「ググってもカス」を生むスケールフリー・ネットワークと民主主義の未来(『グーグル・アマゾン化する社会』書評)

いなたくんへ

そのキャッチ―な語感から、「ググってもカス」という言葉が各所で散見されるようになっている。元となる「ググれカス」はGoogle先生が集合知でなんでも教えてくれることから生まれたネットスラングだ。しかし現在では、検索結果の情報汚染が進み、ある程度の知識がなければ情報を引き出せなくなっている。「ググってもカス」はそんな状況を揶揄した言葉だ。初出は、私の調べた範囲では次のツイートの「ググったらカス」かな。

インターネットはその効用として「ロングテール」や「フラット化」が謳われ、世界を変えるものとして期待されてきた。ところが近年においては、本当に世の中を豊かにしているのか疑問を呈される場面も目にしたりする。

『グーグル・アマゾン化する社会』は2006年発行の書籍であるが、そんな疑問をいち早く提起し、インターネットに顕れた「歪み」を予見している。だけでなく、その原因について「スケールフリー・ネットワーク」という理論での説明を試みている。

ちょっと古い本だけど、インターネットの性質の基本を知る意味でも、また「勝者全取り」により肥大化の進むAmazonやGoogle、あるいは衰退する(ように見える)民主主義の将来を考える上でも参考になったので、まとめてみた。

Summary Note

Google、Amazonの倒し方

  • スケールフリー・ネットワークは(1)成長性(2)優先的選択性を備え、ウェブに顕著にみられる
  • スケールフリー・ネットワークはさらに(3)適応性を備え、後発参入でもネットワークのハブとなりうる

「ググってもカス」はウェブの必然

  • SNSは集団分極化をもたらす
  • そもそも集合知は4つの要件を満たさねば正しくならない

民主主義に未来はあるのか

  • アーキテクチャーの仕様は、人の振る舞いや思考までも規定する
  • 民主主義は集団分極化を起こしやすい性質をもち、ウェブはこれを加速する
  • 集団分極化は、ヒトの集団が多様性を確保するための機能かも


Google、Amazonの倒し方

本書の起点は「ロング―テル」「フラット化」への疑問だ。情報化社会は利便性や公平性をもたらすと言われたが、本当にそうだろうか。キーワードとなるのが「一極集中」で、むしろネットは一部企業の独占・寡占をもたらしている。

だが、いま訪れつつある社会は、本当にフラットなのだろうか。
どうもわたしには、そうは思えない。もう一つの大きな要素が見逃されているように映るのだ。もしフリードマンの考えをすこし修正させてもらえるなら、巨大な一極とフラット化の社会というべきか。

『グーグル・アマゾン化する社会』より

ウェブ上に似たようなサービスはいくらでも存在しており、それぞれのサイトはどこも”フラット”に存在している。
にもかかわらず、人々が集まるサイトは、ジャンルによってほぼ固定化されている。同じような機能やサービスなのに、一方は数千アクセスしかなく、もう一方には数千万のアクセスがある。そんな非対称性がウェブには顕著にある。

『グーグル・アマゾン化する社会』より

ウェブはより豊富な情報を蓄え、リクエストひとつでなんでも提示される情報化社会が待ち受けている、ということになる。ひいては、それらの情報によって人々の利便性は高まり、多くの多様な情報に触れることで、人も社会もより懸命になっていく、という理想的な将来像を描くことができる。それこそが、情報化社会の狙いでもあるだろう。
だが、果たしてそんなことは可能だろうか。むしろ社会は、一極集中的な方向へとベクトルを向けているのではないか。

『グーグル・アマゾン化する社会』より

例えば検索ではGoogle、小売りではAmazon、SNSではFacebookといった形で、サービス分野ごとに1つまたは少数の企業の独走がみられる。この原因として本書が持ち出すのが「スケールフリー・ネットワーク」理論だ。

スケールフリー・ネットワークとは

スケールフリー・ネットワークとは、「大多数の結節点をもつハブ(中心点)と、それに伴うスポークの関係がネットワーク的な構造ができる過程で発生する現象」を指す。

具体例では「六次の隔たり」で知られるスモールワールド理論がわかりやすい。友達の友達をたどっていけば、世界の誰であっても6人以内には繋がれる、という仮説だ。

人間関係の中には必ず、多くの知り合いを持つ「中心人物」がいて、この中心人物がさらに中心人物へと繋がっていくことで、6人という少ない連絡で任意の人物にたどり着ける。この「中心人物」がスケールフリー・ネットワークにおける「ハブ」である。


スケールフリー性を持つグラフの数学モデル「バラバシ・アルバートモデル」の一例(Wikipediaより)

Wikipedia周辺のWWWの構造(Wikipediaより)
ハブとスポークの関係がみられる

スケールフリー・ネットワークの特徴

スケールフリー・ネットワークを発見した米ノートルダム大の物理学者アルバート・バラバシによれば、スケールフリー・ネットワークは次の特徴を備えている。

  • 1.成長がある
  • 2.優先的選択が起こる

優先的選択とは、新しい結節点ができる際に、すでに多くのリンクを持っている古い結節点との接続を優先的に選ぶことを指す。本書『グーグル・アマゾン化する社会』では、新しい空港の航路を考えるとき、まずは地方空港ではなくハブ空港と繋がりたいよねと例示。わかりやすい。

そしてこの性質がは「収穫遁増」「自己組織化」という副次的作用を引き起こす。「金持ちほどますます金持ちになる」ということである。例えばマーケティングでは「売れていること」自体が宣伝効果となって、さらに売れるようになる。

本書によれば、ウェブはスケールフリー・ネットワークの性質が顕著に表れる世界であり、優先的選択により一極集中、すなわち「勝者全取り」が起こりやすい。これがIT業界で「一番でなければ意味がない」と言われることの理由だとする。

例外はあるのか

一方で本書は、GoogleやYoutubeが後発参入であることを指摘。にも関わらず先発を追い抜き、一番になれたことの理由として、バラバシが挙げるスケールフリー・ネットワークの3つめの特徴を紹介する。

  • 3.適応性

ネットワークのノードはそれぞれ「適応度」を持っている。これは「友達を作る能力」や、「会社であれば消費者を魅了し捕まえる能力」、「俳優であれば好かれたり覚えておいてもらえる能力」である。
Googleはページ・ランク、Amazonはアフィリエイトと、競争優位となる特徴技術を備えており、これが「適応性」として働き、後発にもかかわらずネットワークのハブになれたということだ。

Google、Amazonの倒し方

ということで本書を読むと、スケールフリー・ネットワークに新規参入するにあたっても、差別化できる特徴さえあれば勝ち上がることは可能とわかる。これって競争戦略ではさんざん言われる王道だけど、Google、 Amazonのような巨大なビッグデータ企業に対しても、倒ことは理論的には可能なわけだ。理論的には。

不可能でない、ということがわかったのは収穫だった。「コンピュータは世界に5つ」の予想があるが、入れ替え戦は起こるのである。まあ、Google、 Amazonを倒せる差異化技術なんてよほどのゲームチェンジャーというか、パラダイムシフトな気もするけれど。

ヘッドとロングテールの話

ところで本書は、GoogleやAmazonといったスケーラビリティをもつサイト(=ヘッド)にしか本当の成功はないとし、一極集中的現象を悲観的に見ている。例外となるロングテールも、「販売する商品やサービスがニッチ(限定的)」でなければ生き残れない。誰でもロングテールになれるわけではない。

ただ私としては、インターネットがなければ出会えなかった商品、サービスはたくさんあって、世の中は確かに豊かになったと思っている。需要は小さくとも差別化要素を備えるサービスが、きちんと売れる。これは素晴らしいことだろう。

むしろニッチでなければ生き残れない、似たようなサービスが淘汰されてしまう、というのは、競争環境としては健全ではないだろうか。


「ググってもカス」はウェブの必然

で、本書はスケールフリー・ネットワーク理論をもとに、言論についても分析している。「スケールフリーや収穫遁増がネットやウェブに適用されたらどのような影響がもたらされるのか」が次の論点だ。

具体的には、企業の競争にとどまらず、言論や民主主義といった社会のあらゆる部分にも一極集中の影響が起き、それが必ずしも良い方向ではないとしている。

SNSの欠陥

本書はSNSを例として、パーソナライゼーションの進んだサイトには大きな欠陥があるとする。

1つは、偶然性による情報や人の発見が大幅に減ることである。SNSの中のスモールワールドは基本的に親しみを覚える人との輪によって形成されるため(同類志向、ホモフィリー)、誰もが均等につながるわけではなく、仲のいい人だけが選ばれる。

そして2つめに、集団分極化と呼ばれる現象が起こる。

これらは「エコーチャンバー効果」として問題視されているもので、その結果「科学の知見が失われている」という研究もあったり。

また、経産省若手がまとめて話題になった「不安な個人、立ちすくむ国家(PDF)」でもエコーチャンバー効果は挙げられていた。


図:不安な個人、立ちすくむ国家p45より

集団分極化はスケールフリー・ネットワークによりもたらされる

集団分極化とは、「集団内の議論が、中庸でなく、先鋭化した極端な報告へと進む現象」を指す。本書では一例として第二次大戦時の枢軸国を挙げていた。

これは集団を構成する人の力関係により起こることが多いという。人は不確かな状況下で何かしらの判断を下さねばならない時、他人の考えを参考にするが、発言量の多い人がいるとその意見に引きずられてしまう。さらに、孤立への恐怖から劣勢意見は沈黙してますます少数になる「沈黙の螺旋」効果も影響する。

先に紹介したように、スケールフリー・ネットワークはただでさえ一極集中をもたらす。その典型例であるウェブを議論のツールとして使うことで、集団分極化が起こってしまう。

ちなみに米調査会社NRDによれば、検索エンジンで3ページ分(30項目以上)を見る人は全体2%にとどまる。逆に言えば、上位30項目に入るようSEO対策すれば思考を誘導可能だよね、と本書は指摘している。

「ググってもカス」はウェブの必然

本書は議論が先鋭化・集団分極化することの原因として、スケールフリー・ネットワークの他にもう1つを挙げている。それは「そもそも集合知を生むことが難しい」ということである。

ジェームズ・スロウィッキー著『「みんなの意見」は案外正しい』(2009)では、「集団が出す答えの平均値は正解に近く、その数値は任意の個人と比較した際たいてい勝っている」とし、集合知が個人の知に勝ることを示した。

でもこれで集合知を褒めたたえるのはまだ早い、というのが本書の主張だ。というのも、『「みんなの意見」は案外正しい』ではただし書きとして、「みんなの意見」が正しい解に至るためには、集団が次の4つの要件を満す必要があるとしているからだ。

  • 1.意見の多様性
  • 2.独立性
  • 3.分散性
  • 4.集約性

これ全部満たすのは結構難しくて、すると「みんなの意見は案外正しい」のは例外的状況であって、むしろ「ググってもカス」が必然であることがわかる。

集合知というのは、人さえ集まれば自然に集まるわけではなく、「3人集まれば文殊の知恵」は例外で、たいていは烏合となるようだ。


民主主義に未来はあるのか

最後に、本書は民主主義の未来についても触れている。基本となる考え方は「アーキテクチャーの仕様は、人の振る舞いや思考までも規定する」というもので、要するに使う道具によって人間の振る舞いも変わってしまう。

ここで挙げる「アーキテクチャ」とはもちろんん、スケールフリー・ネットワークの典型例としてのウェブやIT技術である。

現在のウェブのアーキテクチャは、高機能な実用性とのトレードオフ(二律背反)として、グローバルな冪法則に与することを求めてくる。その冪法則が支配するアーキテクチャーでは、多様な意見をもとにプロセスで解決を図る民主主義を実現するのは、かなりの努力を要するはずだ。

『グーグル・アマゾン化する社会』より

明言は避けているものの、楽観的でないことは確かの様子。また本書では、スケールフリー・ネットワークの発見者バラバシの次の言葉も引用。

本来、民主主義的な話し合いの目的は、互いの利益を尊重しつつ、妥協点を探し、合意できるポイントに着地させる、その仕組みや過程自体にある。だが、集団での話し合いによる合意は、むしろその構成員の力関係によって形成されることがわかっている。

その好例が、ウェブにおける民主主義である。すでに見たように、トポロジーがスケールフリーであるために、ドキュメントのかなりの部分は目につかない。なぜならリンクのほとんどは、非常に人気の高いごく少数のノード(結節点)に握られているからだ。もちろんウェブ上には言論の自由があるだろう。しかし確率的には、われわれの声は弱すぎて誰の耳にも届かない

アルバート・バラバシ『ネットワーク思考』より

民主主義とは本来集団分極化を生みやすい構造をもっていて、ウェブはそれをさらに加速してしまう。

テクノロジーは民主主義・非民主主義の両者の性質を際立たせる

民主主義って本当にイイの?という疑問を目にする機会も増えた。

きっかけは非民主主義国・中国の台頭だろう。冷戦を終えて、民主主義を採用する自由主義陣営の勝利が明らかになり、豊かに発展できるのはやっぱり民主主義だよね、となったのだけど、世紀が移れば中国の発展は著しく、「えっ、民主主義じゃなくてもイケるの?」となるわけだ。

もしかしたら、民主主義だから勝てたというのは間違いで、歴史的追い風を受けていた国家群が採用していたのがたまたま民主主義だった、という話かもしれない。この分析は主題ではないので深堀りしないが、興味深いのは、テクノロジーが民主主義、非民主主義の両者の性質を先鋭化している点である。

ウェブが民主主義の効用を増幅している、というのは上記に挙げた通りだ。
一方で隣国をみると、監視技術や管理技術といった非民主主義の国家運営の強化にも、テクノロジーは大きな役割を果たそうとしている。

集団分極化は多様性の担保のため?

ちょっと話は飛ぶけれど、なぜ人には「集団分極化」のような機能があるのだろう。
たとえば宗教は、過酷な環境において人が集団を形成し、生き残りやすくなるように獲得した「能力」だ。実際に脳を調べると「宗教的なものを信じるための機能」を司る部位が確認できる。

では「集団分極化」は何のための備わったのか。考えるに、集団の意見が中庸に落ち着くと、結局平凡な意思決定しかできなくなって、多様性が失われる。生物は種の中では多様性を持つ方が有利なので、種の中の小集団ごとに先鋭化した意見が生まれれば、そのいずれかの集団は生き残れる。そう考えると、集団分極化が起こるようヒトがデザインされていることにも納得できる。

多数決で中庸に陥りがちな民主主義が、ウェブにより集団分極化しやすくなれば、理屈では多様性が増すので有利である。ただし問題は分極が集団の内部で起こることで、分極した片方の極が他極に滅ぼされるか、あるいは対消滅的に内部崩壊してしまうか、いずれにせよ穏当でないプロセスが予想される。

一方で先鋭化と言えば、むしろ独裁的体制がそれだろう。この場合には独裁者の優劣が集団の生死に直結するのでわかりやすい。

いずれにせよ、テクノロジーは民主主義・非民主主義の両者の性質をより極端化してくれそうだ。これによりいよいよ両陣営の優越が比較できる、とワクワクするのは、さすがに他人事すぎるか。

 

  

 

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