第2の科学革命「アッチェレランド」とヒトの白痴化(『2050年の技術』まとめ3/3)

いなたくんへ

テクノロジーの未来についてあれこれ予想を集めている本ブログであるが、2040-50年くらいの技術を俯瞰すべく、英エコノミスト誌による技術視点の未来予測『2050年の技術』(2017)を読んでみた。

バイオ技術の波及やエネルギー技術、戦争技術の進歩、あるいは人工知能とデータが変える教育、法律、労働などの社会構造について、前回までに本書の予想を整理した。

2050年のビジョンは前回までの通りであるが、本書はそれだけでなく、未来予測の前提となるマクロな変化や、時代認識についても述べている。例えば予測のためにSFを利用する手法や、ムーアの法則の考え方、そしていま現在において人間に起ころうとしている変化である。いずれも参考になるものだったので、最後に紹介していきたい。

Summary Note

1.アナロジーは「過去」「現在」「SF」

2.ムーアの法則終焉の意味は「規則性」の崩壊

3.スマート・テクノロジーの脅威は知性ではなくヒトの白痴化

4.第2の科学革命と「アッチェレランド」


1.アナロジーは「過去」「現在」「SF」

まずは未来予測の手法について。オーソドックスではあるが、第1章では「過去」「現在」「SF」の3つを挙げていた。

例えば宇宙開発の未来は、20世紀初頭の航空産業が参考になる。バイオ技術により「ポスト人類」が登場する未来像はSFの定番テーマだ。

「現在」は、特定集団や国だけで現在起きている限界的事例(エッジケース)を指す。SF作家ウィリアム・ギブソンが「未来はすでにここにある。均等に行きわたっていないだけだ」と述べたアレだ。本書では日本のガラケーを挙げていた。

欧米の技術系カンファレンスで日本人が懐から携帯端末を取り出すと、それは時空の切れ目から落ちてきた貴重な未来のかけらのように丁重に扱われた。

『2050年の技術-英エコノミストは予測する』より

この3つの視点は常に参考にしていきたい。


2.ムーアの法則終焉の意味は「規則性」の崩壊

技術進歩速度の尺度として定番な「ムーアの法則」終焉にも触れている。1971年から2016年までに22サイクル続いたこの法則は、いよいよ物理限界を迎えると言われる。

本書で注目だったのは、ムーアの法則終焉の理由を物理限界以外に置いていた点だ。それは、小型化による高速化・省電力化により製造コストが下がる「デナード則」の終焉である。近年は小型化しても製造コストを下げられず、「物理的限界に達する前に、企業の経営判断によってムーアの法則に終止符が打たれる」とする。

また、この問題を「規則性」の終焉とする点も興味深い。本書はムーアの法則の素晴らしさを「コンピュータにまつわるすべての性能を2年に1度というメトロノームのような規則正しさで底上げしてきた」ことだと指摘。3次元チップや量子コンピュータなどのポスト半導体技術を挙げつつ、ムーアの法則ほどに正確な「規則性」が得られないなら、今後の進歩は小規模になるとする。

私は「ムーアの法則」終焉説には懐疑論者だった。もちろん半導体に関しては正しかろうが、「1000ドルで可能な1秒あたりの計算回数」という指標でみれば、これは1900年から続く法則だからだ(カーツワイルの法則)。半導体の集積度が物理限界を迎えようとも、代替技術がこの法則を継続させる。

しかし本書の通り、仮に技術進歩が続くとしても、予見性が得られるほど安定せずムーアの法則下ほどは投資が活性しない、といった影響には一考の余地がありそうだ。


3.スマート・テクノロジーの脅威は知性ではなくヒトの白痴化

第13章「人工知能ができないこと」を担当するオクスフォード大学ルチアーノ・フロリディ教授は、次の寓話を挙げている。

AとHという2人の人物を想定しよう。2人は結婚し、なんとかうまく関係を続けていきたいと願っている。

Aは次第に家事のほとんどを担うようになるが、融通がきかず頑固で、些細なミスを許さない。しかも、その性格が変わることは期待できない。

一方のHは正反対の性格だが、次第に怠惰になり、Aに依存するようになっていく。

その結果、2人の関係はバランスを欠いたものになる。Aが関係を支配して、意図的ではないにしても、結果的にHの行動を歪めていく。

『2050年の技術』より

教授曰く「AIとスマート・テクノロジーがAであり、Hは明らかに人間のユーザーである。」

テクニカル・シンギュラリティなど人工知能の発達が取りざたされる昨今だが、教授によれば、マシンの意識や知性といった問題は重要ではなない。本当に重要なのは、「それがわれわれの自己認識や世界に対する認識、さらには他者や世界との相互作用のあり方に大きな影響を及ぼしているという事実」だとする。

「重要な人間的活動」の時間が奪われている

有史以来人間の脳構造が変化し続けてきたこと、そしていまインターネットがいかに我々の脳を変えつつあるのか、を論じた(邦題は微妙な)ベストセラー『ネット・バカ』(2010)では、知性外部化の副作用としての白痴化が述べられている。

あるいはそれは個人だけでなく、集団でも起ころうとしている。

本書『2050年の技術』も同様の指摘をしていて、「たいていのコンピュータはたしかに人間に時間という贈り物を与えてくれる」が、「同時に、創造や深い思考といったきわめて重要な人間的活動の時間を奪っている」。

Twitterのことだよ!

教授によれば、デジタル・テクノロジーとは「SF的な超知性の産物ではなく、トースター程度の賢さしか持たないにもかかわらず、さまざまな作業を人間以上にこなすことのできるありふれた製品」に過ぎない。

いま我々に必要なのは、これらデジタル・テクノロジーの知性におびえることではなく、我々人類が退化しつつある事実に向き合うことだ。「貴重な情報のフリをした事実、虚偽の事実、噂などの奔流」に振り回されることなく、いかにして「創意工夫、判断、意思決定といった最も重要な人間的活動のための時間と空間を確保」するのか。

うーん、ハードル高いなー(Twitterみながら)。


4.第2の科学革命と「アッチェレランド」

現在テクノロジーが起こしつつある変革について、本書は17世紀科学革命との相似を指摘する。

科学革命では次のようなことが起きた。

  • 顕微鏡や望遠鏡をはじめとする新たなツールやテクノロジーが、新たな科学的あるいは数学的方法論と結びついた
  • ガリレオは、すべての自然現象は数学という言語で表現できるという考えを示した
  • 自然哲学者は物理学から生物学まで多くの分野で、自分たちがどれほど無知であるかを自覚し、それによって豊かな発見と発明の時代が到来した

一方現在においては、次のような変化が起きようとしている。

  • ビッグデータや機械学習といった新たなツールやテクノロジーが科学と結びつく
  • 世界のあらゆる活動が、データの収集・分析を通じて理解され、最適化され、表現される
  • われわれは世界で「なぜ」それが起きているのか、これまでほどはわからなくなる

こうした今まさに始まろうとしている科学革命について、本書はSF作家キム・スタンレー・ロビンソンとチャールズ・ストロスによる「アッチェレランド」の命名を採り上げている。これは音楽用語で「次第に速く」を意味する。

世界は因果関係の理解をあきらめる

テクノロジーは、世界で「何が」起きているかをこれまで以上に教えてくれる。その一方で、すでに挙げた通り、「なぜ」起きているかはこれまでほどにはわからなくなる。

「人生が不可解であること」の質的原因が、「情報不足によってわれわれの知識に限界があること」から、「情報は膨大にあっても、物事の因果はますますわかりにくくなる」ことへ変わっていく、というのが本書の予想だ。

本書によれば、「2050年の意思決定の大部分は、説明責任の重要な一要素である透明性を欠き、ブラックボックス化する」。そして「2050年までに世界は、効率性と引き換えに因果関係の理解をあきらめることに慣れていく」。

これもまた、科学革命の時代に社会が「目で観察できること(太陽が地球の周りをまわっているなど)では自然現象を説明できないという事実を受け入れたのと同じ」であると指摘する。

 

以上の通り、『2050年の技術 英エコノミストは予測する』から、2050年の未来像と、いま起きようとしている変化を整理してみた。この予想が当たるかは2050年を待たねばならぬが、技術起点の未来予想を一通り俯瞰することができた。

今回の予想は「2040年の17歳の1日を考える」の背景や、今後の未来予想にも活かしていきたい。

本書が描く未来像と社会の変化をまとめた前回記事はこちらから。

国際社会の未来も描いた前作『2050年の世界-英エコノミスト誌は予測する』(2012)のまとめ記事はこちらから。

 

  

 

Pocket