3Dプリンタをはじめとするデジタル工作ツールの普及や、オープン・ハードウェアの発達など、ハードウェア開発をめぐる環境が大きく変化しています。クリス・アンダーソン著『MAKERS』(2012)では、こうした「メイカー・ムーブメント」により進行するハードウェアビジネスの変化が紹介されていました。
メイカー・ムーブメントは、ビジネスを支える知的財産の世界にも大きな影響を与えると予想されます。例えば新たな侵害態様への対策や、プラットフォームによる権利関係の整理が必要になり、企業や特許・法律事務所の立ち位置も変わるでしょう。
- メイカー・ムーブメント時代の知財戦略 1/2:侵害対策規定の整備とプラットフォームの役割(希望は天上にあり)
- メイカー・ムーブメント時代の知財戦略 2/2:企業と特許・法律事務所の戦略(希望は天上にあり)
ところで、ハードウェアがデジタルデータの形で流通し、ソフトウェアに近い存在に変われば、もっと根本的な変化が起こる可能性もありそうです。これまで新規発明の保護と産業の発達を目指してきた特許制度が、その役割を終えるという未来です。
Summary Note
ソフトウェア産業と特許制度
- 特許制度は独占権付与による発明の奨励や、出願された発明の公開により、産業の発達を促すことを目的とする
- ソフトウェア産業の根幹を構成する技術はいずれも、米国でソフトウェア関連発明に特許が認められる以前に生まれており、ソフトウェア産業は特許制度の恩恵を受けず成長した
- オープンソース・ソフトウェアにみられるように、ソフトウェア産業には、特許による独占がなくとも発明がされ、公開される文化がある
ハードウェアのデータ化・ソフトウェア化がもたらす変化
- デジタル工作ツールの普及など、メイカー・ムーブメントによりハードウェアのデータ化・ソフトウェア化が進んでおり、ハードウェアもオープン開発されるようになっている
- ハードウェア産業でもオープンソースの文化が根付けば、特許制度の存在意義が揺らぐ可能性がある
メイカー・ムーブメントにより起こる未来の前提として、いまソフトウェア産業で起きている反特許制度の動きをみてみます。
そもそも、特許制度の目的とは何でしょうか? 大きく次の2つが挙げられます。
- (1)発明者に独占権を与えることで、発明にかかった費用の回収を援けるとともに、発明者が発明をするインセンティブを与える
- (2)発明を公開させることで、発明が社会に共有され、産業の発達を推進する
特許法は、特許要件に適った発明について、その出願から20年の独占権を与えます。発明はこのあいだ発明の実施を独占して、他人にパクられることなく資金回収できるようになります。さらに、独占権は資金回収を援ける以上に、ビジネス上の優位性ももたらします。
独占権により得られる様々な利益がインセンティブとなって、より多くの発明が生まれ、産業を発展させられる、というのが特許制度の目論見です。
産業の発達を導くという点では、(2)も重要です。特許法は独占権を与える代償として、出願された発明を世の中に公開します。他の人は公開された内容を見て改良発明ができるので、社会の発展が加速します。(このとき改良発明をした人は、元の発明をした人にライセンス料を支払うことが必要になります)
特許制度はこのように、「独占」と「公開」の2つをコントロールして産業の発展を狙います。ただし逆に考えると、その前提には次の仮説があるとも取ることができます。
- 独占権が得られなければ、人は発明したいと思わない
- 独占権によるインセンティブを与えなければ、人は発明を公開したいと思わない
産業の発達をもたらすはずの特許制度ですが、これに反発しているように見えるのがソフトウェア業界です。
『米CNETが選ぶ2012年テック業界の出来事ワースト10の』では、堂々のワースト1位に「特許制度」が選ばれました。Googleをはじめとする多くのIT企業が、特許制度がもたらす弊害を訴えています。
IT業界では各社が大規模な特許紛争を繰り広げており、パテントトロール問題も深刻です。Googleは特許紛争に対する防衛を目的として、Motorolaを会社ごと買うという大胆な対応にも出ました。ソフトウェア業界は特許制度に対して多大なコストの支払いを余儀なくされているわけです。
そもそもソフトウェア業界にはオープンソースの文化があります。代表的なLINUXでは、ソースコードが公開されて誰でも使用・修正・改良が可能とされています。特許を使った独占でなく、オープン化しても利益を得ることができるのです。
さらに言えば、ソフトウェア産業が特許無しでも成り立つばかりか、特許がソフトウェア産業の発達になんの利益ももたらさなかった可能性も考えられています。
『〈反〉知的独占』(2012)は、GUI、アイコン、コンパイラ、データベース、オブジェクト指向といったソフトウェアの中核となる概念はいずれも、米国でソフトウェア関連発明に特許が認められるようになった1981年以前に生まれていると指摘します。つまりこれらの概念は、特許制度とは関係なく発達できたことになるのです。
本書はビル・ゲイツの次の言葉を紹介します。
(ソフトウェアに関する)アイディアの多くが発明されたとき、特許が認められることがすでに知られていて、取得されたなら、この業界はすっかり行き詰っていただろう。
ビル・ゲイツ
ソフトウェア産業は、特許制度により保護される以前から発達しており、特許制度はむしろデメリットをもたらしているようです。
また、ソフトウェア産業の事例は、独占権の付与がなくとも人は発明を行い、それを積極的に公開することも示しています。
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米国IT企業の知財制度に対するポジションは、下記記事でもまとめてみました。
ソフトウェア産業が「独占」ではなく「オープン化」により発達できた理由は、例えばアイディアを無限にコピーして一気にスケールできる点など、ソフトウェアゆえの特異性があったでしょう。ソフトウェアはソフトウェアだからこそオープン化できたわけです。
ところが、ハードウェアがデータ化し、ソフトウェア化することで、同様の特異性がハードウェアにも訪れていることがわかります。『MAKERS』では、メイカー・ムーブメントの注目点として、ハードウェアのオープン開発と、これを支えるコミュニティの存在が挙げられています。
- 今日の発明家は特許の保護を受けるよりも、イノベーションをシェアするようになっている
- プロジェクトをコミュニティにシェアすることで、ウェブを通して数多くの参加者が関わり、より安く、速く、より良い開発ができている
- 最初の3DプリンタReplapや、それを受けて開発されたMakerbot社の3Dプリンタ、Arduino基板、Adafruitなど、オープンソース・ソフトウェアと同様の仕組みを持つオープン・ハードウェアの成功事例が増えている
著者はあるとき、自ら開発したドローンが中国で模倣されていることに気づきます。この模倣行為に対して著者は、マニュアルが無償で中国語に翻訳され、本家にあったバグも修正されて、より良いものが生まれたことに喜びます。
オープン・ハードウェアの事例では、スマートウォッチ『ぺブル』も紹介されていました。こちらはキックスターターで700万億ドルの資金を調達し、2013年のCESでも発表され、発売間近とのこと。ハードウェアをオープンに開発する生態系ができあがりつつあるのです。
wikipedia
ハードウェア・ビジネスのハードルが大きく下がり、オープン開発が一般的になったとき、つまりハードウェアをソフトウェアと同じように語れるようになったとき、特許制度はなお必要であるのでしょうか?
ここでもう一度特許制度の目的を振り返ります。
- (1)発明者に独占権を与えることで、発明にかかった費用の回収を援けるとともに、発明者が発明をするインセンティブを与える
- (2)発明を公開させることで、発明が社会に共有され、産業の発達を推進する
デジタル工作ツールや小ロット生産の普及はハードウェア開発の必要コストを下げており、クラウドファンディングなど資金調達の方法も多様化しています。資金回収という観点では、特許制度に頼る以外にも道筋はありそうです。
また、独占権付与というインセンティブがなくとも、人が進んで発明を行い、その成果をシェアすることは、すでにソフトウェア産業の発達やハードウェアのオープン開発コミュニティ自身が証明しています。
実は特許制度が想定する前提は変化しており、その存在意義が問われる段階にあることがわかります。
Standing up to a patent bully
特許制度不要論自体は、ソフトウェアの世界では古くから叫ばれていました。しかしながらソフトウェア産業の規模はハードウェア産業の1/5に過ぎず、マジョリティを占めるハードウェア産業が特許制度を必要としている以上、なくすことは考えられませんでした。ところがいま、ハードウェア産業の形が変わりつつあるわけです。
もっとも、ハードウェアのすべてがオープン開発できるわけではありません。先端技術やコアコンポーネントなど、従来のように研究所や大企業が主体となって研究開発する分野は残るでしょう。
とは言うものの、従来型で研究開発されるハードウェアよりも、メイカー・ムーブメントに基づくオープン開発が主流になれば、特許制度の及ぶ範囲が大きく減殺されることもあるかもしれません。
この記事は、2013/1/11に掲載した「『Makers』の世界が実現したとき、知的財産の世界では何が起こるか? (4/5) 知財制度がいらなくなる」を、2015/7/19に加筆・修正したものです。