いなたくんへ
佐野研二郎氏の五輪エンブレムを巡る一連の騒動は、エンブレムの取下げということで幕引きとなった。
私はエンブレムそのものは法的な問題はなかったのでは、と信じている。しかし仮に法的に問題がなかったとしても、佐野氏の事績に対する世論の反応を鑑みると、引き続きこのエンブレムを使うべきかは疑問が残る。私は「世論の影響を受けての取下げ」という結末も致し方ないものと考えている。
インターネットの普及により「世論」の影響力が大きくなった。
法的判断よりも世論に結果を左右されてよいのか。それは衆愚的判断に繋がらないか。コピーライト・トロールを増長させるのではないか。同じ問題は今後も起こることになりそうだ。
ディズニーの著作権保護延長には反対するのに、佐野氏の著作権侵害の疑いを徹底的に叩く姿勢はダブルスタンダードではないか、という疑問も起こる。前者が著作権による独占の制限を求めるのに対して、後者は逆に著作権を尊重しろと言うからだ。
テクノロジーが発達して創作物の権利をめぐる実情が変化するなか、著作権については、著作財産権と著作者人格権との2つに分けて捉える必要がありそうだ。今回の事件を参考に考えてみる。
Summary Note
事実確認と専門家の見解
- 専門家は五輪エンブレムの著作権侵害に懐疑的
- 佐野氏の過去の作品については著作権侵害の可能性
ディズニー著作権延命問題との違いはなにか
- 著作権保護期間延長への反対は、財産権的利益の独占に対する反対である
- 五輪エンブレム問題は、著作財産権の問題というよりは、著作者の人格権的利益を尊重しなかったことに対する非難である
事件の端緒は、佐野氏の五輪エンブレムに対する、ベルギー・リエージュの劇場による当該劇場のロゴと似ているとする物言いだった。これは提訴に発展した。
Tokyo 2020 (2015) vs Théâtre de Liège (2011)
https://t.co/dJ3MA2iHJb pic.twitter.com/wJvzrofD2v
— Olivier Debie (@OliDebie) 2015, 7月 27
上記Tweetはベルギー劇場のロゴを作成したオリビエ・ドビさんによるもの。
これについて世論やマスコミが「パクリだ!」と沸いたわけだけど、私の観測範囲では、世論と著作権の専門家(弁護士や弁理士)とではだいぶ温度差があったように思う。私個人も「こりゃ似てる!」と思うんだけど、感覚としての「似ている」と、著作権法上の「似ている」とは別問題になるのよね。
「五輪エンブレムがベルギー劇場のロゴの著作権を侵害するか」というお題について、専門家側の意見としては例えば次の記事が参考になる。
著作権法は「コンセプト」や「アイディア」と、「それらの表現」とを区別し、後者のみを保護対象とする。このとき、デザインがシンプルになるほど、それはコンセプトやアイディアそのものに近づき、著作権法上の保護は薄くなってしまう。上記まとめから要点をいくつか引用しよう。
ただしここで重要なのは、「表現上の」特徴という修飾語。著作権法は、表現そのものと、表現対象であるアイデアは、区別できるという前提に立っている。そして、表現上の特徴が似ていれば著作権侵害だが、アイデアの特徴が似ているだけでは侵害にはならない。
— Shimanami Ryo (@shimanamiryo) 2015, 7月 30
さて、東京五輪エンブレムである。今回のエンブレムの特徴は、そのシンプルさにある。そして、作品がシンプルであればあるほど、それはアイデアに近づく。たとえば、前回の64年東京五輪のエンブレム(日の丸に金色の五輪マーク)は、美しく力強いが、ほぼアイデアに尽きているように思う。
— Shimanami Ryo (@shimanamiryo) 2015, 7月 30
64年エンブレムのデザインほどアイデアに満ちており、アイデアさえ決まれば表現の幅が狭いケースでは、著作権による保護は極めて薄くなる。つまり、そっくりそのままのパクリはさすがに侵害となるが、少し変容させれば、もはや著作権侵害を免れることに。
— Shimanami Ryo (@shimanamiryo) 2015, 7月 30
翻って今回の騒動を見ると、64年エンブレムほどではないにしても、ベルギーの劇場ロゴもアルファベットのTに少し手を加えたかなりシンプルなものなので、その著作権保護の厚さ、つまり後続の東京五輪エンブレムがそこからどれだけ変容していれば著作権侵害を免れることができるかが問題となる。
— Shimanami Ryo (@shimanamiryo) 2015, 7月 30
今回のベルギーの劇場のロゴは、感覚的には似ているように思えるけれど、だからといって著作権侵害を構成するかは別問題だ。
著作権侵害の判断はいくつかの論点に分けて考えなければならない。次の3つすべてを満たしてはじめて侵害となる。
- 1)元ネタが著作権法の保護対象となる「著作物」であること
- 2)元ネタと被疑侵害品とが類似していること
- 3)元ネタに依拠していること(元ネタを知ってマネたこと)
例えば印刷用書体(タイプフェイス)や看板、建築物等は、そもそも(1)の著作物ですらないと判断されるケースもある。そして(2)の類似の範囲が対象によりまちまちなのは、上記専門家の述べる通りだ。
コンセプトやアイディアのような抽象的概念にまで著作権が認められないのは、創作者の独占範囲が大きくなりすぎ、公共の利益とのバランスが取れなくなってしまうためだ。抽象的になるほど、結果的に似てしまうデザインも増えるわけだけど、著作権法上の線引きとして問題がないならば、胸を張って使っていけばいいのである。
ところで(3)「依拠性」についてはどうだろう。これは我々としては、佐野氏の「知らなかった」という主張を信じるほかない、のだけども…?
五輪エンブレムと劇場ロゴの対比だけなら、「似てるけど著作権法上は問題ないんだね、勉強になりました」で済んだかもしれない。でもそれだけでは終わらなかった。佐野氏の過去の作品について、他者の著作物を無断で使っている疑いが出たのだ。よくまとまってるのは次の記事かな。
佐野氏の過去作品が著作権侵害に当たるかどうか、次の記事では5つの事例を選んで分析している。
結論は、2件クロ、1件グレー、2件は問題無さそうというもの。たとえば下のスイカの絵の構図は比較的ありふれた「アイディア」なので問題ないとし、一方上述のフランスパンはちょっと厳しそうとしている。
ちょっと話がそれるけど、スイカといえば2000年の「スイカ写真事件」があった。スイカの写真の著作権を争った裁判で、地裁では侵害が否定され、高裁で侵害が認定された。次の記事の写真をみると、著作権侵害の判断の難しさがよくわかると思う。
佐野氏は他者の創作物を素材として、モチーフとして、ずいぶん気軽に使っている印象だけど、デザインのプロフェッショナルとしてそのへんどうなの? というのが非難の原因の1つだろう。
とは言え、世論の風当たりもあまりに厳しすぎる気がしないでもない。「フランスパン持参デモ」とかはさすがにギャグと信じたいけど。
そもそも五輪エンブレムの著作権侵害判断と、過去の作品とは、別の問題であるはずだ。しかしながら今回の事件では、過去作品を含む一連の騒動や世論の動きが影響して、五輪エンブレム取下げという結果を招いてしまった。これはどう考えるべきだろう。
これについて、ディズニー著作権延命問題と併せて考えてみたい。
ミッキーマウスの著作権満了が近づいて、ウォルト・ディズニーがロビー活動により米国の著作権保護期間を延長させた、という説は有名だ。ミッキーマウスの延命は繰り返され、過剰な保護であると反対する声も良く聞かれる。著作権保護期間延長問題はTPP交渉の論点の1つにもなっている。
著作権保護期間延長への反対は、方向としては、著作権による独占を制限しようとする主張だ。一定期間の保護を認めた上ではあるものの、それ以上は著作権者の権利を認めず、公共の財産にすることを目的とするからだ。
一方で今回の五輪エンブレム問題では、他者の著作物を尊重すべきという、著作権保護を重視する方向の声に聞こえる。著作権を制限するのとは反対だ。
ディズニーによる権利独占は許せないけど、五輪エンブレムのように他人の著作物と似たものを使うもダメ。という2つの主張は両立するのか。これについて、著作権を著作財産権と著作者人格権の2つの視点に分けて考えてみる。
著作権は「権利の束」と呼ばれるように、複製権、公衆送信権、翻案権など、実際には複数の権利の集合である。これらの権利は「著作財産権」と「著作者人格権」の2種類に大別できる。文化庁HPを参考に、2つの違いを見てみよう。
文化庁によれば、著作財産権は「著作物の利用を許諾したり禁止する権利」で、著作権者の「財産的利益を守るため」のものとされる。特許権などと同様に、著作物を利用する権利を独占することで、著作物から得られる利益をコントロール可能にするものだ。著作財産権を構成する各権利は上記サイトに詳しい。譲渡も可能。
copyright (1) / melenita2012
一方で著作者人格権は「著作者の人格的利益を保護する権利」とされる。具体的な説明は次の通り。
「著作者人格権」は、著作者が精神的に傷つけられないようにするための権利であり、創作者としての感情を守るためのものであることから、これを譲渡したり、相続したりすることはできないこととされています (第59条)。
日本では著作者人格権として次の3つの権利が定められている。
- 公表権(無断で公表されない権利)(著作権法18条)
- 氏名表示権(名前の表示を求める権利)(同19条)
- 同一性保持権(無断で改変されない権利)(同20条)
なお、「著作者人格権」というと日本では上記3つの権利を指すことになるが、以下ではそれよりも広い概念としての「著作者の人格的利益」全般の意味合いでこの言葉を使いたい。
私は、著作権保護期間延長に対する反対は財産権的な問題だと考えている。著作権者がいつまでも著作物を独占し続け、権利者だけが財産的利益を得続けるのは、公共とのバランスを考えたときどうなの? という考え方だ。
創作物の多くは過去からの積み重ねで発達している。二次創作から生まれる新たな文化も少なくない。そのため、著作物の独占を認めすぎると、次の創作活動が推進されなくなってしまう。保護期間延長反対に限らず。著作権(財産権)の独占を自ら放棄するクリエイティブ・コモンズ運動も、同じ思想の下にあると言えるだろう。
MONOPOLY BOMBE 2006 / CHRISTOPHER DOMBRES
それでは今回の五輪エンブレム問題はどうかというと、財産権的独占の観点というよりは、著作者の人格的利益に属する問題のように思う。「著作物を創った人をちゃんとリスペクトしようよ」ということだ。
私も知的財産権による独占には反対の立場で、発明や創作物はなるべく早い段階でオープンにされ、広く社会に利用されて、次なる創作を生むべきだと考えている。しかしながら、例えば他人の創作物をあたかも自分が生み出したように振る舞い、名誉まで盗用することは許されるべきではない。
ディズニーの事例で考えると、「ディズニーはそろそろ権利の独占をやめて社会の利用を許すべき」だが「だからと言って我々はウォルト・ディズニーがオリジナルを生み出した事実や、社会にもたらした貢献を忘れるべきではない」と言うことで、両論は両立できる。
五輪エンブレムの問題については、他人の素材を使ったり、似たデザインを用いて「利益を得ようとするのは不当だ」というよりは、「人が創作したものを許可も得ず勝手に使って、あたかも自分が創ったように社会に思わせるのはちょっと違うんじゃない?」という感情が問題の底にあったように思うのだ。
もちろん佐野氏の作品のすべてが著作権法上の侵害行為に当たるわけではないとしても、いくつかの無断使用が明らかになって、「佐野さんなんだかズルいよね」という感情が世論に形成されてしまった。
佐野氏の五輪エンブレムは取下げとなったが、ベルギーの劇場側は訴訟を継続するようだ。
一方、組織委員会が会見で、エンブレムはドビ氏が作ったロゴマークを盗用したものではないと改めて否定したことについて、ドビ氏と弁護士は「著作権の侵害がなかったことの根拠が明白に説明されておらず納得していない」としていて、ベルギーの裁判所に起こした訴えは直ちには取り下げず、今月22日に予定される初めての審理の場で、IOC側の立場を確認したいとしています。
私は依然として、五輪エンブレムによるベルギー劇場のロゴの著作権侵害は懐疑的に見ている。今回の取下げ、それも五輪エンブレムとは関係ない過去の作品や、世論の影響に応じた取下げで、肝心の侵害の有無がうやむやになるのは好ましくない。訴訟継続はむしろ歓迎すべきと考えている。
それと同時に、五輪委員会によるエンブレムの取下げもやむを得ないとも思う。佐野氏が他の著作物の人格権利益を尊重できない人物、というのは一連の証拠により拭いがたいものになってしまった。五輪エンブレムの訴訟について万が一も起こりうるとすると、五輪委員会としてはリスクを取りずらい局面だろう。
何よりイメージも悪すぎる。事件の発端は著作権侵害の有無という法律問題かもしれないが、「五輪の経営」というもっと大きな視点で捉えると、佐野氏の五輪エンブレムを使い続けるのが適切でないという判断は理解できる。
@tomitamakoto氏の指摘していたように、「かたち」だけでなく「合意形成」「過程」「参加型」「知財」がキーとなる事件となった。
デザインを学ぶ学生さん達は今回のエンブレム問題をよーく見ておいた方が良いよ。1964五輪で日本と世界のデザインが大きく変わったように、今回もその兆しが出てる。ただし今回は「かたち」よりも「合意形成」「過程」「参加型」「知財」等がキーワード。
— 富田 誠 (@tomitamakoto) 2015, 8月 26
「ネットで拾う」が当たり前になり、オープンソースやクリエイティブコモンズのような「反独占」の動きも出て、私は実は創作物が自由に使われる社会が来ると予想していた。自由というのはまさに何でもアリの、オール著作権フリーみたいな、使い放題ヒャッハーな世界ね。でもそうじゃなかった。
パクリはダメだよね、無断使用はいけないよね、という倫理的意識は失われておらず、創作者の人格的利益尊重という最低限のラインはあくまでも守られようとしている。
もっとも実際のところ今回の件は、デザインがダサいので引きずり下ろしたら祭りになった、という側面もあったようだ(デザインで言えば私はあのユニフォームをどうにかしてほしいけど)。
その意味では過度な炎上は怖いけど、とは言え後ろ暗いことさえしていなければ過熱はいずれ冷めて、正当な判断が残されるはずだ。私の観測範囲になるけれど、フランスパンくらいまでは佐野氏擁護の声も聞かれていた。状況が変わったのは、その後さらに証拠が出て「やっぱりクロでは」となったからだ。それがなければ結末は違っていただろう。
今回は五輪エンブレム自体の法的判断を待つ前に、「人格的利益を尊重しない人のデザインはとにかくダメだ」という世論が最終的な結末をもたらす結果となった。ネットの集合知による証拠収集も威力を見せつけられる事例だった。
功罪はあろうけど、この一件は今後、人格的利益の軽視に対する抑止力として働くだろうし、新たな問題も起こすだろう。
ともかく、著作権を著作財産権と著作者人格権とに分けたとき、人格的利益は今後も尊重されることになりそうだ。テクノロジーの発展に伴い、知財権の独占的性質の意義が問われることもあるなか、喜ばしい方向にはあると思う。