「発見や発明をシェアすること」のインセンティブの歴史と変化(『オープンサイエンス革命』書評)

いなたくんへ

Wikipediaサーフィンやばい。
寝る前にちょっと調べものするつもりが、なんかすごいビッグウェーブきてリンクたどりまくってたらってたら寝不足に、という経験は私だけではないはずだ。仕事の調べ物でも重宝しているだけに、一次資料が汚染されてるとか、そもそも一次資料自体がフェイクとか、そういうことされるとホントに困るわけですけども。

Wikipediaの日本語版の編集が始まったのはおよそ2002年9月頃のようで、2015年7月現在で約97万の記事数を誇る。もうすぐ100万に届きそう。編集数は5700万。ちなみに290言語での総記事件数は現在約3556万に上る。ソースはもちろんwikipedia

こうしたオープンなコラボレーションの例では、他に有名なものにLINUXが挙げられる。少し古い数字だが、2008年初期の時点において、リナックスカーネルは1000人以上が書いた900万行近いソースから構成されていたという。

増加するオープン・コラボレーションについて、様々な具体例の分析から原理を探るのが、理論物理学者マイケル・ニールセンによる『オープンサイエンス革命』(2013)だ。WikipediaやLINUX、数々のオープン開発では、自らのアイディアを無償で提供する人も多い。何が彼らにそうさせるのか。

オープンサイエンス革命

本書が特に興味深いのは、現在のオープン化の動きを「オープンサイエンス革命2.0」と定義した点だ。2.0であって、1.0ではない。では1.0が何かというと、17世紀に刊行された科学誌にさかのぼるという。本書によれば、「新しい発見や発明を社会に公開すること」は自然な行為では決してなく、公開を促すためには制度設計が不可欠だった。

「発見や発明をシェアすること」の意義を当時までさかのぼって考えることは、昨今のオープン文化を評価する上で重要になるそうだ。さらに本書は、オープンサイエンス革命1.0のもたらす弊害にも言及している。この弊害は、現在耳にする「特許制度不要論」にも密接に関係している。

このあたりについて整理してみたいと思う。

Summary Note

オープンサイエンス革命1.0(論文制度の確立)

  • 17世紀まで、新しい発見は秘匿されるのが通常だった
  • 科学誌の発行により、発見者は名誉と引き換えに発見の公開(=科学誌への掲載)をするようになった(現在の論文制度
  • 発見や発明がシェアされるためには、インセンティブの付与が不可欠である

オープンサイエンス革命2.0(オンライン・コラボレーション)

  • IT技術によるマッチングは、ミクロな知にもインセンティブを付与できるようになった
  • 「知」の交換の場に参加すること自体が、インセンティブとなった
  • ただしシェアを促すためのインセンティブ設計は依然として重要

オープンサイエンス革命2.0から特許制度不要論を考える

  • 特許制度とは、独占権付与をインセンティブとして発明を公開させる仕組み
  • 現在は、シェアに対するインセンティブが論文掲載や独占権付与の形に限らず、「シェアすること自体」もインセンティブとなり得るようになった
  • 特許制度によらずともシェアが進むので、むしろ特許制度による独占を疎んじる勢力も現れている

 

「発見の秘匿」文化を変えた論文制度(本書より)

オープンサイエンス革命1.0の時代背景として本書が紹介するのは、天文学の父ガリレオ・ガリレイの事例だ。彼は1610年に初めて土星の輪(当時彼は輪ではなく別の天体と考えたが)を観測し、その成果を手紙に書いた。手紙は次のようなものだった。

SMAISMRMILMEPOETALEUMIBUNENUGTTAUIRAS

これは、Altissimum planetam tergeminum observavi「最も遠い惑星が三重星になっていることを観測した」のアナグラムである。彼はなぜ手紙を暗号化する必要があったのか。

実は当時、新たな発見を暗号化することは一般的に行われていた。発見を秘匿し続けることで、その発見に基づく次なる発見も自分のものにできる。とは言え発見して事実の証拠は必要になるから、こうして暗号化することで、確かにそのとき自分が発見したことを示したわけだ。

同様の例ではニュートンも紹介されていた。アイザック・ニュートンはは微積分学を発明したが、なんとその公開までに30年をかけたという。「公表が故意に30年遅らせられたら、現代ではどう思われるだろうか?」という本書の憤りにはまったく同意だ。


Internet Archive Book Images

「科学誌の刊行」が発見秘匿の文化を変え、論文システムを生んだ

当時の科学者を支えていたのは、裕福なパトロンだった。パトロンは偉大な発見への援助者としての名声を求め、科学者はパトロンから得られる見返りを争った。見返りが得られるまで、科学者は発見を他人に知られるわけにはいかない。

こうした「発見の秘匿」の文化を変えたのが、科学誌の刊行である。本書によれば、最初に発行された科学雑誌は、1665年に英王立協会が創刊した「王立協会哲学紀要」である。この公的で権威ある出版物への掲載は、発見者に名誉をもたらした。もちろん名前が掲載されれば、パトロンからの援助にもつながる。

科学誌は発見者に見返りを与える一方で、それが重要な発見であるか(掲載に値する発見であるか)を選別し、規準に叶うものを広く世間に周知した。この仕組みはやがて論文制度に発展し、発見者は競って新規発見を公開するようになった。

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本書は、当時の科学者を端的に表現した次の言葉を紹介している。

Publish or Perish(出版するか、消えるか)

オープンサイエンス革命1.0が意味するもの

以上のパラダイムシフトを指して、本書は「オープンサイエンス革命1.0」とする。この変革は、「発見や発明の公開」について、次の重要な示唆を与えてくれる。

  • 人は自然には自らの発見や発明をシェアしたいとは思わない
  • 発見や発明をシェアさせるためには、インセンティブの付与が不可欠である

現在多くの発見が論文を通して発表されるが、それはすべて「論文制度」というインセンティブ設計があってこその話なのだ。

 

IT技術により「知の交換」それ自体がインセンティブとなった(本書より)

それでは現在起きている「オープンサイエンス革命2.0」とは何なのか。オープンソース・ソフトウェアやオンライン・コラボレーションなど、オープン化事例が目立っているが、その背景にはいかなる流れがあるのか。これが本書のテーマとするところであった。

シェアして、誰かの役に立つこと、それ自体がインセンティブ

本書の分析を私なりに整理すれば、現在のオープン化の動きをもたらす要因は、「ミクロな知にもインセンティブを付与できるようになったこと」にあるだろう。これを可能にしたのはもちろん、インターネットをはじめとするIT技術だ。

従来であれば、インセンティブを得るためには、ある程度の高度性が要求された。論文に掲載されたり、特許が認められるには、発見や発明の内容が一定以上優れていなければいけない。そのハードルを越えられないものは、秘匿されるか、不活性のままだ。

ところがインターネットにより、どんな小さなアイディアでも簡単に世界に周知でき、そのアイディアを求める「どこかの誰か」に、きちんと届けられるようになった。Yahoo!知恵袋の質問は、例えば30年前だと、質問を雑誌に載せたとしても、それが回答可能な人に読んでもらえるかはわからなかった。それが今では、質問者と回答者を適切にマッチングできる。

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本書によれば、このマッチング自体、つまり「知」の交換自体が、インセンティブとして機能する。本書は、「知」の交換が一定以上になり、会話が会話を呼ぶ状態を「会話臨界」と呼ぶ。ある会話が誰かにとってのインセンティブになり、それが次の会話を生んで、連鎖が起こり、知の交換の「場」を形成するのだ。そのあとは、場に参加しさえすればいくらでもインセンティブを受け取れる。

ここでいう「会話」とは、例えばYoutubeに動画を載せて、それが誰かに注目される、というコミュニケーションでも構わない。

オープンサイエンス革命2.0

公開すること自体がインセンティブになれば、「ネットワーク上に存在しない情報は、良い成果を生むことができない」という常識を生み、オープン化が当たり前の世界が訪れる。これが著者の提唱する「オープンサイエンス革命2.0」だ。

とはいえ、オープンにすればそれで良いというものでもなく、場の参加者の注意をうまく誘導し、「会話臨界」に繋げていく仕組みは必要である。本書は失敗したオンライン・コラボレーション事例もいくつか紹介していた。

依然として重要である「シェアを促すためのインセンティブ設計」について、本書は必要になる要素を、様々なオープン事例に基づき導出している。ここまでに書いたこととけっこう重複するけど、本書が述べる「オープン化を成功させるための方法論」は、次の記事にまとめた。

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また参考に、本書が紹介していたオープン・プロジェクトを、私なりに類型にしたものも挙げておく。

  • オープンコラボレーション(数学の難問など、多人数がオンラインで協力して問題解決)
  • オープンソース(Wikipediaなど、多人数が分担してモジュール開発・蓄積)
  • オープンアクセス・データベース(科学データベースが公開されることで科学の発展が加速)
  • 市民科学(膨大な銀河画像の分類など、人手が必要な作業を参加者が分担)

 

オープンサイエンス革命2.0から特許制度不要論を考える

さて、この記事で主題としたいのが特許制度の未来だ。特許制度はなくした方がいいんじゃないの、と特許制度不要論を唱える人もいて、私もその立場に賛成するところがある。本書が述べる「オープンサイエンス革命1.0の弊害」が特許制度にどう関係するか、考えてみたい。

特許法は、独占権付与の代償として発明の公開を促す

特許制度が論文制度と同時期に生まれた点は興味深い。近代特許法は、1624年英国制定の専売特許条例が基であるとされている。次の条文は我が国の法律であるが、特許法の目的をみてみよう。

(目的)
第一条 この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もつて産業の発達に寄与することを目的とする。

日本国特許法(昭和三十四年四月十三日法律第百二十一号)

「発明の保護」とは、新規発明を出願した者に対する独占権の付与である。発明を一定期間独占できれば莫大な利益を生むから、発明者はこれを求めて出願をする。

「発明の利用」は、出願された発明の公開による。特許法は独占権を与える代償として、出願された発明を公開し、第三者に利用可能とする。これにより例えば改良発明が進む。

US5255452-3US5255452-2
有名な「反重力イリュージョンを創り出す方法」の特許(米国特許5255452号
この方法は1992~2012年まで特許権者に独占されたが、その代わりに公開されたので、
第三者はこれを参考に改良発明を検討できた(もちろん特許権者からライセンスを受けてもOK)

特許制度の趣旨も論文制度と変わらない

特許法は独占権付与を見返りに出願をさせ、新規発明を世に公開し、これをもって産業の発達を目指している。

論文制度では、論文に掲載されることの名誉や、これに基づく利益をインセンティブとして、発見者に発見を公開させていた。一方の特許法は、与えるインセンティブが独占権という違いはあるが、基本的にはこちらも、新規発明を公開させるためのインセンティブ設計の一形態とみることができそうだ。

再掲になるが、こうした制度設計には次の前提が横たわる。

  • 発見や発明をシェアさせるためには、インセンティブの付与が不可欠である

IT業界に根強い「特許制度不要論」

特許制度に反対を唱えるのが、IT業界の人々だ。Googleをはじめとする若手企業の特許制度に対する取り組みは、次の記事でもまとめた。

パテントトロール問題など、米国の制度に起因するものもあるが、オープンソース文化のあるソフトウェア業界はやはり特許制度と相性が悪い。

そもそも、米国でソフトウェア関連発明に特許が認められるようなったのは1981年以降のことである。GUI、アイコン、コンパイラ、データベース、オブジェクト指向といったソフトウェアの中核概念は1981年以前に生まれており、特許制度はこれら発明に何らの寄与もしていない。「特許制度があるからこそ産業が発達する」という前提と話が違う。

むしろ特許制度は、新しいアイディアのオープン化を阻害し、特定のプレイヤーの独占によりテクノロジーの進化にブレーキをかけ、社会に余計なコストをかけさせている可能性がある。

MONOPOLY BOMBE 2006
MONOPOLY BOMBE 2006 / CHRISTOPHER DOMBRES

こうしたオープンソースの動きが、いまハードウェアにも起きようとしている、ということはかつて説明した。

オープンサイエンス革命2.0が特許制度の前提を崩す

『オープンサイエンス革命』が指摘する論文制度の問題点は、一定の高度性以下の発見にはインセンティブが働かないことだ。論文に載らない程度の発見は、積極的であれ消極的であれ、オープンサイエンス革命1.0以前のように秘匿される。これは特許制度も同様で、特許による独占の恩恵を受けられないアイディアは、ノウハウとして隠されるのが通常だ。

その一方で、オープンサイエンス革命2.0は、多くの人にとっては取るに足らない「ミクロの知」にもインセンティブが付与され、活性できる点に特徴がある。本書はこうしたインセンティブの付与が、「シェアすること」自体を公開のインセンティブに変えたと説明していた。

いま起きている変化は、論文制度や特許制度が前提とする、

  • 発見や発明をシェアさせるためには、インセンティブの付与が不可欠である

の「インセンティブ」の在り方に関する。従来は、論文への掲載や、独占権の付与といった、限られた形でしかインセンティブを受け取れなかった。ところが、シェアすること自体がインセンティブになりうるならば、公開を偏在させ、さらには独占をももたらす従来制度は、弊害の方が目立つようになってしまう。

これが、現在起きている特許制度に対する挑戦の源にある、と私は考える。

Fortune cookie says: To succeed, you must share.
Fortune cookie says: To succeed, you must share. / opensourceway

もちろん、すべての発見や発明が「オープンサイエンス革命2.0」のインセンティブ(シェアすること自体がインセンティブとなる)に満足するわけではない。オープンなコラボレーションを導くためのインセンティブ設計が必ずしも簡単でないことは、本書も説明している。
したがって、新しいインセンティブ設計でカバーできない部分は、引き続き論文や特許といった「1.0」の制度のケアが必要になるかもしれない。

2つの情報技術革命が、2つのオープンサイエンス革命をもたらした

ところで、特許制度の登場には、グーテンベルクによる活版印刷の発明(1445年)が影響した、とする説がある。印刷技術の実現ではじめて、新規発明を広く公開することが可能になり、1474年のヴェネツィアで最初の成文特許法が成立したというのだ。
論文制度もまた「科学誌の出版」に端を発しており、その成立には印刷技術が不可欠だった。

印刷技術の確立は、「知」の広範な普及を実現した点で、情報技術革命の1つだったと言えるだろう。この17世紀の情報技術革命は、論文制度や特許制度による公開の促進、すなわちオープンサイエンス革命1.0をもたらした。

そしていまインターネットが、オープンサイエンス革命2.0により従来型の制度を破壊しようとしているのだ。

 

オープンサイエンス革命 〈反〉知的独占 ―特許と著作権の経済学 パブリック ―開かれたネットの価値を最大化せよ

 

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