なぜ宇宙は生命の進化を許すのか

いなたくんへ

レゴブロックを洗濯機に入れたら複雑系が形成された、という実験がおもしろい。2014年の独イェーナ大学での実験で、レゴブロックをバラバラの状態で洗濯機に入れ、複数回の試行をしたところ、いくつもの組み合わせが生成されたという。


回る洗濯機を観測する研究者Ingo Althofer氏
Evolution of Compleces from LEGO Bricks in a Washing Machineより)



洗濯機が生成したレゴブロックの組み合わせたち.
想像以上に複雑な組み合わせができている.
Evolution of Compleces from LEGO Bricks in a Washing Machineより)

これは創造力をかき立てさせる実験だ。

たとえば太古の海でも同じことが起きていたのかもしれない。漂うアミノ酸が掻き回されていくなかで、何かの拍子で結合が起き、原初の生命が成立した。これはよく知られる仮説だけど、そんな偶然あるのかなと私は半信半疑でいた。でもこの実験結果を見ると、十分あり得るように思えてくる。

ところで私はしばらく「なぜ進化が許されるのか」という疑問に悩み続けていた。生命はなぜ進化しなければいけないのか。この宇宙でなぜ生命は進化するべくデザインされ、そして何より、そのようなデザインが許されたのか。

今回この実験から答えの糸口が見えた気がしたので、ここに整理したい。

Summary Note

疑問:なぜこの宇宙で進化は許されるのか

宇宙の無秩序性は、局所的エントロピーの減少を肯定する

生命の命題は進化でなく、宇宙の法則、そして進化からの解脱である


疑問:なぜこの宇宙で進化は許されるのか

シンギュラリティという仮説がある。これは正しいだろうか。

シンギュラリティとは、技術の進歩に伴い、未来のある時点で、世界が特異的な変化を遂げるという予想だ。たとえば人工知能が自己再生産能力を獲得し、人類の制御を超えて、人類の想像を超えて、加速度的自己進化を始める。あるいは、テクノロジーによりヒトがヒト自身を作り変え、現行のヒトの枠を脱してポストヒューマンに進化する。

ケヴィン・ケリー著『テクニウム』(2014)では、生命を「自己生成可能な情報システム」と定義する。そしてこの定義の下では、生命とは有機的物質に限られず、自己進化するテクノロジー「そのもの」すら包含される。

『テクニウム』によれば、「自己生成可能な情報システム」は「単一の複製する分子」から始まり、「RNA酵素」や「単細胞生物」を経て「霊長類」に至った。そして霊長類の生む「言葉」に発し、「筆記」「本」「偏在的・世界的コミュニケーション」といった形で、情報システムそのものとしてなお進化を続けている。

「自己生成可能な情報システム」という定義の下では、工学的に生み出された自律的な知能が人類の次世代を担う、というシンギュラリティの予想も肯定される。

こうした仮説は正しいだろうか。未来に実際にシンギュラリティは起き、その後の世界を人工知能や、あるいはポストヒューマンが支配することはあるのだろうか。

生命は進化を避けられない

私はシンギュラリティを肯定する。人工知能か、ポストヒューマンか、あるいは別のものかもしれないが、世界がヒトを超えた高度な「何か」の時代に遷る、という変化は避けられないと考える。

なぜならば、生命は進化をするべくデザインされているからだ。

進化を促すメカニズムは競争と淘汰である。生命はその発現以来、「単一の複製する分子」であった時代から継続して、競争を続けてきた。競争に勝つための手段は「変化」だ。生命は自己という閉鎖系そのものを自ら作り変えることで、変わりゆく環境に対応し、競い、生き残ってきた。その競争の過程で「自己生成する情報システム」としての密度を高め、より高次に、より強く、進化してきた。

これは国家のような集団でも同じである。例えばいま世界には、自由主義・民主主義を掲げる国と、社会主義を掲げる国と、その2つが併存する。正しいのはどちらだろう。

正しさは、イデオロギーの優劣によっては決まらない。市民・国民の幸せの多寡が決めるわけでももちろんない。正しさを決めるものはただひとつ、生存という結果である。集団と集団が競い、戦い、その果てに片方だけが生き残り、片方が淘汰されたなら、生き残った者の採用したシステムのみが正しい。

このようにして生命は、あるいは集団は、常に競い、生き残るために変化してきた。
変化は、あるいは進化は、生命に義務付けられたデザインであり、命題である。

未来においても生命は進化を続けなければならない。止まることは許されない。現状に満足し留まることはすなわち、淘汰圧の下に消え去ることを意味する。自らが好むと好まざるとに関わらず、環境は変化し、競争は起こり、生き残ったか否かという結果のみがあとに残る。

だからヒトは人工知能と競争し、あるいはヒト自身を作り変える。そしてその先には、ヒトよりも高次に進化した「自己生成可能な情報システム」が存在しているはずである。

なぜ生命は宇宙の法則に反することができるのか

でもちょっと待ってほしい。
これって宇宙の法則に照らしておかしくないか。

私たちは習ったはずだ。宇宙のエントロピーは常に増大し続けている。やがてこの宇宙が冷えて死ぬまで、無秩序性は拡大を続ける。

しかし「自己生成可能な情報システム」として進化を続ける生命は、進化のたびにその情報密度を高め、複雑さ増して、エントロピーを減少させ続けている。これは明らかに宇宙の法則に反している。

繰り返しになるが、生命は進化するべくデザインされている。すなわち、淘汰圧に耐えるべくエントロピーをより減少させるというメカニズムが組み込まれている。

この宇宙において、なぜこのようなメカニズムは許されるのか。なぜ生命は発現を許され、いまなお進化を許されているのか。

これが私の抱き続けた疑問である。

仮に「進化」が生命のもつ唯一の命題でないならば、シンギュラリティの必然性は否定され、ヒトがヒトの姿のまま変わらず在り続けることは許される。そのようなことはあるのだろうか。


宇宙の無秩序性は、局所的エントロピーの減少を肯定する

さて、ここで科学雑誌のNewtonの「ランダム」に関するつぶやきが興味深い。

Tweetの指摘の通り、私も「ランダム」と言えば左側の図、きちんと「疎」が表現された図を思い浮かべてしまう。でも本物のランダムは右らしい。

そしてここに答えがありそうだ。

エントロピーが増大するということは、すなわち完全な疎を意味しない。巨視的なカオスの中で、微視的にはエントロピーの大きい場所と、小さい場所とが同時に生まれる。

この局所的に生ずるエントロピーの減少こそが、洗濯機で生み出されるレゴブロックの構造であり、あるいは原初の海の生命なのだ。

エントロピーを増大させるという宇宙の法則は、局所的なエントロピーの減少を否定しない。したがって、宇宙は生命の発現と、生命の進化を肯定しうる。


生命の命題は進化でなく、進化からの解脱である

では、エントロピーの局所的減少から生じた生命がその進化を許されているとして、これはいつまで続くだろうか。

あくまでもマクロには、宇宙のエントロピーは増大を続ける。エントロピーの減少はその大きな流れの中の偶然に過ぎない。すると、生まれたはずの生命は、いずれはかき消されてしまうのか。

それはきっと正しいだろう。

たとえば我々地球に生まれた生命の歴史も、宇宙のそれから見れば冗談のような一瞬に過ぎず、やがて太陽の死に殉じて消え失せる。宇宙の過去と未来にも同じようにして、エントロピーの局所的減少により生まれ、やがて失われた生命がたくさんあったに違いない。

レゴブロックをかき混ぜる洗濯機が永遠に稼働を続けるとき、ある一群のブロックは一時には構造を獲得しても、さらなる回転で破壊され、再びカオスに戻るだろう。実験では「洗濯機を止めて観測する」というプロセスが介在したが、この宇宙は止まらない。

宇宙は局所的には生命の発現と進化を肯定するが、巨視的にはその存続を許さない。

生命は宇宙の法則を克服できるか

ここに、生命に課せられた本当の主題が見えてくる。それは宇宙の法則の克服である。

『テクニウム』では、物理学者ポール・デイヴィスの次の言葉を引用する。

「生命の神秘は化学的基礎の中にはない。(中略)生命が成功したのは化学的な規則を逃れたからなのだ」

物理学者ポール・デイヴィス

あるいは、生命のエントロピー減少は長期的には「物質世界から超越的非物質世界への脱出」へ向かうとする。

エントロピー増大という大きな流れの中で、これに抗う局所的偶然から発生した生命は、局所的には宇宙の法則に抗う存在だった。そして進化は、生命を物質世界から脱出すべく促している。

やがてエントロピー増大の波に呑まれる前に、その流れに抗い、ついにはマクロ的なエントロピー増大の法則からも逃れること。それこそが生命に課せられた命題だろう。

生命の命題は、進化ではない。
進化は生命の手段に過ぎない。

生命の命題は、宇宙の法則からの解脱である。

シンギュラリティの定義を見直す

以上の観点から考えれば、ヒトを超える存在の出現を預言するテクニカル・シンギュラリティは、ヒトにとってこそ特異的だが、あくまで人間原理的な見方でしかない。

たとえば単細胞生物にしてみれば、多細胞生物の出現はシンギュラリティと言えただろう。あるいは動物の世界において、「心の理論」を持つヒトの出現はシンギュラリティだったに違いない。

同じようにして、人工知能やポストヒューマンの出現は確かに、人間にとってシンギュラリティに他ならない。が、生命の系譜、「自己進化する情報システム」の過去と未来の歴史に鑑みれば、それは些末な問題に過ぎない。

この宇宙という視点に立つとき、特異点は宇宙の法則の克服にあり、これこそ生命が目指すシンギュラリティであり、生命は、シンギュラリティに至ることを命題として進化を続ける。

そしてシンギュラリティに至ったときはじめて、生命は、進化という呪いからも解脱できる。

 

  

 

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