『メトロポリス』から89年、マリアはまだ現れない

いなたくんへ

米国の都市メンフィスでは、ビッグデータ解析により犯罪の起こりやすい時間と場所を特定し、警官を重点配置することで、犯罪発生率を1/4に抑えたという。これは一種の未来予測で、同様の例ではAmazonが、ユーザが商品を購入する前に出荷する「予測出荷」を検討している。

未来犯罪の予知で引き合いに出されるのがSF映画『マイノリティ・リポート』(2002)だ。本作では、未来予知により「犯人」が犯罪を起こす前に制圧される。未来予測技術が進めば、こうした社会は技術的には実現できるようになりそうだ。そのとき何が問題になるのか。これについては以前述べた。

『ロボット兵士の戦争』(2010)の著者P・W・シンガーは、SF作品が重要なのはテクノロジーそのものというよりは、テクノロジーが社会に及ぼす影響をシミュレートしている点である、という趣旨のことを述べている。実際に多くのSF作品は、未来に出現する科学技術と、その社会的影響や起こりうる変化を提示してきた。

要するに、未来のことを考えるならSF作品は押さえたいよね、ということで、今年はSF作品を観ることにした(前フリ長くてごめん)。
どうせ観るなら過去の名作から順番に。最初に選んだのは「SF映画の原点にして頂点」と称されるサイレント映画『メトロポリス』だ。人間型ロボットを最初に映像化したことで有名で、このロボットは『スター・ウォーズ』のC3POのモデルにもなった。

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本作は1927年公開のドイツ映画で、Youtubeで観ることができる。米国映画だと著作権は公開から95年も続くので、気軽に観ることはできなかっただろう。ドイツにミッキーマウスがいなくてよかった。

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今回は『メトロポリス』を観た感想を書いていきます(ネタばれ含みます)。特に未来予測の話はないよ。

 

あらすじ:支配者(頭)と労働者(手)の対立を煽るロボット

まずはあらすじから。

本作の舞台はメトロポリスと呼ばれる、摩天楼そびえる巨大都市。統治者の息子フレーダーは、労働者階層のマリアと出会い、メトロポリスの地底で働かされる労働者社会を目の当たりにする。
フレーダーが地下に降りたことを知った父フレーダーソンは、旧知の科学者ロトワングが開発したロボットをマリアに擬態させ、地底の労働者社会に送り込む。統治者として労働者の団結を崩すとともに、息子を取り戻すためだ。
ところが科学者ロトワングは、過去のいきさつからフレーダーソンへの復讐を考え、マリアに扮するロボットにメトロポリスの破壊を命じる。ロボット・マリアに扇動された労働者たちはストライキを起こして機械を破壊、メトロポリスは水没するが‥

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立ち上がるロボット(左)と、マリアに擬態したロボット(右)

フリッツ監督はでっかいビルが撮りたかっただけ?

支配階級(フレーダーソン)に対する労働者階層の反乱という構図から、映画公開当時は共産主義的思想を警戒され、カットされたシーンもあったようだ。ただ、監督のフリッツ・ラングにそのような政治的意図があったかはわからない。

『メトロポリス』で地底社会の現実をみたフレーダーは、機械を労働者たちを喰う魔獣になぞらえ「モーロック!」と叫ぶ。モーロックと言えば、H.G.ウェルズの小説『タイムマシン』に登場する地底の食人族と同名だ。地上の楽園に暮らす知識階層と、地底の労働者たちという構図は、ウェルズの『タイムマシン』そのものである。

フリッツ監督は1924年にニューヨークを訪れ、そこで目にした摩天楼に驚き本作の製作を決めたという。実際に本作が描き出す巨大な未来都市の姿は圧巻だ。

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夜にはネオンが煌く巨大都市『メトロポリス』
空中回廊を渡る電車が未来的だが、あいだを飛ぶのはプロペラ機

もしかしたら監督は「でっかいビル撮りたい!」というのが最初にあって、「支配者と労働者の対立」は後付けという気がしないでもない。ウェルズの小説をモチーフに取ってつけた、というのは言いすぎだろうか。
もちろん、監督にそうした思想が全くなかったかと言えばそれもまたわからない。特に本作が公開された1927年のドイツは、第1次大戦でボロ負けしてハイパーインフレを経験し、復興にあえぐ大変な時期だった。監督がフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』で描かれるような絢爛な米国を見てどう思ったか、興味深いところである。

ところで、「支配階層に立ち向かう労働者の姿が共産主義的でケシカラン」という指摘は、本作を資本主義批判映画とみなしていることになる。けれども一部の「頭」に抑圧され、同じ労働服を着て機械を動かす無表情な人民の姿は、むしろ1927年以後に現出する社会主義国家を言い当てているように思えた。

「誰かが機械のそばにいなければ」

メトロポリスの地底世界は、基本的には蒸気とピストンの世界だ。そこにあるのは「機械」である。機械はメトロポリスを支えるが、人々を豊かにすると言うよりは、労働者を酷使する存在として描かれている。機械には常に人がついて制御しなければならず、目を離すとすぐ事故を起こしてしまう。

今でこそ機械は自動化され、我々を楽にしてくれている。しかし当時の機械はまだそこまで便利になってはおらず、あくまで道具の延長だったようだ。本作の労働者たちは機械によって働かされ、10時間シフトに消耗していた。本作がディストピアと呼ばれるゆえんだ。
ちょっとだけAmazonの倉庫が頭によぎったけど気にしない、気にしない。

 

『メトロポリス』から89年、マリアはまだ現れない

巨大都市の威容や数々の特殊撮影もさることながら、驚かされたのはテレビ電話だ。遠隔地の映像を映すテレビジョンは当時すでに開発されていたものの、実験放送がされるのは1929年で、それも一方方向のものだ。にもかかわらず、本作ではすでに電話と組み合わせて双方向に通信するというアイディアが映像表現されている。

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フレーダーソン(手前)に窮状を訴える現場監督(TV電話映像)
その様子は現代の監視カメラ映像さながら

そして本作で初めて映像化され、89年経った現在でもいまだ実現していないのが、『メトロポリス』のアイコンたるMachine-Man「ロボット」である。

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ところで狂気の科学者ロトワング博士が『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の
エメット・ブラウン博士(ドク)にそっくりなのは気のせいではないだろう。
ドク役のクリストファー・ロイドが役作りのモデルにしたのかも。

人間がロボットに騙される?

劇中でロトワング氏の作ったロボットは、主人公フレーダーの想い人マリアに擬態する。マリアはもともと地下の労働者たちに、いずれ労働者を救う「仲介者」が現れると予言していた。労働者たちはその予言をたのみに日々を堪えていたのだけれど、ロボット・マリアは「仲介者は来ない」とバッサリ。そして大げさな身振りと巧みな言葉で労働者たちを扇動し、地底世界とメトロポリスの破壊に成功する。

街に氾濫し破壊の限りを尽くす、怒れる労働者たち。「1人の雄弁な指導者を妄信する大衆」の構図は、後のドイツの歴史を知る我々としては笑い事には思えない。『我が闘争』の出版は映画公開の2年前、1925年である。

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「機械を動かしてきたのは誰?」「俺たちだ!!」

本作はマリア役の女優ブリギッテ・ヘルムの演技も実に魅力的。彼女は労働者に予言を与える純真なマリアと、労働者を扇動する性悪なロボット・マリア、そして擬態前のロボットの3つの役を演じ分けていて、その豹変ぶりがすごい。

現代の技術でロボット・マリアは作れるのか

ロボット・マリアのような、人を扇動できるほど精巧なロボットはまだ創られていない。
ハード的には、ボストン・ダイナミクス社(Google酸化)の4足歩行ロボットSpotが軽快な走りを見せてくれているけど、二足歩行や人間型のロボットはまだこれからだ。外見的にも不気味の谷を超えるものは現れていない。

ソフト的には、女子高生AI・りんなちゃんなどは、チューリング・テストをクリアしてるとしか思えない自然なコミュニケーションが行える。人間との知恵比べでは、チェス、将棋に続いてついに囲碁でも人工知能が白星をあげることになりそうだ。

しかしながら、高精度なパターン認識ができ、それが人間を超えるものであったとしても、「知性」はまた別モノだろう。ミチオ・カク著『フューチャー・オブ・マインド』(2015)では、「意識」の発達を3つのレベルにわけ、現在の人工知能やロボットはまだ昆虫のレベルに過ぎないと述べている。

89年という月日を経ても、かつて想像されたテクノロジーはまだ開発の途上にある。

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「心」と「心を持たないもの」の対立構造

古今東西の神話から基本プロットを抽出したジョセフ・キャンベル著『千の顔を持つ英雄』は1949年の出版だが、それ以前に撮られた本作『メトロポリス』も英雄神話の構成をとっている。

支配者の息子である主人公は楽園に暮らすが、マリアの導きにより地底の労働者社会を覗くことになる。マリアは英雄神話の「賢者」あたり、地底世界は「死者の国」だ。英雄神話では、主人公は「死者の国」に赴き、「もっとも危険な場所」での戦いを経て帰還し、世界に何らかの果実をもたらすことで英雄となる。『メトロポリス』では、主人公フレーダーはマリアとともにメトロポリス崩壊の危機を乗り越え、支配者(頭)と労働者(手)の両方を繋ぐ仲介者「心」となって世界を変える。

『メトロポリス』では次のキャプションが繰り返し提示される。

The mediator between head and hands must be the heart.

(頭と手の仲介者は心でなくてはならない)

それでは、この映画におけるロボットの役割とは何だろう。
『メトロポリス』のロボットは心を持たない。大衆を扇動するなど高度な能力を持つものの、あくまで開発者ロトワング博士の命令を遂行するに過ぎず、自らの意思を持っていない。ロボット・マリアは「心を持たないもの」の象徴として頭と手とを引き裂こうとし、「心」がいない場合に何が起こるかを体現した。ロボット・マリアの存在は、頭と手の両者を理解し仲介した主人公と対称を成している。

主人公と対称となるキャラクターを配置する、というのは、物語では通常行われる作業だ。本作がおもしろいのは、主人公の役割を「心」と設定して、その対称に「心を持たないもの」を配置するとともに、「心を持たないもの」を文字通り「機械の人」として映像化してしまったところにあるだろう。『メトロポリス』はロボットを初めて映像化したが、このときロボットの対となる主人公を「心」とすることで、ロボットを登場させる物語上の必然性も持たせているわけである。

なお、本作のロボットは心を持たない機械であるが、「機械が心をもったらどうなるのか?」というテーマは以降のSF作品を待たねばならない。
『メトロポリス』の舞台設定は2026年とされている。現在のロボットや人工知能の進化の速さを考えると、2026年までには、ロボット・マリアのような人と見紛う機械の登場も十分にありえそうである。そして心を持つロボットもまた、2026年以降に現れるのかもしれない。

 

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