「潤沢のピラミッド」に基づく、テクノロジーが社会と未来に与える影響の可視化(『楽観主義者の未来予測』書評)

人間の欲求を定義したものの1つに、マズローの欲求段階説があります。人間の欲求が生理的欲求から社会的欲求、そして自己実現欲求に昇華されるまでを段階的に分類したものです。

マズローの欲求段階説をテクノロジーに当てはめて整理したらどうなるだろうか? この実験を試みたのが、ピーター・ディアマンディスとスティーブン・コトラーによる『楽観主義者の未来予測』(2013)でした。ちなみに共著者の1人ピーター・ディアマンディスは、Xプライズ財団の創立者でもあります。

楽観主義者の未来予測(上): テクノロジーの爆発的進化が世界を豊かにする 楽観主義者の未来予測(下): テクノロジーの爆発的進化が世界を豊かにする (ハヤカワ・ノンフィクション)

本書では、未来を変える可能性を秘めた、あるいは変えつつある様々な最先端技術を紹介していて、テクノロジー好きには大興奮の一冊。ページをめくるごとに未来の足音が鳴り響きます。
そしておもしろいのが、それらのテクノロジーがなぜ世界を未来に推し進められるのか、なぜ、未来は楽観主義的に予測できるのか、体系的な説明を試みている点でした。このための整理の1つが、マズローを参考にした「潤沢のピラミッド」です。

未来を予想する上で、テクノロジーの位置付けを把握するために非常に参考になる一冊でした。ここに紹介したいと思います。

Summary Note

「潤沢のピラミッド」と発展を加速させるもの(本書より)

  • 上層:自由/健康(個人が社会に貢献できる条件)
  • 中層:エネルギー/教育機会/情報アクセス(成長を促すもの)
  • 低層:住居/水/食料(基本的なもの)
  • 指数関数テクノロジーは、テクノロジーの発展のカギとなる
  • DIYイノベーター、テクノフィランソロフィスト、ライジング・ビリオン、賞金付きコンテストといった要素たちが、テクノロジーを発展させるエネルギーとなる

未来を楽観主義的にみられる理由(本書より)

  • 希少資源はテクノロジーにより入手可能な資源に変わる
  • 我々は線形的予想しかできないが、世界は指数関数的に発展する

 

「潤沢のピラミッド」と加速を促すものたち(本書より)

マズローの欲求段階説は、欲求を「生理的欲求」から「自己実現欲求」までの5段階で定義します。後に第6段階として「自己超越」も提唱されました。

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マズローの欲求5段階説【解説】(Naverまとめ,2013/11/3)より

本書はこのピラミッドを参考に、テクノロジーについても、人や社会に対するアプローチの観点から段階的に整理しました。これが「潤沢のピラミッド」です。
ピラミッドの下層には、人が生きるための「基本的なもの」が配置されます。次の段階として人や社会の成長を促す技術が置かれ、それから自由や健康のための技術が必要とされます。
またピラミッドの外側として、テクノロジーの発展が加速される力学を要素に分けて説明しています。

これらまとめたものが次の図です。

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※この図は整理のために私が勝手に分類したもので、著者による主張ではありません

潤沢のピラミッド

本書は潤沢のピラミッドに沿って、ピラミッドに属するテクノロジーを紹介します。ここではその一例として、「水」を取り上げて説明します。
潤沢のピラミッドを見ると、「水」は人や社会における基本的なものとして、ピラミッドの下層に配置されています。この配置はどういう意味を持つでしょうか。

本書によれば、現在数十億人が安全な飲み水を入手できず、最低限の下水設備も利用できずにいるそうです。安全な水や下水設備の不足が原因で、2020年までに約1憶3千万人が死ぬとされています。
汚れた水は命を奪うだけでなく、医療費を上げ、生産力と労働力の不足を生み出し、人々を貧困に縛りつけます。

安全な水を提供する技術があれば、これら数十億人の生活環境が改善することになります。生活環境が改善して子供の死亡率が下がると、出生率の低下に結び付きます。これは多産と死亡率の高さに相関関係があるためです。
子供の数が安定することで、子供1人当たりにかけられる教育コストや教育機会が向上します。その結果、社会全体が次の段階に押し上げられることになります。

これが、水に関するテクノロジーの持つ意味です。水に関するテクノロジーの開発は、単に水をきれいにするだけではありません。社会を大きく変える影響を持つのです。

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ヘアドライヤ1台分の電力で1日1000リットルの精製水を生成できる「スリングショット」.
バングラデシュでは牛糞のみを燃料として稼働.
セグウェイ発明者による開発で、現在コカ・コーラと提携して世界展開を目指している.
本書はスリングショットの普及を「コンドームを配ることと同義」と評価.
(画像はWired.co.ukより)

本書は、ピラミッドの各階層のテクノロジーについても同様に、そのテクノロジーが社会や未来に対すしてもつ影響を説明します。

加速を促すエネルギー

本書では、テクノロジーの発展そのものを加速させる要素についても、いくつか紹介しています。
後述する「指数関数テクノロジー」は、テクノロジーの発展が加速度的に進むことの重要なカギであるとともに、「楽観的に」未来を予測できることの根拠にもなっています。
さらに、テクノロジー発展のためのエネルギーとなる人や、方法や、環境として、次の要素を挙げています。

  • DIYイノベーター(「モノづくり」の実践者たち)
  • テクノフィランソロピスト(営利・非営利を問わず、自ら行動する慈善活動家)
  • 賞金付きコンテスト(イノベーションに必要な動機付けを満たす方法論)
  • ライジング・ビリオン(1日2ドル以下で生活する40億人は購買力平価13兆ドルの巨大市場)

この中で特に面白いと思ったのは「賞金付きコンテスト」でした。
本書はイノベーションの動機を、弱い方から順に、好奇心、恐怖心(例えば軍拡競争)、金銭欲、大きなことを成し遂げたい願望、としています。
賞金付きコンテストは4つの動機すべてに応えるとともに、主催者が勝者に自動的に賭ける仕組みでもある、とも評価します。

行政による企業支援がお役所的で効果が出せない、と批判されることがあります。助成金を出すのではなく、要求仕様だけ決めて賞金を出す方法にしてもおもしろいのかもしれません。

例えばリンドバーグは、オルティーグ賞という賞金付きコンテストを目標に、世界初の大西洋無着陸横断を成功させました。オルティーグ賞に挑戦した9チームは合計40万ドルを費やしましたが、主催者のオルティーグは2.5万ドルの賞金を、勝者であるリンドバーグに渡すことに成功しています。敗者には1セントも支払っていません。

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著者自身もXプライズ財団を創立して賞金付きコンテストを主催.
これにより民間初の有人弾道宇宙飛行が実現しました.

希少性と入手可能性

テクノロジーが明るい未来をもたらす例として取り上げていたのが、アルミです。

アルミニウムがかつて世界で最も高価な金属だったことを、私は知りませんでした。
アルミの地球における存在量は、酸素、ケイ素に次いで3番目と非常に豊富な物質です。にもかかわらず、酸素と結合しやすいという性質から、自然界では単体で存在することは稀だそうです。
本書では事例として、ナポレオン三世が特別な客に対してアルミニウムの食器で振る舞い、他の人々については金の食器で済ませたことを紹介していました。
しかし、1886年の電気分解法の発明が状況を変えます。この発明により人類はアルミニウムを大量に、かつ安価に入手できるようになります。

本書は次のように言います。

歴史をふりかえれば、かつては珍しかった資源が、イノベーションによって豊富に得られるようになった話はいくらでもある。(中略)
問題になるのは希少性ではない。入手可能性なのだ。(中略)
私が言いたいのは、テクノロジーのレンズを通してみれば、本当に希少な資源というのはほとんどなく、入手不可能な資源である場合が多い、ということだ。

21世紀の希少資源「水」

希少性が問題視され始めている資源の1つが水です。世界の水需要は2030年になると、現在安定供給可能な水の量を40%上回ると予想されています。
米国の中期戦略策定のための調査報告をまとめた『2030年世界はこう変わる』(2013)では、2030年までの世界を占う上で無視できない流れの1つに水不足に挙げており、国際紛争の引き金にもなりうると警鐘を鳴らしています。

地球上の水の97.3%は海であり、2%は極地の氷であることから、我々が現在使うことのできる水は残りの0.5%しかありません。本書は、この0.5%を争ったところで桁違いの変化は生まれないと指摘。水についても、アルミが辿ったのと同じ変化を辿らせることが必要だとしています。

逆に言えば、テクノロジーさえ発達すれば、残り99.5%が飲める水に変わり、水問題から解放されることにります。いま問題となっていることが問題ではなくなること。未来を楽観的にみることができる理由の1つと言えるでしょう。

1 yen coins
150年以上前にタイムスリップする予定があるなら、金貨ではなく
1円玉の持参を検討しても良いかも(画像出典:1 yen coins / hildgrim)

なぜ我々は「楽観的な未来」を受け入れられないのか

将来を楽観的に語れるもう1つの理由が「指数関数テクノロジー」の存在です。

有名な法則の1つに、「集積回路上のトランジスタ数は18ヶ月毎に倍になる」というムーアの法則があります。この法則に従うと、チップ性能は5年で10倍、10年で100倍、15年で1000倍と、指数関数的に向上します。1965年のこの予言は未だに破られておらず、情報技術分野におけるあらゆる事象が指数関数的法則に従っています。

指数関数テクノロジーにアクセスするということ

水の例として本書は、IBMやHPによる「水のスマートグリッド」への取り組みを紹介していました。

スマートグリッドは電力分野で注目されている考え方です。電力網に通信・制御機能を付加することで、電力を、常に一定量の供給でなく、需要に応じて動的に供給します。
水の供給も同様に、供給路等にスマートメーターや各種センサを置くことで、供給効率を大きく上げることが期待できます。これが「水のスマートグリッド」です。
本書は実際の導入事例をいくつか紹介しており、例えばスペインでは、灌漑システムに導入して農業用水の20%節約に成功したそうです。

しかしここで重要なのは、「水のスマートグリッド」が単なる節約技術に留まらない点です。著者は次のように述べています。

この節では、水の使用量を大幅に節約することを考えてきたが、それは水のスマートグリッドにかんする議論の出発点であって、結論ではない。水道施設がインテリジェント・ネットワークに変われば、水はまさに情報科学になる――そうすれば、指数関数的成長の流れに乗っていけるのだ。

それまで単なるインフラだったものが「情報科学」になり「指数関数的成長」をはじめること。以後はムーアの法則のように、指数関数的な発展が期待できること。これが、技術が指数関数テクノロジー化することの大きな意味です。
指数関数テクノロジー化する可能性のある技術は水だけでなく、たとえば医療など、いくつかが紹介されていました。

しかし人間は指数関数的環境を認識できない

我々が指数関数的テクノロジーに触れたのは、ようやくこの半世紀になってからに過ぎません。人間は過去15万年間、「ローカルで線形的」な世界で進化しました。これが理由で、人間の脳は現在の「グローバルで非線形」な世界に対応することができない、指数関数的に考えられない、と本書は指摘します。

それでもテクノロジーはいま、指数関数的に発達します。これは、テクノロジーが我々の予想を必ず上回って、世の中の課題を解決していくことを意味しています。
私たちは線形な予想に基づき、未来を暗く捉えがちですが、線形の予想は正しい予想ではありません。従って、未来は私たちの能力で想像できるよりも楽観的なものになる。説得力のある仮説だと思います。

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世界人口の増加が指数関数的になったのも、歴史から見ると最近の出来事です
(画像出典:国連人口基金東京事務所

本書による整理の意味

驚くような新しいテクノロジーが日々、生まれています。

ひとつひとつの成果は社会や未来にどんな影響をもたらすでしょうか。本書による整理は、テクノロジーの進歩が持つ意味を考える上で参考になりそうです。

植物工場であれば、それはピラミッドの下層を支える技術であり、例えば食糧危機の回避や、数十億人の貧困からの脱出に繋がるかもしれません。これは結果として、ピラミッドの中層における技術的需要が増えることをも意味します。
3Dプリンタであれば、DIYイノベーター等のモノづくりを楽しむ人たちを刺激し、技術開発の可能性を広げるかもしれません。さらには、モノづくりのデジタル化を深化させ、ピラミッドにおける様々なテクノロジーを指数関数曲線に乗せることになるとも予想できます。

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そのテクノロジーが社会に対して持つ影響を、図に当てはめて考えてみる

テクノロジーをマズローの欲求段階説に当てはめて捉えることで、テクノロジーと社会との関係が対比され、テクノロジーの社会に対する意味や影響が可視化されました。
さらに、テクノロジーが「入手可能性を向上させるか」「指数関数テクノロジーに繋がるか」という視点でも、社会への間接的な影響をはかることができます。

本書による仮説は、テクノロジーと社会の関係を知る上で非常に参考になることがわかります。このような切り口で観ることで、テクノロジーがもたらす非線形の未来を、少しでも予想できるようになるかもしれません。

 

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