「宗教の時代」「国家の時代」「経済の時代」に続く、第4の時代への変革が始まっている(『先端技術のゆくえ』書評)(再掲)

「科学技術」とよく言うけれど、歴史的には「科学」と「技術」は本質的に異なる営みだった。坂本賢三著『先端技術の行方』(1987)はこのように指摘し、両者を次のように説明します。

  • 科学は「真理の探求」を目指し、対象を動かすことのできない前提と考える
  • 技術は、対象をありのままにしておかないで、変え得るものとみて、積極的に手を加え、新しいものを作り出そうとする

両者が「科学技術」として融合したのはようやく20世紀後半のことで、この融合が何をもたらすかというと、「技術の時代」への変化がはじまりつつあるようだ、というのが著者の予想。「技術の時代」とは、「宗教の時代」「政治の時代」、そして現在「経済の時代」に続く第4の時代と定義されます。

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本書はインターネットの普及前、30年前のバブル期に書かれた本ですが、「経済革命に端を発する技術の時代への遷移」という仮説はいま起きている変化に符合するところも多くて、改めて読み返すとその時代認識の鋭さに驚かされます。

興味深いのは、歴史を「宗教の時代」「政治の時代」「経済の時代」に整理した点。著者はこれらの時代において技術の担ってきた歴史を説明するのですが、ところでこれら時代の特徴を並べてみると、いくつかの法則性に気付かされます。著者のいう第4の時代「技術の時代」はどんな時代になるのか、これまでの歴史から演繹的に考えてみます。

Summary Note

「宗教の時代」「政治の時代」「経済の時代」に見られる法則性

  • ある時代の「絶対者」は、次の時代を「支えるもの」となっている
  • ある時代の「競争力の源」は、次の時代の「絶対者」となっている

「技術の時代」を特徴づけるもの

  • 前時代の絶対者「経済」が技術を支える
  • 創造性を持った「技術者」が主役になる
  • 「技術」が哲学のテーマになる
  • 「記号」あるいは「名声」「評価」が思想を規定する
  • 「経済革命」に相当する変革がいま起きている

 

前時代までのアナロジーから「技術の時代」を考えてみる

著者は「宗教の時代」「政治の時代」「経済の時代」と遷るごとに、君臨する「絶対者」も変わってきたと指摘、それぞれの時代で起きていたことを整理します。ここでそれぞれの時代を支えたもの、競争力となったものにも注目すると、ある法則性が見えてきます。

宗教の時代においては「神」が絶対者であり、畏れられるべき存在でした。ただし1つの神がその勢力を広げるためには、媒介者としての政治の力が必要です。出雲の神が大和の神に敗れたように、神にとってはこれを祭る政治の力、国家の力が競争力の源でした。

宗教革命を経て、絶対者は国家(王)に変わります。それは神への畏怖よりも王や国家の権力が畏れられた「政治の時代」でした。このとき王の正当性を支えたのは前時代の絶対者だった「宗教」であり、国家は「経済」を支配のための武器として他国との競争を戦います。

やがて市民革命が国民国家を登場させ「経済の時代」に移ります。現在における社会の主役は「企業」であり、国家は絶対者とは言えず、企業や国民の経済活動を支えるものとして機能します。企業が競争力の源とするのは「技術」です。

という時代認識の詳細は前回紹介しました。

ここで3つの時代を並べてみると、ある傾向に気付きます。それは次のような法則です。

  • ある時代の「絶対者」は、次の時代を「支えるもの」となっている
  • ある時代の「競争力の源」は、次の時代の「絶対者」となっている
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時代が変わるとき、前時代の絶対者は次の時代の絶対者を支えるための基盤や権威付け、理由づけとして使われています。その時代の絶対者は、前の時代においては競争力の源として、道具として振る舞っていたことがわかります。

この法則から考えると、次にはどんな時代が訪れるでしょうか。おそらく「技術」そのものが絶対者となり、経済に支えられる時代です。これが著者の予想する「技術の時代」です。

 

「技術の時代」はどんな時代か

著者は「最近の世界的な動向を見ると、技術が経済に奉仕するというより経済が技術に奉仕するようになっていると思われる」とし、「技術の時代」の訪れを次のように表現しています。

まだ海のものとも山のものともわからないリスクの大きい新技術の芽に、多くの投資がなされ、そのことがまた株価の値上がりを招き、高度技術への取り組みを持たない企業が金融筋から選別され、見放されるという事態さえも見られる。これは「経済の時代」には見られなかった動きである。(中略)

いまや経済は、新技術を求め新技術を目指して動こうとしているのであり、これはとりもなおさず経済が技術に奉仕するようになった事態にほかならない。

これを読んで頭に浮かぶのはIT産業の活況です。史上最高額での上場を果たしたFacebookに代表されるように、新しいサービスがその将来性を買われて莫大な投資を手にしています。お金お払うのは、代表的には野心的な投資家ですが、近年はKick Starterなどのマイクロファイナンスも盛んです。それこそ「海のものとも山のものとも分からないリスクの大きい新技術の芽」が、一攫千金の夢を現実に変えています。

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前時代の絶対者「経済」が技術を支える

「技術の時代」における前時代の絶対者「経済」の役目は、技術を支えるものになりそうです。王が神の名に、経済活動が国家基盤に支えられたように、次なる絶対者「技術」も、世の中を巡る経済に支えられることになります。
まだ存在しない技術が何者かにより形作られ、この世に姿を現すには、活発な経済活動という基盤が欠かせません。投資家からすれば、投資の目的は直接的には経済(お金を稼ぐこと)かもしれませんが、投資を左右するのは技術であり、技術は絶対者としてふるまうようになっていきます。

技術の時代には、かえって経済の重視が後発国にも先進国にも見られる。

創造性を持った「技術者」が主役となる

これまでの時代の主役は神であり、王であり、企業でした。技術の時代を担う者はもちろん「技術者」です。そしてこの時代に要求される資質は「創造性」であると著者は予想します。

第2に、この時代の担い手は言うまでもなく技術者、もっと厳密にいえば「科学技術者」である。(中略)かつてのように、ただただ企業に奉仕する偏執的な技術者のイメージは消えつつあり、むしろ、民衆にとって科学技術者は、近寄り難い、しかし何かわからないものを知っていて争い難い存在であり、行政能力・組織能力を持ち、しかも営利にも疎くない存在として現れてくる。

第3に、科学技術者にも民衆にも要求される資質としては、宗教の時代には厚い信仰心、国家の時代には忠誠心、経済の時代には勤勉さが説かれたように、技術の時代には豊かな「創造性」が要求されるであろう。

ここで著者は「技術者」「科学技術者」に限定していますが、これは本書が「先端技術」の在り方を問うた本だったからでしょうか。私はこの言葉はもう少し広い「クリエイター」に置き換えられるべきだと思います。クリエイターとしての「技術者」「創造者」全般が次の時代の担い手です。あるいは「イノベーター」という流行り言葉で括ってみるのもいいかもしれません。

「技術」が哲学のテーマになる

おもしろいところでは、著者は哲学もまた時代によって扱うテーマを変えてきたと指摘します。宗教の時代にはもっぱら神学を扱っていた哲学も、政治の時代になると国家に奉仕するようになり、国家論が中心となります。いずれも神の在り方、国家の在り方を問うたものです。

著者は経済の時代には「国家の存在理由を究極の課題としてきた哲学は無用のものとなり、残された仕事は、新しい社会の中での個人の運命にかかわるものに限定されてしまう」と指摘します。私はこの点は同意しません。経済の時代においては、資本主義や共産主義といった経済の在り方をめぐる議論が、時代を代表する哲学として交わされたように思います。

すると「技術の時代」においては、技術そのものの在り方を問う論争が哲学として盛んになのかもしれません。

「記号」あるいは「名声」「評価」が思想を規定する

著者は、各時代において、その時代の思想を規定するものがいたと指摘します。宗教の時代には「神」であり、国家の時代には「王」であり、経済の時代には「貨幣」でした。技術の時代ではどうかと言うと、著者は「記号」ではないかと予想します。

すでに現在、通貨は金ではない。金額を表示した紙片である。(中略)管理通貨制度成立以後それは単に金額を表示した紙片になった。しかしその紙片が貨幣と同様に流通し、万能の機能を果たしている。その紙片も現代はカードに変わりつつある。記号が機能を果たし、力を持ち、頼りになる存在になっている。(中略)

技術の時代には崇拝の対象は記号である。神も記号、価値も記号である。技術の時代は記号が横行する社会である。

私はこの予想にはちょっと反対。貨幣が記号として扱われたのは「経済の時代」にすでに起きていたことで、信用取引も中世の頃からされていました。「金銀との等価交換」も本質的とは思えません。

インターネット登場後のいまとなって考えてみると、私は「技術の時代」の思想を規定するもの、崇拝の対象は「名声」や「評価」ではないかと考えます。
「評判経済」という言葉があります。オープンソース開発や、趣味として無償の創作活動を行なう開発者たちは、金銭だけを目的とはしていません。好奇心や達成感や、人から得られる注目も大きな動機となっています。
得られた名声や評判は、その後お金に換わるかもしれません。でもあくまで金銭は間接的に得られるもので、直接支払われるのは「評価」です。「技術の時代」の担い手である「技術者」にとって、「評価」こそ彼らのプライドを満たす最も素晴らしい報酬であるはずです。

なお前述のとおり、「技術者」は「クリエイター」に置き換えて読まれるべきでしょう。「技術の時代」とはすなわち「創造の時代」であり、アイディアを形にすることが尊ばれ、そのことに敬意が払われる時代です。

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「経済革命」に相当するもの

「宗教の時代」から「政治の時代」への移行では宗教革命が、「経済の時代」への移行では市民革命が起きました。いずれもそれまでの絶対者を否定し、社会の仕組みを、あるいは歴史を大きく変えた革命でした。それでは「技術の時代」への移行ではどうかというと、著者は「経済革命」と呼ばれるものが起こるはずだと予想します。

もし「経済の時代」の次に「技術の時代」がくるとすれば、どのようなことが問題になるかを検討しておくことも無駄ではないであろう。(中略)

第1に、その転換期におとずれるものは「経済革命」ということになるだろう。(中略)この経済革命がどのような形で起こり進行するかについては予想できない。現在すでに進行中なのかもしれない。

「経済の時代」から「技術の時代」への移行は、単純に行なわれるのではなく、極めて複雑な過程を経るものと思われる。(中略)技術が経済から自立して行く過程は、まず援助者が経済から国家へと移り、ついで宗教がこれをバックアップし、他のあらゆる人間の営みをこれに奉仕させる形で行なわれるように思われる。

経済革命がどのようなものになるのか、本書刊行の1987年時点ではまだわかっていませんでした。しかし30年経ったいまでは、その兆候はもう少し見えるようになっているかもしれません。まず思い当たるのはIT革命です。IT革命はオープン化やフリーミアムといった新しい考え方を生み出し、経済のあり方や、人々の価値観を大きく変えています。

ただし、IT革命はまだ途中であるとする意見もあります。クリス・アンダーソンは著書『MAKERS』(2012)で、ソフトウェアで起きた変化が今後はハードウェアの世界でも起こると予想。3Dプリンタをはじめとする製造技術の革新により、モノもソフトウェアのように扱ったり、流通できるようになるためです。

MAKERS―21世紀の産業革命が始まる

『MAKERS』ではハードウェアの経済規模がソフトウェアの5倍にのぼる点にも注目。間もなくハードウェアの経済に起こる変化は、これまでにソフトウェアで起きたよりも遥かに大きなインパクトを世界にもたらすことになります。

実際にIT革命やそのハードウェアへの波及が「経済革命」に相当するかはわかりません。他の様々な要因が絡むことも考えられ、著者の指摘するように、革命は「極めて複雑な過程を経」て、そのなかで経済、国家、宗教の役割も変わっていくと予想されます。

いずれにせよ、過去の3つの時代を振り返ってみれば、「技術の時代」はいまからは想像もできない時代になりそう。そんな変化の時代を私たちはいま生きていて、世の中が変わるさまを見ることができる、と予想させてくれる一冊でした。

 

k_110702book_sakamoto_sentan 2100年の科学ライフ オープンサイエンス革命

 

この記事は「宗教の時代・国家の時代・経済の時代に続く、第4の時代への転換が始まっている(2/2)(『先端技術のゆくえ』書評)」(2013/8/24掲載)について、2016/6/7に図の追加と加筆・修正を行ったものです。

 

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