いなたくんへ
ミチオ・カク著『2100年の科学ライフ』(2012)を紹介した。本書は理論物理学者である著者が300人以上の科学者にインタービューを行い、各技術分野における2100年までの展望を、近い未来、世紀の半ば、世紀の終わりの3つの時間軸に整理した一冊。テクノロジーの未来予想としては網羅性がありおススメ。
- 理論物理学者が予想する21世紀の科学史(『2100年の科学ライフ』書評1/2)(希望は天上にあり,2016/6/6)
- 人工知能の「パターン認識」克服が早めた未来(『2100年の科学ライフ』書評2/2)(希望は天上にあり,2016/6/6)
本書の予想は上の2つの記事で概ね紹介できたんだけど、記事の題意から書けなかったことがいくつかあるので、備忘録としてここに載せておく。
1つは冨の未来について。これから技術革新の「第4の波」が起こされたとしても、その普及には長い時間がかかるというお話。2つめは富の未来に関連するが、資本主義がどう変わっていくかの予想。
そして最後は著者の提唱する「穴居人の原理」について。これはテクノロジーが進歩しても、人間はいまの姿であろうとする、という考え方で、未来を予想する上で欠かせない基準になりそうなので書きとめておく。
Summary Note
- 「第4の波」の正体は不明だが、人工知能とナノテク、情報通信、バイオが組み合わさったものになるかも
- 過去の経験から「第4の波」波及には80年程度の時間がかかる
- 資本主義は「完璧な資本主義」に近づいている
- 大量消費の時代から大量特注(マス・カスタマイゼーション)の時代に移る
- 現代のテクノロジー(ハイテク)と原始的な祖先の欲求(ハイタッチ)との軋轢があるところでは、必ずハイタッチが勝利を収める
英国と米国の1780年以降における所得増加は、その90%が技術革新によるものである、とする研究結果があるという。
本書『2100年の科学ライフ』では、コンピュータ、人工知能、医療、ナノテクノロジー、エネルギー、宇宙旅行の6つの技術分野について、それぞれ予想を紹介していた。本書はこれらテクノロジーそのものの未来のほかに、テクノロジーが変える社会の姿も予想している。それが「富の未来」と題された一章だ。
本書によれば、技術革新はこれまでに3つの波として現れてきた。
- 第1の波:蒸気機関と産業革命
- 第2の波:電気と自動車
- 第3の波:ハイテク(コンピュータ、レーザ、人工衛星、インターネット等)
第4の波は何になるのか。本書はまだ定かではないとしつつ、人工知能とナノテク、情報通信、バイオが組み合わさったものになるかも、と予想している。
ただし、本書が注目するのは波の正体ではない。その波及速度だ。本書は過去の技術革新とバブルの関係に注目し、革新的なテクノロジーが登場しても、その普及には長い時間がかかっていたと指摘する。
例えば1800年をはさんで起きた産業革命では、多くの富がロンドン証券取引所の機関車株に向かい、バブルとなった。しかし機関車はまだ黎明期にすぎず、バブルを維持できなくて、1850年に資本主義史上最大の恐慌をもたらす。鉄道が全盛期を迎えたのはそのあと、1880~90年頃とされる。
電気と自動車の発明もバブルをもたらし、1929年の世界恐慌を招いた。欧米で電化や道路舗装が進んだのは1950-60年代になってからである。ハイテクは20世紀後半に発達したが、2007年にはリーマン・ブラザース破綻に端を発する世界的金融危機が生じた。
本書は過去の波とバブルとを俯瞰して、第4の波を起こす技術が何であれ、その普及には80年程度の時間はかかると予想する。
波の波及に時間がかかるというのはおもしろい予想だった。革新技術が登場すればすぐに世の中が一変すると思っちゃうけど、過去の波を見るとかなりの時間がかかってたのね。
本書は波及期間を過去の経験から80年と見積もった。巷には「新しいテクノロジーほど普及速度が速い」という言説があるけど、検証すると実際にはそんなこともなさそうで、ここは80年程度という本書の予想を支持したい。
「第4の波」の正体は何だろう。現状を見ると人工知能かバイオ技術か、あるいはオープンサイエンスなんかも社会に対する影響は大きそう。本書の予想によれば、いずれにせよバブルが起きる。バブルといえば、ガートナーの発表するテクノロジーのハイプサイクルを思い出す。この「過度な期待のピーク期」が大規模に投資家を巻き込み、大波となったものが、「第4の波」のもたらすバブルなのかも。
ちなみに本書のいう「第4の波」や、「富の未来」という章タイトルはアルビン・トフラーをリスペクトしたものだろう。トフラーは情報化社会の実現を予言した未来学者で、1980年に出版された『第3の波』はベストセラーとなった。
需給一致により価格が決まるアダム・スミスの資本主義は、不完全にしか機能しない。消費者と生産者は需要と供給を不完全にしか知らないので、価格が完璧には決まらないからだ。
ただし現在では、ネットワークにより消費者は多くを知ることができ、生産者もデータマイニングなどで市場のニーズを把握できるようになって、以前よりは「完璧な資本主義」に近づいているという。ちなみに本書は、それでも消費者側が少し有利だろうと予想している。
本書はまず、大量生産の時代から大量特注(マス・カスタマイゼーション)の時代に移ると予想。3Dプリント技術などにより、カスタムメイド品も量産品と同コストで製造できるようになるからだ。企業はどれだけの人が自社製品をダウンロードしたり、閲覧したかがわかるようになり、ユーザを狙い撃ちしたカスタムメイド製品紹介が行なわれる。
また、20世紀に第1次産業従事者が激減したように、脱工業化した経済では工場でのブルーカラー業務の多くが永久に失われるとする。
土地、資本、天然資源といった旧来の成長の原動力は重要ではなくなる。未来をリードするのは健全な経済を築き上げる国であり、それを左右するのは科学技術育成となる。
資本主義が「完璧な資本主義に近づいている」というのは今まさに起きている変化だ。象徴的なのはAmazonの「予測出荷」で、これはユーザが注文を行う前に、注文されることを予測して近くの配送センターに集荷しておくというもの。ビッグデータ解析に基づく需要予想まじやばい。本書はこうした変化が資本主義を「完璧」に近づけること、つまりは商品が適正価格に近づくことを示唆するけど、どうなっていくだろう。
大量特注の時代については、クリス・アンダーソン著『MAKERS』(2013)がおもしろい。3DプリンタなどのDYIがもたらす変化を解説していて、「モノを作れる個人」が社会の主役になる。
こうした予想から思い出すのは、坂本賢三著『先端技術のゆくえ』(1987)で描かれた「技術の時代」だ。『先端技術のゆくえ』では、これまでの歴史を「宗教の時代」「政治の時代」「経済の時代」に大別して、次なる時代は技術そのものが絶対者となる「技術の時代」になると予想する。「技術の時代」とは、貨幣(資本)をベースとした現代とは異なる、創造性や技術が尊ばれる時代であり、その移行はすでに始まっている。
「技術の時代」は、本書『2100年の科学ライフ』や『MAKERS』など多くの書籍の予想や、現実の出来事に裏付けてられている気がして、私は資本主義経済の次に来る社会の姿として注目している。
本書は「人工知能の未来」における1つの可能性として、世紀の終わりに人間が人工知能と融合することを挙げている。具体的には次のようなアプローチだ。
- インプランタブル・デバイスなどにより人間自身が強化される
- サロゲートやアバターを用いて、人体を改造せず人工知能と融合する
- 人間自身が人格をコードしたソフトウェア・プログラムとなり、融合する
ただし本書は、こうした未来の実現可能性は高いものではないとしている。その理由が「穴居人の原理」だ。この原理は人工知能の未来に限らず本書全体を通じて、テクノロジーと人間社会の将来を予想するための基本とされている。
穴居人の原理とは、人類の脳や身体が10万年間変わってこなかったことから、今後の10万年間にも同じ行動原理が採られるだろう、という考え方だ本書では次のように説明される。
遺伝子と化石の証拠は、われわれとそっくりの見かけをした現生人類が10万年以上も前にアフリカに現れたことを示しているが、以後人類の脳や人格が大きく変わったという証拠は見つかっていない。その時代の人類をだれか連れてくれば、われわれとそっくり同じ身体構造をしているはずだ。(中略)
ならば、われわれの望み、夢、人格、欲求は、この先10万年はきっと変わるまい。まだ穴居人だった祖先と同じような考え方をしているにちがいない。
問題は、現代のテクノロジーと原始的な祖先の欲求との軋轢があるところでは必ず、原始の欲求が勝利を収めていることだ。それが「穴居人の原理」である。
『2100年の科学ライフ』より
例えばペーパーレス化が完全には実現せず紙に印刷するのも、サイバー観光が流行らないのも、噂ではなく物証に頼り、直接確かめたいという、という祖先の生き伸びるための知恵に由来しているという。他人に見られて落ち着かない、という反射もなくなることはない。
本書によれば、「ハイテク(先進技術)とハイタッチ(人間同士の触れ合い)は常に張り合っている」が、「選択を迫られたら、祖先の穴居人と同じようにハイタッチを選ぶ」。過去から帰納的に考えることで、未来人の選択も予想できるというわけだ。
穴居人の原理から必然的に導かれる結果は、未来の人々の社会的交流を予測したければ、ただ10万年前の人類の社会的交流を考え、それを10億倍すればいいというものなのである。
『2100年の科学ライフ』より
本書が人間と人工知能との融合を否定するのは、「われわれの思考の素地の深くに埋め込まれた最優先事項のひとつは、異性や仲間の目に良く映ること」であるからだ。本書は「われわれの可処分所得のうち、娯楽に次いで圧倒的に多くが、外見をよくすることにあてられている」と指摘。そのためテクノロジーが進歩しても、未来人は不格好なロボットの身体を持ちたいとは思わない。
Human Evolution? / bryanwright5@gmail.com
「穴居人の原理」は未来の生活を考える上で念頭に置きたい基準。私はこの考え方に基本的には賛成だ。ただし、本書は10万年来「人類の脳や人格が大きく変わったという証拠は見つかっていない」ことを前提に置くが、「大きく」変わってはいなくても、変化自体は起きていたし、いまも起き続けていると思う。
ニコラス・カー著『ネット・バカ』(2010)は(邦題は極めて微妙ながら)インターネットが我々の脳にもたらす変化を説明した良書だ。『ネット・バカ』では過去に文字や本が我々に及ぼした影響を紹介していて、例えば人間は4世紀ごろには「本を黙読する」能力を持たなかったと指摘する。そもそも「文字を見て脳裏にイメージを想起する」という能力自体が、テクノロジーの変化に伴い人間に起きた進化なのだ。
『楽観主義者の未来予測』(2014)では、我々がテクノロジーがもたらす指数関数的変化を想像できない理由として、10万年間変化のない世界で過ごしてきたことを理由に挙げる。未来を正しく想像できないのはそれはそうだと思うんだけど、実際に世の中が変わったとき、これに適合してきたのもまた人間だ。
ということで、「穴居人の原理」の予想の通り未来においても人間は本能的な価値観や習慣に束縛される一方、人間はまだ進化の途上にあるし、価値観も変化していく。例えば将来「機械のボディを持つ人の方が生物的に強い」となれば、美意識だって変化することもあるかもしれない。そしてこのあたりの変化は実際に始まっているように思う。
なお、本書著者ミチオ・カクは続編にあたる『フューチャー・オブ・マインド』(2015)では、脳科学・神経科学の見地から「心」や「意識」の正体を探るとともに、これら人間を構成する「ソフトウェア」が機械と融合する未来も具体的に提示していた。人間と機械との関係が今後どうなるかは注目だ。
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以上、テクノロジーそのものの未来とは別に、本書の予想で気になった部分を抜粋してまとめてみた。本書の予想が2100年になっても通用するかはわからないけど、未来を予想する考え方の1つとして参考にしたい。
本書が予想するコンピュータ、医療、ナノテクノロジー、エネルギー、宇宙旅行の未来については次の記事にまとめた。