算命学に基づき4ヵ国1組織の栄枯盛衰を確かめてみた(日米編)

いなたくんへ

算命学に基づく国家のトレンド予測がおもしろい。算命学は月日の干支をもとに人の運命を占う占星術で、中国ではこれを国家の将来予測に活用してきた。占いというと胡散臭いけど、長い歴史における国々の栄枯盛衰から経験的に導き出された法則であり、バカにできない。

算命学では、国家のトレンドを10年ずつ5つの時代に分け、合わせて50年を1つのサイクルととらえる。5つの時代は次のように推移する。動乱のあと、国の安定にともない国家の中枢を担う人材が教育され、彼らが経済確立と、次いで庶民の台頭をもたらすが、庶民は権力に抑えられて国家は衰退し、次の動乱期を迎える。というシナリオだ。

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動乱期の始まりは、どのような国家、どのような時代においても、その国の憲法が施行された年とされる。また、教育期の半ばには「鬼門通過」と呼ばれる、国家を震撼させる大事件が起こるとされる。

算命学に基づく国家のトレンド予測は、菅下清廣著『一生お金に困らない「未来予測」の技術』(2014)で紹介されていた。証券・投資分野で活躍した著者の長期トレンド予測手法1つだそうだ。
本書によれば、1947年に日本国憲法を発布した我が国は現在2サイクル目の教育期(2007~2016)にあり、その半ばには鬼門通過現象として東日本大震災が起きている。そして2017年からは経済確立期を迎えることになる。

このサイクルを参考にすれば、国家の未来を予想できる。でも算命学、やっぱり怪しさがぬぐえない。本当に当たってるのか、こじつけじゃないのか、鵜呑みにするにはちょっと躊躇してしまう。

そこで今回は各国の歴史を振り返り、実際に5つの時代の推移があったのか当てはめてみた。するとこれがけっこう当たっていて驚いてしまう。長期トレンド予測の指標の1つとして、算命学がどこまで使えるのか確かめてみてほしい。

ソ連、欧州連合、中国についても後編で紹介。


1.大日本帝国の躍進と滅亡(1890~)

まずは我が国の歴史について、算命学の5つの時代を当てはめてみる。近代において参考にしたいのは大日本帝国の盛衰だ。その50年は帝国主義世界における国際的地位向上に費やされたが、2サイクル目の動乱期を乗り越えられず滅んでしまった。

動乱期(1890-1899)

サイクルの起算点は1890年の大日本帝国憲法施行だ。明治維新から20年以上を経過してようやく近代国家としてのカタチが整った格好になる。

このころには第一回衆議院議員選挙や教育勅語の発布があった。一方、近代化の歪みとして足尾銅山事件があったり、対外的には日清戦争が起きたりもした。開国後の激動がなお続いていた時代といえる。

教育期(1900-1909)

八幡製作所が操業を開始し、満州鉄道が設立されるなど、近代化に拍車がかかる。
対外的には日英同盟と日露戦争が大きなイベントだった。他に伊藤博文暗殺や治安警察法制定など。

鬼門通過現象としては日露戦争が挙げられそうだ。日本はこの勝利をバネに、次の10年で国際的な地位を大きく向上させる。その一方で、講和に際し起きた日比谷焼討事件では初の戒厳令が敷かれ、後の軍部暴走を招く最初のきっかけになったとみる向きもある。

算命学が正しければ、この時代の影響を受け育った人材がその後の発展の原動力となり、日本の運命を形作っていくことになる。

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黄海海戦(日露戦争)の日本艦隊(Wikipeiaより)

経済確立期・平和期(1910-1919)

国内では東京証券取引所が空前の出来高を記録し、日本初の国産車が登場。松下幸之助も二股ソケットを発明して起業している。

明治政府の悲願であった不平等条約の完全撤廃が成り、関税自主権も回復する。日本は第一次大戦に参戦し、シベリアに出兵、中国へは21カ条要求を突き付けるなど、もはや弱小国ではなくなっていた。韓国併合もこの時期だ。

次の10年に続く布石では吉野作蔵が『民主主義』を発表するなど、庶民も力を付け始めていた。

庶民台頭期(1920-1929)

大正デモクラシーは概ね大正年間(1912-1925)に起きた民主主義・自由主義の発展期とされ、経済確立期・庶民台頭期とちょうど重なる。20年代には日本初のメーデーがあり、官業労働者デモがあり、日本共産党や労働農民党が結成し、普通選挙法が制定された。ちなみにカルピス発売もこの時期。

一方、治安維持法制定、原敬暗殺、張作霖爆殺など、不穏な事件も起きている。

権力期・爛熟期(1930-1939)

世界恐慌(1929)が波及し、昭和恐慌と呼ばれる時代に移る。
国内では五一五事件、天皇機関説事件、二二六事件があり、国家総動員法が制定され、軍部が権力を確立していく。国外では満州事変、上海事変、盧溝橋事件、ノモンハン戦争が立て続けに起き、日本は国際連盟から脱退。日中戦争が本格化する。

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こうして俯瞰してみると、概ね算命学の規定する5つの時代の流れに沿っていたように思える。動乱のあと、日露戦争を経て国力が発揚され、経済は上向き民主主義が盛り上がるも、軍という権力の暴走を招いた。50年をまとめるならば、近代化により国力と国際的地位の向上を目指した50年と評価することができそうだ。

帝国は1940年から2回目のサイクルに入るが、その結果は周知の通りだ。軍は権力期に権力をつかむも2回目の動乱期を乗り越えられず、国を道ずれに滅んでいった。


2.日本国の経済的復活(1947~)

大日本帝国滅亡のあと、日本は米国の占領下で再出発を図ることになる。起点は1947年の日本国憲法施行だ。この50年は、平和憲法下での経済的復活を果たすまでのサイクルと言えるだろう。

動乱期(1947-1956)

占領下の日本を動乱の時代と呼ぶことに差し支えはないだろう。経済的には戦後インフレとドッジ・ラインによる経済締め付け、やがて朝鮮戦争特需があり激動だった。下山事件・三鷹事件・松川事件も相次いだ。

主権は1952年に回復し、米国と安全保障条約を締結して国際連盟加入となる。
エネルギー政策の軸となる原子力基本法は早くもこの時期に成立している。湯川秀樹のノーベル賞受賞や、テレビ放送の開始があった。

教育期(1957-1966)

経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言したのが1956年。日本は人口1億人を突破し、東京五輪が開催され、いざなぎ景気の最中にあった。名神高速・首都高・東海道新幹線が開通し、原発が稼働をはじめ、鉄腕アトムの放送が始まるなど、科学が未来を見せた時代でもあった。

教育期の半ばに起きる「鬼門通過」は何に当たるか。『一生お金に困らない「未来予測」の技術』では安保闘争を挙げていた。米国の安全保障の傘に入る、という意味では、21世紀まで続く日本国の性格をひとつ決定した出来事と言えそうだ。

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安保闘争で国会議事堂を取り囲むデモ隊(Wikipediaより)

経済確立期・平和期(1967-1976)

戦後の高度経済成長は1954年から1973年までとされ、特に高度成長第一期(1954-1961:年設備投資主導型)、高度成長第二期(1965-1973:輸出・財政主導型)に分けられる。1973年からバブル崩壊までは安定成長期と呼ばれる。

算命学上は経済確立期にあたるこの時期は、ちょうど高度成長第二期および安定成長期のはじまりと重なる。オイルショックなどの混乱はあったものの、経済大国の地盤が確立した時期と言えそうだ。
イベントとしては公害対策基本法制定、大阪万博開催、日本列島改造論などがあった。

なお算命学ではこの時期を平和期とも呼ぶようだが、全共闘が激化し、あさま山荘事件やテルアビブ空港乱射事件、ダッカ・ハイジャック事件などが起きていて、現代の感覚からするとちょっと平和と言えるかどうか…。もっともこうした事件は前の10年、すなわち教育期における学生運動の残滓とも言え、やがて下火になってゆく。

庶民台頭期(1977-1986)

戦後復興期の辛い時代を描いたドラマ『おしん』(1983)が流行る。復興は過去の物語になっていて、日本は経済大国として返り咲き、庶民は力を取り戻していた。

第一回隅田川花火大会、インベーダ-ゲームの流行、原宿の竹の子族問題、ディズニーランド開園、男女雇用機会均等法、バブル景気の本格化、などが起きていた。成田空港が開港し、各新幹線も開通。NTT等の民営化やJRの発足もこの時期だ。

権力期・爛熟期(1987-1996)

バブルが崩壊し、失われた20年が始まる。リクルート事件や大手証券会社の巨額損失補てん問題などが起きた。
ほかに消費税の施行、日本人初の宇宙飛行、地下鉄サリン事件、阪神大震災など。

算命学によれば、「権力期」はそれまでに台頭した庶民の力を権力が押さえつける時期とされる。しかし現実には、ねじれ国会が問題になり、自民党55年体制が崩壊するなど、バブル崩壊の混乱に振り回された時代ともいえるかもしれない。

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戦後の混乱を経て、科学に未来を見出し経済大国として立ち上がるも、バブル崩壊により成長神話が頓挫する。議論はあろうけれども、私はこの一連の流れも、算命学が規定するサイクルに沿っていると評価したい。

余談ながら、御一新以前の日本は…

算命学に基づく国家のトレンド予測は、中国では古代から行われてきたものであり、近代以前の政権にも当てはめることができるだろう。しかし私の中学レベルの歴史知識では誤解が大きそうで、今回は控えた。

まず、サイクルの基準となる「憲法の制定」をどう評価するかが難しかった。例えば鎌倉時代は1185に始まったとされるが(※諸説あり)、憲法に相当するのは何だろう。武家政権の性格を決定づける御成敗式目とかそれっぽいけど、鎌倉幕府成立から50年待たねばならない。

平氏政権や豊臣政権もおもしろそうだったけどあまりに短命で断念。
江戸時代は1615年の武家諸法度発布を起算点とすると、ちょうど5サイクル250余年で滅びていておもしろい。一方で江戸期の国家としての盛衰は算命学よりも飢饉の発生に左右されている気がして、うまく当てはめができず見送った。

詳しい方にはぜひ検証していただきたい。


3.西部開拓後、軍産複合体制完成を目指したアメリカ帝国(1888~)

日本以外はどうだろう。西洋の国、その中でも日本と関係の深い米国の歴史を振り返ってみる。米国合衆国憲法は1788年に発効し、現在も機能する世界最古の成文憲法とされる。算命学に従えば米国は1888年に3回目の動乱期を迎えたことになる。

Wikipediaの「アメリカ合衆国の歴史」では、1890年までを西部開拓時代に、それ以後を帝国主義時代に区分している。19世紀末には「西部開拓時代の終結によって、アメリカ人は更なるフロンティアを海外へ求め、「外に目を向けなければならない」という意識が起こった」ようだ。この意識をはじまりとして、米国は3サイクル目の50年間を「軍産複合体の発達」という一貫したテーマに使っている。

動乱期(1888-1897)/教育期(1898-1907)

「外に目を向け」た米国は米西戦争・米比戦争(1898)を起こし、ハワイ、サモア、キューバ、プエルトリコ、グアム、フィリピン、パナマと、貪欲に征服活動を進めていく。中国に対する野心も露わにし、日本と利害が対立すると対日戦争計画(オレンジ計画)も作っている。

一方で国内は、第二次産業革命により世界有数の工業国となっていく。フォードの創業が1903年で、同年にはライト兄弟も初飛行を遂げている。
フレデリック・テイラーの「科学的管理法」は製造ラインの工程分担により生産現場に近代化をもたらし、単純労働者の需要を押し上げ、移民を米国に惹きつけた。

「鬼門」はなにか

教育期半ばの「鬼門通過」は何だろう。実はこのころの米国では「国家を震撼させるほどの大事件」はあまり起きてなくて、米西戦争(1898)かサンフランシスコ大地震(1906)かなとも思うんだけど、私は移民流入を挙げてみたい。

工業化による単純労働者の需要から米国への移民が激増しており、ちょうど教育期がピークとなっている。名のついた事件ではないが、この流入は米国の文化に少なくない影響を与えたはずだ。特にアジア(中国と日本)からの移民は嫌われ、移民全体に占める割合は大きくなかったにもかかわらず、禁止されるまでになる。

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米国への移民は1900年代頭にピークを迎えている(wikipediaより)

経済確立期・平和期(1908-1917)

第一次大戦(1914~)により米国では国内労働者の25%が軍需関連産業に従事するようになり、経済的活況を呈する。米国は戦後も飛行機への投資を続けて一大産業に育て上げ、1927年にはリンドバーグが大西洋横断を達成する。

対外的にはニカラグア、ハイチ、ドミニカ占領と帝国主義一直線。ほかに排日土地法による日本人移民牽制や、中央銀行に当たる連邦準備法の成立もこの時期だ。

庶民台頭期(1918-1927)

1920年代は豪華絢爛な『グレート・ギャッツビー』(1925)の時代に当たる。米国は石油生産と工業化で世界をリードし、企業の合併と市場支配が進んでいった。

教育期をピークとした移民流入は移民法(1924)により厳しく制限され、米国を目指す外国人にとって「自由の国」ではなくなる。

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フィッツジェラルド著『グレート・ギャッツビー』は「黄金の20年代」における物質的成功を象徴的に描いた名著

権力期・爛熟期(1928-1937)

バブルは1929年にはじけて世界恐慌の引き金となる。この立て直しはニューディール政策と各種立法という、つまりは政府主導により行われる。政策は奏功し、景気は権力期の終わる1937年までにある程度は回復するものの、本格的な好景気は次なる戦争経済に頼ることになる。

経済確立期に続く庶民台頭期にバブル経済が起こり、これがはじけて権力期を迎える、というのは20世紀後半の日本のバブル崩壊とも一致するけど、偶然だろうか。

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3サイクル目の米国は、第二次産業革命による工業力を最大限に育て上げ、軍事力を征服活動に活かすという軍産複合体の発達で一貫していた。工業化の副作用として移民の大規模流入も起こるが、これは抑制策が取られている。
工業化を背景とした経済・文化の隆盛とバブル崩壊、権力による対処、という流れは算命学のシナリオにも沿っていたと思えるけど、どうだろう。

アメリカ帝国は次の動乱期にアジアの帝国とぶつかった後、4サイクル目には違った性格を見せることになる。


4.冷戦を戦い覇権を狙う米国(1938~)

米西戦争や第一次大戦といった争いはあったものの、3サイクル目までの米国は基本的には先進国と事を構えることはしなかった。しかし4サイクル目になると、第二次大戦を契機に世界への関与を大きく深めることになる。その50年はソ連との戦いに費やされた。

動乱期(1938-1947)

中立を保っていた米国だが、真珠湾攻撃を奇貨として第二次世界大戦に参戦。世界恐慌で失速していた景気は戦争経済により完全に回復する。
パックス・ブリタニカの時代は終焉し、無傷の先進国は米国だけ、という状況が生まれる。

教育期(1948-1957)

世界に対する積極的関与の鏑矢となるのが、マーシャルプラン(1948-1951)と呼ばれる欧州復興支援だ。また、共産圏との対立や冷戦構造はすでに生まれており、北大西洋条約機構(NATO)を成立させる(1949)。

国内では白物家電の普及、自動車普及による郊外人口の増加、ベビーブーム到来などがあった。

鬼門には、ソ連との最初の代理戦争となる朝鮮戦争が挙げられる。以後米国は世界各地で共産陣営と戦っていくことになる。核実験が本格化するのもこの時期だ。

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朝鮮半島に展開した米軍(wikipeidaより)

経済確立期・平和期(1958-1967)

国内は戦後の大好況に沸いていた。ハリウッド映画の黄金期もこの時期である。

冷戦イベントではキューバ危機やベトナム戦争介入が起きている。米国は核開発や宇宙開発など科学力に力を注いでいた。なお世界の趨勢と合わせて、60年代までに植民地の独立が相次いでいる。
『フォレスト・ガンプ』の時代であり、公民権運動や、ベビーブーマーによる反戦活動、カウンター・カルチャーも盛んになっていく。

庶民台頭期(1968-1977)

それまでの反戦運動が結実し、ベトナム戦争からは撤退となる。これは権力に対する庶民の力が形になったものと言えるかも。ヒッピーが生まれたのもちょうど60年代後半とされる。

経済的にはスタグフレーションとなり、ニクソンショックやオイルショックがあり、ウォーターゲート事件による政治信用の低下が起きた。
アポロ11号の月面着陸(1969)により、米ソの宇宙開発競争が一段落する。60年代末から70年代末の米ソ関係は、デタントと呼ばれる対話の時期となる。

権力期(1978-1987)

米国は80年代に不況に陥り、レーガノミクス(通貨締め付けと拡大的財政政策)による対応がなされる。経済確立期からの好景気が権力期には不況になり政府が対処、というのは3サイクル目(世界恐慌に対するニューディール政策)とも似た状況だ。ただし4サイクル目は、レーガノミクスのあとブラックマンデー(1987)を迎えることになってしまう。

ちなみに知財の世界からみると、米国が対日政策の一環としてプロパテントに傾倒するのもこの時期である。

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こうしてみると、4サイクル目の米国も見事に算命学の流れに沿っている。世界大戦と冷戦構造の始まりのあと、経済確立期に好景気があり、庶民台頭期にはヒッピーが生まれ、不況になると政府が力を注ぐ。

さて、ソ連との関係はデタントのあと再び悪化していたが、ソ連は米国権力期の終了後まもなく崩壊し、米国はここに覇権国としての地位を確立する。そして5サイクル目は冷戦後の世界戦略に挑むことになる。これが一筋縄でいかないことは、5サイクル目の鬼門通過期(2003年前後)に起きた9.11同時多発テロが象徴している。

 

以上、日本と米国の歴史を2サイクルずつ振り返ってみた。続いてソ連、欧州連合、中国についても確かめるけど、記事が長くなってしまったので、続きは後編で。

 

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