2050年:政府が脳の裏口の鍵を要求し、燃料は牧場で採れる未来(『2050年の技術』まとめ1/3)

いなたくんへ

未来を考えるとき、重要なファクターの1つとなるのがテクノロジーだ。このブログでも未来の世界に影響を与えるテクノロジー系ニュースの3ヵ月毎のまとめなど定点観測を続けてきた。

ただ、最新技術の話は楽しいんだけど、個別に追うとミクロすぎて全体が見えなくなる。2040年の女子高生の日常予想の企画に必要という背景もあり、2040~50年くらいの時間軸で俯瞰した予想が欲しくなった。

そこで今回は英エコノミスト誌による未来予測本『2050年の技術』(2017)から、その内容を整理してみた。本書は全18章からなり、各章を個別のライターが担当するオムニバス形式。「2050年」をターゲット・イヤーとして、重要になりそうな技術や、予想される社会の変化を網羅的に扱っている。

本書『2050年の技術』は2012年発行の『2050年の世界-英エコノミスト誌は予測する』の続編でもある。前作『~世界』では技術だけでなく、国際政治や経済など、より広いテーマを扱っていた。『~世界』のまとめ記事は以下リンクを参考。

本書『~技術』でも、前回『~世界』の予想と変わらず、バイト技術と人工知能が大きなインパクトを持つ技術として扱われる。いずれも様々な産業に波及し、社会構造全体を作り変える点が特徴だ。また私としては、エネルギーに関する楽観的予測も重要に思えた。

Summary Note

1.人類は自らのゲノムを編集しはじめる

2.政府がわれわれの脳の裏口の鍵を要求するようになる

3.畑には微生物が撒かれ、主要タンパク源は魚類になる

4.燃料は牧場で生産される

5.エネルギー問題は解決している

6.2050年の兵器が戦争の姿を変える

7.物理学が実現すること、しないこと

なお本書は、教育や雇用といった社会構造に関わる予想や、未来予測の前提となるマクロな変化・時代認識にも触れており、それぞれ次の記事で整理した。


1.人類は自らのゲノムを編集しはじめる

まずはバイオ技術が直接我々に影響する、医療の未来。

人工知能とデータが破壊的変化をもたらす

医療は人工知能やデータにより「破壊的変化」を受ける業界の1つだ。本書によれば、消費者自らがデバイスを通じて、あるいは家が我々の分身として、健康に関する情報を集めてくれる。

自宅が診察室となり、医師は集められたデータと人工知能の判断を利用する。「バイタルサインのモニタリングといった退屈な作業から、集中治療室での診断情報の解釈、きわめて難易度の高い外科手術まで」、様々な作業が機械に置き換えられていく。

「変化の主導権を握るのはテクノロジーではなく患者」となり、「その結果医療は徐々に他の産業に近づき、患者が顧客として扱われるようになる」。成長するのはデータ・アグリゲーターやハイテク企業だ。

最先端の医療技術が寿命を延ばす

治療法として、患者の細胞を研究室で再生し体内に戻す「自己移植」や、患者個人のニーズに沿って用意される肝細胞、患者から抽出されるリソースを用いたバイオ治療製品が注目される。患者・提供者・製造者の距離は縮まり、新たなサプライチェーンが築かれるようになる。

再生医療はクオリティ・オブ・ライフを高めるところから出発し、やがては寿命の大幅な延長につながっていく。

『2050年の技術』より

免疫システムの一部を選択的に抑制する免疫治療法、特定細胞を標的とする標的療法、エピゲノム変化のメカニズムを利用するDNAメチル化阻害剤なども、今後の医療・制約の中核となる。エピジェネティクスは次の記事でも紹介した。

人類はまもなく自らのゲノムを編集しはじめる

遺伝子編集に関してまず取り組まれるのは、特定の容易な遺伝性の病気の根絶である。それからアルツハイマー病や、さまざまな癌、心臓疾患のリスク抑制に取り組まれる。

難病診断では全ゲノムのシーケンシングが初期段階で行われるようになり、薬理ゲノミクスが急成長分野となる。ワクチンも腫瘍のゲノム配列に基づきパーソナライズされたものが作られる。

やがてゲノム編集は人間自身にも行われるが、本書は「本当に問題なのは、これから生まれてくる子供のゲノムではなく、われわれ自身のゲノムを操作することの是非」であると指摘する。


2.政府がわれわれの脳の裏口の鍵を要求するようになる

バイオ技術がやがてヒト自身の改良・強化に向かったとき、本書が懸念するのはセキュリティの問題だ。例えばDARPAは、バイオニック義肢を装着した人(あるいは犯罪者自身)が、そのコマンドルーチンをハッキングされたらどうなるか、といった事態を想定しているとする。

本書が列挙する以下の疑問はSF的にはワクワクするが、2050年には空想とは言っていられない。

  • メーカーが生物学的ネットワークにも新たなコードを強制的に押しつける権限を持つようになるのか
  • アップデートのインストール状態は誰が管理するのか
  • われわれはチューンアップのために医者に出向くべきなのか
  • それとも生物学的コードはまさにウイルスのようにインターネット経由でばらまかれるのか
  • そのようなアップデートは拒否できるのか

今日、治安当局が通話、メール、スマートフォンやノートパソコンのコンテンツへのアクセスを要求するのと同様に、35年後には政府がわれわれの脳の裏口の鍵を要求するようになる。

『2050年の技術』より

喫緊で変わるのは「個人データ」の価値

生体ハッキングはまだまだ未来の感はあるが、プライバシーに関してはもう少し早い時間軸で変わるかもしれない。

本書は「個人データについて金銭的価値を明確にしようという動きが出」、個人のプライバシーの保護のために「財産権を認め」たり、「企業は個人情報の使用に対してこれまで以上にはっきりとした許可が必要になる」という変化を予想する。

その結果、個人データを預かるデータ銀行が登場するが、FacebookやGoogleはサービスの対価としてデータを求めるようになり、「2050年にはおそらくプライバシーが飛行機のビジネスクラスや別荘のような贅沢品となる」とする。

このあたりの予想は次の記事でも紹介した。


3.畑には微生物が撒かれ、主要タンパク源は魚類になる

本書は「2050年の農場は今よりもはるかに機械化や自動化が進み、工場に近いものになっている」と予想。そこで重要な役割を担うのもまた、バイオ技術だ。

2050年の畑には微生物が撒かれる

農業で需要の要素となる「土」。微生物はこれに含まれる「最大勢力」であるところ、微生物の「知識が深まるにつれて、輪作システムや窒素をベースとする合成肥料に匹敵する、新たな土壌改良の方法が登場する」。

たとえば、大気中の窒素を取り込みリンを生成・放出する能力を微生物に持たせ、これを畑に撒くといった方法だ。あるいは、微生物がもつ植物とは異なる光合成機能を穀物に移植することで、穀物の光合成を大幅に加速し成長を早められる。

2050年の主要タンパク源は魚類になる

「石器時代における動物の家畜化と同じこと」が魚類で起こる。これは陸上に設けられた養殖場で、「2050年には、魚が動物性タンパク質の主要な供給源となっている」。

ただし本書はこの対抗馬として、工場で製造される人工肉も挙げていた。


4.燃料は牧場で生産される

DNAの解明により、ある生物に新たな遺伝的性質を持たせ、命令セットを組み込むことができる。現在こうした操作が行われるのは微生物や植物だが、本書は「これからの30年で、生命を支えるすべての構成要素やシステムの関係性が明らかになっていく」と予想する。

曰く「今日のバイオエンジニアリングの実態は、しっかりとしたマニュアルもないままに自然界の複雑なシステムをハッキングするようなもの」だが、これが体系だって行われるようになる。

ここで本書が注目するのは、生物学とプロセス工学を融合した「発酵」である。本書によれば、発酵を用いた生化学製品はすでに石油化学製品に置き換わりつつある。2012年の米国経済において、バイオテクノロジー産業が貢献した1050億ドルのうち、660億ドルは発酵プロセスを使った生化学製品だったという。

バイオ製造業は分散型が成り立つ

本書はまずビール醸造を例に、ビジネスモデルの優位性を挙げる。

ビール産業は、年間数百万リットルを生産する巨大多国籍企業から地ビール工場まで多様性があり、中央集権的ではない。インフラも石油会社が数百億ドルの資本を必要とするのに対して、発酵事業の会社は数千ドル規模で足りるとする。

オートメーションにより機能強化された酪農場は、こうしたビール醸造所と同様に、生産的かつ柔軟な分散型製造システムとして成立しうる。そこで作られるのは「燃料」だ。

牛に燃料を合成させる

本書は牧場で管理される牛を、「自ら牧草を探し、体内でそれを牛乳という物質に変え、集中化された工場に運ぶネットワーク」と捉える。

ここで、牛が牛乳を生成するプロセスを改変することで、体内で牛乳ではなく燃料や化学物質を作らせることができる。現在の牛の余剰生産量は2017年米国のガソリン総需要の約17%に匹敵し、これを活用するわけだ。

ロボットでもいいじゃない

あるいは微生物の改良により、複雑な有機飼料を化学物質に変えてもよい。こうした生化学的処理モジュールをロボットに搭載し、牛のように牧草地を歩かせる。本書はこれを「いわば移動式の小規模ビール醸造所」「カウボーグ」と呼ぶ。

こうした自律的で分散型のプラットフォームは、「ゆったりと牧草地を歩き回り、さまざまな飼料を食べ、それを体内で処理して燃料、化学物質、医薬品など多種多様な製品を生みだし、工場に運んでいく」。


5.エネルギー問題は解決している

牧場での燃料生成にとどまらず、様々なテクノロジーがエネルギー問題を解決していく。本書がみる2050年は「エネルギー不足ではなく、エネルギーが潤沢にあり、効率的に使われる世界」だ。

化石燃料は引き続き使われるが使用料は減少し、今後数十年で脱・化石燃料という抜本的変化が起こるとする。

2040年の総発電量に占める太陽光・風力発電の割合は30%

太陽光発電・風力発電はともに効率向上・コスト低下が目覚ましく、政府補助が消滅すると仮定しても、両者の総発電量に占める割合は、現在の5%から2040年には30%に上昇すると予想される。

デバイス形状も大きく変わる。新たな新たな太陽電池材料は、薄く軽くフレキシブルで、透明材料でもつられる。そのため、電子製品だけでなく、フィルムとして窓に貼られたり、カーテンや衣服などの布地に使われ、未来では「あらゆるものの表面で太陽光発電」がなされる。

風力発電についても、二枚羽のものや、翼がなくタワーが揺れるタイプのものなど、さまざまなデザインの開発が進んでいる。2013年にGoogleに買収されたマカニ・パワー社は、風力タービン(エネルギー凧)を空に浮かべることを提案した。

自然エネルギー発電の難点は間欠性であるが、フロー電池など進歩するバッテリ技術がこれを補う。

2040年までに原子力発電のシェアは伸びない

原子力発電の2040年のシェアは「伸びたとしてもごくわずか」と予想する。現在445基ある原発のうち、現在建設が進められる63基の大半は中国・インド・ロシアにある。一方、米国・欧州・ロシア・日本にある老朽化原発200基近くは今後20-30年で廃炉となる。

商用核融合炉の登場が期待されるが、本書は30-40年先になると予想している。

都市型採掘が一大産業になる

エネルギーに関連して、本書は希少資源にも触れていた。今後大量生産においても3Dプリントが欠かせないツールとなり、2050年までには、製造業の多くは国内回帰し、現地生産されるようになる。これと並行して、電子製品に含まれる希少金属を回収するアーバン・マイニング(都市型採掘)が一大産業となる。


6.2050年の兵器が戦争の姿を変える

エネルギー問題が解決しても、紛争の火種はなお残るだろう。戦争の技術はテクノロジーの最先端の一角であり、本書も一章を割いて予想している。

狙撃に誘導弾丸が使われる

空中で軌道調整可能な尾翼付き誘導銃弾が開発されている。例えば上空のドローンから赤外線レーザで標的指示され、「おそろしく独創的な射撃」がなされる。

本書によれば、ドローンや衛星の監視能力、ミサイルの誘導能力の高まりにより、非正規軍は山間部に潜むことが困難になり、ゲリラとして都市部に浸みだすようになる。一般市民の中に潜む非正規軍に対して、巻き添え被害を最小限に押さえる狙撃の重要性は増していく。

姿がみえず、見えてもおよそ報復できない距離にいるスナイパーの存在が、敵の士気を大いに削ぐことが期待される。

先進的軍隊の歩兵の殺害はさらに難しくなる

「非ニュートン流体」や「剪断増粘流体」といった、今日のケプラー素材より軽く柔軟な素材により、先進的な軍の兵士はより網羅的な防護具を身につける。また、作戦情報を映すARヘッドセットや網膜照射型デバイスも装備される。

これにより歩兵の殺害は現在よりも困難になる、と本書は予想する。

米海軍の有人爆撃機はF35で最後になる

ロボットの軍事利用も各方面で普及する。米海軍長官レイ・メイバスは2015年に、米海軍が購入する有人爆撃機はF35で最後になると発言した。

ただし本書は次のような懸念も挙げる。

  • 兵士の代わりにロボットが使われるようになると、武装集団のなかには敵の兵士を見つけられないことに苛立ち、攻撃の矛先を一般市民に向けるものが出てくる
  • ロボットの性能が高まると、国家間の愚かな戦争を助長するリスクも高まる
  • 西欧諸国が軍事ロボット技術における優位性をいつまでも維持できるとは限らない

このあたりは『ロボット兵士の戦争』(2010)の論考がいま読んでもまったく色褪せない。

「正確でスマートでステルスな」ミサイルを非正規群軍も手にする

精密誘導兵器をめぐる西欧諸国の優位はすでに揺らぎつつあり、今世紀半ばにはおそらく消滅すると本書は予想。空母もミサイルに破壊されるリスクがあり、130億ドルもの費用をかけて建造するのはやめるべき、というコメントも。

一方で重要になるのがレーザやレールガンといった指向性エネルギー兵器で、ミサイルはこれらにより撃墜されるようになる。

潜水艦の優位性は失われる

潜水艦の静粛性向上には限界があり、一方でセンサ性能向上により発見されるリスクは高まっていく。撃沈リスクにより「緊張感が高まると、技術面で不利な立場にある側が、先手を打って魚雷やミサイルを発射する動機が増え、避けられたはずの戦闘が始まる可能性」があると指摘する。

衛星が「バトルスター」に進化する

現在米中露の3ヵ国が衛星攻撃能力を有するところ、2050年にはさらに16ヵ国がこの能力を持つことになる。衛星側も小型衛星のネットワーク運用等により攻撃リスクを低下させるが、「今世紀半ばの時点でも、衛星は防御や交換をするより破壊するほうが容易」というのが本書の予想だ。

そこで米国は衛星に防御用ミサイルを装備させ、やがて宇宙から戦争を遂行する攻撃兵器「バトルスター」に進化する、というジョージ・フリードマンの予想を本書も紹介。フリードマンは『100年予測』(2009)で、2050年の日米戦争においてバトルスターが使われると予想している。

ただ、軌道を変えるだけでも莫大なエネルギーがかかるし衛星兵器って実際はどうなの、とは軌道兵器によるテロをリアルに描いたSF『オービタル・クラウド』(2014)とか読むと思う。

戦場はサイバー空間に移っていく

今後は物理的な戦闘能力よりもサイバー空間での戦闘能力のほうが重要になる、とも本書は予想。精密兵器によって敵の重要なシステムやそれを操作する人材を無力化できることから、大量の歩兵を送り込む必要性は薄れており、近年の技術進歩は戦争による殺戮を抑える傾向にある、というのが本書の認識である。


7.物理学が実現すること、しないこと

ノーベル物理学賞受賞者のフランク・ウィルチェック教授も一章を担当していて、21世紀において物理学が拓く可能性を述べていた。

まず前提として、「この世界で観測されることを説明したり予測したりするぶんには、一般相対性理論と量子力学があればまったく問題はない」と述べている。「問題が生じるのは方程式をビッグバン開始直後あるいはブラックホールの深奥といった極端な状況に当てはめようとするとき」だけだという。

原子核物理学の精度が上がる

教授が注目するのは、コンピュータ技術の進歩によるシミュレーションだ。現在航空機設計で行われるように、リアルな実験を行わずともコンピュータの計算だけで、原子核物理学、恒星物理学、材料科学、化学の分野で成果が得られる。

また、原子核物理学の精度と汎用性が、将来的には今日の原子物理学と同水準に達する。
例えば原子核「化学」の精度が上がると、きわめて小さなスペースに莫大なエネルギーを貯め込めるようになり、今日の原子炉よりも小型で制御しやすく、汎用性のある手段が実現する。

材料の性質が疑問のカギを握る

教授は「テクノロジーに関する多くの疑問のカギは、材料の性質が握っている」と指摘。

これは別の章になるが、本書はビッグデータやコンピュータ技術が材料開発のプロセスを加速させると予測する。例えばローレンス・バークレー国立研究所のオープン・アクセスプロジェクト「マテリアルズ・プロジェクト」では、約10万種類の既存化合物や今後登場が予測される化合物の性質を集め「材料のゲノム」を創ろうとしている。

2050年にはまだ「潜在的」なテクノロジー

一方で、教授は次の3つを「潜在的テクノロジー」と呼び、少なくとも近い将来においては、科学の範囲の外にあると指摘した。

  • 光速より速い情報伝達(特殊相対性理論に反する)
  • 占星術などが想定する遠隔作用(標準モデルの埒外にある)
  • 物理的基質から切り離された心的能力(今日の基礎物理学の埒外にある)

二つの巨大ブラックホールの合体という大規模な事象ですら時空にこれほど小さな歪みしか生じさせないという事実からも、ワームホール、ワープ装置、タイムマシンといったものを作るという夢はおよそ叶わないことがわかる。

『2050年の技術』より

うーん残念だけど、2050年という時間軸ではまだ早いみたい。2112年に期待したい。

 

以上、本書が予想する2050年の技術を並べてみた。こうして俯瞰してみるとイメージもわいてくるかも。

ただし、技術がもたらす影響はより広く、社会全体の仕組みにも作用する。それは例えば教育であり、雇用であり、私たちの働き方だ。次回はこの観点から本書の予想をまとめてみたい。

国際社会の未来も描いた前作『2050年の世界-英エコノミスト誌は予測する』(2012)のまとめ記事はこちらから。

 

  

 

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Webの無料学習コンテンツ群は「学校」や「先生」を滅ぼすのか

いなたくんへ

最近の若者について思うところ。やっぱりいちばんは「私の時代にはTwitterがなくてヨカッタなあ」だろう。もし私の中高時代にSNSとかWebがあったら、勉強時間や遊びの時間を相当に削られ、悲惨な青春になっていたことは想像に難くない。

ということで最近の若者について、誘惑の多い中よくがんばってるなあと微笑ましくすら思うのだけど、どうやらそれどころの話じゃなかった。次の記事では、現代の女子高生がいかにしてテクノロジーと付き合い、それを勉強に有効活用しているかが描かれている。

記事では概ね次のようなことに触れられていて、その学習効率は私の想像をはるかに上回っていた。

  • 充実するWebの無料学習コンテンツを予復習に活かしている
  • 検索やエージェントなどをうまく勉強に活かしている
  • SNSを使った「友だちとの勉強」が発達している

もちろんインタビュワーの女子高生が現代の高校生の代表とは思わなくて、特に効率的な一部の子なのかもしれない。しかし「いまそこにある未来」であることも確かである。

教育とテクノロジーの融合、いわゆるEdTechの分野は注目を集めて久しく、特に話題に上るのがWebの無料学習コンテンツや学習プログラムだ。ハーバード大学やスタンフォード大学といった一流校が無料で授業を流すMOOCsや、オンライン生放送授業Schooといったサービスは有名である。現在は離脱率が高いようだが、今後ゲーミフィケーション等で適切なインセンティブを設定できれば、Webコンテンツベースの自学自習は進むだろう。

その一方で、これは「先生」や「学校」の存在意義を揺るがす話にも聞こえる。あるいは突き詰めれば、「教育」がどう変わっていくのか、未来の子どもたちが何を、どうやって、何のために勉強するのか、といった疑問にも結び付く。

本ブログでは2040年のある女子高生をペルソナにして未来の日常を考えるという企画を進めているが、高校生視点で外せないのが学校の風景。それがどう変わっていくのか、上記記事を参考に考えてみた。

なお検討にあたっては、某大学教育学部にて未来の教師を育てる知人(以下「N氏」)とのディスカッションも行った。

Summary Note

「未来の学校」に対する3つの疑問

  • (1)先生や学校は要るのか?
  • (2)学力差が開くのでは?
  • (3)そもそも「五教科」を学ぶ必要はあるのか?

1.学び方を教える「学校」は公教育として残り続ける

2.先生の役割は「ファシリテートすること」に変化する

3.「入り」としての概論を教える一斉授業も残る

4.学力差は拡大するが、ボトムアップも図られる

5.五教科は教養として残るが、情報の授業が重要になる


「未来の学校」に対する3つの疑問

まずは疑問を整理する。EdTechが発達したとき既存の教育環境はどう変わるのか。

(1)先生や学校は要るのか?

無料Webコンテンツやプログラムで自学自習が成り立つならば、「先生」は要らなくなるのではないか。さらは「学校」に行く必要もないかもしれない。

上記記事では、学園祭など学校ならではの友達イベントにも触れたけど、少なくとも「勉強」にフォーカスすると、リアルの学校に通って生身の先生から話を聞く、という学習スタイルはちょっと非効率に思えてしまう。

(2)学力差が開くのでは?

自習による学力向上が進むなら、「自習できるか否か」は学力差の拡大、教育格差の広がりを招いてしまう。Webの学習コンテンツは、家でも進んで自習できる子どもの学力を大きく伸ばすが、そうでない子どもは伸ばせない。

これはゲーミフィケーションが超絶導入されたとしてもたぶん同じで、自習できる・できないの差は生まれるだろう。

(3)そもそも「五教科」を学ぶ必要はあるのか?

これはEdTechとは直接関係しないが、未来の教育を考えるうえで気になる疑問だ。

人工知能を専門とする東京大学の松尾教授は羽生棋士との対談で、次の趣旨のことを述べていた。

学校の試験は、さまざまある人間の能力の次元削減をして、5つとか10個の能力に要約して測っている。しかし現在の社会において測定項目としてそれで合っているかは疑問である。現在の社会で必要な能力はなにかを調査し直し、改めて次元削減し、科目を決めた方がいい。あるいは次元削減をせず、そのまま能力を評価することも今はできるのではないか。

NEC C&Cフォーラム講演(2016)での松尾教授コメントより、筆者意訳

中学校の標準科目である国数英社理の五教科は、20世紀の工業時代に設定されたカリキュラムだ。学校教育が、子どもが社会に出たとき必要になる能力の準備の側面も持つならば、社会環境の変化した21世紀に見合う科目設定は「五教科」ではないかもしれない。例えば、「知識」が検索できるいま重要になるのは「考え方」の方で、ならば「ディベート」が標準科目でもいいんじゃないの、とか。

といった疑問について、以下に現状得られた答えを述べていきたい。


1.学び方を教える「学校」は公教育として残り続ける

まず学校の必要性。これは必要であり続ける、というのが私の答えだ。

N氏によれば、公教育の役割は「学び方を教えること」「(良い意味での)勉強の強制を行うこと」にある。

「学ぶ技法」「学び続ける技術」は生まれながらには身につかなくて、勉強の時間、勉強の習慣は、一定の強制を受けねば得られない。冒頭記事の女子高生の自宅での自習も、「学校の宿題」だったり「テストのため」だったり、トリガは学校に引かれている。

もっとも、親が勉強をさせたり、ゲーミフィケーションの形で教育プログラムが自然に「学び方」を教えることはできる。この場合には必ずしも学校は必要ない。

これについては、N氏が「公教育の役割は」と主語を設けたことがポイントとなる。世のすべての親が教育できるわけではなく、現状すべての子どもをWeb学習に誘導できるわけでもない。そんななか「すべての子どもたち」に学びを「担保する」ことが公教育の役割なのだ。

テクノロジーの発達により、いまある学校のカタチにとらわれない、新しい学び方をする子どもたちは現れるだろう。しかしそれでも、公教育機関としての学校はなくならない。


2.先生の役割は「ファシリテートすること」に変化する

N氏は「子どもは未発達である」とした上で、先生の役割は「未発達な子どもたちからなる学校という異質な小社会を運営すること」であるとする。勉強を教えることそのものよりも、「小社会の運営」に重点を置かれたことには私も同意。授業外での学びってものすごく大きいよね。

「隠れたカリキュラム」という概念がある。これは、いわゆる授業科目のような正式カリキュラムにはない、その他の知識や行動様式、常識もまた重要である、という考え方だ。例えば幼少期から自立するまで家庭でなされる親との会話は、子どもに与える影響が大きいとされる(そりゃそうだよね)。

学校においても、授業の外で行われる生徒同士のコミュニケーション、イベント、日常に起こる様々な出来事が、子どもの学びの機会となる。

もし正式カリキュラムの学び、授業で伝えるべき知識がWebコンテンツなどで外部化できるなら、先生の役割はより「運営」側にシフトする。たとえば生徒指導はその1つだし、勉強についても、例えばスポーツの監督・コーチのような、生徒の学ぶ姿勢・自習態度をサポートし、ファシリテートする役割になるかもしれない。

なお、Webの無料教材は、先生が授業に取り入れることもできる。現在においても指定教科書以外の教材は使われているし、Web教材の導入も否定されない。先生の負担が減ることは歓迎したい。


3.「入り」としての概論を教える一斉授業も残る

反転授業のようなアクティブ・ラーニングも注目される。WebコンテンツやSNSを使った自習もまさにアクティブ・ラーニングの一種だ。

アクティブ・ラーニングが可能なら、授業は不要になるのだろうか。N氏によればそんなことはなくて、「入り」としての概論を一斉授業で伝えるのことはどうしても必要とのこと。まあそうだよね。これから何を勉強していくかの「目次」がないと、勉強自体が始められない。

ということで、既存授業のうちアクティブ・ラーニングに任せられる部分が増えたとしても、一定の一斉授業も残ることになる。

これは余談だけど、そもそも私は学校での教育自体が、人生に必要な「目次」作りの機会と考えている。社会に出て、起業を志して数学の知識が必要になったり、旅先の史跡が室町時代のものだったり、Civ4をプレイして世界の文明や外交史が気になったり。そのとき何を勉強すればいいのか、あるいはどうググってWipkipediaのどこを読めばよいかだけでも、学生時代の知識が必要になる。

結局のところ知識は大学を出てから得たものの方が多かったりするわけだけど、その受け皿としての「体系」を作るのが、学校の勉強の役割だろう。


4.学力差は拡大するが、ボトムアップも図られる

Webコンテンツによる自習など、アクティブ・ラーニングが生徒間の学力差・教育格差を広げる可能性について、N氏の答えは「YES」であった。ただしN氏は、学力差は広がるものの、すべての生徒の最低レベルも引き上げられること、つまりボトムアップが図られることも強調する。

学習を支援するコンテンツや機会のの拡大により、勉強ができる子は、より勉強が進められる。それと同時に、勉強が苦手な子どもについても、今よりは勉強がやり易くなる。後者もまた重要である。


5.五教科は教養として残るが、情報の授業が重要になる

「五教科」については、21世紀になっても教養として残るだろう。20世紀と現在とで社会環境は異なるものの、いつの時代にも通底する概念はある。もちろん時代に合わせて少しずつ中身は変わるかもだし、「詳細は検索すればいい」説もあるけど、五教科の中身くらいはやっぱり一度は押さえたい。

五教科の議論よりも重要なのは、それに加えて学ぶべき新しい教科だ。21世紀の大きな変化は何といっても情報化であり、誰もが仮想世界とは付き合わざるを得ない。

N氏は、「情報」の技術そのものと言うよりは「情報の使い方」を教えることが必要と指摘。例えばある情報について、その真偽を教えるのではなく、「世の中には真正ではない情報が含まれること」「その確かめ方」を教えるわけだ。

エコーチャンバー化する社会で生きていくなら、情報リテラシーはクリティカルな問題だよね。


おわりに

以上、学校や教育の未来について、調べたことを挙げてみた。本当はN氏だけでなく、高校の先生や、Edtechベンチャー勤務の友達とかにも話を聞こうとしたんだけど、実現せず。

ということでこの記事は第一報的なものとして、さらに調べて思うところあれば記事にしたい。

 

  

 

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クー!(ソ連のSF映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』が名作すぎた)

いなたくんへ

クー!(2年ほど前からある学際系の研究会に参加させていただいていて、そこで出会った先生が別の方と、SF作品の重要性について話されていた。横でなんとなく聞いていると、先生は突如として謎のポーズをとり言い放つ。

「クー!」

その謎のポーズがこちら。

話を聞くと、旧ソ連時代のSF映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』(1986)作中の挨拶とのこと。本作は同国で1500万人以上を動員しカルト的人気を誇った作品で、「クー!」の挨拶はいまもロシア人の間で通じるとか。

ちなみに上記画像は『キン・ザ・ザ』30周年を記念してのDoodle(Googleの日替わりロゴ画像)である。

なんとなくB級感漂うタイトルだけど、素晴らしい作品とのことでDVDをお借りして観てみたところ、これが私のベスト映画にランクインする文句なしの名作だった。ということでここにいくつか感想を書く。ネタバレはそんなに踏み込んでないと思う。

Summary Note

冒頭15分の「異文明との邂逅」描写の無駄のなさ

「クー!」「キュー!」は我々の未来かもしれない

君はウラジミール氏の選択ができるか


冒頭15分の「異文明との邂逅」描写の無駄のなさ

物語は、主人公のウラジミール氏が奥さんから買い物を頼まれ街に出るところから始まる。街では裸足の男に出会う。拾いものの外套を羽織る小汚い男は、冬のモスクワで素足のまま、ウラジミール氏に尋ねる。

「この星のクロス番号を教えてくれ。スパイラル番号でもいい。番号設定が乱れて帰れんのだ。見てくれ。私の星はベータ星雲のUZM247だ。そしてこれが空間移動装置」

男を警察に届けねばと会話を続けるウラジミール氏。埒が明かないので、男が「空間移動装置」と主張する手の上の装置に手を伸ばし押す。と、同時に辺りは一面の砂漠となる。

超テクノロジーの演出が見事すぎる

物語全般に言えるのだけど、本作は空間移動をはじめとした超テクノロジーの演出に無駄がない。まさに一瞬で切り替わったり、隣から聞こえていた声がふと途絶えたり、事象が起きたこと、終わったことに気づけない。静謐で、超現実的。少なくともハリウッド系の演出とは体系が異なる。

現代の地球の技術水準からは想像も、原理の推測もできない超技術。例えば江戸時代の人間が初めて蒸気機関を目にしたときとか、圧倒的な文明の格差を目の当たりにした時、こんな印象をもつのかな。

空間移動の当事者であるウラジミール氏と、巻き込まれたバイオリン弾きの青年ゲデバンのリアクションは秀逸で、困惑と苦笑いと「やっちまった」感が入り混じり、何が起きたかほぼ理解できない。超常現象が身に起こったらこうなるよね、な反応が名シーンすぎる。

これほど異文明遭遇の追体験ができる映画はない

状況を呑み込めぬまま、砂漠がカラコルムだと仮定して街を目指す2人。しかし起こる出来事は、そこが異星であるを決定付ける。遠方の空から耳慣れぬ機械音を伴って、釣鐘型の浮遊物体が飛来したのだ。(この機械音がまた独特でイイ)

浮遊物体(宇宙船ペペラッツ)が着陸すると、中から2人の男が現れる。男たちは謎の伴奏音にあわせて「クー!」「クー!」「クー!」「クー!」と叫びながら、この記事冒頭で先生がみせた挨拶を繰り返す。

全く意味が分からない。

シュールすぎる。

が、それは視聴者だけでなく、劇中のウラジミール氏とゲデバンにとっても同様である。現れた男2人は「クー」「クー」とだけ言いながら、顔をしかめたり、話し合ったりして、その思考は読めない。英語も仏語も通じない。彼らは笑顔も見せてくるけど、それは善意の表現というよりは、警戒か、何か別の意図が感じられる。

場所は見知らぬ砂漠のド真ん中。ともかく身振り手振りでコミュニケーションを試み、船に乗せてもらう代わりにコートと毛皮の帽子を男たちに与える。交換が成立。と思いきや、男たちは荷物を奪ったまま飛び去っていくのであった。

立ち尽くすウラジミール氏とゲデバン。

理不尽すぎる。
しかしこの理不尽、既視感がないでもない。

私はフランスやイタリアで物盗りに絡まれたり、中国で故同の奥に連れ込まれ恐喝されたことがあるけれど、あの感じにとても似ている。相手の浮かべる表情が善意か悪意かもわからず、言葉も十分に通じず、異文化のただなかで交渉材料も十分にない(結局お金を盗られるしかない)。

異星人たちが飛び去ったときの「命があって良かった」感。
地球でも治安悪いところじゃこうだよなあ、感。

中世に北前船の難破でロシアに漂着した大黒屋光太夫とか、あの時代の異文明との邂逅って、もしかしたらこんな感じだったのかもしれない。とにかく得体が知れなくて、理解のしようもなくて、こわい。

ここまでで映画の開始から15分ほど。インパクト、強烈すぎる違和感、そして何よりもリアリティ。このどれをとっても「異星人との遭遇」モノでは最高峰だ。


「クー!」「キュー!」は我々の未来かもしれない

さて、ペペラッツで飛び去った男2人であるが、ウラジミール氏がマッチを擦ると戻ってくる。実はこの星、キン・ザ・ザ星雲のプリュクでは、マッチが超高価な物質なのだ。

ペペラッツに乗せてもらい、狭い船内で互いを探り合うウラジミール氏及びゲデバンと、男2人。やがて男たちはロシア語を話し出す。「ロシア語しゃべれるじゃないか」と指摘するウラジミール氏対して、男たちは答える。

「言語中枢の読解は難しいんだ」
「しかも若造は2か国語で思考する」(※ゲデバンはグルジア語も話せる)

そう、彼らは思考が読みとれるのだ。

なぜ彼らは「クー!」なのか

ようやく彼らが「クー!」しか発話しない理由が見えてくる。互いに思考が読み取れる世界では、わざわざ言葉を使う必要がないのだ。思考の直接伝達が言葉を単純化させている。

そしてこのような『キン・ザ・ザ』の世界は、私たちに全く無関係というわけでもない。

SF同人誌『Sci-Fire2017』(2017)収録の短編『AIことばは消え去って』では、ユビキタス・コンピューティングが実現し、AIが人々の感情を伝達する未来が描かれている。そこでは思考と思考が繋がることの帰結として、言葉が失われる。(ちなみにこの物語では、言語がむしろ不完全であることを逆手にとって「個」の独立が計られる)

脳同時を直接接続する「ブレインネットワーク」はポストヒューマン論の行きつく先であるが、その前段階として、このようなAIを介しての感情伝達が実現することは非現実的な話ではない。機械学習が人間の「眼」の認識率を遥かに上回って久しいところ、人間にとってあいまいなものの判別は機械に有利になるだろう。私は特に「感情」や「心」の読み取りこそ、人工知能のキラーコンテンツになると予想している。

こうしたAIがたとえばARのようにウェアラブル化すれば、私たちは他人の感情を読み取る道具を手にする。そんな道具に慣れたとき、私たちは言葉を失い、あらゆる伝達を「クー!」で済ますのかもしれない。

閑話休題:「心」と言語の関係性

少し話が外れるが、人間の子どもが3~4歳に獲得する「心の理論」と呼ばれる能力、「他者にも心があることを理解する能力」は、新石器時代の人類が進化の末に獲得したものとされる。動物の心を類推できることでその動きを予測でき、狩りの効率を劇的に向上できた、というのが原因の仮説だ。

人工知能の可能性を探求した良書『AIは心を持てるのか』(2015)では、新人類の「心」の獲得に重要な役割を果たしたのが「言語」であると指摘する。その言語も、本書によれば「初期の人類の言語は、ソーシャル言語、ご機嫌取りのための手段」であり、「彼らはソーシャルな情報の送受信のための手段として言語を使った」。すなわち言語とは「完全にゴシップのための言語だった」。

このソーシャルな言語、音声版毛づくろいはやがて15万~5万年前までの間に急速に進化し、現在われわれが使う汎用言語、ソーシャルなこと以外の情報も伝えられる言語になったという。

言語の初期の目的が感情の伝達であったなら、それが機械的手段により外部化できたとき、やはり言語を失うというのはあり得る話に思えてくる。ただし現在の我々は言語を感情以外の、より複雑な事象の伝達にも使っていて、であるならば言語は失わずに済むのかな、とも信じたい。

なぜ「キュー!」なのか

ところで、あらゆる表現を示す「クー」であるが例外がある。それが「キュー」だ。
惑星プリュクでは「クー」と「キュー」の2つの言葉が存在し、それぞれ次のように説明される。

  • 「キュー」 …公言可能な罵倒語
  • 「クー」 …それ以外のすべての表現

なぜよりによって罵り言葉だけが独立できているのだろう。これは私の仮説だが、「思考を読み取る」行為は積極的受容と言えるところ、攻撃表現に際してだけは攻撃者の能動的行動が必要になるのではないか。

積極的受容とは、意識して「汲み取る」ということだ。日常生活においては相手の思考を意識して読み取る。特に愛情表現などの友好的・行為的コミュニケーションは、悪いものではないので積極的に受け取れる。

その一方で、相手が自分を攻撃するとなったなら防御するのが普通だろう。防御する、つまり思考の読み取りを積極的には行わない相手に対して、なお罵倒を伝えたい。そのための手段が「キュー!」という発話なわけだ。

感情伝達技術の確立は我々から言葉を失わせる、という予想を以上では述べたが、『キン・ザ・ザ』はそれでも残る言葉の可能性を教えてくれる。それはもしかしたら罵倒語だし、あるいは他の積極的意思疎通のためにも、言葉が使われるかもしれない。

さりげない描写にグッとくる

ウラジミール氏はある交渉で、「ウソだと思うならオレの思考を読み取ってみろ」と伝える。言われた相手は思考を読み取るが、それは「妻は大丈夫かな」というもの。対してウラジーミル氏は「そうじゃない、もっと表層を」と指摘する。

小さな場面であるが、これは異星文明と格闘するウラジミール氏が実は地球に残した妻を心配し続けていることを、一往復の会話で表現した描写である。

『大長編ドラえもん・のび太とドラビアンナイト』(1991)では、アラビアンナイトの舞台とされるアラビア世界へのタイムスリップにあたって、間違えて794年の平安京遷都の場面に行ってしまう。これはツアーガイド・ミクジンのおっちょこちょいを表現しつつ、アラビアンナイトの世界が日本史においてはどの時代に相当するのかを子どもたちに伝える、藤子・F・不二雄ならではの教育的な描写である(と私は思っている)。

ウラジミール氏の会話も同様に、さりげないながらも奥行きを伝える秀逸な描写と言えよう。

あと演技も素敵なんだよね。思いがけず地球に電話が通じたとき声を荒げ涙する様子とか、漂流者の心細さが伝わってくる。演技の巧みさはウラジミール氏にとどまらず、各登場人物とも個性的で人間味あふれて素晴らしい。


君はウラジミール氏の選択ができるか

ウラジミール氏の(キャラクターとしての)弱点を挙げるなら、交渉が下手すぎるところか。虎の子のマッチを易々と相手に渡すとかありえない。異星文明という超絶アウェイ環境で相手を信用しすぎである。

現実でこんな交渉やったら全部持ってかれちまうぜ~、と思って観てたらホントに全部持ってかれてて笑った。でもすべてを失ってからが本番、というのは物語の構造として重要だね。

ウラジミール氏は他にプライドの高さも弱点だけど、チャトル人とパッツ人という身分制度、さらにはエツィロップによる支配という理不尽な社会制度に対して、視聴者の憤りを代弁してくれもして、頼もしくもあったりした。

ちなみにエツィロップ(ECILOP)が何の風刺かは、解説記事を読むまで気づけなかった。こんな簡単なアナグラムよく検閲通ったな。ニヤニヤしながら横暴に振舞うエツィロップの醜悪さは、生理的嫌悪感を催すのに十分すぎた。

そんなウラジミール氏がすべてを失ってからプライドを捨て、帰還のために手を尽くす姿は、冒険譚としてワクワクできた。さらにはいざ地球帰還の機会が現れたときの「選択」である。義理堅いというか漢というかソ連版メロスというか、私じゃちょっと考えられない。その「人間」の魅力こそ本作の醍醐味である。)

クー!(独特の世界観、病みつきになる音楽、考え込まれた舞台設定、そして人物描写。どれをとっても最高の映画であった。)

 

  

 

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未来のビジョン・コンセプトまとめ・第6回(2018/1-3)

いなたくんへ

未来に関するビジョンやコンセプトの提示のまとめ。最近の話題から気になるものを挙げてみた。イランの水耕栽培タワーとか、AIが死者の残像をつくる短編マンガとか、未来の航空戦とか、ビジュアライズされるとイメージが沸いておもしろい。


1.無人配送車デザインと、光合成するタイヤ

まずはコンセプトカーを提示しがちな自動車業界から、米国のスタートアップNuro社による人間がのらないことを前提とした車のデザイン。こちらはラスト・ワン・マイルの配送用途のモビリティで、低速走行が前提となる。車体全体がカーゴで、上法にはセンサユニット。フロントサイドのデザインが通常の車を模しているのは興味深い。



Nuro HPより

コンセプトカーと言えばジュネーヴモーターショーに9台のコンセプトカーが登場。自動運転関連のデザインはすでに出尽くした感ありサプライズはないものの、どれも未来的でカッコいい。

モビリティに関して注目なのは、タイヤメーカーのグッドイヤーが発表した光合成するタイヤ「Oxygene」。内部に生きたコケが入っているという。部品に本来機能と異なる付加機能を持たせるアプローチはおもしろい


Goodyear HPより


2.未来の航空戦のビジュアライズが迫力

無人機と言えば、未来の航空戦を描いたYoutube動画『Air Force 2030 Call to Action』が迫力あったので紹介。有人機と無人機との連携やEMPミサイル、レーザー兵器、そしてスォームなどが描かれている。いずれも新しい話はないが、絵になると想像しやすい。

なお前フリ映像が激しく長めで、本題は3:09あたりから。

YouTube Preview Image
 



Youtubeより


3.無人島でロボットに生態系を作らせる実験

バルセロナのデザインスタジオNoumenaは、エストニアの無人島に亀型ロボットを解き放ち、独自の生態系を作らせる実験を構想している。

センサを内蔵したロボットたちは、環境に適応して変化していくとされる。


NOUMENA HPより

思い出されるのは、メモリ空間で自己複製するデジタル生物「Tierra」だ。Tierraは自己複製の過程で突然変異が起こるよう設計されていて、これにより進化が実験された。

ただ、Noumenaは自己複製できるわけではないので、進化というよりは「適応」と言ったほうが正しそう。それにしてもエネルギーどうするのかとか気になるけれど、自然環境での耐久性や、ロボットの汎用性獲得を考えるうえで興味深い。

そしていずれは自己複製能力を持つロボットが野良化して人知れず群れを作ったら、と想像するのも楽しい。


4.AIが死者の残像となる『49日のブラックボックス』

AI技術により死後49日だけ生前の人格をよみがえらせる、という5pの短編マンガが話題になった。とても良いマンガなのでおススメ!

AIというよりはポストヒューマン技術の未来と捉えた方が正しいかも。テクノロジーにより人間の身体を強化するポストヒューマン技術の分野では、その行きつく先として、人間が情報体(コネクトーム)となることが予想されている。

SFマンガ『銃夢』では身体も脳も機械に置換可能な世界が描かれ、そこでは人間とは「人格と記憶」と定義される。本作『49日のブラックボックス』でも、人間性を疑われる主人公が「記憶も思考回路も確かに『僕』」と述べている。

果たして本作の主人公は機械だろうか。それとも、肉体を失っただけの「人間」だろうか。

ラストのセリフ「生まれてよかったと思えたんだ」は、「僕だけに許された」との言葉から、生前の本人ではなく、死後シミュレートされるAI人格としての「僕」が生まれたことを指すように思える。しかし生前の本人と人格・記憶が連続するなら、「僕」とはAIではなく、肉体の死後も生きる「お母さんから生まれた僕」であるはずなのだ。しかし本作の主人公はそう認識できてはおらず、けなげである。

ところでAIが普及した未来

AI関連のTweetでは次の寓話も未来を可視化してくれて素敵だった。


5.イランの水耕栽培タワー構想

100万人以上の人口を持つイランの都市シーラーズで、水耕栽培設備を導入した植物タワーの構想が発表された。通常の構想タワーの外壁に植物栽培システムを導入するもので、栽培面積は1.2haに及ぶという。イランではすべての露地栽培の施設栽培化も構想されている。


IFP Newsより

景観として素晴らしいよね。虫すごそうだけど。

貨物用コンテナを改装した年間2-4トンの収穫が見込める水耕栽培システムとか、植物工場アツいよなあ。コストはまだまだ下げなきゃ普及は厳しいかもだけど、宇宙空間や南極基地など極地での運用には特に期待が大きい。

ところで環境関連では、温暖化による氷河融解を防ぐ技術として、氷河と温かい海水が接するところに海中堤防を作るというプリンストン大学のアイディアも。温暖化は止められなくとも、海面上昇の防止には効果があるみたい。


6.2040年の全国市町村の姿がわかる「未来カルテ」がすごい

人口減少・高齢社会のインパクトを地域レベルで実感できる「未来カルテ」が公開された。現在ver.2.1がダウンロード可能。

こちらはJST社会技術研究開発センターが推進する戦略的創造研究推進事業の「多世代参加型ストックマネジメント手法の普及を通じた地方自治体での持続可能性の確保」で作成されたもの。中高生による政策提言ワークショップなど、未来予測に用いることが期待される。

ということで早速33MBのエクセルファイルをダウンロードしてみた。気になる街の市町村コード(エクセル中に索引あり)を入れるだけで、2040年の人口構成とか産業構造とか年齢別の色々とか保育・教育事情とか医療・介護事情とか住宅事情とか農地とか財政とか、色んなデータがグラフ化されて提示される。これはすごい!



地元の人口構成のヤバみは予想通りだったが、人口が現在比72%にしか減らないのは朗報だった。将来どうしようかなー。グラフ眺めて考えてみよ。


7.野村総研の未来年表2018-2100

野村総合研究所は2018年から2100年の未来年表を発表。「政治・社会」「経済・産業」「国際」の軸で整理している。公的予測値のまとめなのでサプライズはないけど、一元化されてて参考になる。1945-2017の過去年表も付属。

長期の未来では、INGが3Dプリンタが2060年までに世界貿易の25%を消滅させるとの予測を発表。3Dプリンタへの投資が現在のペースで伸びれば、2060年までに製品の半数が3Dプリンタで作れるようになり、流通・貿易に破壊的な影響が及ぶとのこと。

未来のビジュアライズではMicrosoftとか定期的に動画作ってるけど(2015年の『Productivity Future Vision』とか)、同様の取り組みもNTTデータもやっていたので、一応リンクを載せる。だがしかし、9本もある動画のどれもちょっと退屈というか新しくないというかどこかで見たような話しばかりで、とても見ていられなかった‥。これ本当に2018年公開の動画だろうか。5ヵ月経つけど視聴回数500程度というのもさびしい‥。

 

テクノロジー系ニュースもまとめているのでこちらから。

ビジョン・コンセプトの前回まとめはこちらから。
1.機械の眼を意図したデザイン/2.モビリティの未来のカタチ/3.山谷剛史が視せる中国の近未来/4.近未来トレンド予想/5.今後生まれる21の未来の仕事

 

  

  

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リズ・サンダース「Co-Design」の仮説から2044年の知財制度を予想する

いなたくんへ

オープン・イノベーションが叫ばれて久しい。巷では「特許で独占ダサいよね」「著作権は自由な創作を邪魔する」といった知財制度不要論がまことしやかに囁かれている。実際にGoogleやTwitterといったシリコンバレー系のテック企業が特許の解放を宣言したり、クリエイティブ・コモンズのような積極的権利放棄の枠組みも普及している。このあたりは拙いながら昔いくつか記事を書いた。

このまま「権利による独占」の時代は終焉に向かうだろうか。しかしながら、例えば経済学者フリッツ・マッハループは、知財制度に反対しつつも「制度ができちゃった以上やめられないよね」と述べている。

「もし特許制度が存在しないなら、経済への影響を知っているいまとなっては、制度の創設を進言するのは無責任なことだろう。だがすでに長年に渡って特許制度が存在する以上、現状を知っていながら制度の廃止を進言するのも、また無責任なことになる」

『インビジブル・エッジ』よりフリッツ・マッハループの言葉

ところで知財制度は経済政策・社会政策であるから、あくまで世の中の動きに従うものでなくてはならない。特に変化が大きいのはテクノロジーの進化であり、オープン・イノベーションもこの変化が背景にある。

その世の中はどう変わっていくのか。ここで、リズ・サンダースの「Co-Design」あるいは「当事者デザイン」の話がおもしろかったので紹介したい。

デザインに関しては、ここしばらくでは「人間中心設計」や「UX」「デザイン思考」といった言葉が流行っている。リズ・サンダースにると、この流れは「Co-Design」に遷っていく。その遷移は昨今の知財のオープン化にも呼応していて興味深く、氏の予想する2044年のクリエイティブ環境から翻って、未来の知財制度を考えてみた。

Summary Note

「Co-Design」「当事者デザイン」て何よ?

デザイン手法が知財制度にどう関係するの?

2014年「with People」の時代に何が起きているのか?

2044年「by People」時代のインセンティブ:物質欲求偏

2044年「by People」時代のインセンティブ:精神欲求偏

2044年「by People」時代の知財制度と、「技術の時代」


「Co-Design」「当事者デザイン」て何よ?

オハイオ州立大学デザイン学部のリズ・サンダース準教授は「Co-Design」の第一人者として知られる。「Co-Design」はデザイン手法の1つであり、当事者を巻き込み価値を共創するものである。

デザイン手法には歴史がある。例えば現在ではすっかり定着した「人間中心設計」「デザイン思考」といった手法も、それまでのシーズ志向のデザイン・アプローチからユーザ視点に立つという転換として80年代以降に「発明」されたものだった。

Co-Designはこれに続く方法論で、リズ・サンダースは次の記事で1984年、2014年、2044年と3つの時間軸を置き、それぞれの時代にあるべきデザイン・アプローチを挙げている。


FROM DESIGNING TO CO-DESIGNING TO COLLECTIVE DREAMING: THREE SLICES IN TIMEより

1984年からの「Design for People」がいわゆる人間中心設計などの時代であるが、これが2014年の「with People」、2044年の「by People」へと遷っていく。これが氏のいう「Co-Design」の時代である。

  • 1984:Design for People
  • 2014:Design with People
  • 2044:Design by People

専修大学・上平教授の整理がさらにわかりやすい!

同様の趣旨で、はこだて未来大学は2016年に「当事者デザイン」という言葉を挙げた。専修大学の上平教授は次の図のように整理していて、これが素晴らしくわかりやすい。


『当事者デザインをめぐる枠組みについて』より抜粋引用

なお、リズ・サンダースは「by People」としたが、上平教授の整理では「By Ourselves(当事者によるデザイン)」となっている。

「Co-Design」「当事者デザイン」はともに共通するアプローチを指していて、東海大学の富田准教授は「Design it Ourselves」という言葉を当てたりもしている。


デザイン手法が知財制度にどう関係するの?

さて「Co-Design」あるいは「当事者デザイン」が知財制度とどう関係するのか。そもそもデザイン手法の違いは知財制度に関係あるのか。

これを整理するために、まず知財制度の歴史をふり返ってみる。キーワードは「インセンティブ」だ。ここで「デザイン手法」は「創作手法」にまで言葉を拡げて扱う。古来、創作者は何かしらのインセンティブと引き換えに創作を行ってきた。

中世の「王の時代」

ダ・ヴィンチやミケランジェロなど、歴史的な芸術家の多くは、王や貴族といったパトロンを得て創作をしていた。支配者階層にとって芸術作品とは自らの権威を周知せしめる道具でもあり、その目的で芸術家は雇われてていたのである。

近代の「経済の時代」

やがて社会(国家)が国民のものになると、クリエイターは社会のために働いた。作家や、技術起業家や、企業の研究者たちは、特定の王侯貴族でなく、世の中を進歩させるために発明し、豊かにする芸術作品を生みだした。

国家としては、産業や文化の発展は競争力確保のために欠かせない。そこで、発明や創作をした者に一定の独占権を与える「知財制度」が確立された。発明者や創作者は成果を一定期間独占できるので、創作にかかる投資をきちんと回収でき、創作意欲も向上し、もって社会が発展する。

近代特許制度は17世紀のイギリスで生まれ、国民国家・産業社会の普及とともに世界へと広がった。

現代から未来へ

アウトサイダー・アートのように「自分の欲求」のみのために創作を行う例も無いではないが、クリエイターの主食は霞ではないので、生活の保障が必要である。これを中世には王侯貴族が、近現代においては知財制度が担保してきた。

さて、「Design “for” People」の1984年もまた上述の「経済の時代」に位置付けられる。ところが2044年の「Design “by” Poepole」の時代まで進むとちょっと話は変わってくる。「”for” People」までのインセンティブは「金銭(をもたらすための独占)」で良かったけれど、「”by” Poeple」の時代になると、同じインセンティブでは機能しないかもしれない。

そのほころびが現れ始めているのが、現代の「”with” People」の時代である。


2014年「with People」の時代に何が起きているのか?

リズ・サンダースは前掲の記事で、1984年の「for People」から2014年の「with People」への遷移の背景として、次の変化を挙げている。

  • スマートフォンやソーシャルメディアなどのコネクティビティの拡大
  • クラウドなどのデジタル手段による、従来型情報転送手段の根絶
  • グローバル危機に対して「生存可能環境を創造すること」の社会的認知
  • 先端技術の、アジアを含む世界からの出現

これは私の解釈だけど、世界が多様化・複雑化することで様々なデザインの在り方が必要とされ、許容されるようになった。そのような世界では「創作者が(一方的に)ユーザのことを想像する」から「当事者たるユーザとともに」創造を行い、多様性・複雑性に応えねばならない。オープン・イノベーションはこの文脈で叫ばれている。

「権利による独占」はなぜダサいのか

あらためて上平教授の整理をみると、1984年の「for People」の時代(上平教授の図では「for User」の時代)には、創作物は「ビジネスとして確立」しやすく、また「スケールしやす」かった。これは知財制度と相性が良い。新しいものを独占して囲い込み、権利紛争は企業間で戦われる。

ところが「with Poeple」の時代になると、「Partnership」のキーワードで示される通り、パートナー企業やユーザを巻き込んでの生態系づくりが重要になる。このとき誰かが権利を独占してたら邪魔だし、大量生産から少量多品種に変わると権利者側も投資回収の手続きコストがかさんでしまう。

だから知財制度は「邪悪」だし、前時代的「for Peple」の文脈で動かれると「ダサい」のだ。


『当事者デザインをめぐる枠組みについて』より引用再掲

もちろん、企業は営利組織であるから「お金」は受け取らねばならない。が、ビジネスモデルを工夫しての収益化など、その手段は「権利による独占」に拠らずとも可能である。

人はなぜ創作をするのか

すでに述べた通り、デザイン・アプローチが変化し、当事者が巻き込まれるに至って、「権利による独占」はインセンティブとしてナウくない。では、これがさらに進んで「当事者自身により」創作がなされる2044年の「by Pepole」の時代、人は何のために創作をするのだろう。

創作をしたいということは、そこに欲求があるはずだ。欲求といえばマズローなので、ここではマズローを軸に考えてみる。マズロー便利。わあいマズロー、なるよマズロー大好き。


人間の欲求を5段階で定義したマズローのピラミッド.
下層が満たされるとより高層の欲求へ向かう.

現代におけるクリエイターは、企業に勤めたり、事業として活動するのがほとんどだろう。この場合、知財制度は独占権付与を通して事業を保護し、金銭報酬(賃金)が担保され、クリエイターの生活(安全の欲求・生理的欲求)が守られる。これをボトムとして、さらに社会的名声が得られたり、自己実現欲求も満たされる。

一方、2044年の「当事者による創作」の時代になると、人は必ずしも業務や事業としては創作を行わない。そのような場合に、創作者の欲求はどう担保されるだろう。そのとき知財制度には何ができるだろう。

未来においてもなお知財制度が存続するなら、それは創作のインセンティブを支えるものでなくてはならない。


2044年「by People」時代のインセンティブ:物質欲求偏

まずはピラミッドの下位2層、「安全の欲求」「生理的欲求」を考えてみる。これらは「物質的欲求」とも呼ばれ、これらが満たされねばお話にならない。

上田教授の整理によれば、「当事者によるデザイン」時代の人々の役割は「創造する生活者」であり、生活者が創造を行う。創造を行う生活者の生活はどう担保されるか。

創造そのものが生活を担保する(生活のための創造をする)

1つは、創造による成果物そのものが「生活に必要なもの」という可能性だ。例えば、日用品に必要な部品データを集めて自分なりにカスタマイズし、3Dプリンタで出力してそのまま使う、といったイメージである。

つまり、創造すること、デザインすることが、生活の一部になる。

このとき必要になるのは、生活者の創造が「阻害されないこと」である。知財制度としては、生活当事者が関わる創造に対しては権利行使を及ばせない、といった解決があり得る。

お金が生活を担保する(お金のために創造をする)

もう1つは金銭だ。金銭のためにする創造もあってもよい。

ただし上田教授の整理にもある通り、生活者の個別化された創造は「スケールしにく」く、マスに売れるものではない。消費者はあくまでニッチだろう。こうした「ミクロな創造」と「ニッチな需要」の接続を可能にしたのが21世紀のネットワーク技術であり、オープンサイエンス革命と呼ばれる。

「ニッチのためのミクロな創造」は、独占による利益化を目指すには脆弱であり、手続きコストを鑑みても合理的でない。マッチングや金銭報酬授受はあくまでプラットフォームやエコシステムに担保され、知財制度は個別の創造よりもむしろエコシステム全体の保護に主眼が置かれるかもしれない。例えば、悪質ユーザに対する懲罰的財産没収をプラットフォーマ―に認める、といった法的根拠の整備である。

また、小さな創造があちこちで生まれるならば、車輪の再発明を防ぐべく、集合知から適切に先行例を教えることも知財制度の役割だ。

なお現在と同様に、企業が主体の創造(そこに勤務する従業員が賃金のために行う職務発明・職務著作)も残るだろう。特に大規模予算が必要な先端研究では、やはり投資回収機会の担保は必要だ。この場合は従来型の「権利による独占」で保護される。

ちなみに資本主義終焉論

ところでちょっと飛躍するけど、人工知能やロボティクスといった先端テクノロジーが進歩した場合に、人間の労働は今ほどは必要なくなるという仮説がある。

この議論では、ベーシック・インカムのような形で社会保障を図ることも検討される。ただしベーシック・インカムが導入されても、いまもある不払い労働(家事や地域の仕事)はなくならないし、働きたい人は働き続けることができるとされる。

このような社会では、マズローの「物質的欲求」は、「生活のための創造」による補完と併せて一定程度保障され、満たされる。すると、創造の欲求はさらに高次の段階へ向かうだろう。


2044年「by People」時代のインセンティブ:精神欲求偏

欲求ピラミッドの上層は「社会的欲求」「尊厳・承認の欲求」「自己実現の欲求」で、併せて「精神的欲求」と呼ばれる。「創造する当事者」はこれらをどう満たすのか。

承認が精神的欲求を満たす(「いいね!」のために創造する)

上層3層のうち「社会的欲求」「尊厳・承認の欲求」は、現在は「評価経済」と呼ばれる仕組みで担保される。いわゆる「いいね!」。

営利組織である企業は「いいね!」だけでは生きてけないけど、すでに物理的欲求の満たされた当事者ならば「いいね!」だけでも満足しうる。この満足をきちんと担保することが、社会全体の創造の活性につながる。

このとき重要なのは、「いいね!」がきちんと当事者にフィードバックされることだろう。せっかく創造をしても第三者が「オレが考えた」とか言い出して、それがバズりでもした日にゃチョベリバである。これは金銭ではなく名誉の話だ。

そこで知財制度は、当事者が評価される仕組みを推進し、僭称行為に厳罰を課すことができる。人格的利益の保護は現行制度にもあるが、これがより強化される形だ。

創造行為そのものが精神的欲求を満たす(自分のために創造をする)

ピラミッドのてっぺん「自己実現の欲求」はもうアウトサイダー・アート的なものであって、他者からのインセンティブによらない内発的なものである。これって社会制度でどうこうできるものなのかな。

ただし、自分のためにする創造であっても、企業やパートナーと協力して制作する可能性はあるだろう。そのような創造行為も阻害されない(権利行使されない)ことは必要だ。


2044年「by People」時代の知財制度と「技術の時代」

以上をまとめると、2044年の「Design by People」の時代、知財制度は次のように変化しそうだ。

  • 生活者が自身のために行う創造は、権利行使から守られる(変化1)
  • 当事者の創造そのものでなく、創造をニーズとマッチングする「エコシステム」の保護が重視される(変化2)
  • 車輪の再発明を防ぐべく、適切に先行例を示す制度が重要になる(変化3)
  • 創造者を評価する仕組みが推進され、僭称行為が厳罰化される(変化4)

ところで、中世を「王の時代」、近現代を「経済の時代」と整理したけど、坂本賢三著『先端技術のゆくえ』(1987)では、これに続く未来を「技術の時代」と予想する。

現代の「経済の時代」では、「技術を競争力の源とした企業」が活動主体である。これが「技術の時代」になると、活動の主体は「創造性を源とした技術者」に遷る。

これは、クリエイターを抱える企業が一方的に価値提供を行う「Design “for” People」の時代(1984年)から、ユーザ当事者がクリエイターとなって自ら創造性を発揮する「Design “by” People」の時代(2044年)への遷移に符合する。

「技術の時代」がいかなる時代になるのか。これは長年の関心毎だったのだけど、リズ・サンダースの「Co-Design」の仮説、そして上平教授の整理を知って、未来像の補強が進んだ。

そして知財制度は、この変化を加速するものであると願う。

 

  

 

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1974年・1996年・2017年の『SEVENTEEN』誌を読み比べてみた

いなたくんへ

いまから約20年後の2040年、私たちの生活はどう変わっているだろう。未来を想像するにあたり、1人の女子高生をペルソナとしてその日常を考えてみることにした。

基本的にはブレストベースで進めているが、未来を考える前に、まず過去をふり返ることも必要だろう。過去の高校生はどんなことに興味をもち、なにが流行っていたのか。普遍的なものは2040年も変わらないはずだし、変化が起きていたとしても、その軸を伸ばして今後のことを予想できる。

そこで今回は、2018年を起点として22年毎に遡り、1996年と1974年を調べてみた。具体的には、各時代の女性誌、そのなかでも高校生が対象の『SEVENTEEN』を読み比べてみた。本当はもうちょい上の年齢向けの『an・an』『non-no』あたりも比べたかったんだけど、時間の都合で読み切れなかった。

また、読む前には各時代の事件をみての「時代感」の整理もしてみた。

Summary Note

1974年の時代感:高度経済成長後の自由化の時代

1974年の『月刊セブンティーン』はアイドル特集が目立つ

1974年の『an・an』『non-no』も読んでみた

1996年の時代感:バブル崩壊後のコギャルの時代

1996年の『SEVENTEEN』は「みんな」の日常を紹介

2017年の時代感:グローバルな危機と平成の終わりの時代

2017年の『SEVENTEEN』にみる青春の普遍性


1974年:高度経済成長後の自由化の時代

『SEVENTEEN』を読む前に、背景として各時代の空気感を押さえておく。次のサイトが出来事と流行を俯瞰するのに見やすかった。

あとはWeb情報も参考に、1974年がどんな時代だったか俯瞰してみる。

戦後高度経済成長はひと段落、しかし歪みも

1974年は、約20年続いた高度経済成長が終了し、戦後初のマイナス成長を記録した年だった。学園紛争はすでに沈静化していて、1972年にはあさま山荘事件が起こる。同1972年には沖縄本土復帰や日中国交正常化も成立し、戦後復興が「ひと段落」した時代と言える。1976年には戦後生まれが総人口の半数を超える。

戦後経済成長に伴う社会の歪みも現れている。前年の1973年にはオイルショックが起きて「省エネ」が流行語に。未婚の母(1972)やコインロッカー遺棄(1973)が社会問題化し、暴走族と女子中高生の非行が戦後最高を記録(1975)。

コンテンツは、ノストラダムスの大予言(1973)や『日本沈没』(1974)といった終末論的なものがヒット。ヒッピー文化を通じてベストセラーになった『カモメのジョナサン』や、超能力、ストリーキング(全裸で街を疾走する行為)などもブームとなった。

無気力・喪失感が指摘されるなか、ライフスタイルは自由に

「しらけムード」「若者の無気力・無関心・無責任」が1970年の風潮。その後の1976年には、『限りなく透明に近いブルー』は「近代化を成し遂げた後に残る喪失感を描いた」と評される『限りなく透明に近いブルー』がベストセラーとなる。

男性は長髪で、女性のファッションではプリーツスカートやバギーパンツが流行っていた。アイテムではモンチッチ。

ライフスタイルは、より自由な生き方が注目されていたようだ。
1971年に「アンノン族」と呼ばれるan・anやnon-noを小脇に抱えて旅する女性が流行。これにより女性の1人旅が許容されるようになった(つまりそれまでは特異だった)。1973年には同棲ブーム。1975年には、買い物やレジャーに積極的なライフスタイルが「ニューファミリー」の言葉で、新しいものとして捉えられている。


1974年の『月刊セブンティーン』はアイドル特集が目立つ

『SEVENTEEN』は10代女性を対象としたファッション誌で、1968年創刊(当時は『週刊セブンティーン』)。1973-1986年には『月刊セブンティーン』も刊行される。

というか今気づいたんだけど、1974年は『月刊~』だけかと思ったら、『週刊~』もちゃんと存在してたのね…。1996年、2017年の『SEVENTEEN』の前身は『週刊~』の方なのでそちらを見るべきだったが、今回は『月刊~』の方を調べてしまった。

まあでも大きな影響はないだろう。ということで、1974年の『月刊セブンティーン』を覗いてみる。1996年、2017年もそうだけど、その年の全部を見るのはきついので、3月(進級前の春休み)、7月(夏休み前)、12月(クリスマス前)の3つの季節を選んでみた。


『月刊セブンティーン』1974年3月号
(国会図書館デジタルアーカイブより引用)

ベースはファッションの話題

当たり前だが、ファッションの話題に紙幅が割かれるのはどの時代も変わらない。上に引用した表紙のアオリ文をみて明らかなように、流行のコーディネートや欲しいアイテム、季節イベントに合わせての着こなしが紹介される。

3月号では「春のコレクション」としてスカーフ、アクセサリ、バック、靴などのアイテムが紹介され、「ジーンズ党のあなたに贈るエリートファッション」「こころうきうきセーターガール」といった特集が並んでいた。


様々なコーディネートを紹介するスタンスは当時から変わらない.
(『月刊セブンティーン』1974年3月号,国会図書館デジタルアーカイブより引用)

7月号ではリゾートウェア特集や「ビーチサイドのナウな小物たち」の紹介。日焼け対策記事では「かわいいブロンズちゃんになりたいの」の小見出しで「7月中にやくのがカッコいい」と勧めている。(美白派には「エレガントな色白ちゃんでいたいの」の項目も)

12月号ではカジュアルコートやロングスカート、セーターの特集のほか、「エスコート志願がワンサカワンサカ」の煽りで「パーティのための着こなしと美容」の特集が組まれていた。

ほかに「下着のつけ方・選び方」のような、この時期の悩みに応えるコラムも。

アイドルのグラビアが目立つ

1974年に特徴的だったのは、アイドルの特集も目立った点だ。1996年、2017年のSEVENTEENも時代ごとの男性アイドルの記事はあったが、1974年は特に力が入っていた。

まずはグラビア。「ひろみの7バラエティーショー」や「西城秀樹特集inグアム」といった感じで、男性アイドルのグラビア写真が目玉になっている。どの号でもマブシー裸体が大きなカットで載っているのが特徴。


(『月刊セブンティーン』1974年3月号,国会図書館デジタルアーカイブより引用)

楽屋裏を書いたゴシップ記事も豊富で、「ひろみファンもヤキモキしない研ナオコ」「ホットな淳子/クールな晶子」「30杯もラーメンを食べた(!?)アンナ」といったの小見出しが躍る。

ほかにアイドルのプライベートを訪ねたインタビュー記事「あいざき進也のすべて」とか。記事では彼女いないアピール、恋人募集中アピールもきちんとされてて、読者に夢を持たせている。

3月号には「’74/アイドル パーフェクト年鑑」も載っていた。

エンタメ情報や事件解説記事も充実

「スクリーン・コーナー」では話題の映画作品が紹介される。学生たちの恋と勉強の板挟みを描いた『ペーパー・チェイス』を筆頭に、『狼は天使の匂い』『雪解け』など当時の作品がいくつも紹介されている。TVガイドもあった。

12月号では「高校生心中事件」について7ページに渡る記事を掲載。なにしろ読者層に被る高校生のセンセーショナルな心中事件、載せないわけにはいかないだろう。記事の目線としては、次のアオリ文が参考になるかな。

男と女の愛とは、いったい何なのだろう?婚姻届けという愛の証を残してふたりだけの世界へ旅立った高校生、たしかに、若い愛にはさまざまの障害がつきまとう。だが、心中という方法しか愛を貫きとおす道はなかったのだろうか!?

『月刊セブンティーン』1974年12月号より

それから、「さまざまの体験を経て大人へめざめる少女の青春」を書いた小説「愛への旅立ち」の連載があり、雑誌後半はマンガになっていた。


1974年の『an・an』『non-no』も読んでみた

雑誌読むのも楽ではなくて、力尽きてしまって1996年以降と比較できていないのだけど、1974年は『an・an』『non-no』も読んだので参考に紹介したい。前者は1970年、後者は1971年の創刊である。

大学生やOLが対象であり、ファッションについても「いまボーナスで買いたい街着90」「働く人が美しく見える服」といった切り口が垣間見られる。ライフスタイルの提示が主題で、『月刊セブンティーン』に比べて異性話はほとんどない。

「旅」が充実

70年代前半の「アンノン族」ブームを生み出しただけあって旅行特集は充実。「山陽道4泊5日の旅」「北海道」「夏ならではの京都」など、それぞれ丁寧に特集されてて、むしろ旅行雑誌かと思った。

an・an7月号の高原特集では清里・野辺山あたりを紹介してるが、清里ブームは1980年前後のはずなので時代を先取りしている。いずれにせよ、女性にとっても「旅行」は余暇の過ごし方の1つとして定着していたわけだ。

non-noではカナダ・バンクーバーの旅など、海外も紹介していた。

流行のライフスタイルを提示

表参道のブチック・喫茶店とか、「アメリカンフードのヤング代表」であるハンバーガーの特集とか(※マクドナルド1号店は1971年)、ちょっとオシャレな休日の過ごし方も特集。このあたりは現代の雑誌とも変わらないかな。

non-no12月号ではインテリア特集として「北欧インテリア紀行」が掲載されたが、40年前においてもテイストのIKEA感は全然変わらなくて、古さを感じないことに驚いた。

働き方とおしゃれ

「働く人が美しく見える服」とか、「仕事もおしゃれもキャリアもじゅうぶん!!」といった、働く女性視点の記事も目立った。前者の記事のアオリ文には「”職場の花”的なOLの消極的なおしゃれでなく」との言及があり、逆に言えば当時のOLは「職場の花」的存在だったこと、これからの脱却が目指されたことが伺える。


『non-no』1974年3月5日号より引用

1974年の「ちょっとおデブさん」とは

異性に関しては、『SEVENTEEN』がアイドルを取り上げていたのに対し、an・anになると「各分野で活躍する27歳独身男性20人」みたいに、もう少し身近っぽいところを挙げていた。

あと「ちょっとおデブさんのファッション・カルテ」なる特集もあったが、ここで出てくる「ちょっとおデブさん」は身長156cm、体重50kgの女性で、これは少なくとも現代では平均的なバランスである。読者を煽るためにこういう書き方にしたのかな。

それから映画作品、映画俳優、レコード、本、小劇場公演などの最近のものをそれぞれ紹介。

気になる読者のページ

最後に、non-noの読者投稿のページが時代感に溢れていたので、当時の雰囲気を知るために引用したい。■が読者の投稿内容、★が編集者のコメントである。

■北風の吹く土曜日、私は”ソニー”の前でPM2:00に待ち合わせ。30分、1時間と時間がたつのに彼の姿はさっぱり。30分、あと30分ととうとうPM5:00まで待っていたのでございますが、いとしの彼はついにそのお姿を見せず、私はガッカリお部屋へ帰ったのでございます。涙がやっととまったPM7:00に彼からのお電話――「どうしたんだよ!!ズーと待ってたのに”ソゴー”の前で…」。私、泣くに泣けず笑ってしまったのでございます、ハイ。

★あまりのバカさに、私も笑ってしまったのです、ハイ。

『non-no』1974年3月5日号より(※投稿者住所は筆者割愛)

待ち合わせでのすれ違いに時代を感じるのでございます、ハイ。

■りんごの皮をクルクルむいてみたいのです。くるくると幼い日々の夢をのせて…。くるくると赤いホッペの声をのせて。それなのに。上手にむけない私の横から口出ししてくる憎いヤツは、一生私の横にいて、料理自慢のその腕で、私を抱いてくれるというのです。ほんとは……ほんとは……りんごなんてほしくないのに、食べたいと言ったのは、この私――。

★ほしくないのに食べたいとは、これいかに?女ってえのは複雑でヤダネー。

『non-no』1974年3月5日号より(※投稿者住所は筆者割愛)

「赤いホッペ」「憎いヤツ」「女ってえのは」等の表現というか、そもそもこの謎ポエムの謎加減というか、「むいてみたい」なら剥きゃいいじゃん感というか、もうなんとも言えず申し分なくあの時代ダネー。


1996年:バブル崩壊後のコギャルの時代

さて、時代を下って1996年にうつりたい。まず、1996年とはどんな時代だったか俯瞰してみる。

バブル崩壊後の「失われた時代」に気づき始める日本人

1996年は、1990年のバブル崩壊、1991年のソ連崩壊から数年経った時期である。1993年には「平成大不況」が宣言されるが、その後1997年に山一證券の自主廃業が起き、1998年に再度「日本列島総不況」が言われることになる。

前年の1995年には阪神大震災や高速増殖炉もんじゅの事故、地下鉄サリン事件がおき、知事め自殺が社会問題化して『完全自殺マニュアル』がヒットする。

一方、明るいニュースでは、毛利さんや向井千秋さんの宇宙飛行(1992,1994)や初の国産宇宙ロケットH2の打ち上げ成功(1994)が話題になり、アトランタ五輪(1996)があったりした。

古き良き「コギャル」の時代

コギャル・ヤンママが話題に上ったのが1994年。その後1996年のファッションリーダーは安室奈美恵で「アムラー」が流行。ルーズソックスや腰パン・腰ばきが流行る。前年1995年には「へそ出しルック」や「見せる下着」も流行るなど、奔放な印象だ。ただし翌1997年にはハイソックスへの回帰も起こる。

ちなみに1996年には援助交際が社会問題化してもいる。エアマックス狩りが流行ったのも1996年。

1996年は携帯電話・PHS加入台数が2000万台を突破した年でもあり、携帯通信機器によるコミュニケーションが一般化しはじめた。なお、前年にはウィンドウズ95が発売されるが、インターネットはまだ一般普及してはいない。

グッズではプリクラとたまごっちが、言葉では「チョベリバ・チョベリグ」の言葉が流行。ポケモンも発売され、翌1997年ブームとなる。
音楽はスピッツ『ロビンソン』『チェリー』、PUFFY『アジアの純真』、ウルフルズ『ガッツだぜ』が流行。


1996年の『SEVENTEEN』は「みんな」の日常を紹介

1996年の『SEVENTEEN』は月2回刊行で1冊340円。1974年に比べて大幅に情報量が増えていた。

ファッション誌の本分たるファッション関連の話題は当然充実していて、例えば3月号の表紙でも次のような言葉が躍っている。

  • 今年のミニはこれが勝ち!
  • 春色気分のニットカタログ
  • この春靴はこんなに変わる!
  • おしゃれタレント1位に聞く ともさかりえ 教えて!!この春のお気に入り

(『SEVENTEEN』1996年3月号,国立国会図書館より引用)

あとは3月号の「キレイ脚になる大宣言」とか、7月号の日焼け防止・美白特集とか、美容関係も充実。ほかに安いけど使えるコスメとかアイテムとか。

7月号では「女子高生のきれいになる下着レッスン」なるコラムがあったが、1974年にも同趣旨の記事があったし、現代でもかわらないよね。

3月号の「みんなが夜・おうちでやってること白書」

中山エミリとか中居正広とかキンキキッズとか広末涼子とかTOKIOとか、アイドルの話題もあるものの、1974年に比べれば大した内容ではなかった。かわって大きな主題となっているのが「同世代の他の子はどうしてるのか」という視点の記事だ。

例えば3月号の「みんなが夜・おうちでやってること白書」では、アンケートベースで次のような結果を紹介している。

  • 電話は1日に平均1.5時間
  • 家で着てる服はスエットの上下
  • おフロに入る時間は30分
  • おフロの中でやってることは(1位・半身浴、2位・ボーっとしてる、3位・音楽を聴く)
  • 夜食作る人の割合は21%
  • 24%のコがせっせせっせとシェイプアップ

ちなみに電話の内容は「学校のうわさ」「彼氏・好きな人のこと」「恋愛の悩み」「悪口」「くだらないこと」で、基本的に相手は友達と思われる。

あと「夜のお出かけしてる?」への回答はYESが79%で、その目的は「コンビニ」「友達とおしゃべり」「彼氏とあう」といったもの。みんな外出てたんだ。私は田舎者で外真っ暗だったから出なかったなー。

存在感を発揮する「ベル」と「電話」

もう一つ注目したいのはコミュニケーション手段で、「ベル」「電話」が重要な地位を占めている。

3月号「成功のツボはたったの12 悩みばっちり解決!初めてのデート」では初デートでの注意事項(おごってもらうときも財布だす素振りは見せろ、とか)が述べられているのだが、誘うにあたっては「ベル」で彼の反応を見たり、デートの後もすぐに「ベル」にお礼のメッセージを入れるべき旨を指南。

ちなみに待ち合わせでは待つことに集中し、ながら待ちはダメとのこと。アッハイ(スマフォをしまいながら)。

7月号「あのコのお部屋のヒミツ」では高校生数人の部屋の間取りを提示し解説。ここでチェックリストとして「広さ」のほかに、部屋でのTV、電話、ビデオ、オーディオの所有の有無が確認されていた。

12月号では青春の一大イベント「告白」の特集記事。その方法は次のような内訳である。

  • 直接:44%
  • 友達を通して:11%
  • 友達の付き添い:8%
  • 手紙:10%
  • 電話:22%
  • ベル:5%

ところで、1996年当時「告白した」回数の平均2.16回、男子生徒で「告白された」回数の平均4.09回となってたんだけど、自分の青春時代を顧みて、告白のよろこびを知りやがって自分たちばっかし、私にもさせろよ!グギィィィ!許 さ ん ぞ! な気持ちになったことはナイショだ。

1996年の時代感、とは

あとは春休みのバイトとか、卒業式とか、学校で起きた何気ないエピソードとか。

3月号「海外ドラマ、今これ見てないと恥ずかしい」では、『Xファイル』『ブロッサム』『ビバリーヒルズ青春白書』『アルフ』『フルハウス』が挙げられていた。

先に整理した1996年の時代感俯瞰では「コギャル」をキーワードとして挙げてみたけど、この年の『SEVENTEEN』3冊(3月、7月、12月)をみても、「ヘソ出しルック」も「みせる下着」も「プリクラ」も「たまごっち」も「チョベリバ・チョベリグ」も登場しない。見落としか、雑誌のターゲット・セグメントの違いだろうか。

辛うじて7月号「女子高生のうわさ調査委員会」なるTIPS紹介コラムの片隅に「ゴム抜きルーズを自分で作っちゃえ」が載っていた。

「なまヌルアート」なんてあったっけ??

ちょっと目が留まったのは、これもページの隅なんだけど、「なまヌルアート」の紹介だ。紙焼きのスナップ写真にペンで書き込みしてかわいくする、というものなんだけど、これって現代のスマフォ写真へのデコレーション加工と全く変わらないよね。

読者投稿的なコーナーでは「キャラクターを作ろう」というお題で様々なオリジナルキャラクターを紹介。現代であれば勝手にWebに載せればすむものだけど、当時の雑誌はこうした「ちょっとした創作意欲」の提示の場でもあったわけだ。


2017年:グローバルな危機と平成の終わりの時代

さて、ようやく現代にもどって2017年である。本当は2018年を挙げるべきだけど今年もまだ途中なので、定点観測対象時としては昨年2017年とした。

現代の「時代感」てどんなだろう。過去であれば時間の試練を経て整理されているのだけれど、現代はむしろ把握し辛い。が、なんとか無理やりまとめてみた。

危機がグローバルに顕在化

2017年はトランプ米大統領が爆誕し、英国はEU離脱を宣言、パナマ文書が暴かれ、世界で頻発したテロ事件は日本も他人事ではいられなかった(ダッカ事件)。北朝鮮からはミサイルが飛び、日本は安保法を成立させた。

「忖度」が流行語となった日本社会では、世代間格差や階層格差が顕在化しつつあり、経産省若手プロジェクトがこれをまとめて話題となった。

「平成の終わり」の時代、Webが流行の中心に

2017年の流行語大賞は「インスタ映え」で、Webサービスは流行と切って離せない関係になっている。星野源『恋』のヒットには動画投稿サイトの「踊ってみた」の影響があったし、前年2016年にブレイクした『PPAP』もYoutube動画だ。

一方でベストセラー書籍『九十歳。何がめでたい』は明らかにターゲットがお年寄りで、若年層との世代間乖離がみられる。

JCJK流行語大賞は「Instagram」のほかは「TWICE」「チーズタッカルビ」「○○み」。
流行商品はハンドスピナー。ちなみに前年2016年には「PlaystationVR」「ポケモンGo」が話題となったが、いずれも2016年の先端テクノロジーである。

笑っていいともの終了(2014)のあと、SMAP解散、『こち亀』連載終了、めちゃイケ終了、ポンキッキーズ引退があり、今上天皇の生前退位も発表される。たぶん後代には「平成が終わる感」みたいに総括されると思うんだけど、現代真っただ中の私としては特に実感を得られずにいる。


2017年の『SEVENTEEN』にみる青春の普遍性

最後に現代の『SEVENTEEN』である。現代といっても私は女子高生ではないし、いまも『SEVENTEEN』を読んでいない。未知の領域度合いで言えばむしろ1974年、1996年よりも2017年の方が上になるかも。いまの女子高生ってなに考えて生きてるんだろ。

という前提のもとに、2017年の『SEVENTEEN』を読んでみた。
その結論は「これまでの時代に比べて大きな変化はみられない」である。

まずは表紙を見てみる

まずは表紙に踊るアオリ文を比較すると、当然ながらファッションの話で占められている。ファッション誌だからね。ただし「LINE公式アカウント148万人突破」や公式アプリの宣伝があり、このあたりは2017年ならではである。

卒業までにやっておきたいこと

3月号に「卒業までにやっておきたいこと30」なる特集が載っていた。最後にやり残したこと、やりたいことは、価値観を知るにちょうどよい。このうち1-10は次のような項目だった。

  • 1.制服で写真を撮っておく
  • 2.思い出を写真に残す
  • 3.たくさん雑談しておく
  • 4.先生にプチドッキリをしかける
  • 5.クセを覚えておく
  • 6.感謝状を渡す
  • 7.手紙を書く
  • 8.怒られておく
  • 9.告白する
  • 10.むりやりにでも好きな人を作るw

うーん、変わったところがないというか、とても共感できるというか、普通。
スマフォの普及した現代においても「感謝状」「手紙」等のアナログ手段は現役で、「16.サイン帳を書いてもらう」なんかも。

2017年ならではと言えそうな項目は「19.LJK的動画を撮る」があったが、他はすべて、1974年、1996年の高校生にも通じそうな内容だった。

ST読者の将来なりたいお仕事ナビ

これはWebでもすぐ出てきそうだけど、なりたい職業が挙げられてたのでこちらも紹介。

  • 1位:保育士
  • 2位:雑誌編集者
  • 3位:モデル・女優
  • 4位:看護師
  • 5位:栄養士
  • 6位:ヘアメイク
  • 7位:学校教諭
  • 8位:歌手・アイドル
  • 9位:公務員
  • 10位:医師

上位には専門職が占めている。まあ高校生ならこんなもんかな、といった内容。
ただし、欄外の「このお仕事ってよく聞くけど、具体的にどんなことをしているの?」に「SE」が入っていたのは21世紀ならではか。

2017年は恋愛の話題が充実

2017年『SEVENTEEN』の1974年、1996年に比べての特徴としては、恋愛に関する記事の割合が多く感じられた。同世代がどんな恋愛ライフを過ごしているかは大きな関心事だろう。

12月号では「バレンタインまでに「友達」から「彼氏」にステップアップ、二週間フレンズ」として、カップルになるためのアプローチを紹介。内容としては会話、コミュニケーションの取り方、振る舞い方、友達の巻き込み方など。

「モテエリートがやっていること」の記事では、モテる要素として「誰に対しても平等」「恋話ばかりしない」「単独行動をすることがある」「基本笑顔」といった指導が並ぶ。

あとは「JK恋愛あるある」みたいな特集も。

SNSは生活のあくまで一部

世の中を見たとき、1996年までとの決定的な違いにスマフォの普及、SNSの普及があるだろう。ところが『SEVENTEEN』を読むと、その影響は思ったほどの大きさではなかった。

前述の「~二週間フレンズ」の特集では、「友達」から「彼氏」にランクアップするための方法論14の1つ、「9 会えない時間も想いを深める」としてSNSの利用を推奨。「手作りごはんをSNSにUPする」「彼が休んだら「いなくなってつまらない」とLINE」「彼と同じ絵文字を使う」等の指導が載る。が、逆に言えばSNSの利用はそれだけで、他の13項目はリアルでの振る舞いに終始していた。

もちろんSNSは生活シーンの重要な一幕ではあって、「SNSブス」の特集では「#つけすぎ」「写真加工」「裏表ありすぎ」「リツイート」「マウンティング」など、好ましくない振る舞いが挙げられていた。

また、「DKの恋愛のすべて」の特集では男子高生のアレコレが分析されていたのだけれど、「告白の手段」は1位:直接、2位:LINE、3位:手紙と、LINEが2位に挙がっている。ちなみに1996年の告白手段(前述)では「ベル」は5%に過ぎなかった。

といことで、SNSがコミュニケーション手段や生活の一部として確立していることは間違いない。が、雑誌全体を俯瞰すると、SNSは生活の中のあくまで一部に過ぎなくて、大切なことはリアルの世界に在り続けているようだ。

まあ、当たり前と言えば当たり前か。


まとめ

以上、1974年、1996年、2017年の『SEVENTEEN』を読み比べてみた。3つの時代を俯瞰して、どんなことが言えるだろう。

社会はいつの時代も歪んでいた

雑誌を読む前の復習としてそれぞれの「時代感」をおさらいした。現代をみると、少子高齢化が進行してグローバルな危機があって、「日本ヤバい」感がとてもヤバい。けど過去を振り返るとそれぞれの時代も割とヤバみに溢れている。

1974年はオイルショックのあとコインロッカー遺棄や女子中高生の非行といった様々な社会問題が顕在化して喪失感が漂い、1996年はバブル崩壊後の不況のなか阪神大震災やもんじゅ事故や地下鉄サリン事件が起きて自殺や援助交際が相次いで、チョベリバだった。

人間の脳は悲観的にできていると言われる。だから現代の世相を見て「危機が深刻」とか思っちゃうけど、それって今だけじゃなくていつの時代でもそうなのだ。

「わけもなく笑う季節」の普遍性

そしてその上で、どの時代の『SEVENTEEN』を見ても、社会問題や世の中の暗さというのは見られなかった。読者の興味関心はいつの時代も、ごく身近な日常の明るいところに向けられていた。

あとおもしろかったのは、コギャル全盛の1996年の『SEVENTEEN』のコギャル感のなさ。『SEVENTEEN』が対象とする読者のセグメントが違うだけ、というのはそうかもだけど、後から振り返る「その時代の特徴」とはその時代においても目立つもの(=特別なもの)がピックアップされるのであって、それ以外の大多数は「普通」なのかもしれない。

友だちが気になり、異性が気になり、自分をきれいにみせて、毎日を楽しく過ごしたい。ということの普遍性が、3時代に共通してみられた。

メディアの変化に伴い、『SEVENTEEN』も役割を変化させてきた

『SEVENTEEN』の3時代の編集傾向にも目を向けている。

1974年はアイドルの話題に紙幅が割かれていた。読者にとって『SEVENTEEN』が芸能界を知る1つのチャネルだったと言える。また「アンノン族」にみられるように、雑誌の提案するライフスタイルの影響も大きかった。
1974年はカラーテレビの普及がようやく加速する時期だ。情報収集におけるテレビ以外のメディアの比重がまだ大きかったのかもしれない。

1996年になると、『SEVENTEEN』の話題は「周り(同世代)は何をしているのか?」に移る。「アイドルの情報」のような、1対多でマスへ発信される情報はテレビが担い、雑誌は「身の回りの情報」を扱うよう、すみわけがなされたのかもしれない。

そしてSNSが普及した2017年には、「身の回りの情報」も読者自身が自分で取れるようになって、雑誌は「恋愛」のような、よりセンシティブな情報を取り上げるようになった。

もちろんこの解釈は、その時たまたまそういう編集方針がとられただけで、「時代」とまで主語を広げるのは難しいかもしれない。が、ひとつの仮説にはなるだろう。

3時代の景色を決めるのはコミュニケーション手段

3つの時代における違いの最大のものはやはりコミュニケーション手段だ。待ち合わせですれ違いの起きた1974年、ポケベルで連絡が取られた1996年、そしてSNSという仮想空間が普及した2017年。

基本的な生活や関心は普遍的なもので変わらず、コミュニケーション手段の違いは文字通り「手段」の違いに過ぎない。SNSの出現も、あくまでリアルの世界が主軸にあって、仮想空間はこれを補う従属的な空間だった。

その一方で、コミュニケーションは日々の生活において最も重要な関心であるところ、その手段の違いは、それぞれの時代の「景色」というかディテールを決めるうえでは決定的な違いとなる。

というわけで

1974年、1996年、2017年と、およそ22年毎の時代感をそれぞれ見返してみた。改めて整理すると、どの時代にも社会問題は深刻だったが、17歳の興味関心はもっと身近な日常に在って、それは時代が遷ろうとも変わらなかった。その一方で、コミュニケーション手段の進歩は生活の景色を変えてきていた。

では時間軸を22年後に伸ばして、2040年の17歳はどんな日常を過ごしているのか。今回の整理を参考に、次回以降で考えていきたい。

 

  

 

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Civ4五大国決戦マルチ実況・弦音視点(3)寧夏事件

いなたくんへ

文明シミュレーションゲーム「Civilization4」マルチプレイの実況第3回。前回「青銅器時代」は次のような内容だった。

  • 西方で「マリ」の居住圏を発見した
  • 「青銅器」を発明して奴隷制を採用した
  • 「筆記」「文字」を発明して馬の民と技術交換をした
  • 南西に第4の街「虎谷関」を建設した
  • 世界各地で蛮族の侵入があり、特にシャカ族と馬の民が被害を受けたらしい

馬の民と友好関係を築き、餃子の民・シャカ族の牽制を期待したい

いちおう都市の位置関係と地名の復習として、B.C.320頃の様子を載せる。


「甲河」と「乙河」の流域に各都市が育っており、さらに南西に第4の街「虎谷関」を建設した

さて、前回の最後にたてた計画によれば、今回は北西の亥海沿いと南東の雪原地帯に入植する予定であった。


北西の亥海を臨み入植を目指す開拓者(チャリオット護衛付き)

ということで今回は予定通り亥海に街を作るのだけど、そこで思わぬ事件が発生したり。今回はマルチプレイの醍醐味、交渉回だよ。

Summary Note

A.D.80:大図書館の完成

B.C.40:第5定住地「亥海衛」建設

A.D.80:寧夏事件

A.D.120:馬の民復興支援の約定

今後の戦略:海へのアクセスをどうするか

コラム:「敵に塩を送る」の意味

なお、この実況はブログ『木牛流馬は動かない』の筆者氏とのマルチ実況だ。画面を見られてしまう都合上、実際のプレイと記事の公開とはタイムラグを設けていて、今回第3回は2018年1月7日のプレイ内容である。


A.D.80:大図書館の完成

まずはテクノロジー開発から。

B.C.240には美学の発展として「文学」が成立。これに伴い天元府に「大図書館」の建設を始めた。
その後A.D.80には「数学」も成立。森林伐採により得られる生産力が向上する。

B.C.120:馬の民から「瞑想」「鉄器」を習得

再び馬の民と技術交換。こちらからは「文字」を伝える。まだ文字も知らなかったとか野蛮だよなー。

先方からは見返りとして「瞑想」と「鉄器」を教えてもらった。「瞑想」は仏教を創始したシャカ族に教えてもらおうとして断られてたやつ。

馬の民とは密林地域を隔てているが、「鉄器」を用いることで密林開拓が可能になる。ありがたやありがたや。また、領内に鉄を発見することができた。


「甲河」の向こう、馬の民の居住圏付近には密林が広がる

A.D.80:アレクサンドリア大図書館の完成

首邑天元府にて「アレクサンドリア大図書館」が完成。これは世界に1つしか建造できない、文化遺産と呼ばれる特殊建造物の1つだ。

「大図書館」を建てた都市では科学者2名が雇用される。科学者は研究力をもたらすため、長期的な効果は大きい。

A.D.160:「弓術」を習得

弦の民の「弦」とは弓の弦に他ならないが、弦の民の「弓術」習得はA.D.160まで待たねばならなかった。この理由について少しだけ解説したい。

弦の民はそもそも農耕を専らとした民族であり、狩猟とは無縁で、「狩猟」の技術も馬の民から教わるまで知らずにいた。そういうわけで弓のような道具の発達も遅れるのだが、実は弓がまったく存在しないわけでもなかった。

弦の民のある氏族は古より秘術として弓の技術を伝えていて、彼らは弓を用いての占術・祭祀を担当した。これを民族の象徴としたのが「弦の民」を自称することの始まりとされる。

A.D.160の弓術普及にあたっては、この氏族が秘術を公にたのがきっかけだった。古より伝わる技を彼らはなぜ公開したのか、それは時代を下ることで明らかになっていくだろう。

(当然ながらこれは、「やべっ、弦の民とか言っときながら弓術の獲得が遅れてしまった!」みたいなプレイ上の事情によるものではないし、後からでっち上げた設定であるはずは決してない)


発明したテクノロジーの時系列発展図.
右側太枠が今回プレイで獲得したもの.

餃子の民の文化遺産建設ラッシュ

この時期の異民族の様子を見ると、引き続き餃子の民の発展が目覚ましい。

餃子の民はB.C.320にキリスト教を創始。その後B.C.80には我が定住地のすべて(天元府、征餃子鎮、木牛流馬府、虎谷関)への布教が起きた。ちょっとこんな短期間に布教できるのは変なんだけど、宣教師でも送り込まれたのかな。

また、餃子の民はB.C.160には文化遺産「アルテミス神殿」を完成させた。文化遺産建設にはかなりの生産力が必要になるけど、餃子の文化遺産はこれで4つめ。どうなっているのか‥。

ただし一矢報いたところでは、征餃子鎮の文化圏が拡大し、我が弦の民の居住地域が餃子の民のそれを押し返すことに成功できた。征餃子鎮にはこの調子で頑張ってもらいたい。



万里の長城に注目. B.C.360(上)に対し、B.C.200(下)になると弦の民の勢力圏(赤)が万里の長城を越えて拡がった.
また、征餃子鎮北西の「銅」も勢力圏に入り、利用できるようになった.

征餃子鎮北東の山も勢力圏内に入ったので、この機会に名前を紹介しておく。「大前山」と呼ばれる。その先に流れる「丁河」は餃子の民の街「みんみん」を流れる河だ。

閑話休題:ユニット紹介

ちょっと話が変わるけど、Civ4世界のユニットを紹介していきたいと思う。Civ4やってる人には退屈かもだが、ほら、新しいユニットできると嬉しくなるじゃない?紹介したくなるじゃない?

「労働者」は最初に生産できるユニットの1つで、農地開墾や鉱山開拓といった土地改善を行える。労働者による土地改善を行うことで、生産性の向上や資源入手ができる。


ツルハシを振るい鉱山開拓に励む労働者

「戦士」は最初に配置されるユニットで、戦闘力は2。前回に続いて今回も各地で蛮族の侵入が起きたが、いずれも戦士のおかげで撃退できた。


絶大な威力の武器「棍棒」を構える、虎谷関の歴戦の戦士

「斥候」は移動力に優れ、探索を担う。


馬の民との境界付近、密林のなかを北上する斥候

前回「馬」を入手してから生産可能となった「チャリオット」。こちらも移動力に優れ、戦闘力は戦士の倍の4。これは強い。


餃子の民の南方雪原地帯を探索するチャリオット

A.D.160:「天竺作戦」発動

そして「密偵」である。密偵は異民族には不可視であるとともに、通行条約を結んでいない(通常は入れない)異民族の勢力圏にも侵入できる。

「密偵」は前回B.C.640の「文字」の発明により生産可能になったユニットだ。「文字」を得ることではじめて、遠隔地から本国に対して抽象的な情報を伝えられるようになったと言える。ヒトの認知域を拡げたという意味でも、やはり「文字」は偉大な発明だった。


天元府からまずは征餃子鎮に向かうコードネーム「三蔵」

ということで、我が弦の民はA.D.160に「天竺作戦」を発動、「三蔵」と名付けた密偵にある任務を託した。作戦の詳細は次回紹介したい。


B.C.40:第5定住地「亥海衛」建設

さて時間は少し遡る。

天元府から北西には海がある。亥の刻の方角なので亥海と呼ばれる。兼ねてから入植を目指したこの土地に開拓者を向かわせていた。

海の重要性もさることながら、米、石材、ブドウ、貝と4つもの資源が得られる場所があり、これはぜひ確保せねばならない。

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B.C.320にチャリオットの護衛を伴い定住予定地を目指す開拓者.
中心に石材、予定都市圏にブドウ、米、貝を収める超優良地を発見.
南西には木牛流馬府の勢力圏が見える.

B.C.320:蛮族の街「寧夏」を発見

ところが、である。定住予定地の至近に蛮族の街「寧夏」を発見。この真西の石材の場所への入植を狙っていたが、近すぎて定住地を作ることができなかった。


チャリオットの西の石材の位置への定住を目指したが、すぐ東に蛮族の街を発見

これは悔しい。寧夏の蛮族を殲滅すればよいのだけれど、護衛に連れてきたのはチャリオット1輌のみ。もし戦車が返り討ちにされれば開拓者も殺されるので、それは避けたい。

開拓者とチャリオットには待機してもらって、増援を急ぐより仕方がない。

B.C.80:釈領「ノバンバ」発見

そうこうしている間に時間が経って斥候が北上。すると寧夏の北にシャカ族の街「ノバンバ」を発見できた。馬の民の北方にシャカ族がいる、という話は正しかったわけだ。


黄色の圏域(中央)がシャカ族の勢力圏.
西には、定住候補地で待機する我がチャリオットと、蛮族の街・寧夏.
東には馬の民の勢力圏(茶色).

シャカ族は戦士とチャリオットを南下させている。
ここで馬の民に状況を聞くと、どうやらシャカ族は寧夏を狙っているらしい。

なんだってー!

B.C.40:寧夏を破壊、第5定住地「亥海衛」建設

寧夏をシャカ族に奪われれば、我々も海沿いへの入植が困難になる。また馬の民としても、寧夏がシャカ族にわたることを懸念している様子。ここは馬の民のためにも、我々が人肌脱ぐしかない。

この地域は馬の民の居住圏にも近いので、仁義を切る意味も兼ね、一応ひとこと伺いを立てる。


ペンギンアイコンは馬の民

シャカ族が戦力を整えている、ということは、寧夏を急いで落とせということだよね。このあと返事がなかったが、ここは行くしかあるまい。

護衛のチャリオットで寧夏に突撃、すると蛮族の排除に成功した。

入植予定地はここではないので、もちろん「すべてを焼き尽くすのだ」。
そして無事に第5定住地「亥海衛」を建設できた。悲願だった海路の獲得である。


当初予定の通り、石材の上に建設された「亥海衛」

「亥海衛」は海へのアクセスを担うだけでなく、馬の民やシャカ族に対して最前線を担う街にもなる。最重要拠点の1つとしてじっくり育てていきたい場所だ。


従来の勢力圏(南)から北西に進出した亥海衛は重要拠点

ところで、天元府、木牛流馬府に沿って流れる「甲河」だけど、そのまま馬の民の勢力圏を貫き、シャカ族の領域まで伸びていた。その行きつく先は気になるところで、いずれ探索していきたい。

馬の民とシャカ族の反応

寧夏破壊に対して、馬の民の反応は次のようなものだった。OK、とのことで良かった。

そしたらシャカ族が謎に「遺憾の意」を表明しだして戸惑う私。

いや、ホントに「知るかよ」という。なに言ってんだコイツ。


A.D.80:寧夏事件

ところが、ここから話はこじれていく。
馬の民にトウモロコシと象牙の交換を持ち掛けたのだけど、返事をもらえず。

すると突如として……


ペンギンアイコン:馬の民
「m」アイコン:餃子の民

ファ―――――――――――――wwwwwwwww
いきなり紛争になっとる―――――――!!!!なんで――――????

馬の民の言い分

馬の民の言い分は以下であるが、


「実名、すんません。」は、実名記載は避けてとのお願いに対して

うーん。ちょっとよくわからない。
というか我々弦の民と話すことなくいきなり第三者に「紛争が起こってます」ってどうなのよ。。。

「寧夏」は馬の民の街だった

一応私の理解も伝えてみる。

するとシャカ族より解説が。

なるほど、馬の民は「蛮族の街・寧夏をシャカ族に奪われるのをおそれていた」のではなくて、「蛮族に奪われていた寧夏を取り戻したかった」のだね。それを弦の民が破壊してしまったと。

確かにそれなら、馬の民が困る気持ちはわかる。けど、馬の民は確か以前「蛮族に破壊された」って言ってて、占領されたとは聞いていないような。

シャカ族の謎の言い分

ところでシャカ族が謎の主張を展開してきたので一応掲載。

何なんだろね。すっこんでて欲しいんだが。

いや道路とか言われても。

馬の民の解決案(と、シャカ族の謎の代案)

解決策として馬の民が提示したのは以下の案。

あとシャカ族がなぜか資源寄越せと言ってきて本当に謎。君には聞いていないんだが。


シャカ族よ、君は一体なんなんだ

さてどうするか

シャカ族は論外として、馬の民の提案も到底受け入れることはできない。弦の民は馬の民に事前連絡をし、返答が十分でないまでも仁義を切って行動をしている。また、仮にそうでなかったとしても、いち早く行動を起こしたものがその利益を得る、というのは当然だろう。

にもかかわらず、せっかく建設した定住地を手放す、ということは考えられない。我々弦の民だけが損をする結果になる。

が、しかしそれは原則論だ。

弦の民は対異民族方針として「馬の民を支援する」ことに決めていた。餃子の民の脅威に対して、馬の民と友好関係を築くことで対処し、かつシャカ族への牽制も担ってもらう。そのためには、蛮族により複数都市を喪った馬の民には、早期に回復して勢力を取り戻してもらわねばならない。

そうした事情を鑑みるなら、重要拠点とは言え亥海衛を放棄し、馬の民に譲歩するという選択肢も浮かんでくる。

亥海衛放棄を決定する

以上を踏まえて、譲歩案を2つ提示し、最終的に案1で落ち着いた。

案1

  • 亥海衛は破壊し、 この地域に新寧夏を馬の民が建てる
  • 馬の民は、 弦の民に対して、亥海衛建設・破壊のコストを後日補填する

案2

  • 亥海衛はこのままとし、資源や金銭など、相応の利益を馬の民に還元する

せっかく獲得した海沿い拠点で残念だけど、ここは馬の民に譲ることにし、亥海衛はもう少し南に下がって作り直す。

その代わり、補償として馬の民からは以下の譲渡を受けることとなった。

  • 任意のテクノロジー×2
  • 任意の資源(ワイン)×1

馬の民との最終合意

弦馬・寧夏協定(A.D.80締結)

1.弦の民は亥海衛を放棄し、当該地域への馬の民の再入植を認める
2.馬の民は弦の民に対して、補償として以下を譲渡する
 (i)弦の民が希望する任意の資源1
 (ii)弦の民が希望する任意の技術2

食い下がるシャカ族

なお弦馬間では以上の条件で手打ちとしたが、なぜかシャカ族も馬の民からテクノロジー譲渡を受ける条件を取り付けていた。

謎。

そのころ餃子は

以上の交渉がだいたい1時間くらい続いた。チャットで色々言い合えるのがマルチプレイの醍醐味であり、当事者としてはとても楽しかった。

ところで調停を頼まれていた餃子の民は何をしていたのかというと…

家事をしていた。

や、申し訳なかった。


A.D.120:馬の民復興支援の約定

さて、寧夏を巡る一連の事件が片付いた後、時間はもう少しだけ進んだ。

A.D.120:馬の民に開拓者を贈る

木牛流馬府にて開拓者1体を生産、馬領ニューサライを通して馬の民に譲渡した。さらにもう1体を譲渡する約束である。

すでに述べた通り、我が弦の民の対外方針として、馬の民との友好関係を通して餃子の民・シャカ族とのバランスを取りたい。そのためには馬の民には勢力を保ってもらう必要がある。そこで3都市を破壊された(実際には「寧夏」は破壊じゃなくて占領だったけど)という馬の民に対して、早期復興の支援として開拓者2体を贈ったわけだ。

もちろん対価は受けていて、これは次回にでも明らかにしたい。

また、馬の民にはトウモロコシを贈って、代わりに象牙をいただいた。資源はこのように交易が可能だ。象牙は民の幸福度を高めることができる。

A.D.160:マリの亥海進出

さて、亥海衛放棄は、その南の海沿いに別途入植することを前提としてたが、ここで計算がくるってしまう。マリが進出してきて「オーダゴースト」なる街を作りおったのだ。


亥海衛の南西に突如作られた「オーダゴースト」.
引越し先が奪われてしまった形に…

これでは亥海沿いに入植することができなくなってしまう。つまり弦の民の海路進出はこれで絶望的に。痛い…。

マリはA.D.160に儒教を創始した。我が国とは宗教も異なり、居住圏を広く接するマリは、今後衝突の機会が増えそうだ。


マリは虎谷関の至近にも進出


今後の戦略:海へのアクセスをどうするか

亥海衛放棄を決めたものの、いざ失ってみると改めて痛い。海へのアクセスは確保しておきたかった…。

なお、虎谷関の西側にも海はあるけど、すでにマリが進出しているし、そもそも砂漠や山があるため定住には向かない。やはり亥海衛しかなかったのだ。

あくまで海路を求めるとすれば次の2通りが考えられる。

  • 1.やっぱり馬の民に亥海衛を返してもらう
  • 2.亥海に面する、マリの「オーダゴースト」を奪う

1は魅力的な選択肢だが、一度約束したことだし、馬の民とは友好関係を築きたいので、やっぱり厳しい。馬の民が弦の民と敵対的な関係になりでもすれば話は別だが、現時点では選べない。

2のマリ攻撃はどうだろう。これも、現在の弦の民の武力を考えれば、到底現実的な選択肢ではない。

うーん計算が狂ったなあ。どうしよう。

あと、居住圏拡張もよいのだけれど、それよりも深刻なのが内政だったりする。前回から引き続き各定住地では「働かない民」が急増していて生産力は落ちる一方。さらに財政負担もたたっており、内部的にガタガタなのだ。

次回、大きな変化があるかもしれない。


今回プレイで明らかになった各民族の勢力図

ところで、「寧夏事件」に際してなぜシャカ族は意味不明な発言を繰り返したのか。その背景は、シャカ族視点の実況記事を読めばわかることもあるかもしれない。


コラム:「敵に塩を送る」の意味

並行世界の話になるが、越後の虎・上杉謙信は、川中島で5度に渡り戦う宿敵・武田信玄の領国に塩を贈ったことがある。当時武田領には海がなく、塩の供給を駿河の国に頼っていたが、駿河の今川氏との関係悪化により塩の供給を絶たれてしまった。そんな武田に対して、上杉謙信は塩を贈って助けたわけだ。

この出来事が、(並行世界では)敵であっても苦境には手を差し伸べる美談として語り継がれることとなる。

敵(の領民)に塩を送る(ことで調略を狙う)

しかし諸説をみると、これは単なる美談ではなさそうだ。
1つには、上杉にとって塩の輸出は重要な収入源の1つであり、武田領国も販売相手であったことから、その収入を守りたかったという説がある。

また他には、塩不足に悩む武田の領民に塩を送ることで、これを懐柔しようとしたとする説もある。(並行世界の)長野県松本市では、上杉からの塩の到着を記念した「あめ市」なるイベントが続いているが、松本市は武田氏の本国・甲斐ではなく信濃である。いわば武田に支配された被占領地であった。

越後と甲斐に挟まれた、信濃の被占領民を手懐けようとした。とする調略説からは、上杉のしたたかな合理性が伺える。

馬の民は信濃に相当するか

以上は並行世界の話であるが、甲斐の国と我が弦の民は、ともに海を持たぬ点で似ていないわけでもない。甲斐から見て北方に位置した越後は、弦の民にとってはシャカ族が相当するかも。するとその間に位置する馬の民は、さしずめ信濃にあたる。

今回の寧夏事件の顛末は馬の民に譲歩した形となったが、「敵に塩を送る」の故事のように、馬の国との関係強化策と考えれば、利益もあると言えるだろう。

そう考えて、亥海衛放棄は正しかったと考えたい。
(要するに亥海衛を失ったのがやっぱり悔しい)

なにはともあれ

弦の民の勢力圏はいよいよ異民族のそれと衝突し、摩擦が生じはじめるに至った。ヒトも動物である以上、生存競争を戦わねばならない。義理や馴れ合いではなく、したたかに利を争うことが重要になっていくだろう。

というところで次回はこちら。

 

 

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未来の世界に影響を与えるテクノロジー系ニュースまとめ・第15回(2018/1-3)

いなたくんへ

最近のテクノロジー系ニュースのまとめ。まずはこの3ヶ月で目立った事件を概観する。

イーロン・マスク率いるSpaceXは火星移住に用いる巨大ロケット、ファルコン・ヘビーの打ち上げに成功。ダミー・ペイロードにはマスクの赤いロードスターが搭載され、火星へ向かう軌道に投入された。ロードスターの現在地はこちらのサイトで確認できる。

イーロン・マスクは4000基の衛星コンステレーションにより衛星軌道にブロードバンド通信網を作る「Starlink計画」を進めていたり、テスラの自動運転トラックが北米大陸横断に成功したりと、快進撃が続いている。

自動運転ではGMが量産車で初のハンドル無し自動運転車を発表。その一方で、Uberの自動運転車がテスト中についに初の死者が出てしまった。いずれ起こるはずの事故ではあったが、自動運転の普及にどう影響するだろう。

技術普及へのブレーキといえば、暴騰を続けていた仮想通貨がCoincheck事件発生により一気に暴落。一時200万円近かったビットコイン価格は70万円台にまで下がり、アルトコイン熱も軒並み下火に。仮想通貨バブルが一度崩れることは私も予想したけど、こんなに早いとは思わず無事致命傷を負った。

ただし上記記事でも述べているけど、ブロックチェーンが技術として有望なのは間違いなくて、引き続き普及は進むだろう。下記ツイートとか示唆に富む。

ハッキングでは過去最大のDDoS攻撃がGitHubに対してなされ、ピーク時のトラフィックは1.35Tbpsに達した。ただしGitHubとAkamai社の対応により被害は10分程度のサービス停止で済んでいる

現実世界では、シリアに展開するロシア軍に対して13機の固定翼無人機群が攻撃を敢行し、史上初・最大規模の集団ドローン攻撃となった。非対称の戦闘は今後も規模を増しそうだ。

という感じで、最近注目のテクノロジー系ニュースをまとめていきたい。


1.ゲーム化される現実世界、ピクセル化された寿司

仮想空間と現実の融合は中国が進んでいて、北京法廷で初のVR利用がされたり、通行人をスキャンして顔認証可能な警備用メガネが導入されたり。特にメガネは「暗黙知の形式知化」という文脈でも興味深い。

中国では社会信用システムも話題だが、テンセントはこれをゲーム世界に導入。ゲームプレイの素行が良いと信用度が上がる仕組みで、次の記事では、女性や子供などライトユーザが入りやすくなるといったメリットも指摘している。

ゲーム空間はシミュレーションにはもってこいだ。ここで培われたノウハウはいずれ現実での社会信用システム運用にも活かされるのかも。ちなみにGoogleもGoogle Map APIをゲーム向けに開放して「リアルワールドゲーム」の開発を容易化したが、私はこれも実世界センシングの戦略的布石と予想している。

そんな仮想と現実の融合で注目なのが、河川でのゴミ収集を遠隔操作ロボットを使ってゲーム化する、という取り組み。単に「スコアを競う」というだけでも、ユーザの動機づけとしてきちんと働いているようだ。

これですよ、私がゲーミフィケーションに期待してるのは。適切なインセンティブ設計により、ユーザが楽しみながら現実世界が良くなっていく。同様の取り組みはポケモンGoでも行われている。こうした事例が増えれば、世界は確実に変わっていくだろう。

工作のゲーム化という新ジャンル

ゲームといえば任天堂発表のNintendo Switchもすごい。段ボール工作などの現実世界のアソビがインタラクティブなものに変わる仕掛けで、VR/ARやIoTが話題になりつつも爆発力に欠けるなか、「そそそ、その手があったかアァァ!!!」とおしっこ漏れそうな提案だ。

なお「工作のゲーム化」の観点では、昨年発表されたソニーのtoioも、ピタゴラスイッチで有名なユーフラテスや、LEGOとコラボしての展開をしている。

「寿司のピクセル化」というソリューション

話題としては最近下火の3Dプリンタだが、現実とデジタルの融合という意味では、製造や流通の分野では引き続き盛り上がっている。そんななか注目なのが、東京で握られた寿司をデータ化して米国で出力する「ピクセル寿司」というアイディア。実証機は低解像ゆえ「ピクセル」だが、逆に言えば、解像度さえ上がればいくらでもリアリティを高められる。

ブロックチェーンが宇宙時代に重要になる、というコメントは冒頭で紹介したが、モノを情報化して遠隔地に送る転送技術も、同じく宇宙時代に重要になるだろう。


2.超低軌道衛星用大気吸い込み型イオンエンジン

寝耳にアルマゲドンな話として、直径500メートルの小惑星「ベンヌ」が2135年9月22日に地球衝突の可能性があり、NASAは「HAMMER」と呼ばれる宇宙機を当て軌道を変える計画を発表した。不穏なニュースであるのだけれど、しかし近年の宇宙開発の盛り上がりを考えると、100年以上先という時間軸なら気にする必要はなさそう。

VodafoneとNokiaは、2019年にFalcon9ロケットを利用して、月面に4G LTEネットワークを構築することを発表。地球外への通信インフラ構築例として、宇宙初の試みとなる。
ユニークな取り組みでは、スタートアップのSpinLaunch社はカタパルトでの衛星打ち上げを計画。イーロン・マスクのハイパーループ的に、ループ状の真空チューブで4800km/hまで加速させ、1回の発射コストを50万ドルまで下げるという(従来ロケットは500万ドル以上)。

超低軌道衛星用の大気吸い込み型イオンエンジン

欧州宇宙機関と民間企業は、大気吸い込み型イオンエンジンの噴射試験に世界で初めて成功した。

高度400kmの低軌道を飛ぶ国際宇宙ステーションなどは、定期的にガス噴射を行い高度の維持を行っている。観測衛星の種類によっては、さらに低い「超低軌道」を飛ぶこともある。200km等の超低軌道は空気が(衛星にとっては)濃密で、その抵抗により高度維持が困難だ。

超低軌道では、現在はイオンエンジンが使われている。推力は低いが空気抵抗を打ち消すには十分で、持続力がある。推進剤はキセノンなど。ただし、推進剤が切れれば落下する。

今回開発に成功した大気吸い込み型イオンエンジンは、超低軌道の大気を取り込みイオン化するというもので、推進剤が不要になる。人工衛星は高速で飛ぶため大気の取り込みと圧縮が自然になされ、ジェットエンジンのように吸入する機構も必要なく、構造もシンプルで丈夫とか。

高度200km前後の超低軌道は観測や地上との通信、打ち上げコストなどで利点があり、今後有望視されるエリアだ。大気吸い込み型イオンエンジンが実用化されれば、人工衛星のネットワークはさらに広がることになるだろう。

さらに、地球と異なる大気成分の惑星でも使えるとのことで、夢が膨らむ。


3.宇宙用ソフトロボット、搭乗型多脚ロボット、弱いロボット

宇宙はロボットの活躍も有望視される領域だ。ロボットと人間との協働ではソフトロボットの開発も進められている。が、その中には「アレ」なビジュアルのロボットもも。

「やわらかロボット」は当然だが地上においても重要なジャンル。ハーバード大学はソフトロボットにアクチュエータや各種センサを埋め込み可能な3Dプリント技術を開発。普及のハードルを一段下げた。

他にも気になるロボットがいたので紹介する。

多脚ロボット「prosthesis」

重量3.6トン、時速30kmで走行可能な多脚ロボット。自律型ではなく搭乗型の「外骨格」という位置づけがアツすぎる。本格的に軽量材料使うと夢が広がりそう。多脚戦車時代も目前。

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豊橋科技大の「弱いロボット」

豊橋科技大が数年前から開発を進めている「弱いロボット」。例えば自分ではゴミを拾えず通行人にアピールするゴミ箱ロボットがネットで話題になった

AIやロボットの人間社会への普及において「共感」は重要なキーワードになりそう。


4.実現したテロメアの延長と、細胞の時間停止

ロボットに負けずヒトの「進化」も顕著である。特に進んでいるのが中国だ。2015年にヒト受精卵へ世界初の遺伝子操作をして物議をかもした中国は、その後86人に対してゲノム編集による遺伝子改変を行ったことが分かった。さらに世界初の猿のクローン作成にも成功している。

動物実験では、米国ではヒト細胞をもつハイブリッド羊の胎児の作製に成功、移植用臓器作成に活かされる。また、中部大学はRNA干渉により特定遺伝子の活動を抑制するゴキブリ駆除スプレーを開発。人による生命のデザインの幅は順調に広がっている。

テロメアの延長、細胞の時間停止

そんなか目を引くニュースが、英エクスター大学とプライトン大学による、テロメアを長くする方法の発見だ。

染色体構造であるテロメアは細胞分裂回数を規定することから、寿命に直接関連するとみられてきた。今回の研究では、老化した細胞にレスペラトロール類似体と呼ばれる化学物質を適用したところ、再び細胞分裂が始まったという。不老長寿化技術として注目である。

また、DARPAは戦場での負傷兵治療の技術として細胞の活動を低速化するアプローチを検討。細胞活動をタンパク質レベルで抑制する生化学物質を用い、一時的に仮死状態に落とし込むとする。まだ机上研究であるが、実現すれば戦場に限らず役立ちそうだ。

道具としての利用も

命に手を入れるだけでなく、生体を道具として活用する研究も進んでいるので紹介。

次世代記録媒体として注目されるDNAメモリでは、伊パドヴァ大学がバクテリアのDNAへのHello Worldの読み書きに成功。マイクロソフトとワシントン大学はランダムアクセス記録で400MBの記録に成功した。マイクロソフトは10年以内にデータセンターでの運用にこぎつけたいとしている。

他には分子の組み合わせによりANDやOAを指定できるバイオマテリアル論理ゲートなんかも。用途はドラッグデリバリーが考えられている。

無機質なデジタルの世界とバイオ技術の融合、何ともアツい。


5.全脳シミュレーションは次世代スパコン登場を待つばかりに

「コンピューティング×生体」の文脈で欠かせない領域が「脳」。そのアプローチの1つは、脳の構造を機械で再現するというものだ。その全脳シミュレーションがいよいよ視野に入っている。

電気通信大学では小脳のリアルタイムシミュレーションを研究。脳全体のニューロン860億個のうち、80%に及ぶ690億ニューロンは小脳にあるという。小脳は同じ構造の繰り返しとなっていて、大脳の処理を加速する働きと考えられているとか。研究ではこのうち80億ニューロン相当について、PEZY Computing社のスパコン「暁光」にてリアルタイムシミュレーションを成功させた。


下部の紫の部分が小脳.
前頭葉・側頭葉・盗聴用・後頭葉などは大脳に属する.

理化学研究所は脳全体の860億ニューロンをシミュレーション可能なアルゴリズムを開発。メモリの省力化や高速化が図られている。といっても、このアルゴリズムが動作できるのは2020年以降に登場する次世代スーパーコンピュータだ。アルゴリズムはオープンソースとして公開されるとのことで、次世代スパコン登場までにはさらに効率化が図られるかも。

ということで、コンピュータパワーがもう一段階進化したとき、いよいよ脳全体のシミュレーションが可能になるかも。楽しみである。

脳に関しては臨床と人工知能技術の連携もアツい。ATRと京都大学はfMRIと機械学習を用いて、人が心の中でイメージした内容の画像化に成功した。

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同研究所の研究に基づき「夢の内容を出力できたら…」な予想を以前書いたが、ぜんぜん夢じゃないね。


6.72量子ビットの量子プロセッサ「Bristlecone」

次世代コンピューティング技術で注目の量子コンピュータは、49量子ビットでノイマン型スーパーコンピュータの性能を上回るとされる。これについて、MITとハーバード大学は中性原子をレーザで制御するタイプの量子コンピュータで51量子ビットを実現、最大級の規模となる。さらにGoogleは72量子ビットのプロセッサBristleconeを発表、従来型コンピュータを凌駕する「量子超越性」の実現を実証するという。

一方、従来型コンピュータもまだ終わったわけではない。半導体の集積度はムーアの法則の限界が指摘されてはいるものの、原子の厚みしか持たない「2D Materials」と呼ばれる超格子構造が次世代素材として提案されたり、人工知能技術の応用としてGoogleが長く使うほど高速化するアルゴリズムを検討していたりする。

いずれにせよ、人類が持つ計算能力の進化はまだまだ続いていきそうだ。


7.不可視なほどに極小なコンピュータとセンサたち

最新コンピュータといえば、IBMが発表した世界最小コンピュータが小さすぎてヤバい。全体サイズはわずか1mm×1mm。数十万のトランジスタを搭載していて、解析や通信が可能。コストは10セント以下で、ブロックチェーンでの活用が考えられているという。

実はこの3ヵ月では、めちゃくちゃ小さかったり省電力なセンサが次々発表されてアツすぎた。以下ニュースを列挙。

いずれも落とせば探せないほど小さかったり、電力消費が無視できるほど少なかったり使い捨てできたり。これらの用途や組み合わせを考えるだけで、未来の想像が飛躍的に広がる。

ちなみにバッテリレスの文脈では、低電力を短時間供給可能で使い捨て機器に適用可能な紙でできたバッテリーとか、数メートル離れてもスマフォを充電可能なレーザ光によるワイヤレス給電とかも。あと関西大学の1ステップで0.6mW(LED10個分に相当)を発電可能な摩擦発電機もすごい。

「IoT」の言葉が市民権を得て久しいが、センサは確実に世界に溶け込もうとしている。


この3ヵ月で見かけたおもしろガジェットたち

最後に、この3ヶ月で見かけた素敵なガジェットやサービスたちをご紹介。

文字盤の濃淡が変わる時計「DUSK」

Kickstarterに登場した壁掛けアナログ時計「DUSK」は、日照時間の変化に合わせて文字盤の濃淡が変化する。室内に居つつも外の空気感とか季節感がわかる仕掛け、いいよねえ。


画像:Kickstarterより

マグネット式デバッグ神社

こういうの大好き。秀吉の金の茶室じゃないけど、コンパクト&ポータブルってロマンあるよね。積み木感もシンプルでイイ。

Boseの聴くAR眼鏡

グーグル・グラスがコンスーマではうまく行かなくて、アイウェアは難しい印象だけど、そこに突如現れたBoseの「聴くAR」。Boseの音響技術により超小型・超軽量で音質を担保しつつ、イヤホンのように耳をふさぐことなく聞くことができる。用途は観光ガイドや看板の翻訳など。

世の中的に音声エージェントが普及しようとしているこのタイミングでのこのソリューション、ぐぅすごい。

 

以上、2018年1~3月における、未来に影響のありそうなテクノロジー系ニュースをまとめてみた。

次回3ヵ月のニュースのまとめはこちらから。
1.ブロックチェーン・ベースの非中央集権宗教「0xΩ」/2.人格の仮想化技術・仮装化技術/3.脳内思考「内言」の解読/4.時間反転対称性を崩す「Flux Capaciter」の発明/5.『実時間メロス』/6.記憶はRNAにも保存/7.ジョギングするアトラスと群行動する中国無人ボート群/8.中国にも注目の再利用型ロケットと民間宇宙開発企業/9.火星での有機物発見とテラフォーミング用バクテリア

前回3ヵ月のニュースのまとめはこちらから。
1.人工知能は「神」になり人は神を欺く/2.仕事を奪う人工知能/3.AR/VRは現実を描きかえ現実を操る/4.VR技術がつなげる空間と時間方向への検索/5.ドローンは核兵器以降最大の技術革新となるか/6.野良IoTのセキュリティ問題と量子コンピュータ実用化秒読み/7.クォーク融合、自己修復材料、マルチメッセンジャー天文学

 

  

 

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2040年の17歳・鷲尾野ゆずりはの1日を考える(3)2040年の教育と労働をちょっと掘り下げ

いなたくんへ

未来予測のアプローチの1つとして、ある年代の具体的なペルソナを設定し、その生活レベルで考えることを始めてみた。具体的には、2040年の高校2年生「鷲尾野ゆずりは(17)」の目線でその日常を考えていく。

第1回ではゆずりはの家族構成やプロファイルの決定、アクションアイテムの整理をした。第2回では、2040年の国際情勢や日本の社会をまず予想し、ここからゆずりは目線に落とし込んで考えてみた。

で、今回は第3回目なんだけど…。ネタ切れ気味というか、やっぱりきちんと下調べして情報揃えないと、ブレストしても意味のある成果が出にくいね。今回は2040年における「教育」「労働」について少し掘り下げてみた。

Summary Note

1.ゆずりはの家族構成を拡げる

2.2040年の女子高生はどうやって勉強するのか

3.2040年の人類は職を失っているのか

4.調査アイテム・検討アイテムの再整理


1.ゆずりはの家族構成を拡げる

2040年の鷲尾野家にとって介護が大きな問題である、という仮説を前回たてたので、家族構成を拡張してみた。

現状の家族構成は以下であるが、

  • 父(鷲尾野はしる):1988年生 52歳
  • 母(鷲尾野いと):1992年生 48歳
  • 兄(鷲尾野かける):2020年生 20歳(大学生)
  • 自(鷲尾野ゆずりは):2023年生 17歳(高校2年生)

これに父方の祖父母を加えたい。

  • 祖父:1955年生 85歳(33歳時にはしる出産)
  • 祖母:1958年生 82歳(30歳時にはしる出産)

簡単のため、母方の祖父母は母の兄弟が面倒を見ていることにする。

父方祖父母の所在だが、なんとなくだけど長野あたりに設定したい。ゆずりはの父・はしるは長野出身で大学進学の際に上京し、東京で就職、そのまま東京にとどまり子どもたちが育った。

この場合、80歳を超えた祖父母はどう暮らしているのだろう。可能性としては以下4つかな。

  • 1)長野で在宅介護を受けている
  • 2)長野の老人ホームに入っている
  • 3)東京の鷲尾野家と同居し、はしる一家が介護している
  • 4)東京の鷲尾野家が住む街の老人ホームに入っている

年齢を考えると、残念ながら(1)の可能性は低そう(1)。ただし、2040年の健康技術や遠隔介護技術、地域包括ケアの普及が進めば無いではない。

地域包括ケアといえば、2040年のこの時期には多くの自治体が消滅していて、地方においても主要都市(長野であれば長野市とか松本とか)への人口集約が起きているはず。祖父母も長野に留まるにしても、長野県内の都市部に移るか、都市部に存在する老人ホームにいるだろう。

また、地方自治体が全国的に消えていくなか、子ども世帯のいる東京に移り住むことも一般的になるかもしれない。その場合、東京に呼びつつも老人ホームに入ってもらう、という(4)の選択肢も十分あり得る。

という感じで、鷲尾野家の介護問題は引き続き掘下げたい。


2.2040年の女子高生はどうやって勉強するのか

人生の悩みの遷移図によれば、高校生の悩みの大部分を占めるのが「学業・受験・進学」だ。(ちなみに次に悩んでるのが人間関係なので、こちらもいずれ掘下げたい))

ここで2018年現在の高校生の勉強法をみると、「スマフォ・インターネット以前」とはずいぶん様相が変わっていて驚かされる。特に2番目の記事とか詳しく書いててありがたい。

私の高校時代に比べて目立つ変化は次の2点。

  • 1)オンラインの学習コンテンツを積極的に利用している
  • 2)LINEなどのコミュニケーションツールを使い、友人と遠隔相互学習している

これを起点に、未来の学習のあり方について考えてみた。

先生の役割は学習進度の管理や生活指導になる?

オンライン学習コンテンツの普及が進んだとき、先生や授業の役割はどう変わるだろう。「授業」をコンテンツと考えたとき、先生個人による制作物が、Webの集合知にかなうとは考えにくい。これは先生の良し悪しの問題でなく、制作にかかわる人の量の話である。

コンテンツとしての「授業」が学校外でも担保できるならば、先生の役割は例えば学習進度の管理とか、生活面の指導とか、そちらに比重が移るかも。スポーツの監督のようなイメージだ。

仮想空間の相互学習がさらに進む?

すでにLINEなどのオンライン・コミュニケーションを通じた自習が行われるが、将来はこれがさらに進んで、仮想空間で知り合った友人との勉強会とか起こるかも。ここでユーザ同士のマッチングや、相互学習の質は、例えばゲーミフィケーションのような仕組みで担保される。

2040年にも「詰め込み教育」は残る?

自習できるということは、生徒自身が学ぶべき目標を把握できていることになる。これはテストや宿題といった形で、学校がマイルストンを定めていることが背景にある。目標はやっぱり必要だよね。

ただ、ここで想定される「目標」って、詰め込みというか、生徒に何かを「覚えさせる」ことをゴールとしている。しかし未来においてもそういった学習はメジャーだろうか。もっと創造的で探索的な、別の形の学習目標もあったりしないだろうか。

とは言え、高校レベルの知識の詰め込みは未来においても必要な気はする。

生徒間の学力格差が拡大する?

学習ツールが発達し、勉強が効率化することで、生徒はより早く能力を伸ばすことができそう。もしかしたら2040年には、現在の高校レベルの知識を中学卒業までに習得できるかもしれない。

その一方で、「勉強の質」はツールへの慣れや、学習意欲の喚起度合いに依存する。そのため、生徒間の学力差は拡大するのかもしれない。自習の習慣になじめる子どもは飛躍的に学力を伸ばせて、そうでない子はいつまでも学力が伸びない、ということが起きてしまう。

学校は何を学ばせるのか?

前回も書いたけど、学校の目的のひとつには、社会で必要になる能力の獲得がある。2040年において、より多様な生き方・働き方が認められるなら、学校での勉強も、決められたカリキュラムの成績で測るのでなく、「自分の得意なこと」を伸ばす教育に変わっていることもありうる。そうすると、上述の学力差の話は問題ではなくなる。

このあたりはやはり未来の労働環境や、人生の過ごし方から詰めねばならない。


3.2040年の人類は職を失っているのか

人工知能が人間の仕事を奪う、という仮説がまことしやかに囁かれる。その帰結として資本主義が終焉し、ベーシック・インカムに基づく共産主義的時代になり、そうだとしても労働が完全になくなるわけではなく世の中はうまい感じに回る、という予想を以前に書いた。

私はこの方向性を信じているんだけど、とはいえ2040年という時間軸だとまだ難しいかも。いわゆる汎用AI・汎用ロボットもまだいない。「認識」をベースとする知的労働を中心に職が奪われるが、社会全体ではまだまだ人間が労働の主体である、という感じか。

ここで、労働の種類を次の3階層に分けてみる。

  • 意思決定(経営判断など)
  • 知的労働
  • 肉体労働・感情労働

中間の「知的労働」の多くと、それから下層の「肉体労働・感情労働」の一部が人工知能やロボティクスに任せられるようになって、労働者は減りつつ社会全体の生産性が向上する。

イメージとしては以下の図だ。数字は労働人口を、三角形の面積は社会全体の生産性を表す。人工知能技術により仕事は奪われ(図の暗い部分)、労働人口も18から14に減るが、各階層の労働人口比率は変化して、社会全体の生産性も向上する。

ここで労働人口の減少分(18→14)は、日本の人口減少を鑑みればちょうどよい。と考えたいところだが、少子・高齢化により「養われる人口」と「養う人口」の比率も変わるので、そう単純ではないだろう。

あとは「今後生まれる仕事」の予想なんかも参考にして、ゆずりはがどんな将来像を描いているのか、2040年における憧れの職業には何があるのか、次回以降考えたい。


4.調査アイテム・検討アイテムの再整理

という感じで、2040年を考えようにも、下情報なくブレストしてもなかなか本質的な議論にならない。早くもアウトプットが枯渇気味。インプット大事だわー。

第1回からずっとアクションアイテム整理ばっかりな気がするけど、今回も懲りずにToDoを整理した(それくらいしか考えられなかった)。ただ、向こう2~3ヵ月はちょっと調査に重点を置きたいとは思う。

(1)過去の定点調査をする

第1回から設定しているタスクだが、1974年、1996年、そして現在の3時点について調査をし、2040年の参考にしたい。調査対象は以下とする。

  • 流行(遊びとかグッズとか)
  • 生活サイクル
  • あこがれの職業

(2)学習の様子、未来の教育や学校について調べる

今回もちょっとブレストしたけど、実際の高校生に関わってる人から意見を聞いた方がよさそう。ということで、知人ベースでインタビューを実施し、彼らの未来観を確かめたい。

(3)2040年の技術の俯瞰図を作りたい

テクノロジーに関しては手を付けるとキリがなさそうで嫌なんだけど、介護なり教育なり日々の生活なり、テクノロジーの進化を踏まえずして考えられない。

アプローチとしては、全技術を洗うのは厳しすぎるので、介護なら介護、教育なら教育、と、このブレストでイシューに挙がる事柄別に、2040年のテクノロジーを考えていく。

が、とは言え2040年のレベル感は押さえたいので、まずはあまり時間をかけない感じで、「2040年のテクノロジー」の俯瞰図を作ろうと思う。

(4)Webベースでいいから調べたいこと

とりあえず以下について、Webでいいのでさっくり調べたい。

  • SNS普及に伴う若者の政治意識の変化
  • 現在における85歳の介護事情(できれば将来予測も)

(5)その他に検討したいテーマ

次の検討アイテムもいずれ手をつけたい。

  • 少子高齢化に伴う社会不安に人々はどう対応するのか
  • 「発想飛躍のためのテーマ」を選ぶためのブレスト
  • 2040年の生活を「夢」視点で発想する
  • 2040年のおもしろ職業

夢視点の発想、であるけど、調査ベースで考えると飛躍がないというか、近視眼的でつまらない予測に陥りがちだ。そうではなく「夢」ベースで考えるのも大事だよね、という自分に対する戒めである。


ということで…

今回も1時間程度ブレストしたが、下調べが大事と痛感したので今後はしっかりそちらにも時間を割きたい。

2040年のまとめ方としては、ディストピアシナリオとユートピアシナリオの2つの方向性で整理するのもおもしろいと思った。「あり得そうな未来」を考えると大抵つまらないところに落ち着いて、かつその予想は外れるので、きちんと振り切って考えることが必要だ。その軸として、「最悪」と「最高」の極端な予想は重要と思う。

 

次回はこちら。

過去の議論はこちら。

ブレストの事前調査としてまとめた記事はこちら。

 

  

 

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「パクリ大国」「中国スゲー」に続く日本人の対中意識を予想してみる

いなたくんへ

最近の中国がスゴいらしい。報道ベースでみると、無人コンビニやシェア自転車といったイノベーションが生み出され、キャッシュレス化も進むなど、日本より進んだ生活が見える。深センの発展を目の当たりにした26歳の青年が「日本が中国に完敗した」と断じて話題になったりもした。

その一方で、昨今の「中国スゲー!」「深センスゲー!」論はちょっと浅いというか無責任じゃないのか、という声もある。現地文化を伝える古参ITライターの山谷氏は、かつての「中国と言えばB級」の時代にも照らして次のように述べている。

最近では中国の「社会信用システム」が話題だが(社会信用システムも日本では山谷氏が2015年に最初にレポートしていた)、次の記事の訂正をみると、当初報道で過大評価されていた様子がわかる。ちなみにこちらの記事の訂正内容は社会信用システムの現在がよくまとまっててむしろおススメ。

「中国スゲー論」の一部報道が飛躍にすぎないことは、「26歳青年」に対する反論を記した対談記事がわかりやすいしおもしろい。

あるいは、「海外ライターの暗黒面」を指摘した次の記載も参考になる。

最近、「中国すごい、それに引き換え日本は……」というネタをよく目にします。個人的にはあまりそそられない話です。中国は世界第2の経済体、日本は3位です。どちらの国にもすごいところはあって当然。そして世界中のどの国もだめなところはあるわけで、片方のいけてるところだけを集め、もう片方のだめなところをディスれば一丁上がりの話だからです。

ちょっと前まで「中国崩壊論」が流行っていましたが、その裏返しと考えればわかりやすいでしょうか。いいところだけをみるか、悪いところだけをみるか。僕も含めプロならば、「中国すごい」でも「中国まもなく崩壊」でもどっちでもすぐに書けます。良心さえ捨てれば、ですが。

『渾身の記事を書きました、「海外ライターの暗黒面」に陥らないために(高口)』より

 

かく言う私もこのブログでは「中国スゲー」のバイアスかけて記事書いてきたので何とも言えないんだけど(私の中国に対するスタンスはこちら)、ところでこの「中国スゲー論」、これが「流行」であるならば、次には何が来るのだろう。

冒頭の山谷氏のツイートの通り、一昔前には「中国と言えばパクリ」やB級ニュース、あるいは中国崩壊論があふれて、今では「中国スゲー」である。これが実中国からの乖離を含む「B級だからB級」「スゲーからスゲー」な流行ならば、これに連なる「次のトレンド」もあるはずだ。

そこで今回は、「中国パクリ」「中国スゲー」に続く対中報道トレンドを予想してみた。PVが稼げる次のネタが見つかるかもしれないし、日本人の将来の対中意識も見えるかも。

Summary Note

これまでの対中意識は「実情に無関心」「嘲笑」「自戒」と変化

次のブームは「中国コンプレックス」、そしてその次は…

追記:「中国スゲー」発信者マインドとイキりについての山谷氏指摘


これまでの対中意識は「実情に無関心」「嘲笑」「自戒」と変化

さきに挙げた『渾身の記事を書きました、「海外ライターの暗黒面」に陥らないために(高口)』では、こうした流行記事が量産される原因を次のように指摘する。

プロの書き手であっても、そういう記事を書きたい欲求に駆られてしまうことは多々あります。というのも大半の日本人読者は海外のことには本当の意味では興味がなく、「日本がやばい!」とか「日本すげー」とかいう切り口がなければ、読みたいという欲求がないからです。注目を集める記事を書くためには読まれる切り口が必要です。

『渾身の記事を書きました、「海外ライターの暗黒面」に陥らないために(高口)』より

結局のところ読み手が期待するのは「日本」であって、中国はあくまで対比の材料、ということだ。

すると中国報道の流行は日本人の対中意識のトレンドともとれそうで、そこでまずこれまでの対中意識ふり返ってみる。ソースは私なので議論が雑なのはごめん。

中国三千年のカンフーすごいアルよ!の時代

私が小さい頃の中国は、なんかカンフーすごくてキョンシーがいて、山水画世界の頂には仙人が住み、ラーメンマン的辮髪の人が「アイヤー!」「~アルよ」と言ってればよかったりした(※個人の感想です)。

およそ以下のイメージと合致する。

もちろん、日中戦争や国交正常化といった歴史の記憶をもつ上の世代にはまた違った中国観があり、当時のオトナ向けの雑誌・書籍には別の言説があったかもしれない。

が、今の子どもたちが大人の影響で「中国パクリ」と言うように、過去に我々に影響を与えたコンテンツを作ったのも当時の大人で、彼らが具体化したイメージとは上述の如きものだった。

辮髪の人々が大陸を支配したのは昔のことで、当時の中国には当然仙人もいないし、「~アルよ!」とか言ったりしない(ただし「アイヤー!」は言う)。にもかかわらず上述のようなイメージが成立したのは、「当時の日本人が中国を真剣に意識していなかったから」ではないか。正しさはどうでも良くて、「アフリカと言えばとりあえずサバンナ(※個人の感想です)」みたいな、ステレオタイプのファンタジーがまかり通った。

中国と言えばパクリ/中国崩壊論の時代

やがて中国の経済力が高まり、世界の工場として発展すると、段ボール餃子事件のような「B級ニュース」がクローズアップされ、「中国=パクリ」といった認知が広がる。

食品偽装は実はアフリカとか中国以外の新興国も相当やばいのだけど、何かにつけ中国に意識が行ったのは、地理的な近さだけでなく、実経済の重なりが増したことがあるだろう。中国の工業製品に日常的に触れるようになり、つまり「実際の中国」が視界に入り、その実態が無視できなくなったのだ。

そんなヤバい中国なのに、各種統計は中国の未来が経済大国化に向かうと示唆していて、数字はそうかもだけれどピンとこない。だから「中国崩壊論」を掲げて、統計と自分の感情との矛盾に折り合いをつけようとした。

中国スゲー!の時代 ←イマココ

やがて中国は実際にGDPで日本を追い越し、テクノロジーでも最先端に伍し始める。宇宙開発や原子力開発、遺伝子編集などの科学分野では目覚ましい進歩を遂げ、西欧民主主義国とは異なる社会体制や層の厚い帰国子女層も相まって、今後の成果に目が離せない。

「中国=パクリ」の裏返しもあり、「中国スゲー!」論が流行るわけである。

ただ私は、ここに日本人の余裕を見る。「中国スゲー!」論で日本と対比するとき、そこには「これまでは日本がすごかったのに」という枕詞が省略される。あるいは、「中国に追い抜かれる場面がでてきたけど、本来の日本はすごかったんだぜ(本来の日本はすごいんだからあの頃に戻ろうぜ)」的な、日本の失調を戒めるかのような文脈に感じることもある。あくまで感覚なんだけど。

しかしこれからはどうだろう。中国と日本の国のカタチがさらに変わっていったとき、日本人はなお「中国スゲー!」と言い続けていられるか。

「カンフーとか仙人とか(実情に無関心)」「中国といえばパクリ(嘲笑)」「中国スゲー!(自戒)」と対中報道・対中意識が遷り変ってきたならば、仮説のとおり、新たな言説の登場を考えるのが自然だ。


次のブームは「中国コンプレックス」、そしてその次は…

中国の未来はどうなるだろう。長期的には、いびつな人口ピラミッドや政治体制の変化により「中国崩壊論」の予想の如く失速する未来もあり得るだろう。

しかし少なくとも今後10年程度で考えるなら、おそらく中国はさらに先進国化がすすみ、その長所が嫌でも目立つようになる。もちろん、すべての面において他国を凌駕することはあり得ないが、文化・経済レベルの底上げと、得意領域の先鋭化により、「一部領域における」日本の敗北は決定的なものとなる。

すると対中意識として予想されるのは「中国に対するコンプレックス」だ。「中国スゲー!」はまだ余裕があるから言えたけど、本当に凌駕されたときにも無邪気に「スゲー!」と言っていられるか。

ここで参考になるのは、現在も一部の人が抱く欧米社会へのコンプレックスだ。そこでは大きく次のような言説が流行しているようにみえる。

  • (1)いわゆる出羽守による「〇〇国では~」論
  • (2)〇〇国なんて実は大したことないよ論

中国に対しても同じように、「中国では~」と中国が手本のように語られ、これに対して「中国なんて大したことない」という反論がなされることになる。

「中国では~」は現在の「中国スゲー」の深化版とも言え、コンプレックス拗らせちゃってもう本当に「中国様こそ成功の姿」と中国崇拝に傾き、中国リスペクトが前面に出て、手放しに日本を批判し、日本も中国のようになるべきと語る。これに対する反論派は、とにかく中国のネガティブな面をあげつらい、ともすれば日本のチャンピオンデータと比較して、幻想の勝利に留飲を下げる。

いずれにせよ、冷静とは程遠い分析が横行することになる。

1955年と1985年の対日感情

ある国に対する感情、という意味では、外国が日本をどう見たかも参考になるかもしれない。

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーpart3』では「日本製」が話題に上る。落雷により破損したタイムマシン・デロリアンの制御チップが日本製であることを発見し、1955年に生きる科学者ドクはバカにした様子でこう言うのだ。

「No wonder this circuit failed, It says “made in Japan”」
(どうりで壊れるわけだ、”日本製”とある)

ところが、1985年の未来からタイムスリップしてきたマーティはこう答える。

「What do you mean, Doc? All the best stuff is made in Japan」
(どういう意味? 良いものはみんな日本製だよ)」

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「安かろう悪かろう」な戦後日本製品に対するドクの見方は、一昔前の、あるいは現在の我々が”Made in China”をみる感情に符合する。その一方で、日本が経済的復興を遂げた1985年においては、日米貿易摩擦が最高潮に達し、米国では日本製品に対する信頼が高まる一方、ボイコットや破壊キャンペーンも起きていた。

日米の場合は経済や雇用へのダメージも背景にあったが、日本も将来の中国に対して、同じように複雑な感情を抱く可能性は十分にある。

では、そのさらに先はどうなるだろう。

1985年と2004年の仮想敵

マーティがトヨタの4WDに憧れた1985年、米国産業競争力委員会は競争力の低下した米国産業界の復興策を提言する。この政策提言書は、委員長を務めたHP社長J.A.Youngにちなんで「ヤングレポート」と呼ばれる。

ヤングレポートは序文で「この国に今日必要なもの」としてトヨタやソニーのウォークマンを名指しし、レポートを受けたレーガン政権は特許制度強化等の施策をうち、米国経済を回復させた。

時代は下り、ヤングレポートと対比してみられるのが米国競争力評議会による2004年の提言書「パルミサーノレポート」である。名前は委員長だったIBM社CEOのSamuel J. Palmisanoにちなむ。

パルミサーノレポートでは特許重視からイノベーション重視への変革が謳われてたりするのだが、その仮想敵は、失われた20年(当時はまだ「10年」と言われていたが)に苦しむ日本ではもはやなく、中国をはじめとする新興勢力に置き換わる。

やがて「パッシング・チャイナ」の時代へ

日本の中国に対する視線もまた、同じような変化をするかもしれない。

すでに述べた通り、中国の躍進はいよいよ本格化するように見える。が、高齢社会化や貧富差といった問題はあり、いつまで続くかはわからない。

「崩壊」するとは考えないが、20年のスパンではインドや東南アジア、あるいはトルコを中心とする中東が伸びるとの予想もあり、世界は多極化の時代を迎え、中国は相対的には存在感を落とすだろう。

もちろん日本も少子高齢化でさらに悪くなってる可能性もあるのだけれど、ともかく、「対中コンプレックス」の流行もまた長続きせず、そのさらに次には「パッシング・チャイナ(中国素通り)」の時代になるかもしれない。


まとめ

以上まとめると、日本の対中感情というか、中国報道の流行は次のように変化する。

  • 実情に無関心の時代
  • 嘲笑の時代(中国パクリ/中国崩壊論)
  • 自戒の時代(中国スゲー!、深センスゲー!) ←イマココ
  • 対中コンプレックスの時代(中国出羽守/中国なんて大したことねー!)
  • パッシング・チャイナの時代(中国より〇〇国でしょ)

今回の記事は、もともとは「中国スゲー!が一時的流行なら、その次の流行を予想すればPV稼げるのでは」みたいな動機で考えてみた。でも出羽守みたいに追従するのも、無意味に中国を落とすのも嫌だなあ…。大衆迎合記事は商業媒体に任せて、このブログでは引き続き好きなことを書くこととする。趣味だし。

一番好ましいのは、中国どうこうではなく、日本もまた盛り上がって、80年代バブルのように、肩で風を切るような国になることだ。私はそのように願いたい。

ところで「パッシング・チャイナの時代」は、ちょうど鷲尾野ゆずりはが女子高生の2040年頃に相当しそう。今回の記事も背景設定に活かしたい。


追記:「中国スゲー」発信者マインドとイキりについての山谷氏指摘

現在の「中国スゲー」について、山谷氏が発信者のマインドを分析されていたので追記する。中国に関する発信のトレンドはどう生まれているのか、というこの記事の主題に関して、非常に参考になる指摘だ。ありがたや。

ところでこの一連のツイート、イキった発信をすることに対して、背中を押してもらえるような温かみあるよね。このこと(中国)に限らず、私もイキれる限りはイキりたいと思った。

 

  

 

  • 「中国スゲー」発信者マインドについての山谷氏の分析ツイートを追記しました(2018/4/4)

 

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