いなたくんへ
少し前の話だが、学生をサポートしていたジョージア大学のティーチング・アシスタントが、その正体が人工知能であると1ヶ月間バレずにいたという事件があった。
人工知能は、エンドユーザ向けでは音声アシスタントが普及の兆しを見せるほか、弁護士や裁判官の法律実務の代替、会計審査、国会答弁の下書きやマニュフェスト作成、謝罪会見対応など、様々な仕事を任されている。私も自分の仕事である弁理士業務について思考実験してみたら、思ったよりお願いできそうで驚いたり。
さらには小説の執筆や編集、作曲、作劇など、それまで人間の専売特許と思われていた「創作」に関わる領域もむしろ人工知能の方が得意とわかりつつあり話が違うんじゃないの感。将来的にはノーベル賞級の発明を生ませることも目指されている。
こうした事象に対して浮かぶ懸念が「労働が奪われる」という心配。なんだけど、一方で人工知能の限界もみえてきて、結局は高度な認識器に過ぎなくて、これまでに起きたイノベーション(例えばコンピュータの出現とか)と変わらないんじゃないの、という意見もある。
人工知能という発明は、これまでの技術革新と変わらないのか。
変わるとしたら本質的な差はどこにあり、未来にはどんな変化が起こるのか。
このあたりを端的に説明した本があったので紹介したい。経済学者の視点から、タイトルの『人工知能と経済の未来』の通り経済の未来と、変わる労働の姿について答えている。
特に本書では、深層学習・強化学習に代表される現行の第3次ブーム人工知能と、その後登場するだろう汎用人工知能とを分けして論じているのがありがたい。前者について言えば、質的にはこれまでの技術革新と変わらないというのが答えのようだ。
その一方で後者の汎用人工知能は「機械が生産手段から生産主体へ変わること」がイシューであるとし、第2の「大分岐」の発生と資本主義の終焉を予想する。
たまたま実家帰省したら転がってて読んだのだけど、出会えてよかった一冊だった。
Summary Note
雇用への質的影響は従来と変わらない第3次ブーム人工知能
第4次産業革命が起こす「第2の大分岐」
- 第4次産業革命は2030年頃に開始され、汎用人工知能がカギとなる
- 「純粋機械化経済」は機械を生産手段から生産主体に変え、「限界生産量遁減」からの脱却と「第2の大分岐」をもたらす
「第2の大分岐」は労働者に死をもたらし、資本主義を終焉させる
- 「第2の大分岐」後には感性の通用性を必要とする仕事のみ残り、就労者人口は全人口の1割に減る
- 労働者階級は消滅し、資本家階級が全てを手にして資本主義が終焉する
第4の時代をもたらす「経済革命」の予言に符合
本書は人工知能が経済成長を促進しうる効果として次の2つを挙げている。
- 1.生産の効率性を向上させる(経済学では「技術進歩」と呼ばれる)
- 2.人間の労働の大部分を代替し、経済構造を変革する
現行の第3次ブーム人工知能や、特定用途に特化した特化型人工知能にフォーカスすれば、期待されるのは第1の効果だ。本書はこの種の特化型人工知能の時代を2030年までと見積もるが、その間には何が起こるか。
本書は一般論として「新しい技術は多くの場合、ある職業を根こそぎ消滅させるよりも、雇用を一定程度減少させる」と指摘する。
減少の要因となるのが「摩擦的失業」と呼ばれる現象。これは職が無くなってから次の雇用を得るまでのタイムラグによる失業で、労働移動の際に起こる。生産効率の向上は解雇を増大させ、一時的であっても摩擦的失業を生む。
さらに本書は独自の視点として「需要不足による失業」という要因も挙げる。労働移動においては移動先に仕事が存在する必要があるところ、「マクロ経済全体で技術進歩に応じて需要が増大していなければ、失業は解消されない」。
2030年までの特化型人工知能もこれら2つの失業をもたらすが、これらが雇用に与えるインパクトは「かつての技術と比べて量的には凌駕する可能性があるものの、質的には変わるところはない」。
対策として本書は「マクロ経済政策が適切に実施され、労働移動が速やかになされる限り、失業がとめどなく増大する事態には至らない」と指摘。具体的には、公共事業や金融政策により需要を増大させることで、需要不足による失業を解消できるとする。
むしろ資本主義経済では絶えず技術進歩が起こり、生産性が向上するので、マネーストックも増やし続けなければ需要と供給の均衡を保てない。日本のマネーストック増加率2%は低い水準であり、これがデフレを起こした原因であると指摘している。
さて本題である。本書はおよそ2030年以降に第4次産業革命が確立すると予想。これを支える技術の候補が「汎用人工知能」だ。
汎用人工知能は特化型の第3次ブーム人工知能やこれまでの技術革新と何が違うのか。それは「機械が生産手段から生産主体に変わること」であり、本書はこの質的変化が「純粋機械化経済」を実現し、第2の大分岐を引き起こすと予想する。
本書記載から、最初に言葉をいくつか整理したい。
昨今叫ばれる「第4次産業革命」だが、これはドイツの「インダストリー4.0」に代表される概念で、スマートファクトリが中核となる。スマートファクトリは「機械が自ら学習し、また機械同士や機械と部品が連携して動作することによって、総体として「自律的に動作するインテリジェントな生産システム」」である。
この生産システムはまだ確立されてはいなくて、本書は開始時期を2030年ごろと予想する。第4次産業革命でカギとなる汎用目的技術の最有力候補が、工業やサービス業などすべての産業に影響を及ぼす「汎用人工知能」だ。
ここで汎用目的技術とは、「補完的な発明を連鎖的に生じさせるとともに、あらゆる産業に影響を及ぼす技術」と説明される。例としては「インターネット」や、遡れば「蒸気機関」が挙げられていた。蒸気機関はかつて産業革命をもたらし、現在の経済構造を作り上げた技術だ。
産業革命以前には、技術の進歩が穀物収穫量を増大させても、同じ分だけ人口も増加し、1人あたりの食い扶持が変わることはなかった。これを「マルサスの罠」という。ところが産業革命はそれまでと違って、爆発的な人口増大をさらに上回るスピードで生産性を増大させ、マルサスの罠からの「劇的な脱却」をもたらした。
本書は産業革命以降の資本主義の経済を「機械化経済」と呼び、2つの特徴的な構造を説明する。
1つは「規模に対して収穫一定」である。労働と機械(資本)をインプットとして、工業製品やサービスといった生産物がアウトプットとしたとき、インプットを倍にすると比例してアウトプットも倍になる。
もう1つが「限界生産量遁減」だ。インプットにおける機械だけを増やしても、労働者の人数が変わらなければ、生産力は増大しない。
ところで産業革命が起きたあと、機械化生産を導入した国と、しなかった国とがあった。前者は欧米諸国であり、後者はアジア・アフリカ諸国である。この導入有無は経済成長に関する圧倒的な差を生み出し、米歴史学者ケネス・ポメランツは「大分岐」と呼んだ。
本書は汎用人工知能がもたらす新たな経済構造を、現在の機械化経済と比較して「純粋機械化経済」と名付ける。いったい何が違うのか。
最初の産業革命では生産の機械化がなされたが、汎用人工知能の出現は「労働」をも機械化すると予想される。機械が生産手段から生産の主体に変わり、機械と機械が機械を産む。生産主体の機械化は、これまでの技術革新とは質的に異なる有史以来の変革となる。
すると何が起こるか。「機械による機械の生産」が無限に繰り返され、生産規模がどこまでも拡大する。このとき労働者は機械に代替されているからボトルネックにはならない。つまり「限界生産量遁減」からの脱却が起こる。
このような「労働者の多くが雇用されず、汎用AI・ロボットが生産活動に全面的に導入されるような経済、機械が生産の主力になり代わる経済」が純粋機械化経済である。
純粋機械化経済を導入できる国と否とでは、その経済成長には大きな差が生じることが予想され、本書はそれが「第2の大分岐」になると指摘する。
機械が労働者を代替するので、当然ながら仕事は減る。本書は悲観的なシナリオとして、2045年には日本の全人口の1割ほどしか労働しない社会になると予想する。
この試算には納得感があったので内訳も紹介。
- 2015年の就労者6400万人のうち、クリエイティブ系、マネジメント系、ホスピタリティ系の従事者は2000万人
- 上記3領域の仕事以外は人工知能に代替され、かつ上記3領域の仕事の半分も機械に奪われると想定すると、残りは1000万人
- 2045年に内実のある仕事をし、それで食べていけるのはこの1000万人だけ
もうすでに挙げちゃったけど、本書は人工知能に代替困難な仕事として3領域を挙げている。
- クリエイティブ系
- マネジメント系
- ホスピタリティ系
理由は、いずれの仕事も感性の通用性を必要とするところ、それができるのは生身の人間に限られるからだ。
もっとも私は人工知能も感情を獲得可能であり、むしろこういう定性的な客体の理解は人間よりも人工知能の方が優れていくと予想している。
- 人工知能は子どもの発育の模倣から「心の理論」を獲得し、認知革命に達する(希望は天上にあり,2017/7/10)
- リメイク失敗の構造的要因と、創作の「定性要素」を模倣できるAIの脅威(希望は天上にあり,2017/9/29)
ということは本書も想定しているようで、だから3領域についても「生き残るのはあくまで一部で、多くはAIに代替され」、「機械との競争に負けるバーテンダーは年々増えていく」と述べていた。
いずれにせよ、「2045年頃には人間にしかできない仕事の範囲はかなり狭いものになっている」。
本書は資本主義の定義を「労働者が機械を使って商品を生産するような経済」とおく。本書はここで単純化して、人口を次の2者に分けてみる。
- 利子や配当だけで収入を得る資本家
- 賃金のみから収入を得る労働者
汎用人工知能やロボットが増大するにつれて生産量は大きくなり、所有する資本家の所得も増大するが、その一方で労働者の所得は減少していく。そして至るのが以下の結末である。
労働者階級は賃金が得られなくなることにより消滅し、資本家階級が全てを手にすることで資本主義が終焉します。
『人工知能と経済の未来』より
社会主義といった別の経済体制に転換するまでもなく、資本主義は進化の果てに自死するというわけです。あるいは、次のヴァージョンの資本主義へと進化すると言うこともできます。純粋機械化経済は、「資本主義2.0」というわけです。
『人工知能と経済の未来』より
汎用人工知能の出現が資本主義を終わらせる、という刺激的な結末の本書。私はほぼ同意なのだがそれ以上に、坂本賢三著『先端技術のゆくえ』(1987)の予想との符号に驚いた。
『先端技術のゆくえ』は情報技術革命以前に書かれた古い本だが、有史以来を4つの時代に区分し、各時代の「絶対者」や「競争力の源」を定義する。そのうえで、現在にあたる「経済の時代」の次に「技術の時代」が来ると予想している。
『先端技術のゆくえ』の整理がおもしろいのは、各時代を並べてみると、次のような関係性が見えてくる点である。
- ある時代の「絶対者」は、次の時代を「支えるもの」となっている
- ある時代の「競争力の源」は、次の時代の「絶対者」となっている
現在「経済の時代」に力をもつのは「企業」であり、その競争力の源となるのが「技術」であることから、次の時代には「技術」が絶対者になると予想できる。
ところで各時代の遷移点では、前時代の絶対者を否定する革命が起きている。例えば神に代わり王が力をもつ「政治の時代」への転換点では神を否定する「宗教革命」が、王が倒され企業(市民)が力をもつ「経済の時代」への転換点では王を否定する「市民革命」が起きていた。
すると「経済の時代」から「技術の時代」への遷移では、現在の経済システムを否定する「経済革命」と呼ぶべき革命が起こるはずなのだけど、私はこれまで、それがどのようなものになるのかわからずにいた。
ところが本書『人工知能と経済の未来』では資本主義の終焉が描かれていて、これはまさに「経済革命」に相当する革命と言える。
「技術の時代」の特徴について、『先端技術のゆくえ』の各時代の比較をアナロジーとして次のような予想ができる。
- 資本主義終焉後においても、経済は何らかの形で時代を後見する
- 競争力の源は「創造性」と予想されるが、人間が労働から解放されることで創造性に注力できるのかもしれないし、あるいは創造性を担うのは人間ではなく人工知能かもしれない
- 崇拝の対象が「記号」に変わると予想されるが、これは人工知能や、人工知能を支えるビッグデータかもしれない
- 哲学の扱う対象が「技術論」に変わると予想されるが、これは人工知能と人間との関係性を問うものになるかもしれない
ところで、「機械が生産の主力となり、自身を再生産できるようになる」というのは、まさしくシンギュラリティである。本書はシンギュラリティの定義が論者によって様々であるとしたうえで、その類型を整理していて参考になる。大まかに次の4つがあるという。
- (1)人工知能が人間の知性を超える
- (2)人工知能が自ら人工知能を生み出すことによって知能爆発が起きる
- (3)人工知能が人間に変わって世界の覇権を握る
- (4)人間がコンピュータと融合することによりポストヒューマンになる
カーツワイル以前にシンギュラリティについて論じたヴィンジとモラヴェックが強調しているのは(1)、(2)、(3)で、カーツワイルは(1)と(4)です。悲観論者は(3)を選び、楽観論者は(4)を選ぶ傾向にあります。
『人工知能と経済の未来』より
よく話題になる「人工知能の知能が2045年に全人類の総和を超える」というカーツワイルの予測(いわゆる「2045年問題」)は、私は時間軸的には難しいと考えていて、本書も同様の意見だった。
本書の予想する「純粋機械化経済」の到来は(2)の類型のシンギュラリティにあたるが、人工知能はこの実現にあたって、必ずしも人間の知性を越える必要はないとしている。
さて、資本主義が終焉し労働が無くなった未来で、当然の疑問として浮かぶのは、私たちがどのようにして生活を営んでいるのかだ。人口の9割が職を失った社会は成立しうるのか。
純粋機械化経済に至って全ての労働者は労働から解放され、もはや搾取されることもなくなるが、それと同時に飢えて死ぬしかなくなります。何の社会保障制度もなければそうならざるを得ません。
『人工知能と経済の未来』より
本書が回答とする「社会保障制度」が、個々人に無条件の給付を行うベーシック・インカムの導入だった。
ベーシック・インカムをめぐっては財源の問題のほか、労働意欲を奪うか否かが大きな論点となっている。その根底には「働くこと」のあり方を問う議論があり、特に21世紀の「非物質的労働」においてその意義は大きく変化しつつある。次回はこの未来を紹介したい。
そして本書が予想する資本主義の終焉と、次回述べる「働くこと」の変化とを併せたとき、次なる社会体制への移行が見えてくる。それが共産主義社会への到達だ。最後にこの予想を紹介したい。