以外に売るものを持たない労働者から労働力を商品として買い、それを上回る価値を持つ商品を生産して利潤を得る経済構造。生産活動は利潤追求を原動力とする市場メカニズムによって運営される。
『デジタル大辞林』より
ということで「資本主義」には次の特徴が挙げられそうだ。
- 1.生産手段が資本家により私有化される
- 2.労働者の労働力が商品として流通する
- 3.生産活動は利潤追求を原動力として行われる
『ベーシック・インカム入門』で主に論じられていたのは、第2の特徴である「労働力の流通」についての変化だ。
労働というと生きるために賃金を得る行為を思い浮かべがち。でも実際には、家事労働など市場を通じない「不払い労働」が存在する。これらは資本主義の定義においては労働にあたらないが、広義には労働と呼ばれるべきだ。
Youtubeやニコ動にプロ級の作品を上げる行為も「労働」だろう。しかしユーザの多くは必ずしも成果の金銭化を目的とせず、無償でボランタリーに活動する。彼らが求めるのは名声や承認といった、既存の金銭経済とは別次元の対価となっている。
にもかかわらず、我々が労働を「価値(資本主義においては金銭)に替える行為」に限定して狭く考えるのは、ジョン・ロック以来の資本主義の枠組みでしかものを見られずにいるからだ。
価値を生み出している行為が労働なのだということは、労働が価値を生むという労働価値説に立っている。私的所有を正当化し資本主義を基礎づけてきた議論はジョン・ロック以来の労働価値説に支えられてきた
『ベーシック・インカム入門』より
これはいつまで続くだろう。
なお同書は、ネットワークの時代になり労働の成果が必ずしも「個人」に帰属されなくなって、知的財産の独占も否定されるべきとするアントニオ・ネグリの主張を紹介する。これは資本主義の第1の特徴「資本家による生産手段の私有化」の否定にもつながる。
『ベーシック・インカム入門』では、不払い労働や「非物質的労働」への変化を理由に、「生きること」そのものに賃金が発生すべきであるとし、ベーシック・インカムを正当化していた。
同書ではさらに、米経済学者ジョン・ガルブレイスの「そもそも社会的に必要とされる労働量が減ってきているのに、そんなに働く必要があるのだろうか?」という問いを紹介する。
技術革新の結果、人々の必要を満たすために投入しなくてはならない労働量および生産は減少していく。人々の必要を満たす以上に生産された財は、広告等の生産者側の働きかけによって人々の欲望を喚起し、消費されることとなる。
『ベーシック・インカム入門』より
当代では黄金時代に思えても半世紀後から見れば不便、という話は冒頭で紹介した。『楽観主義者の未来予測』(2013)も、現代庶民が100年前の王侯貴族が望んでもできいない高水準の生活を送っている指摘する。
あるいはニートや引きこもりが働きもせず生き永らえることから見ても、生きるために必要な労働量は過去に比べて圧倒的に減ってと言えるだろう。にもかかわらずなぜ我々は働くのか。ガルブレイスはその理由として次の2点を挙げている。
- 1.生産力が乏しく貧困が偏在した過去の社会通念に人々が縛られているため
- 2.生産によって人々の信用、ひいては所得が保障されるため
ガルブレイスは、労働の必要量が減っているのに無理に雇用を確保しようとすると、需要が追い付かない危険が生じると警告する。これは、現代社会が需要を増やし続けねば破綻するとする『人工知能と経済の未来』の分析とも符合する。
『人工知能と経済の未来』が予想したのが、第4次産業革命と汎用人工知能により「生産主体」が人から機械に置き換わり、労働者の消滅をもって資本主義が終焉する未来だ。
しかしこの未来には何の不都合があるだろう。社会の維持に必要な労働の必要量は減っていて、さらには機械がこれを代替できるというならば、もはや社会は人間の労働なくして回ることができるだろう。
技術革新はこれまで社会をどう変えてきたのか。考えられる軸の1つが「可処分時間の増加」だ。あるいは『楽観主義者の未来予測』ではマズローの欲求段階説と対照し、必要とされる労働がより高次の階層に遷移してきたことを指摘する。
- 「情報技術革命」が次に迎える革新技術は、可処分時間そのものを拡張させる技術になる、という予想(2014/6/13)
- 「潤沢のピラミッド」に基づく、テクノロジーが社会と未来に与える影響の可視化(『楽観主義者の未来予測』書評)(希望は天上にあり,2014/12/20)
ピラミッドの下段、生きるために必要な労働は時代を追うごとに、技術革新を経るごとに減っていき、ある時点にはゼロになる。その臨界点こそが第4次産業革命であり、シンギュラリティとなるだろう。これは『人工知能と経済の未来』が予想する「第2の大分岐」の人類史的意義でもある。
労働が必須なものでなくなるならば、労働の流通を前提とする資本主義は終焉するのが当然である。その次に訪れる社会が何かといえば、マルクスは共産主義社会を予言した。
資本主義の終焉が歴史の必然であり、その先にくるのが共産主義社会であるとして、それは実現可能と言えるだろうか。
マルクスのゴータ綱領批判によれば、共産主義化の第1段階(社会主義の段階)では「各人にはその労働に応じて」分配を受けるが、その後に現れるより高度な第2段階においては、「各人にはその必要に応じて」分配されることになる。
ここで『ベーシック・インカム入門』では、ベルギーの政治哲学者フィリップ・ヴァン=パレイスの理論を紹介していた。曰く、ベーシック・インカムが導入されれば「各人の必要」、つまり生きるための費用は担保されることになり、資本主義段階のあと第1段階を経ずして、直接共産主義段階に至れる。
ただし現実問題としては、革命でも起こらぬ限り社会は漸進的にしか変われない。そうするとやはり、過渡的段階としての社会主義社会は必要になるかもしれない。
ところで『ベーシック・インカム入門』では、歴史的に見ればベーシック・インカムは「労働」とは別の観点から生まれていたと説明する。それが「土地」である。
ベーシック・インカムの起源は、18世紀イングランドの思想家トマス・ペインの『土地配分の正義』での提案や、土地国有化運動の先駆者トマス・スペンスの主張にさかのぼる。彼らによれば、富を生むのは労働だけではなく、土地や過去の文化的な遺産であるところ、その私有によりアクセスできない人間が出て、貧困の原因となってしまった。そこで土地を持つ人間に地代として税金をかけ、みんなが食える分の糧に充てるというのだ。
私は「土地の価値を高めたこと」も労働の成果と思うのでこの主張には同意しない。が、土地を自然の共有物とみなして分配を求める議論はおもしろい。ここで、土地を人工知能に置き換えたらどうなるだろう。
人の手から離れて富を生む人工知能は、いわば資源を生む土地のようなものとも言える。これを共有財ととらえたり、あるいはその保有者に「税金をかけ、みんなが食える分の糧に充てる」というのは、ベーシック・インカムの歴史的議論にも通じるところがありそうだ。
『先端技術の行方』(1987)では、有史以来を4つの時代に区分し、各時代の「絶対者」や「競争力の源」を定義する。その予想では、現在の「経済の時代」の次には「技術の時代」が現れる。
社会主義思想の源流を振り替えると、17世紀科学革命や産業の勃興を背景として、神や王といった特権による支配でなく、事実や科学により社会運営することへの夢想があった。技術が絶対者となる時代の到来は、そんな思想のようやくの実現と言える。
『人工知能と経済の未来』で語られる資本主義終焉のメカニズムが、技術の時代への遷移に起こる「経済革命」に相当するという話は前回述べた。『先端技術のゆくえ』の予測に従えば、「経済」は絶対者ではなくなったあと、「技術の時代」を支える役割を担わねばならない。
ここで「経済」とは、「生産活動を調整するシステム」や「生産活動」そのものと定義される。「技術の時代」においても人工知能を主体とする生産活動は続けられ、それがベーシック・インカムなどの形で我々に供給されるので、「経済」は確かに時代を支える機能になりそうだ。
さて『先端技術のゆくえ』の予想によれば、「技術の時代」としての共産主義社会では「創造性」が重要になる。それがどのような社会か、具体的に掘り下げてみる。
来たる共産主義社会では「生」のための生産は人工知能が担ってくれる。そこでは「労働」はどのような意味を持つだろう。
ベーシック・インカムに対する典型的な批判が「働かない人が増えてしまう」というものだけど、社会維持のための生産は担保されているのだから、答えは「それでいい」ということになる。
現在の社会においてもニートなど働かぬ者は許容される。それが一般的になるだけの話だ。
働いた場合にはベーシック・インカムとは別に収入を得ることも許容されるので、働きたい人は働けばいい。ただし未来においては労働の対価は必ずしも賃金でなく、評判などの価値になるかもしれない。
ちなみに前述の哲学者ヴァン=パレイスは、生のための労働が不要になった社会では、働く者は金銭に価値をおき、働かぬ者は「自由な時間」に価値をおくという、価値観の差に過ぎないと指摘している。
じゃあ働く人はなんのために働くの、というと、それは自分のための労働である。典型的には、Youtubeやニコ動に高品質な作品を上げる人たちがいて、それは金銭経済的には無償であっても広義の「労働」にあたるよね、という話は前回書いた。ベーシック・インカムが導入されても、人の労働意欲は損なわれない。
すでに述べた通り、『楽観主義者の未来予測』によれば、必要な労働の種類はマズローの欲求段階説における高次なものに遷移すると予想される。「生」のための労働が不要になる共産主義社会では、むしろ創造性を用いた労働こそが人間性を支えるかもしれない。
これが「技術の時代」における「創造性」の意味となる。
これからの時代のプラットフォームは、いかに「クリエイターたちがウズウズするようなお題を提供できるか」が求められている気がする。
— 水谷健吾@作家 (@mizutanikeng) 2017年10月25日
ところで、人工知能、正確にはロボティクス等も含む第4次産業革命の技術は、しかし万能ではないだろう。家事労働や、地域の細かなインフラ維持など、人間の手が必要とされる場面は残るはずだ。
ベーシック・インカムが導入されると、不可欠な仕事に対しては高い賃金が設定され、自発的な労働が担保されるものとされる。あるいは社会信用システムにおける信用スコアのような、金銭ではない社会的インセンティブが付与されるのかもしれない。
共産主義国家では私有財産は認められない。知的財産もその範疇で、中国が特許制度を導入したのは先進諸国より100年以上後の1985年、つい最近のことだった。
「技術の時代」に出現する共産主義社会においても、知財制度が認められることはないだろう。これは知財創出プロセスの2つの変化に起因する。
1つめは、知的労働のあり方の変化だ。独占を認める知財制度は、もともとはアイディアを社会に共有させるための仕掛けだった。ところがネットワークの時代に至り、こうした制度がなくても人々がアイディアをシェアするようになると、むしろ知財制度は弊害が目立つ。
働くことのあり方が工場労働的なものから「時間や場所」「個人」に閉じない非物質的労働に変化して、成果も誰かに独占されず社会に還元されるべき、という主張は前回紹介した。これは、創造のインセンティブが社会にまんべんなく分配され、対価としての「独占」が不要になる現在の潮流にも合致する。
- 「発見や発明をシェアすること」のインセンティブの歴史と変化(『オープンサイエンス革命』書評(希望は天上にあり,2015/7/25)
- メイカー・ムーブメントによるオープン・ハードウェアの普及が、特許制度を終焉させる(希望は天上にあり,2013/1/11)
もう1つは、そもそも人工知能により発明が先取りされてしまうので、人間が特許を取れなくなるという変化だ。であるならば特許制度は廃止してもいいだろう。
このあたりの話も、初期のベーシック・インカムが「土地」から生まれる価値の共有化をめざしたことに近そう。新たな発明を見出すことを知財業界では「発明発掘」と呼んだりするけど、文字通り発明は石油や鉱物と並んで、人工知能が掘り出す資源になる。
ということで共産主義社会においては、創造の成果は誰かに独占されることなく、社会に還元されることになる。
ただし、共有されるのは財産権的価値にとどまるべきだ。私は「誰がそれを創作したのか」という人格権はあくまで創作者本人に残るものと考える。そういえばソ連なんかでは「発明者証」を発行していた。
機械が人間の手を離れて再生産を繰り返すなか、湧き出す成果は世界をどう変えるだろう。世の中は冒頭で紹介した「半世紀」どころではない加速度で豊かになっていくはずだ。
これまでの歴史に起きた「革命」を振り返えると、その要因には「フロンティアの発見を促す技術」と「ヒトの進化を促す技術」の2が挙げられそうだ。
この観点から延長して、私は次に起こる革命として次の4点を予想した。機械が技術革新を担う世界でも、豊かさの加速はこの方向性に進むだろう。
- 宇宙開拓時代の到来
- 新興国の台頭に伴う世界の重心の変化
- シンギュラリティ
- ポストヒューマン革命
さて、今回は資本主義終焉後の社会体制として共産主義社会の到来を予想してみたわけだけど、共産主義といえば「自己批判」が伝統芸能。私も時代を先取りして自己批判いってたい!
人工知能、人工知能と言うけれど、実はまだそんなに便利なものでもないよね。このブログでも何度も指摘してるけど、ディープラーニングに代表される現行の第3次ブーム人工知能はちょっと優れた認識器に過ぎない。
今回の予想は『人工知能と経済の未来』で述べられた資本主義終焉のロジックが前提にある。これが起こるには、第4次産業革命を牽引する汎用人工知能が生まれねばならない。汎用人工知能とは、よく言われる「人間の知性を超える」必要まではないけれど、「人間の労働に拠らず機械が機械を再生産できる」要件を満たすものだ。
人工知能が果たしてこのレベルのフレーム(能力範囲)に至れるのか、それは現在ではわからない。もっとも私は、ロボティクスとの融合や感情・心の理解に関する研究開発の進捗を見て、いずれは実現するものと考えている。それが2030年か、2040年かはわからないけど、遅くとも私の生きる間に起こるだろう。
- 第3次ブーム人工知能の進化と社会実装の最近のまとめ(希望は天上にあり,2017/1/3)
- 人工知能は子どもの発育の模倣から「心の理論」を獲得し、認知革命に達する(希望は天上にあり,2017/7/10)
その一方で、人工知能のフレームが上述の範囲に至らなくとも、人間がシステムの背後に操るという未来もある。人工知能は人間にとってはブラックボックスに見える一方、最近では中国共産党が人工知能を「思想改造」していたりして、管理者が制御する余地は大きい。
ということで、今回私はユートピア的に共産主義社会を描いてみたが、実はそれはハリボテで背後に人間がいました、というオチも十分にありうるわけだ。
ちなみに文明シミュレーションゲーム「Civilization」では「警察国家」「国有化」といった社会体制を選んだ方が優位になれたりする。現実の未来はどうなるだろう
以上は人工知能の進化に関するダウンサイドの懸念だったが、アップサイドの懸念もある。それは人工知能が我々の想像を超えて、遥かに高次の存在に進化してしまうことだ。その可能性にも触れてみたい。
機械の生存戦略は生物と異なるため、私は「人工知能が人間を支配する」といった未来は予想しない。しかし『テクニウム』(2014)によれば、単細胞生物から霊長類へと至る生命の進化は次には「テクニウム」なる無生物に遷移すると予想され、我々人間は進化史上の役目を終えることになる。この進化の系譜の次代を担う存在は、人工知能と考えるのが妥当だろう。
もっとも、共産主義社会の到来により人間の生存が確保され、変化(生産)の主体が機械に移れば、まあそれは当然のことかもしれない。
物語では、高次に進化した人工知能は人間の文化的な管理をも担う(支配というよりは共生する)という予想も見られる。
- 人工知能によるヒトの馴化が穴居人の時代を終わらせる(『ユートロニカのこちら側』ネタバレ書評2/2)(希望は天上にあり,2016/2/29)
- 人工知能が文化をも管理し、発現させる未来(『ニルヤの島』ネタバレ書評)
それはそれで起こるかもだが、我々が蟻の生死を気に留めぬように、十分に進化した人工知能にとっても人間などは問題でなく、彼らは独自に次の進化を担うだろう。
技術革新の連続がもたらす社会の姿は、共産主義的なものになる。ただしそれは20世紀に出現した愚かなものとは一線を画す姿となる。
私はそんな未来をずっと夢想していて、このブログで一貫して書きたいと思っていた。今回ようやく形にできて、とても嬉しく思っている。そういう意味でブログ内リンクも多めになった。
また、オープン・イノベーションなどの潮流から知財制度はいずれ不要になるかもしれない、ということも考えていて、そこに至るロジックもずっと考えていたのだけど、その裏付けも見出すことができた。
これでひと段落という気持ち。なので珍しくあとがきとか書いてみた。
とはいえ議論にはまだまだ穴があると思うので、これから補っていきつつ、さらに先の未来も想像したい。