いなたくんへ
最近、知財業界の人と外から関わる機会があったんだけど、なんというか、すごく頼もしいんだよね。困りごとに対して、その専門性に基づく的確な助言をくれて、ありがたみが凄まじい。同時に、自分は果たしてあんな風に振る舞えていただろうかと恥ずかしくもなる。
仕事においては「どの立場で言うのか」が重視される。同じことでも、その人が何者であるかによってその言葉の重みは変わるし、というかそもそも聞いてもらえなかったりもする。
私がこれまでたくさんの素晴らしい人と関われてきたのも、「知財の専門家」という足場に拠るところが大きい。少なくとも仕事においては、これからも「知財」をひとつの軸足として大切にしていきたいと思う。
本日7月1日は弁理士の日。@dokugakuさんのブログ「独学の弁理士講座-弁理士内田浩輔監修-」にて、弁理士の日を勝手に盛り上げる「弁理士の日記念企画」が開催され、私もこの記事にて参加してみる次第である。
今年のテーマは「知財業界での夢と希望」。
私にとっての知財の魅力は、なんといっても「未来」に関われることだ。そのあたりの夢と希望について、あるいは絶望と逃避について、書いてみる。
Summary Note
知財制度崩壊という夢、あるいは絶望
未来だけを見つめることへの希望、あるいは逃避
「弁理士の日記念企画」への過去参加記事はこちら:
- 人工知能は弁理士の仕事をどこまで奪えるか(希望は天上にあり,2016/7/1)(知財業界でホットなもの)
- 「正否」「当否」「適否」の3つの世界を行き来する(希望は天上にあり,2019/7/1)(知財業界での初体験)
私は人類史の巨大な転換点のひとつに「科学革命」があったと思う。10万年前におきた認知革命はヒトに「神」を信じさせ、ヒトをヒト足らしめた。そして17世紀に起きた「科学的手法」の発見は、ヒトに「科学」という普遍的スケールを与えた。
「科学」という方法論が、一部の人の発見に留まらず、人類の共同幻想の地位を占めるに至れたのには、2つの仕掛けがあったと思う。ひとつが論文制度、そしてもうひとつが特許制度だ。
いずれの制度も新規発見・新規発明にインセンティブを与え、かつ、制度が内包する検証システムによりその確からしさを担保した。
しかし特許制度に関しては、これを疑問視する声も現れている。社会の変化に対して「独占」というインセンティブがバランスを欠き始めてはいないか、という指摘だ。
工業社会までにおいては、(これも例外はあり得るものの)特許制度が社会の発展を支えたことは確かだろう。特許制度は発明の投資回収手段として機能し、企業間・発明者間の競争と共創とを促してきた。
ところが、デジタルの世界が出現すると、それまでとは異なるエコシステムが築かれていくことになる。これを「科学革命2.0」と捉える論説もあり、この現象が科学という現象そのものを変えるのならば、特許制度もまた見直される余地があり得るだろう。
変化の要因はインターネットに留まらない。非中央集権技術や、当事者デザインや、純粋機械化経済や、様々な要因がこの世界を塗り替えていく。そうした未来において、知財制度はどう変わっていくだろう。
- 人工知能が変える知財の世界の未来年表と、発明の共有財産化という結末(希望は天上にあり,2016/11/30)
- 人工知能が実現するマルクスの予言:共産主義と技術の時代(希望は天上にあり,2017/11/21)
- リズ・サンダース「Co-Design」の仮説から2044年の知財制度を予想する(希望は天上にあり,2018/5/6)
知財制度は、大上段に構えるならば、「人類社会の創造力を加速させる仕組み」と言えるだろう。そう捉えれば、現在の法制度はひとつの表現型に過ぎなくて、全く別の体系だってあり得るはずだ。例えば、知財の財産権的性質は制限し、人格権的性質は担保して名誉を守る、というのはひとつの落としどころのように思える。
いわゆる知財制度不要論は、知財業界に生きる職業人としては絶望であり、しかしそのことにより人類の未来がさらなる加速を遂げるのならば、夢でもある。私は知財業界の中の立場から、人の創造性に寄り添い、その行く末を見つめたい。
つーかね、最初にこのブログを始めたきっかけも知財制度不要論だったんだよね。
「知財業界での夢と希望」というお題については、もうひとつ書けることがある。これはどちらかと言えば悩みに近いのだけど……。
知財には2つの仕事があると思う。過去を扱う仕事と、未来を扱う仕事だ。いや、もちろん仕事である以上、そのすべては未来を創るためにあるのだけれど、とは言え「過去」を扱う仕事もある。
たとえば訴訟対応。特許の優先日時点の有効性を争ったり、侵害有無について当時の事実をできる限り再現しようとしたり。
でも私はそうではなくて、できる限り未来を扱う仕事「だけ」をやっていきたい。新たな発明に触れること、その発明が創る世界を考えること、そのさらに先を想像して発明を置くこと、発明の生まれる場所を探ること。
でもねえ、知財が一種の「武器」である以上、武器は使えなければ意味がない。そして武器を実際に振るうことをしなければ、本当に使える武器を作り上げることはできない。「武器を振るう」とは、過去を扱う仕事である。つまり「過去」の仕事をしなければ、よりよい「未来」の仕事をすることはできない。
冒頭で専門家の話をしたけど、この業界で食べる以上、「過去」の仕事は避けられないよね。そうしないとなまってしまう。
だけど「過去」の仕事はしたくない。私は「未来」だけを見たいんだ……。ぐうう。
まあさらに言えば仕事もしたくないわけだけど……。
という煮え切れない感じで今回の記事は終わります。
「弁理士の日記念企画」への過去参加記事はこちら:
- 人工知能は弁理士の仕事をどこまで奪えるか(希望は天上にあり,2016/7/1)(知財業界でホットなもの)
- 「正否」「当否」「適否」の3つの世界を行き来する(希望は天上にあり,2019/7/1)(知財業界での初体験)