いなたくんへ
今年は新型コロナウィルスの世界的自粛で……とかいう導入は耳タコだよね。本も雑誌もレポートも、何でもかんでも新型コロナで食傷気味の1年だった。
ということで、今回紹介する『中国ITは新型コロナウィルスにどう反撃したのか』(2020)についても、当初は何となく敬遠してしまっていた。一種のコロナ疲れというか……。
ところが、遅ればせながら手に取ってみると、2020年のいま読んでよかった大当たりの一冊だった。本書は、中国インターネットのワールド・ワイド・ウェブからの独立を示した『中国のインターネット史』(2015)の、5年ぶりの正統続編である。あれから5年でどう変わったか。そこには想像を超えた科学大国の深化があった。
タイトルに「新型コロナウィルス」とあるけど、これはあくまで一例というか題材で、内容としては中国社会の現在を切り取った普遍的なものだった。その上で、新型コロナウィルスがいかに(中国だけでなく、中国に良くも悪くも牽引される)世界を加速させたか、不可逆な変化をもたらしたかも実感できた。
ということで紹介していきたい。
Summary Note
前著の振り返りと、読む前に思ったこと
新型コロナウィルスに反撃できた中国のITはどうすごいのか
- 1.乱立する三日城
- 2.政府による舵取りと五カ年計画
- 3.コロナ禍前から進んでいた社会受容
今回はマスクだったけど……
本作は前著『中国のインターネット史』の続編である、ということで、まずは前著について簡単に振り返っておく。5年前の中国ってどんな感じだったっけ。
前著は、中国の70年代・80年代のメディア文化から始めつつ、中国がインターネットに接続された1994年からの黎明期、そして2000年代、2010年代前半の目まぐるしい変化を駆け抜けていく。テクノロジーやビジネスだけでなく、社会の受容や文化的変化にも焦点を当てられていておもしろく、まさに歴史書の名にふさわしい。中国のIT文化を知るならまずはここから始めるべきで、5年後、10年後に読んでも色褪せない本だと思う。
キーワードの1つはやはり「監視」だ。悪名高い「金盾」の出自や運用、中国版Twitter「微博」への政府介入の様子などがレポートされている。その上で、中国が2014年にネットワークの国境「領網」を提唱したこと、あるいは中国内の仮想空間文化の醸成という現実をもって、著者は次のように述べている。
私は中国のインターネットは既に「ワールドワイドウェブから独立した」、と考えています。通史を書くということは、すなわち、中国がネット上で独立を果たすまでの道程を辿り直すことに他なりません。
『中国のインターネット史』より
前著及び本書の著者・山谷剛史氏は、雲南省を拠点とする中国アジアITライターであり、「アジアITなまはげ」の異名を持つ。Twitter(@YamayaT)でも日々中国ITを中心としたニュース・分析をB級・S級問わず発信されてて勉強になる。
私も山谷氏はフォローさせていただいていて、「社会信用スコア」「シェアサイクル」「無人コンビニ」「QR決済」並びに種々のガジェット等々、中国発のイノベーションはタイムラインで目にしていた。
その「慣れ」が悪い意味で効いたのか、当初、本書への期待は失礼ながら「Twitterで呟かれたことがきれいにまとまってるのかな」くらいで、「他にも把握しそびれてるテクノロジーが何か載ってればいいけど」程度に思ってしまっていた。コロナ疲れもあったしね(言い訳)。
だがしかし。いざ本書を開いてみると、そのような予想は大きく裏切られる。
敢えて言おう、「中国スゲー!!」であると。
ガートナーが毎年発表する「先進テクノロジのハイプサイクル」は、1700を超えるテクノロジのなかから、長期にわたって高度な競争優位性をもたらすだろう破壊的テクノロジを選んだものだ。2020年版では30の先進テクノロジが挙げられていた。
このうち、新型コロナウィルスの影響で進展したものとして、次のテクノロジが注目された。
- ヘルス・パスポート
- シチズン・ツイン
- 人のデジタル・ツイン
- ソーシャル・ディスタンシング・テクノロジー
本書『中国ITは新型コロナウィルスにどう反撃したのか』を読むと、中国がこれらテクノロジの進歩を牽引した立役者の少なくとも一人であることがわかる。
「健康コード」は2月に登場したQRコードだ。ネット上の問診の回答やGPSによる位置情報などから、感染度を赤、黄、緑3色いずれかのQRコードで表示する仕組みで、健康状態が一目でわかる。赤や黄色が表示された場合には、病院での隔離や、在宅で毎日の体調報告が義務付けられるという。
「健康コード」は通行手形として機能し、駅やオフィスビルや学校などの入り口で確認がされ、都市間の移動もこれによって制限される。
もともと「健康コード」は、アリババ社のスマートシティ「城市大脳」での仕組みをベースに、同社と杭州市とで作られ、その後中国全土の自治体に普及したものだという。
アリペイ発表より
また、ガートナーのハイプサイクルでは「シチズン・ツイン」「人のデジタル・ツイン」として表現される、市民のデジタル管理や、これを用いて体系的に行動誘導するアプローチも、中国が進んでいるように見える。例えば社会信用システムは、なお試行錯誤はみられるものの、すでに各地方政府で導入され、今回の新型コロナウィルス対策でも活用されているようだ。
5GやAIやVR/ARといった先端技術も、惜しみなく社会実装が試されている。本書は各論で詳細を語っているが、まずは次の冒頭文章がわかりやすい。
新型コロナウイルス感染拡大を前に、ITを活用して人をできるだけ外出させず、買い物に行く人すらも制限し、出かける人はその移動を追跡できるようにしました。人が移動するときには追加した緑黄赤に変化するQRコードを表示するアプリを携えて移動し、駅などではAIが体温を瞬時に測定し、マスク着用の有無を判定しました。ソーシャルディスタンスを実現するために、警察はドローンを使って人々に近づき警告をしました。
最初に新型コロナウイルスの感染が拡大した内陸の 湖北省 武漢 市では、緊急で病棟がいくつも作られました。一見安っぽく見える病棟ですが、最新のテクノロジーがふんだんに盛り込まれています。最新の5Gが導入され、無人巡回車が消毒をしながらモノを運び、CTスキャンの画像が次々に高速でサーバーに送られAIが分析し、スタッフはVRゴーグルを着用して臨戦態勢に備えました。それは決して見栄ではなく実用的な運用でした。
『中国ITは新型コロナウィルスにどう反撃したのか』より
しかしながら、中国ITの「すごさ」はこれらテクノロジーそのものではないと思う。新たな方法論を生み出し、導入し、それを神速をもって13億人社会に実装できる構造にこそ脅威がある。
以下、具体的に見ていきたい。
本書は中国有数のIT企業アリババ社とテンセント社を中心に、様々な企業の取り組みを紹介するが、驚かされるのがそのスピード感だ。
例えばTikTokを運営するバイトダンス社の取り組み。数万人の社員を抱える同社は「飛書(Lark)」と呼ばれるオフィススイートも開発するが、その開発チームはわずか3日で、毎日の健康状態、体温測定、位置情報などの可視化・分析レポート機能を追加した。
別々の都市で勤務するリーダー2人が、20人ほどの開発者、4~5人の運営者とともにグループチャットで打ち合わせし、各人が自宅で開発を進め、3日以内に新機能をリリースすると目標を決定しました。開発者を昼夜で2つの班に分け、全員の役割分担を明確にし、音声チャットとビデオメッセンジャーで開発者全員が常時オンラインでつながり、連絡を取り合って開発しました。
『中国ITは新型コロナウィルスにどう反撃したのか』より
また、1月23日の武漢市のロックダウン(都市封鎖)の際には、3人のボランティア開発者が病院に医療物資を届けるための非営利ネットサービス「湖北医療物資需求信息平台」を1日で開発して公開。すると、これを改善する開発者も現れ、4日間で根本的な見直しを含む3回のバージョンアップが行われ、2月上旬には600施設を超える医療機関の必要情報が分かりやすく掲載されたという。その後テンセントと提携し、サービスは中国全土の病院をカバーするに至る。
スーパーアプリに関連しては、ウィーチャットへの「医療健康」サービス追加、AI対話機能「新冠肺炎症状AI補助自査工具」の発表、電子保険証「医保電子凭証」の中国全土でのスタートなど、矢継ぎ早に機能やサービスがリリースされた。
テンセント社は武漢閉鎖後1週間で、政府系教育部門や教育企業100社余りをまとめ上げ、湖北省の学生に向け、累計4万課程の冬休みの宿題を提供した。
本書を読むと、新型コロナウィルスの感染拡大初期の短い時間で、様々なテクノロジー領域、様々なサービス分野で新しい提案がなされ、またモノによっては、これまた短い時間で全中国にスケールしていることがわかる。
企業(民間セクター)のフットワークの軽さに加えて、政府の存在も特徴的だと言えるだろう。
例えば1月25日には、ECサイトを運営するアリババ、京東、美団、多点の各社が連合で、社会責任を履行し救急物資の供給を保障する提案書を発表。この背景には、中国政府の工業和信息化部(情報産業省に相当)による、各社協調を求める通達があったという。
同じく工業和信息化部は、2月4日には、ウィルス発見や被害拡大防止、ワクチン等の開発にAIを活用すべきとする文書を発表。これを受けて中国各地で様々なAIの活用がなされたことは本書に詳しい。
政府は状況に応じて大きな方針を示し、企業や業界をまとめたり、その活動を後押ししている。この構造は、非常時に限った話ではないようだ。本書によれば、業界内を団結させるべく政府が企業に共同宣言をさせる、という例は珍しくはないという。
さらに、五カ年計画の存在がある。
中国は1953年より中期的な政策大綱として五カ年計画を策定、5年後をめがけた具体的な数値目標が掲げられ、現在(2016-2020年)は第十三次五カ年計画の終わりに当たる。
例えば「健康コード」が武漢以外の各地方都市でも稼働できたことについて、本書は「計画通り中国各地でスマートシティ用システムが程度の差こそあれ導入された証左」であり、「中国政府が、あらゆるテクノロジーに関して2020年という期限付の成長目標を定めたことで、業界の成長を後押しした結果」であると評価する。
中国で見られるITの活用は多岐にわたる。既に挙げた「健康コード」や健康状態管理のみならず、マスクの予約、フードデリバリーやライブコマース、遠隔診療、オンライン会議、VRを用いた各種サービス等、様々な領域で進歩が続く。いくつかは日本でもあるけど、いくつかは中国独自だったりする。
こうした急激な変化に市民はついていけるのだろうか。本書はこの疑問にも応えている。好例なのが教育だ。
中国ではコロナ禍で多くの学校が閉鎖され、オンライン授業に移行した。先生たちは授業や宿題をオンラインで配信、子どもたちはパソコンとスマートフォンで授業に参加し、保護者はウィーチャットで学校と連絡を取りながら、子どもが授業参加の状況を確認の上報告する……。
日本で「はい来週から小中高ぜんぶオンラインに移行です!」と言われて、教師、子ども、保護者の全てがスムーズに対応できるだろうか。
本書によれば、実はこの変化はコロナ禍移行の話ではないという。中国政府教育部は2016年に、2020年までに「誰もが、どこでも、何時でも勉強できる」教育の情報化の目標を示した「教育信息化十三五計画」を発表。以降、コンテンツだけでも「一師一優課一課一名師」には2千万を超える授業動画が登録され、さらに政府運営の「国家中小学網絡雲平台」や「一師一優課一課一名師」にも、本書曰く「見やすさは目を見張るものがある」とされるプロ製作の授業動画が収録される。
こうした背景もあり、子どもや保護者もオンラインでの学校とのやり取りには慣れていて、スムーズにオンライン化が実現できた。
もっとも、コロナ禍前から準備していたとはいえ、これが4、5年での変化であることを思えば、やはりそのスピード感には驚かされる。日本企業の社員からも、「1年ぶりに中国出張したら、スマフォが無ければタクシー1台拾えなかった」という笑い話も聞いたり(それすら今となっては昔話だが)。
もちろん全ての人がついていけてるわけでも無くて、本書は「スマートフォンがない、スマートフォンが使えない人々を切り捨てているという批判」もあると指摘する。それでも、教育に限らずあらゆる分野で、社会全体が猛烈なスピードで前に進んで、中国の市井の生活は目まぐるしく変わっていき、多くの人々はそれを受容している。
すでに述べた通り、中国ITの「すごさ」の本質は、むしろテクノロジーではないと思う。様々な可能性を素早く試す企業の多様性、これらに強力に方向性を与えてる中国政府、そして、目まぐるしい変化を受容する市民社会。この総合力として語られる「体力」こそが中国のすごさだと思う。
もちろん監視社会化の是非や、落伍する弱者への対応など、議論すべき点はあるだろう。が、ITに関しこれだけ筋肉質な社会が出現したことには驚く。
ところで体力と言えば、気になったのがマスクの配給だ。本書によれば、感染拡大に伴うマスク不足に対して、次のような動きがみられた。
- 1月25日に、中国政府・工業和信息化部の通達を背景として、ECサイト各社が緊急物資の供給を保証する提案書を発表
- EC大手・京東社はビッグデータ予測とロボットを用いた倉庫効率化により、オーダーを受けると、ほぼ人手を介することなく発送
アリババ社は物流企業と提携してスマートに物流リソースを割り振り - アリババ系物流企業・菜鳥社は、30数カ国の物流組織と提携し、中国に医療物資を送るチャネルを構築、関税手続きを代行のうえ、中国内の国際便ハブ都市を経由して輸送(1/25)
- 各ECサイトはレギュレーションを設けて、転売等の行為を徹底的に排除
- 各庶民もまたECサイトを完全には信頼せず、粗悪品等の購入を回避
これまた政府・企業・市民が有機的に協働した例だけど、これって今回は「マスク」だったけど、有事の際にはそのまま兵站として機能するわけだよね。極端な話だけど、中国が戦争に直面したとき、大きな課題として想定される銃後の13億の市民生活の維持について、今回の動きを見るとあまり心配する必要は無さそうだ。これってすごいことだと思う。
21世紀になって大国の全面戦争を想像するのはナンセンスなことかもしれない。しかし、歴史が「まさか」の連続だったことも忘れてはならない。
中国は突然IT大国になったわけではなく、じわじわとステップをふんで変わりました。新しいものが出てきて、しばらくしてそれが当たり前になり、その上にまた新しいものがリリースされ、その積み重ねでサービスも企業もユーザーも変わっていきました。
物騒ですが、中国が戦争に直面するようなことがあれば、これまでのITの積立を活用します。
残念ながら日本はネットテクノロジーの運用で中国よりも大きく遅れをとっています。
『中国ITは新型コロナウィルスにどう反撃したのか』より
ということで、『中国ITは新型コロナウィルスにどう反撃したのか』は2020年のいま読んでおけてよかった一冊だった。前著『中国のインターネット史』(2015)から、量的にも、質的にも、異次元の変化を遂げた中国の様子がよく分かったし、さらには5年後に出るだろう次著の伏線としても、いまの肌感覚で読めてよかった。
次著の頃にはいかなる社会が現出するのか期待しつつ、著者の言葉でこの記事をしめくくりたい。
しかしひとつ言えることは政府は五か年計画で5年後の目標数値を設定し、民間企業は何かしら儲けようと動き、消費者はトレンドが毎年変わることになれていて、次の変化を暗黙のうちに期待しています。だから、何かが毎年変わるでしょう。
『中国ITは新型コロナウィルスにどう反撃したのか』より