リズ・サンダース「Co-Design」の仮説から2044年の知財制度を予想する

いなたくんへ

オープン・イノベーションが叫ばれて久しい。巷では「特許で独占ダサいよね」「著作権は自由な創作を邪魔する」といった知財制度不要論がまことしやかに囁かれている。実際にGoogleやTwitterといったシリコンバレー系のテック企業が特許の解放を宣言したり、クリエイティブ・コモンズのような積極的権利放棄の枠組みも普及している。このあたりは拙いながら昔いくつか記事を書いた。

このまま「権利による独占」の時代は終焉に向かうだろうか。しかしながら、例えば経済学者フリッツ・マッハループは、知財制度に反対しつつも「制度ができちゃった以上やめられないよね」と述べている。

「もし特許制度が存在しないなら、経済への影響を知っているいまとなっては、制度の創設を進言するのは無責任なことだろう。だがすでに長年に渡って特許制度が存在する以上、現状を知っていながら制度の廃止を進言するのも、また無責任なことになる」

『インビジブル・エッジ』よりフリッツ・マッハループの言葉

ところで知財制度は経済政策・社会政策であるから、あくまで世の中の動きに従うものでなくてはならない。特に変化が大きいのはテクノロジーの進化であり、オープン・イノベーションもこの変化が背景にある。

その世の中はどう変わっていくのか。ここで、リズ・サンダースの「Co-Design」あるいは「当事者デザイン」の話がおもしろかったので紹介したい。

デザインに関しては、ここしばらくでは「人間中心設計」や「UX」「デザイン思考」といった言葉が流行っている。リズ・サンダースにると、この流れは「Co-Design」に遷っていく。その遷移は昨今の知財のオープン化にも呼応していて興味深く、氏の予想する2044年のクリエイティブ環境から翻って、未来の知財制度を考えてみた。

Summary Note

「Co-Design」「当事者デザイン」て何よ?

デザイン手法が知財制度にどう関係するの?

2014年「with People」の時代に何が起きているのか?

2044年「by People」時代のインセンティブ:物質欲求偏

2044年「by People」時代のインセンティブ:精神欲求偏

2044年「by People」時代の知財制度と、「技術の時代」


「Co-Design」「当事者デザイン」て何よ?

オハイオ州立大学デザイン学部のリズ・サンダース準教授は「Co-Design」の第一人者として知られる。「Co-Design」はデザイン手法の1つであり、当事者を巻き込み価値を共創するものである。

デザイン手法には歴史がある。例えば現在ではすっかり定着した「人間中心設計」「デザイン思考」といった手法も、それまでのシーズ志向のデザイン・アプローチからユーザ視点に立つという転換として80年代以降に「発明」されたものだった。

Co-Designはこれに続く方法論で、リズ・サンダースは次の記事で1984年、2014年、2044年と3つの時間軸を置き、それぞれの時代にあるべきデザイン・アプローチを挙げている。


FROM DESIGNING TO CO-DESIGNING TO COLLECTIVE DREAMING: THREE SLICES IN TIMEより

1984年からの「Design for People」がいわゆる人間中心設計などの時代であるが、これが2014年の「with People」、2044年の「by People」へと遷っていく。これが氏のいう「Co-Design」の時代である。

  • 1984:Design for People
  • 2014:Design with People
  • 2044:Design by People

専修大学・上平教授の整理がさらにわかりやすい!

同様の趣旨で、はこだて未来大学は2016年に「当事者デザイン」という言葉を挙げた。専修大学の上平教授は次の図のように整理していて、これが素晴らしくわかりやすい。


『当事者デザインをめぐる枠組みについて』より抜粋引用

なお、リズ・サンダースは「by People」としたが、上平教授の整理では「By Ourselves(当事者によるデザイン)」となっている。

「Co-Design」「当事者デザイン」はともに共通するアプローチを指していて、東海大学の富田准教授は「Design it Ourselves」という言葉を当てたりもしている。


デザイン手法が知財制度にどう関係するの?

さて「Co-Design」あるいは「当事者デザイン」が知財制度とどう関係するのか。そもそもデザイン手法の違いは知財制度に関係あるのか。

これを整理するために、まず知財制度の歴史をふり返ってみる。キーワードは「インセンティブ」だ。ここで「デザイン手法」は「創作手法」にまで言葉を拡げて扱う。古来、創作者は何かしらのインセンティブと引き換えに創作を行ってきた。

中世の「王の時代」

ダ・ヴィンチやミケランジェロなど、歴史的な芸術家の多くは、王や貴族といったパトロンを得て創作をしていた。支配者階層にとって芸術作品とは自らの権威を周知せしめる道具でもあり、その目的で芸術家は雇われてていたのである。

近代の「経済の時代」

やがて社会(国家)が国民のものになると、クリエイターは社会のために働いた。作家や、技術起業家や、企業の研究者たちは、特定の王侯貴族でなく、世の中を進歩させるために発明し、豊かにする芸術作品を生みだした。

国家としては、産業や文化の発展は競争力確保のために欠かせない。そこで、発明や創作をした者に一定の独占権を与える「知財制度」が確立された。発明者や創作者は成果を一定期間独占できるので、創作にかかる投資をきちんと回収でき、創作意欲も向上し、もって社会が発展する。

近代特許制度は17世紀のイギリスで生まれ、国民国家・産業社会の普及とともに世界へと広がった。

現代から未来へ

アウトサイダー・アートのように「自分の欲求」のみのために創作を行う例も無いではないが、クリエイターの主食は霞ではないので、生活の保障が必要である。これを中世には王侯貴族が、近現代においては知財制度が担保してきた。

さて、「Design “for” People」の1984年もまた上述の「経済の時代」に位置付けられる。ところが2044年の「Design “by” Poepole」の時代まで進むとちょっと話は変わってくる。「”for” People」までのインセンティブは「金銭(をもたらすための独占)」で良かったけれど、「”by” Poeple」の時代になると、同じインセンティブでは機能しないかもしれない。

そのほころびが現れ始めているのが、現代の「”with” People」の時代である。


2014年「with People」の時代に何が起きているのか?

リズ・サンダースは前掲の記事で、1984年の「for People」から2014年の「with People」への遷移の背景として、次の変化を挙げている。

  • スマートフォンやソーシャルメディアなどのコネクティビティの拡大
  • クラウドなどのデジタル手段による、従来型情報転送手段の根絶
  • グローバル危機に対して「生存可能環境を創造すること」の社会的認知
  • 先端技術の、アジアを含む世界からの出現

これは私の解釈だけど、世界が多様化・複雑化することで様々なデザインの在り方が必要とされ、許容されるようになった。そのような世界では「創作者が(一方的に)ユーザのことを想像する」から「当事者たるユーザとともに」創造を行い、多様性・複雑性に応えねばならない。オープン・イノベーションはこの文脈で叫ばれている。

「権利による独占」はなぜダサいのか

あらためて上平教授の整理をみると、1984年の「for People」の時代(上平教授の図では「for User」の時代)には、創作物は「ビジネスとして確立」しやすく、また「スケールしやす」かった。これは知財制度と相性が良い。新しいものを独占して囲い込み、権利紛争は企業間で戦われる。

ところが「with Poeple」の時代になると、「Partnership」のキーワードで示される通り、パートナー企業やユーザを巻き込んでの生態系づくりが重要になる。このとき誰かが権利を独占してたら邪魔だし、大量生産から少量多品種に変わると権利者側も投資回収の手続きコストがかさんでしまう。

だから知財制度は「邪悪」だし、前時代的「for Peple」の文脈で動かれると「ダサい」のだ。


『当事者デザインをめぐる枠組みについて』より引用再掲

もちろん、企業は営利組織であるから「お金」は受け取らねばならない。が、ビジネスモデルを工夫しての収益化など、その手段は「権利による独占」に拠らずとも可能である。

人はなぜ創作をするのか

すでに述べた通り、デザイン・アプローチが変化し、当事者が巻き込まれるに至って、「権利による独占」はインセンティブとしてナウくない。では、これがさらに進んで「当事者自身により」創作がなされる2044年の「by Pepole」の時代、人は何のために創作をするのだろう。

創作をしたいということは、そこに欲求があるはずだ。欲求といえばマズローなので、ここではマズローを軸に考えてみる。マズロー便利。わあいマズロー、なるよマズロー大好き。


人間の欲求を5段階で定義したマズローのピラミッド.
下層が満たされるとより高層の欲求へ向かう.

現代におけるクリエイターは、企業に勤めたり、事業として活動するのがほとんどだろう。この場合、知財制度は独占権付与を通して事業を保護し、金銭報酬(賃金)が担保され、クリエイターの生活(安全の欲求・生理的欲求)が守られる。これをボトムとして、さらに社会的名声が得られたり、自己実現欲求も満たされる。

一方、2044年の「当事者による創作」の時代になると、人は必ずしも業務や事業としては創作を行わない。そのような場合に、創作者の欲求はどう担保されるだろう。そのとき知財制度には何ができるだろう。

未来においてもなお知財制度が存続するなら、それは創作のインセンティブを支えるものでなくてはならない。


2044年「by People」時代のインセンティブ:物質欲求偏

まずはピラミッドの下位2層、「安全の欲求」「生理的欲求」を考えてみる。これらは「物質的欲求」とも呼ばれ、これらが満たされねばお話にならない。

上田教授の整理によれば、「当事者によるデザイン」時代の人々の役割は「創造する生活者」であり、生活者が創造を行う。創造を行う生活者の生活はどう担保されるか。

創造そのものが生活を担保する(生活のための創造をする)

1つは、創造による成果物そのものが「生活に必要なもの」という可能性だ。例えば、日用品に必要な部品データを集めて自分なりにカスタマイズし、3Dプリンタで出力してそのまま使う、といったイメージである。

つまり、創造すること、デザインすることが、生活の一部になる。

このとき必要になるのは、生活者の創造が「阻害されないこと」である。知財制度としては、生活当事者が関わる創造に対しては権利行使を及ばせない、といった解決があり得る。

お金が生活を担保する(お金のために創造をする)

もう1つは金銭だ。金銭のためにする創造もあってもよい。

ただし上田教授の整理にもある通り、生活者の個別化された創造は「スケールしにく」く、マスに売れるものではない。消費者はあくまでニッチだろう。こうした「ミクロな創造」と「ニッチな需要」の接続を可能にしたのが21世紀のネットワーク技術であり、オープンサイエンス革命と呼ばれる。

「ニッチのためのミクロな創造」は、独占による利益化を目指すには脆弱であり、手続きコストを鑑みても合理的でない。マッチングや金銭報酬授受はあくまでプラットフォームやエコシステムに担保され、知財制度は個別の創造よりもむしろエコシステム全体の保護に主眼が置かれるかもしれない。例えば、悪質ユーザに対する懲罰的財産没収をプラットフォーマ―に認める、といった法的根拠の整備である。

また、小さな創造があちこちで生まれるならば、車輪の再発明を防ぐべく、集合知から適切に先行例を教えることも知財制度の役割だ。

なお現在と同様に、企業が主体の創造(そこに勤務する従業員が賃金のために行う職務発明・職務著作)も残るだろう。特に大規模予算が必要な先端研究では、やはり投資回収機会の担保は必要だ。この場合は従来型の「権利による独占」で保護される。

ちなみに資本主義終焉論

ところでちょっと飛躍するけど、人工知能やロボティクスといった先端テクノロジーが進歩した場合に、人間の労働は今ほどは必要なくなるという仮説がある。

この議論では、ベーシック・インカムのような形で社会保障を図ることも検討される。ただしベーシック・インカムが導入されても、いまもある不払い労働(家事や地域の仕事)はなくならないし、働きたい人は働き続けることができるとされる。

このような社会では、マズローの「物質的欲求」は、「生活のための創造」による補完と併せて一定程度保障され、満たされる。すると、創造の欲求はさらに高次の段階へ向かうだろう。


2044年「by People」時代のインセンティブ:精神欲求偏

欲求ピラミッドの上層は「社会的欲求」「尊厳・承認の欲求」「自己実現の欲求」で、併せて「精神的欲求」と呼ばれる。「創造する当事者」はこれらをどう満たすのか。

承認が精神的欲求を満たす(「いいね!」のために創造する)

上層3層のうち「社会的欲求」「尊厳・承認の欲求」は、現在は「評価経済」と呼ばれる仕組みで担保される。いわゆる「いいね!」。

営利組織である企業は「いいね!」だけでは生きてけないけど、すでに物理的欲求の満たされた当事者ならば「いいね!」だけでも満足しうる。この満足をきちんと担保することが、社会全体の創造の活性につながる。

このとき重要なのは、「いいね!」がきちんと当事者にフィードバックされることだろう。せっかく創造をしても第三者が「オレが考えた」とか言い出して、それがバズりでもした日にゃチョベリバである。これは金銭ではなく名誉の話だ。

そこで知財制度は、当事者が評価される仕組みを推進し、僭称行為に厳罰を課すことができる。人格的利益の保護は現行制度にもあるが、これがより強化される形だ。

創造行為そのものが精神的欲求を満たす(自分のために創造をする)

ピラミッドのてっぺん「自己実現の欲求」はもうアウトサイダー・アート的なものであって、他者からのインセンティブによらない内発的なものである。これって社会制度でどうこうできるものなのかな。

ただし、自分のためにする創造であっても、企業やパートナーと協力して制作する可能性はあるだろう。そのような創造行為も阻害されない(権利行使されない)ことは必要だ。


2044年「by People」時代の知財制度と「技術の時代」

以上をまとめると、2044年の「Design by People」の時代、知財制度は次のように変化しそうだ。

  • 生活者が自身のために行う創造は、権利行使から守られる(変化1)
  • 当事者の創造そのものでなく、創造をニーズとマッチングする「エコシステム」の保護が重視される(変化2)
  • 車輪の再発明を防ぐべく、適切に先行例を示す制度が重要になる(変化3)
  • 創造者を評価する仕組みが推進され、僭称行為が厳罰化される(変化4)

ところで、中世を「王の時代」、近現代を「経済の時代」と整理したけど、坂本賢三著『先端技術のゆくえ』(1987)では、これに続く未来を「技術の時代」と予想する。

現代の「経済の時代」では、「技術を競争力の源とした企業」が活動主体である。これが「技術の時代」になると、活動の主体は「創造性を源とした技術者」に遷る。

これは、クリエイターを抱える企業が一方的に価値提供を行う「Design “for” People」の時代(1984年)から、ユーザ当事者がクリエイターとなって自ら創造性を発揮する「Design “by” People」の時代(2044年)への遷移に符合する。

「技術の時代」がいかなる時代になるのか。これは長年の関心毎だったのだけど、リズ・サンダースの「Co-Design」の仮説、そして上平教授の整理を知って、未来像の補強が進んだ。

そして知財制度は、この変化を加速するものであると願う。

 

  

 

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