ガートナーのハイプサイクルを去年と比べて読んでみた(2020)

いなたくんへ

ガートナーが例年発表している「先進テクノロジのハイプサイクル」。2020年版では1700を超えるテクノロジから、注目すべき30の先進テクノロジと5つのテクノロジ・トレンドがまとめられた。


ガートナープレスリリースより

ガートナーによれば、先進テクノロジとは「本質的に破壊的なもの」であって、「今後5~10年にわたり、高度な競争優位性をもたらす可能性が高い一連のテクノロジ」であるとされる。

長期的な視野から選ばれると思われるけど、その顔触れは年ごとに大きく変わったりもする。昨年にも大きな刷新があったが、今年も今年で変化は大きく、提示された30の先進テクノロジのうち実に22が新規のテーマとなった。

ちなみに2019年版のまとめはこちら。

ということで、2020年版で新たに出現したもの、消えたものについて、2019年版と比較して読んでみた。

今回も新規テクノロジには私の独断と偏見に基づく説明を付けたが、きちんとした定義や詳細はちゃんと自分でググってね。

Summary Note

5つのテクノロジ・トレンドの変化

1.人のデジタル管理が大きく進展(デジタル・ミー)

2.リソースは分散し、統合される(コンポジット・アーキテクチャ)

3.AIの進化と社会実装はなお続く(フォーマティブ・AI)

4.顕在化する倫理とセキュリティの問題(アルゴリズムによる信頼)

5.期待の高まる次世代計算資源(シリコンの先へ)


5つのテクノロジ・トレンドの変化

ガートナーは30の先進テクノロジについて、5つのテクノロジ・トレンドという形でカテゴリ化している。

比較のために、まず先に2019年版のトレンドを見てみよう。昨年には次の5つが挙げられていた。

  • 高度なAI/アナリティクス
  • デジタル・エコシステム
  • オーグメンテッド・ヒューマン
  • センシングとモビリティ
  • ポストクラシカルなコンピューティングとコミュニケーション

これに対して、2020年版の5つのトレンドとは以下である。

  • デジタル・ミー
  • コンポジット・アーキテクチャ
  • フォーマティブ・AI
  • シリコンの先へ
  • アルゴリズムによる信頼

各トレンドの詳細は後述するが、全体を俯瞰すると、デジタルの世界に一気に深化した感が強い。背景には、2020年頭からの新型コロナウィルスによる世界的外出自粛の影響があるのだろう。

私は、テクノロジーとは人間に寄生した一種の生命だと信じている。宿主である人間社会の事件がテクノロジーの進化史にも影響を与えた、と想像すると、興味深く思える。

今回のトレンドの変化は、今年になって消えてしまった先進テクノロジを一覧するとわかりやすいかも。以下のアイテムは全て、2019年版に挙がっていたが、2020年版では消されたものだ。

  • バイオテクノロジ(培養組織/人工組織)(黎明期)
  • バイオチップ(過度な期待のピーク期)
  • イマーシブ・ワークスペース(黎明期)
  • ARクラウド(黎明期)
  • ナノスケール3Dプリンティング(黎明期)
  • 自律型航空機/空飛ぶ車(黎明期)
  • 軽貨物配送ドローン(黎明期)
  • 自律走行(レベル5)(過度な期待のピーク期)
  • 自律走行(レベル4)(幻滅期)
  • 3Dセンシングカメラ(幻滅期)
  • 低軌道衛星システム(過度な期待のピーク期)

消えたのはこれだけではないが、現実世界に関する話がほとんど一掃されたことがわかる。まあ、ガートナーのハイプサイクルは復活することもあるので、コロナ禍が収まり来年、再来年にはまた登場して欲しいけど…。

では、これらに替わって2020年版で現れた先進テクノロジには何があるのか。トレンドと併せてみていきたい。


1.人のデジタル管理が大きく進展(デジタル・ミー)

「デジタル・ミー」とは、テクノロジと人の統合、物理空間とデジタル空間の両面における人の表現、と説明される。コロナ禍により人と人、人と物など、人と環境とのコミュニケーションが遠隔的に行われ、このために、人自体のデジタル管理が大きく進むこととなった。

このトレンドには次の先進テクノロジが包含される。

ヘルス・パスポート:黎明期

ユーザの健康状態を可視化し、特定地域・特定施設等への移動を制限・許可するための手段。例えば中国アリババの「健康コード」や、日本の新型コロナウィルス接触確認アプリ「COCOA」等。

シチズン・ツイン:黎明期

市民をデジタル空間上のデータとして把握すること。「ヘルス・パスポート」とも関連し、市民の場所や状態を管理するためのテクノロジー。

人のデジタル・ツイン:黎明期

物理空間とデジタル空間の両面において人を表現できる、個人のモデル。

マルチエクスペリエンス:黎明期

デバイスやチャネル、場所に依存することなく提供される、一貫したシームレスな体験。

ソーシャル・ディスタンシング・テクノロジ:過度な期待のピーク期

リモートワークや遠隔教育、配送等、ソーシャル・ディスタンスを実現する一連のテクノロジ。

これらがコロナ禍で進展したテクノロジナノは言うまでもない。が、コロナ禍特有のテクノロジかと言えばそうでもなく、いずれ起こるはずのテクノロジの進化が、コロナ禍を契機に前倒しされたとみるべきだろう。

このうち「ヘルス・パスポート」や「ソーシャル・ディスタンシング・テクノロジ」は、初登場ではあるが2年未満で主流になるテクノロジであるとされ、ガートナー自身も異例であると述べている。

「シチズン・ツイン」「人のデジタル・ツイン」に関しては、2018年版の「デジタル・ツイン(過度な期待のピーク期)」や、これを包含する2019年版の「Digital Ops(黎明期)」の流れとなる。2020年版は人にフォーカスされた格好だが、これらは技術は監理社会とも一体的なものであり、社会がどう扱うかにも要注目だ。

少し毛色の違うテクノロジとして「双方向BMI」もこのトレンドに含まれていた。こちらはコロナ禍というよりは、イーロン・マスクのNeuralinkの影響が大きそう。「BMI」は2017年を最後に消されていたが、復活した格好だ。

双方向ブレイン・マシン・インタフェース (BMI):黎明期

脳と機械のインターフェイスのうち、脳の情報を解析することにより、双方向の通信を行う技術。


2.リソースは分散し、統合される(コンポジット・アーキテクチャ)

デジタル化の進展に伴い、システムの構成機能が仮想空間上にも、これと接続される物理空間上にも分散していくことで、システム全体としては複合的になっていく。

まずはサービスや計算機能の分散に関するテクノロジとして、以下のものが挙げられていた。

プライベート5G:黎明期

企業や自治体などの個別主体ごと、特定領域ごとに構築され、外部からはアクセス不可能な5Gネットワーク。日本ではソフトバンクが2022年に提供開始予定。

組み込み型人工知能 (AI):過度な期待のピーク期

クラウドやプラットフォームではなく、マイコンなどの端末に組み込まれ、ローカル環境のデータを処理する人工知能。

エッジにおける低コストのシングル・ボード・コンピュータ:黎明期

RaspberryPiやArrduino等に代表されるシングル・ボード・コンピュータのうち、低コストで提供され、エッジデバイスとして活用されるもの。

昨年挙がっていた「5G(過度な期待のピーク期)」は、今年は「ローカル5G(黎明期)」として、より局所的なサービスの応用可能性が注目される。また、昨年の「エッジAI(過度な期待のピーク期)」「エッジアナリティクス(過度な期待のピーク期)」の発展として、今年挙げられた「組み込み型人工知能(AI)」や、エッジでのシングル・ボード・コンピュータも、構成機能の分散化をもたらすものだ。

昨年挙がっていた「AI PaaS(過度な期待のピーク期)」が今年は消えているのも、こうした分散化の流れと同期したものだろう。

これに続いて、システム全体を統合する話として、以下の先進テクノロジが挙げられていた。

データ・ファブリック:過度な期待のピーク期

現場やクラウドに点在するデータを適切な場所に配置し、必要なデータをアプリケーションやサービスからいつでも取り出せるようにするアーキテクチャ。

コンポーザブル・エンタプライズ:過度な期待のピーク期

ガートナー曰く「柔軟なデータ・ファブリックに基づくビジネス・ケイパビリティ・パッケージによって、急速に変化するビジネス・ニーズに対応できるよう設計され」たもの。なるほど?

ビジネス・ケイパビリティ・パッケージ:黎明期

ビジネス上で必要とされるケイパビリティの提供パッケージ。直訳しかできんかったけど察して。

どれも意識高いコンサル臭が強いのと、基本的に造語なので来年以降は残ってないと思うけど、ひとつのトレンドとしては参考になる。

エンドユーザとしてはあまり意識しないとこだけど、テクノロジーの社会実装の形がこのように変化していて、その変化のために新たな可能性が拓けていく、というのは想像するとちょっと楽しい。


3.AIの進化と社会実装はなお続く(フォーマティブ・AI)

先ほどの「コンポジット・アーキテクチャ」はシステム全体の話だったが、その中でも重要な要素となるAIについても、今年も引き続きのトレンドとして挙げられている。第三次ブームAIは社会実装フェイズに入って久しいが、まだまだ進化は続き、破壊的な可能性を秘めている。

AI技術について、今年は新たに以下のものが先進テクノロジとして登場した。

自己教師あり学習:黎明期

Self-Supervised Learning(SSL)。データ自身から独自のラベルを自動生成することで、人間がアノテーションを行わずとも、教師データを自動的に用意することができる。人間による膨大なアノテーションコストを低減できる。

生成的AI:黎明期

写真や音声、文章などを生成するAI。GANやGPT-3などもここに含まれる。

コンポジットAI:黎明期

複数の異なるAI技術の組み合わせにより学習の効率性を高めたAI。ガートナーによれば、大規模データや複雑な分析を不要とすることが期待される。

なお、次の技術は昨年に引き続き今年も先進テクノロジに挙げられている。

  • 敵対的生成ネットワーク(黎明期→黎明期)
  • アダプティブな機械学習(黎明期→黎明期)

以上の先進テクノロジはいわば要素技術であるところ、以下のように、AIを設計・開発に活かす方法論も注目される。

AI拡張型設計:黎明期

機械学習や自然言語処理などの技術を用いて、ユーザ・フローや画面設計、コンテンツ層/プレゼンテーション層のコード生成などを行う手法。

AI拡張型開発:黎明期

AI-Augmented Development(AIAD)。機械学習や自然言語処理などの技術を用いることで、DevOpsのサイクルを加速させる手法。

スモール・データ:黎明期

ビッグ・データに対して、人間が理解するのに十分な程度の小さなデータのこと。これにより因果関係やパターンを把握することができる。サンプルとして利用される。

2018年、2019年ともに黎明期に位置した「ナレッジ・グラフ」は、今年は「オントロジ/グラフ」として幻滅期に前進した。

一方で、昨年挙げられていた以下の先進テクノロジは今年は姿を消した。いずれもなお注目すべき技術ではあると思うけど、インパクトとしては当初期待されたほどではなかったのかもしれない。

  • 拡張インテリジェンス(黎明期)
  • 転移学習(黎明期)
  • 合成データ(黎明期)


4.顕在化する倫理とセキュリティの問題(アルゴリズムによる信頼)

デジタルと現実の融合が進み、AI技術が社会に浸透していく中で、責任や倫理にまつわる議論はさらに重要性を増している。「アルゴリズムによる信頼」が1つのトレンドにまでなったのは、技術のいよいよの普及と、さらには課題の大きさを示していると言えるだろう。

2019年に登場した「説明可能なAI(黎明期)」は、今年には過度な期待のピーク期へと前進。さらに、以下の先進テクノロジも初登場した。

来歴証明:黎明期

対象物の生産元や提供元、所有者履歴などの証明。実現手段として、例えばデジタル証明書やブロックチェーンなどが挙げられる。

差分プライバシー:黎明期

ユーザの個人情報の匿名性を担保したまま、データを学習に用いるなど利用可能にする技術。

セキュア・アクセス・サービス・エッジ (SASE):過度な期待のピーク期

包括的なWAN機能と包括的なネットワークセキュリティ機能の組み合わせにより、ユーザやデバイスがどこからでも、クラウド上のアプリケーションやデータ、サービスにセキュアにアクセスするためのフレームワーク。

個人所有アイデンティティの業務利用 (BYOI):幻滅期

SNSアカウント等の、個人が所有し、分散的に管理されるデジタル・アイデンティティの利用。これらをサービスのアクセス権に用いるなどすることで、セキュリティを向上させることが期待される。

責任あるAI:黎明期

公平性や信頼性、安全性、ガバナンス等、種々の倫理的課題に対応したAI。「説明可能なAI」もこの一種となる。

信頼を担保する技術と言えばブロックチェーン(非中央集権的分散管理システム)も該当するが、2019年には挙げられていた次の先進テクノロジは、今年は消えてしまっていた。

  • 非中央集権型Web(黎明期)
  • 非中央集権型自律組織(黎明期)

また、AIの信頼性の観点では、2019年には感情的に振る舞うAIや、擬人化されたシステムも挙がっていたが、これらも今年は消えている。心理的な安心感の演出は引き続き重要だと思うけど、今年はそうした見せ方というよりは、中身の確からしさに焦点が当てられた印象だ。

  • 感情AI(黎明期)
  • パーソニフィケーション(黎明期)


5.期待の高まる次世代計算資源(シリコンの先へ)

最後に、ここまでに挙げられた先進テクノロジたちの土台となる、計算資源のお話。シリコンベース・デバイスの進歩の物理限界が囁かれるなか、これを克服する先進テクノロジとして、次のものが挙げられていた。

DNAコンピューティング/ストレージ:黎明期

DNA構造を用いたコンピュータや、記憶素子の技術。DNAは記録効率や安定性の観点で非常に優れているとされる。

生物分解性センサ:黎明期

自然界で分解可能なセンサ。IoTセンサの自然界へのバラマキや、動植物や人間等の生体にセンサ埋め込むにあたり期待される技術。

カーボン・ベースのトランジスタ:幻滅期

電子伝導性をはじめとした種々の特性がシリコンよりも優れる、カーボンを利用したトランジスタ。シリコンに対してより集積度の高い計算資源の実現が期待される。

2019年の「次世代メモリ(幻滅期)」が今年は消えたが、記録技術としてはDNAストレージにフォーカスされた。これって前もみた気がしてたけど、今年が初出だったのね。

シリコンを代替する計算資源は様々な提案があり、いずれも息の長い研究なので、先進テクノロジのハイプサイクル上からは今後も入れ替わってはいくだろう。でもいざ実現すればインパクト絶大なので、実現と普及に期待したい。

 

以上、ガートナーの「先進テクノロジのハイプサイクル」について、2018年版と2019年版とを比べてみてみた。

昨年に続いて今年も新しいテクノロジが目白押しだったけど、入れ替わりの激しから、世の中の変化や技術の進化が見て取れた。特に今年は新型コロナウィルスによる世界的外出自粛の影響もあったが、ではその次のフェイズではどんな先進テクノロジが現れるのか、引き続き注目していきたい。

前回(2018年と2019年の比較)はこちら:

 

  

 

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新興宗教こそが未来を拓く3つの理由

いなたくんへ

学生のころ、学校の近くに比較的大きめの新興宗教の施設があった。実はその3代目教祖が我が母校のOBで、先生が私たちにつぶやいたのをよく覚えている。

「企業に就職するのもいいけど、あそこで教祖まで登ったあいつが一番の勝ち組だよなあ」

教祖が実際にどこまで勝ち組なのかは置くとしても、自ら宗教を興すというのは確かに魅力的な行為だ。君もそう思うだろう?

さて、とはいえ新興宗教とは無縁に過ごしてきた私だが、最近ついに縁が結ばれた。地方のある新興宗教団体より招待を受け、神殿の見学や、幹部や教祖からレクチャーを受ける機会が得られたのだ。それは非常に貴重な体験であったとともに、新興宗教のコミュニティ・デザインの持つ既視感に感化される部分が多かったので、ここに学びを整理する。

結論から言えば、私たちは新たな宗教を興さねばならない。
もし、未来を創りたいなら。

Summary Note

1.私がみた新興宗教団体の構造

  • 未完成の新規宗教理論と権威付け
  • 探求者としての教祖
  • 「わかる人しかわからない」と言うコア信者

2.あれれ、これって製品開発も同じじゃない??

3.代謝し、恒常性を保つ「場」が、物語を創るということ

4.新興宗教こそが未来を拓く3つの理由

  • (1)Co-Designの時代にそぐう
  • (2)いま、科学とは別の物語が求められている
  • (3)理想社会は、社会の周縁からの破壊によりもたらされる


1.私がみた新興宗教団体の構造

新興宗教団体の仕組みについて、次のモデルに基づき説明したい。これは私の体験に基づくn=1のモデルに過ぎず、他の宗教団体にまで直ちに一般化できるものではないが、まあ見てほしい。


私がみた新興宗教団体のモデル

この新興宗教団体は、次のような特徴を備えていた。

新規宗教理論

特定を避けるため詳細までは言わないが、その宗教団体は独自の宗教理論を掲げていた。曰く、ある物理現象に対してある科学的処理を施すことで、霊的現象の発現や悪性事象の除去が可能になるということである。

当該工学分野について大学時代にかじった程度の私の知識では、その動作原理や、特になぜその装置が電源無しでも動作できるのかなどは理解できなかったが(土に埋めて使ってもよいとのことだった)、とにかく新規理論であることは間違いなかった。

その新規理論は、2つの方向性から権威付けがされていた。1つは科学(と言っても私には科学的正しさがわからなかったが)。もう1つは「歴史」で、当該宗教の黎明期に天皇家の末裔が教祖に秘術を授けたことや、伝統仏教の流れを汲むなどの謂れがあるとのことだった。

重要なのは、その理論は新説であるがゆえにまだ未完成であり、真理の深みを探求する発展段階にあった点である。

探求者としての教祖

当該宗教を若き日に開眼された教祖も、私がお会いしたその時点ではずいぶんお歳を召されていた。しかし、その宗教理論を滔々と語るその眼は澄み、あらゆる角度から真理のさらに深みを目指そうと試行錯誤するその姿勢は、魅力的であった。

資格試験とか、大きな夢とか、なんでもいいんだけどさ、目標を目指してひたむきに頑張る姿って美しいし、応援したくなってくるよね。数十年にわたる飽くなき探求を重ねる教祖はその結晶のような存在に見え、わずかな時間にもかかわらず、なんというか畏敬に近い念を抱かざるを得なかった。

コア信者(幹部信者)たち

神殿などの施設を紹介し、教祖とともに彼らの宗教について説明してくれたのが、コア信者たち、いわゆる教団幹部である。

彼らの役割は、いわば哲学者である教祖を支え、教団の実体的な運用を行うことのようだった。彼らは、教祖が探求する真理の哲学的探索を分担し、理論を平易な協議に落とし込み、科学的実験や、科学理論に基づく様々な礼拝グッズの製造、そして販売を行う。

彼らは教祖を信奉するが、信奉というよりは良き理解者のようでもあり、ゆえに、教祖も彼ら幹部を兄弟のように信頼していた。

ちなみに彼らの作る礼拝グッズは、見た目こそプラスチックと簡単な電子部品の組み合わせにみえたが、購入価格はいずれも数十万円の高級品であり、しかもかなりの数が売れているらしかった(その証拠も見せてもらった)。


私がみた新興宗教団体のモデル(再掲)

そして彼らは言った。

「わかる人にしかわからない」
「わからない人は、どうせいつまで経ってもわからない」

この語り口は暗に一般人(非信者)を批判し、批判することをもって信者に対して「自分たちはわかる側の人間だ」「自分たちは教祖様に近い側の人間だ」という自信を持たせる。信者たちは自分が「わかる人間」であることを誇りに感じ、日々の礼拝に励むのである。

なぜ、私にそれがわかるのか?
ちょうど仕事で似た場面を見ていたからだ。


2.あれれ、これって製品開発も同じじゃない??

私は弁理士という職業柄さまざまな発明者と付き合うが、稀ではあるがその中に、激しい情熱に燃えるカリスマ的なリーダーがいる。新興宗教から一度離れて、次に彼の話をしたい。

詳しくは後述するが、彼はイノベーターである。ここに、彼を取り巻く環境のモデルを示す。


革新的プロダクト・サービスのモデル

このモデルは次のような特徴を持つ。

哲学にまで昇華されたビジョン

彼は世の中を大きく変えるあるビジョンを描いている。ただ、技術的なハードルの大きさもさることながら、新規事業あるあるで、技術の力だけでは超えられない壁もたくさんあって、彼の試行錯誤は止むことはない。それでも彼は十年以上の時間をそのビジョンに賭けている。

そのテクノロジーの概念自体は知られたもので、SF作品にはよく登場するし、実現すれば必ず世界を変えるだろう。が、彼と話すことで気付かされるのは、そのビジョンがあくまで彼独自の、唯一無二の世界観である点だ。

彼は彼の中で昇華させたある哲学を持っていて、テクノロジーはあくまでひとつの表現手段に過ぎない。彼が絶対に譲ることのできない美学、彼特有の「世界観」がそこにはあって、彼はその具現のためにその人生を生きている。それは、バズワードとしてのテクノロジーとは似て非なる世界である。

彼は優秀なエンジニアである一方で、その思想を表現するには工学の言葉だけでは足りないらしい。仏教やら古事記やらの概念までも参酌しつつ、なんとか自身の哲学を言語化しようと試みる。

そのため、彼の会話は大体において胡散臭くもあるのだけれど、数々の特許や、実際の実験結果などによって、それが単なる空想でなく、物理的に表現可能な何かであると裏付けている。

探求者としてのイノベーター

と、すでにここまででも書いちゃったけど、彼は求道者であり、自らの哲学を追い求め、そのひたむきな姿がどうしようもなく周囲の人を惹きつける。彼と出会ったエンジニアはみな彼のために働き、組織を超えて多様な人々がその夢の実現のために協力をする。

イノベーションはまだ起きていないけど、私は現在が彼の興すイノベーションの前夜であると確信していて、だから彼はイノベーターだ。

アーリーアダプタたち

まだ製品化されていないので、彼の事例において「アーリーアダプタ」という言葉を使うのは適さないかもしれない。ただプロトタイプはあって、それを使った人たちはみな感銘を受け、彼の伝道師として振る舞い始める。

プロトタイプの場合は限られたユーザに対してユーザテストを施すが、「伝道師」たちはテスタではなく、テストの場を提供する立場の人であることが多い。伝道師たちは、イノベーターである彼の理念に触れて感銘を受け、いざ試してみれば百聞は一見に如かず、その効果に驚く。驚いて、これは早く世に出されるべきだと興奮し、様々な社会実装の場を彼に提供することで協力してくれるのだ。

そこで、彼と伝道師たちは言うのである。

「わかる人にしかわからない」
「わからない人は、どうせいつまで経ってもわからない」


革新的プロダクト・サービスのモデル(再掲)

それは本当にイノベーションを起こすのか?

さて、ここでひとつ告白をしたい。

実は私は、その製品が本当に期待される効果を持つか「わからない」側の人間である。そう、私にはわからないのだ。

彼の哲学的理念にこそ共感するが、そのプロトタイプが本当に謳われる効果を持っているのか、装置構成の具体的にどの部分がユーザの感性に対し作用するのか、よくわからない。わからないけど、著名人を含む伝道師たちの輪の中にいて、

「わかる人にしかわからないからね」

と言われると、「いや、もちろん私もわかるっすよ」と応えざるを得ないのだ。それは、製品を理解したいというよりは、彼という人間の近くにいたい、彼と共感できる自分で在りたいという、そんな想いに因る気がする。

では、その製品はニセモノなのか。
それも違うと私は思う。

まだプロトタイプだから動作も洗練されていないし、単に私の感性が足りていないだけかもしれない。そんな私と対照的に、伝道師たちはその鋭い感性に従い、プロトタイプそのものではなく「バージョンを重ねたならば得られるだろう未来の効果」を折り込んで評価している可能性にある。それは投資においては必要な考え方だ。

イノベイティブな製品は第3世代で完成する、という説もある。例えばスマートフォン然り、いまは当たり前の製品も、その登場初期にはスムーズに受け入れられたわけではなかった。不具合や試行錯誤の跡も色濃く残る第1世代、第2世代を、一部のアーリーアダプタたち「だけ」が称賛し、製品世代を重ねてようやくマスに普及した。

彼のプロトタイプも、まだその段階にあるに過ぎないだけかもしれない。彼や伝道師たちはもしかしたらそんな未来を視ていて、そして私はきっとまだ未熟であるがゆえに「わからない」。


3.代謝し、恒常性を保つ「場」が、物語を創るということ

彼や、彼を囲む伝道者たちは、その後本当にイノベーションを起こせれば、イノベーターとして世に名を残すだろう。

その一方で、仮に何の結果も残せなければ、やっぱり彼らが謳うプロトタイプの効果は嘘か思い込みに過ぎなくて、私の「わからない」という感覚の方が冷静で、彼らがしていることは実体のない神を祀る新興宗教と変わらないということになる。

イノベーションと、新興宗教との違いどこにあるだろう。
科学的な裏付けの有無か、世の中に対するインパクトか、それとも……?

私は、そこに違いはないと思う。

何かエビデンスが存在すること、世の中を動かせること、結果が出ること。それらは些末な問題に過ぎない。それは本質的なことではない。

真に重要なのは、彼らが何らかの世界を構想し、その世界の実現のために恒常的な場を形作っているという事実だ。コミュニティは、「未完成の真理の完成」という未来観に突き動かされ、中心人物の情熱をエンジンとして、人を惹き寄せ、人々を巻き込み、代謝する。

それはひとつの生命であり、製品はその排泄物に過ぎない。

何を生むかは問題ではない。どこに向おうとするのか、向かうことによりいかなる物語が生ずるのかが大事なのだ。その意味で、私が訪れた新興宗教団体と、イノベーション前夜の彼は、まったく同質であることに気付かされた。

物語はなぜ必要か?

代謝し恒常性を持つ人の場の動的状態そのものを、私はいま「物語」と呼んだ。ではなぜ物語が必要なのか。

ぶっちゃけ大事なのは結果物としての製品(たとえばスマフォ)で、コミュニティ(例えばスマフォを発明したイノベーターに対する信仰)とかどうでもよくない? という気持ちはよくわかる。というか私がそうだ。

しかしそれでも「物語」が重要になる背景には、製品・サービスの開発を含む創造のあり方が、これから変わろうとしていることがある。例としてわかりやすいのが「Co-Desing」だ。

「Co-Design」はオハイオ州立大学リズ・サンダース準教授に提唱された概念だが、専修大学・上平教授の整理がさらにわかりやすいので引用する。

詳細は次の記事にまとめたので割愛するが、企業のような大組織が労働集約的にモノづくりをする時代は終わり、ユーザと共にコミュニティを形づくって取り組む時代に、さらにはユーザ自身が主体者となって創造を行う時代に、変わろうとしている。

提供される製品・サービスを何らかの「課題を解決する手段」であると考えたとき、そのような時代においては、ユーザに対して一方的に解決を与えるのではなく、ユーザと共に課題に取り組み、悩むことこそ重要となる。そして、共に悩む「場」をいかに創るかがイシューになる。

そうした場に命を注ぐものが「物語」である。

ファン・コミュニティの例

ちょっとだけ脱線するけど、「場」と言えばファン・コミュニティが興味深い。上平教授の整理によるところの「With People」のアプローチだ。

代表的な事例の1つに佐渡島康平氏のコルク社がある。佐渡島氏は『宇宙兄弟』の編集者として有名だ。コルク社ではマンガを単に「使い捨て」の製品にせず、マンガや物語世界をきっかけとしたファン・コミュニティを創ることで、動的な「熱狂の状態」を出現させた。

マンガを広く配って終わりではなく、コアなファン(わかる人)を集めることで、ファン・コミュニティ自体が物語世界を包含する「より大きな物語」としたわけだ。


ファン・コミュニティのモデル

「物語の場」の一般化モデル

さて、この記事は新興宗教の訪問体験談なので、そちらに話を戻したい。あるいは「彼」の話、宗教としての製品開発の話でもいい。

新興宗教しかり、イノベイティブ(と信じられている)な製品開発しかり、それらは人々を巻き込み熱狂させる「物語の場」であった。これを一般化すると、次のようなモデルが描けるだろう。


物語の場のモデル

そこには真理が無ければならない。ただし真理は仮説の段階であり、完成されていてはいけない。「場」は真理の完成を目的にして熱狂を続ける。

真理は新規仮説であるがゆえに胡散臭く、そのため、何らかの権威付けがされることが多い。権威とは歴史や科学などである。

真理は探究者により探求される。探求者は哲学者であり、人生の全てをその探求に賭け、その情熱が人々を惹きつける。ただし彼は主人公というよりは象徴であり、灯台の灯や、焚火の炎に近いだろう。彼の役目は人を惹きつけ、場を熱し続けることだ。

探求者には理解者がいる。理解者は共同探究者として振る舞い、あらゆる方法で場の成立を支える。時には共同探究者が場に権威付けする場合もある。

探求者と、共同探求者との周りを、多くの共感者たちが囲む。共感者たちは自らが探求者と近しいことを誇りとし、その近しさは、枠外の一般人との対比によって確かめられる。

場には、手に触れることのできる具象物が存在し、共感者たちはこれをありがたがるが、具象物は形式的なものに過ぎない。


4.新興宗教こそが未来を拓く3つの理由

さて、この記事を通して言いたいことは、上記のようなモデルを用いることで「物語の場」が成立しうること、そしてそのような「場」を用いた創造こそが、これからの時代において重要になるということである。

ここで「物語の場」の言葉は敢えて、「新興宗教」と戻して使う。私たちは新興宗教を興さねばならない。その理由は次の3つだ。

(1)Co-Designの時代にそぐう

すでに述べた通り、今後はトップダウンでの課題解決手段の提供ではなく、コミュニティ・ベースでの価値創造が重要になる。そこでは、いかにコミュニティを形成し、コミュニティを価値創造に繋げるかが課題となるが、新興宗教はこれを実現できる。

特に重要なのは「問い」である。山口周著『ニュータイプの時代』(2019)では、これからは問題解決ではなく、問題を見つけること、ひいては未来を構想することが価値になると指摘する

問題が希少化する世界にあっては、「未来を構想する力」が大きな価値を持つことになります。なぜなら、問題とは「あるべき姿」と「現状」とのギャップであり、「あるべき姿」を思い描くには必ず「未来を構想する力」が必要になるからです。

『ニュータイプの時代』より

この「問い」に当たるのが、モデルにおける「真理の仮説」だ。そはは未来の構想であり、これを探求する「探究者」とは構想者である。後述するように、新興宗教が求める真理とは未来の可能世界に他ならない。その未来を共に創ろうとして、人は集まり、熱狂が生ずる。

(2)いま、科学とは別の物語が求められている

宗教はときに科学と対比されることがある。例えば「科学的じゃない」という批判がそれだ。

しかし科学もまた普遍的な価値であるとは限らない。17世紀に起きた科学革命以降、たしかに科学は人類史のひとつの時代をつくったが、これが未来にも存続する価値感であるかは別問題だ。

いま、科学は広く人類社会に浸透し、浸透したがゆえに、すべての人々がこれを意識する必要は薄れてきている。インターネットは人々に白昼夢を見せ、価値創造のハードルを下げ、むしろ多様性と個々人の主観的創造性こそが未来を創る時代に遷ろうとしている。

そのような時代においては、全人類が共通の価値観に縛られるより、それぞれの小集団がそれぞれの真実を持つ方が有利になる可能性がある。それは、1つの科学よりも、多様な「物語」が併存する社会である。


次なるルネッサンスの進行プロセス

ここでいう「物語」とは、この記事で述べてきた動的な「場」に他ならない。場において重要なのは熱狂があることであり、場が追い求める「真理の仮説」は必ずしも科学的正当性を担保している必要はない。「物語」は、失われるべき科学に対し優越する。

(3)理想社会は、社会の周縁からの破壊によりもたらされる

これは私の個人的な危惧だけど、これからの時代、全体主義的価値観が強化される気がしている。例えばインターネットはアラブの春をもたらしたが、インターネットが反体制派の武器だったのは一時的な景色に過ぎず、その後テクノロジーは体制によりキャッチアップされ、統制の道具として威力を振るった。

たとえば社会信用システムのような社会管理の手段は、今後も様々な形態で出現し、市民の安全と自由を護り、同時に、安全と自由をある定められた枠の中に押し込めようとするだろう。

私はこうした全体主義的価値観には賛成の立場だ。私は、主義思想とは、それが集団の生存のための道具であると考える。自由主義的価値観が賞味期限を迎えているように見える一方、テクノロジーと全体主義的価値感の組み合わせの方が、より集団を生き延びさせるように私にはみえる。

短期的には。

しかし、全体主義はあくまで社会をひとつの価値観でまとめ上げるものであり、多様性は損なわれる。多様性を失った集団が生存に有利であるとは長期的には思えない。だからこそ、統合に向かう社会を内側から破壊する動き、すなわち新興宗教が重要になる。

宗教の社会における機能について、『完全教祖マニュアル』(2009)は次のように指摘する。

宗教の本質というのは、むしろ反社会性にこそあるのです。特に新興宗教においては、どれだけ社会を混乱させるかが肝だということを胸に刻んでおいて下さい。

(中略)

なぜ、新興宗教が反社会的になるかというと、そもそも新興宗教はその社会が抱える問題点に根差して発生するものだからです。

(中略)

「うるせえ、お前らがどう言おうとオレはこれが正しいと思うんだ!」というのが新興宗教なのです。ですから、宗教の役割は社会に迎合することではなく、むしろ、社会通念に逆らってでも、正しいと信じることを主張することなのだと考えて下さい。

『完全教祖マニュアル』より

「正しさの主張」は未来の構想にも通じる。

未来の可能性を思索し、切り拓くためのデザインを掲げる『スペキュラティヴ・デザイン』(2015)では、現実に捉われず可能世界を思索するアプローチのひとつとして、理想社会(ユートピア)を挙げる。理想社会の体現例として紹介されていたのは、電磁波の悪影響を訴える団体パナウェーブ研究所だ。『スペキュラティヴ・デザイン』は彼らを次のように評価する。

彼らは、なぜ現実が“現実”であって非現実が”現実”でないのかを、我々に問いかける。

(中略)

これらのプロジェクトは、想像力に満ちた独自の世界観を形にする、人間の能力を世の中に伝える。

『スペキュラティヴ・デザイン』より

パナウェーブ研究所の思想は、少なくとも私には科学的とは考えにくく、その理想もあまりに先鋭的でありすぎるように見える。つまり、私のもつ常識に対して、あまりに異質すぎるのだ。

しかしながら、その異質さこそが、新興宗教の持つ価値でもある。人工知能や生命について情報学の観点から整理する『こころの情報学』(1999)では、情報(文字)が社会を変革してきた過去を説明するとともに、「周縁」の重要性を次のように説いている。

一方、〈周縁〉は、社会の端にある反秩序・反規範的な存在です。たとえば、道化とか、大道芸人、前衛芸術家、路上生活者などを思い浮かべれば分かりやすいでしょう。

(中略)

〈周縁〉的な人々は、地味な背広などではなく、奇妙で異様な服装をしていますし、目立つ存在で、普通の社会からは排斥される、いわば「異人」たちです。しかし、こういう異人たちが、規範的な社会を覆っている表層的イメージの欺瞞を暴き出し、社会や文化に新たな生気を吹き込む、と山口は説きます。

(中略)

周縁的な要素が社会を活性化するというわけです。

『こころの情報学』より

統制から逃れたいという衝動の重要性は、科学という既存スケールの限界、異質なものの包含と併せて、人工生命研究の第一人者・池上高志も次のように述べていた。

そもそも、世界は人間の知覚やロジックに合わせてできていない。それならば、人間の知覚やロジックのスケールを超えた世界の在り方を考える必要もあるのではないか、というのがALifeの大きなパラダイムシフトになってきたのです。

(中略)

つまり“わからないもの”を同時に内包していなければ、生命が持つクリエイティヴィティや拡張性は生まれないことになるのです。

『WIRED 2020 vol.36』より

一方で生命の定義は「所有から逃れること」だと私は考えています。所有から逃れて自律性をもちたいという動機から、さまざまな活動が生まれるわけです。

『WIRED 2020 vol.36』より

生命が、恒常性を保とうとする自己言及なシステムならば、社会もまた生命である。社会が生命であるならば、社会は異質なものを包含し、常に代謝を続けるべきであり、この代謝をもたらすものこそが、今はまだ存在しない真理を求め熱狂する人々の物語、すなわち新興宗教なのである。

ゆえに、私たちは新興宗教を興さねばならない。

それは例えば小さなコミュニティでも、スタートアップでも、あるいは独立国家でもいいけれど、科学とか既存の価値には捉われない真理の追及、そのために熱狂する場の創造を、始めるべきだ。

 

  

 

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未来の予測不可能性を愛する

いなたくんへ

少し前から、SFを用いた探索活動が注目されている。例えばIntelが製品開発にSFプロトタイピングの手法を導入したと謳っていたり(2013年)、Microsoftの研究所がSF作家と連携したり(2015年)、といった話があった。

日本では、パワードスーツに関するパナソニック系スタートアップのATOUN社や、自働操船ヨットに関するスタートアップEverblue社がSFプロトタイピングの活用を標榜している。

で、SFプロトタイピングや、これに関連してスペキュラティブ・デザインについて調べてみると、「未来を構想する」ことの重要性が強く言われていたりする。私はこれ自体は強く同意するんだけど、同時に感じるのが「未来予測ってダサいよね」という空気感だ。感じるというか、明言されていたりもする。

……おや?

このブログは未来予測を標榜してきてるんだけど、大丈夫?

ちょっとここらで言い訳というか、立場を明確にしておく必要がありそうに感じたので、今回記事にまとめてみたよ。ブログの存在意義に関わる、というのもあるけどそれより、自分のモチベーションのためにも、「未来を構想すること」に対する未来予測の位置づけを整理してみた。

Summary Note

1.未来「予測」はダサいのか?

2.スペキュラティブ・デザインの射程

3.このブログは「未来予測」を謳ってるけど、大丈夫?

4.イシューは「予測か構想か」の問いではない


1.未来「予測」はダサいのか?

山口周著『ニュータイプの時代』(2019)では、「未来予測」について次のように述べている。

コンサルティング会社やシンクタンクには、よくクライアントから「未来予測」に関する相談が来ます。未来がどうなるか? その未来に対してどんな準備をするべきか? ということを検討してほしいという依頼ですが、個人的には実にナンセンスだと思っています。

これだけVUCAな世界になってなお、他人に将来を予測してもらって受験勉強よろしく「傾向と対策」を考えようなどというのは、まさに浅知恵と言うべき典型的なオールドタイプのパラダイムと言えます。

『ニュータイプの時代』より

VUCAとは、現代の特徴であるVolatile(不安定)、Uncertain(不確実)、Complex(複雑)、Ambiguous(曖昧)の頭文字を取った言葉だ。『ニュータイプの時代』では、このような時代においては、経験に基づく予測が無価値化されると述べる。

『ニュータイプの時代』の大事なメッセージのひとつが「予測ではなく構想」だ。アラン・ケイのダイナブックの例などを持ち出しつつ、未来は天気予報のように予測するのではなく、誰かが創り出しているものであり、その「誰か」に自分自身がなるべきである、と指摘する。

私たちを取り巻く環境の変化の多くは、天気のように自然に変わっているのではなく、どこかの誰かがイニシアチブを取って動き始めたことで駆動されている、ということです。

『ニュータイプの時代』より

背景には、これからの時代には「問題提起」が価値を持つ、という仮説がある。問題が希少化された現代においては、顕在化した問題の解決ではなく、自ら「在るべき世界」を構想し、その構想と現状とのギャップを自ら見出さなくてはならない。

問題解決の世界では、「問題」を「望ましい状態と現在の状況が一致していない状況」と定義します。「望ましい状態」と「現在の状態」に「差分」があること、これを「問題」として確定するということです。

したがって「望ましい状態」が定義できない場合、問題を明確に定義することもできないということになります。

(中略)

「問題の不足」という状況は、そもそも私たち自身が「世界はこうあるべきではないか」あるいは「人間はこうあるべきではないか」ということを考える構想力の衰えが招いている、ということなのです。

私たちは「ありたい姿」のことをビジョンと表現しますが、つまり「問題が足りない」というのは「ビジョンが不足している」というのと同じことなのです。

『ニュータイプの時代』より

問題が希少化する世界にあっては、「未来を構想する力」が大きな価値を持つことになります。なぜなら、問題とは「あるべき姿」と「現状」とのギャップであり、「あるべき姿」を思い描くには必ず「未来を構想する力」が必要になるからです。

『ニュータイプの時代』より

私はこれらの考え方に完全に同意する。


2.スペキュラティブ・デザインの射程

未来を構想するためには、どんな方法があり得るだろう。そのアプローチの1つにスペキュラティブ・デザインがある。スペキュラティブ・デザインとは、デザインの言語を用いることで未来の可能性を思索(Speculate)し、切り拓こうとするものだ。

その概説をまとめた『スペキュラティヴ・デザイン』(2015)でも、未来予測は「無駄な行為」であり「興味がない」とdisられている。

科学技術の分野や多くのテクノロジー企業と関わっていると、未来、特に「唯一の未来」といった考え方とよく出会う。多くは未来の予言や予測といったもので、新しい世界の動向や、近未来を仄めかすような兆しに目を向けるものもあるが、「唯一の未来」を突き止めようとしている点は変わらない。私たちは、その種の未来予測にはまったく興味がない。テクノロジーに関していえば、未来予測は何度となく間違いを犯してきた。私たちから見れば、未来予測とは無駄な行為だ。私たちが興味を持っているのは、未来の可能性を考えることである。

『スペキュラティヴ・デザイン』より

『スペキュラティヴ・デザイン』では、未来学者スチュアート・キャンディが示した潜在的未来に関する整理を翻案し、4つの未来の関係を表すPPPP図を示している。ここには、次の4つの未来が登場する。

  • 起こりそうな未来(probable)
  • 起こってもおかしくない未来(Plausible)
  • 起こりうる未来(Possible)
  • 望ましい未来(Preferable)

PPPP図(『スペキュラティヴ・デザイン』より)

「起こりそうな未来」とは、「よっほどのことがない限りは起こるだろう未来」である。

「起こってもおかしくない未来」は、これについて考える目的として、「組織がさまざまな未来に対して備え、その中で繁栄を続けられるよう、今とは違う経済や政治の未来を思い描くこと」が挙げられている。このことから、それが今とは違う世界であることが強く意識されている。

「起こりうる未来」の外側は「空想の領域」とのことなので、つまり「起こりうる未来」とは、「科学的に現出があり得なくはない未来(が、ほぼ起こりにくい未来)」くらいの意味に捉えるのがよさそうだ。

その上でスペキュラティブ・デザインは、デザインの力で「望ましい未来」を考え、実現させようとする。

私たちが興味を持っているのは、まさにこの部分だ。つまり、未来を予言しようとするのではなく、デザインを用いてさまざまな可能性を切り開くことに興味があるのだ。

『スペキュラティヴ・デザイン』より

私たちにとって、未来は目的地でも目指す場所でもなく、想像力に満ちた思考、つまり“思索”を助けてくれる道具なのだ。

『スペキュラティヴ・デザイン』より

私はこれらの考え方に完全に同意する。

や、未来はまさにその通り、自分の力で創っていくものだよね。バック・トゥ・ザ・フューチャーのドクも言ってた。


3.このブログは「未来予測」を謳ってるけど、大丈夫?

おいおいおいおい。
ダメじゃん。未来予測、ダサいじゃん。

で、そういえばこのブログも「未来予測」を謳ってるけど大丈夫? って話になってくるわけなんですよ。

振り返るとこのブログでは、これまで可能世界の可視化に力を入れてきた。例えばヒューマン・コンピュータ・インタラクションの先駆者ビル・バクストンの次の言葉を参考にしてたり。

Any technology that is going to have significant impact over the next 10 years is already at least 10 years old.

次の10年に重大な影響をもたらすテクノロジーのあらゆるものは、少なくとも10年前には存在している

The Long Nose of Innovation(Bloomberg)より

もちろんそれらが直ちに未来を創るわけじゃないけど、そうした「誰かの」予測でも100とか1000とか重ねていくと、ぼんやりとでも大きな傾向が見えてくるんじゃないか。そんな期待があった。

これはまさに『ニュータイプの時代』に否定され、『スペキュラティヴ・デザイン』で興味がないと断じられた、ボトムアップのアプローチそのものである。

あれれ。これはどういうことだろう。
このブログはダサいのか……?

そんな……

まさか……。

だが、だがちょっと待ってほしい。

未来予測はおもしろい。おもしろいから始めたわけだし、そのおもしろさというもの改めて確認させてほしい。

「未来予測」の本質的な不可能性

『ニュータイプの時代』では、統計の整備された人口動態ですら全く予測が外れていることなどを指摘し、次のように述べている。

というのも、予測というのはもともと「予測し得ないようなこと」が起こると大変困るからこそやるわけですね。ここ数年の間続いている状況の延長線上に未来があるのであれば、誰も予測など必要としません。

しかし当たり前のことですが、「予測し得ないようなこと」は予測できません。だって予測できたら、それはすでに「予測し得ないようなこと」ではないわけですから。

(中略)

つまり、「予測は難しい」どころの話ではなく、そもそも「原理的に不可能だ」ということです。

『ニュータイプの時代』より

予測が当たらないというのは、特許の仕事をしていても強く実感させられる。

特許とは事業を守るための道具だ。具体的には、事業を構成する新規発明の技術的範囲について他者を排除することで、一定期間その技術的範囲を独占的し、もって事業の優位性を保とうとする。

この技術的範囲は、第一義的には生まれた発明を描写するが、より重要なのは、10年後、20年後の状況をも予測して記述すること、あるいはそもそも10年後、20年後の状況を想定して発明自体を生むことである。

発明とは、あくまで事業の構成要素であり、あの時点における表現型に過ぎない。重要なのは発明そのものではなく、ある時点においてそのような発明の形で説明される事業が、10年後、20年後にどのように発展するかという予測であり、させたいかという意思である。

ということで、10年後、20年後の事業の状態、競争環境、ひいては社会の在り方を予測し、構想し、そこから逆算して発明を考え出願をする、ということは一般的に行われる。

で、問題なのは、そうやってがんばって投資した出願も実際に10年、20年経って、審査や資産整理のタイミングでふり返ると、これが全然当たっていないことだ。予測は当たらず、構想もその通りには実現できず、その一方でおもしろいことには、ジャスト・アイディアのどうでもいいと思っていた出願が絶大な威力を発揮したりすることもある。

だからこそ、特許はある程度の件数を出して、確率的に当てに行くわけだけど、いずれにせよ日々答え合わせをしてみると、未来予測がそもそも不可能な行為であることは強く実感させられる。

未来の予測不可能性を愛する

未来は予測できない。

でもそれは、未来予測が無駄であり、つまらないことの理由になるのだろうか?

ここで、地政学に基づき21世紀末までの社会を予想した『100年予測』(2014)の冒頭について、少し長いが引用する。この文章でも、20年後を予測することの困難性を説明している。

 想像してみて欲しい。今は1900年の夏。あなたは当時世界の首都だったロンドンに暮らしている。この頃、ヨーロッパが東半球を支配していた。ヨーロッパの首都の直接支配下に置かれないまでも、間接統治すら受けない場所など、地球上にはまずなかった。ヨーロッパは平和で、かつてない繁栄を享受していた。実際、ヨーロッパは貿易と投資を通じてこれほど深く依存し合うようになったため、戦を交えることはできなくなった、あるいはたとえ戦争を行ったとしても、世界の金融市場がその重圧に耐えきれなくなり、数週間のうちに終結する、といった説が大真面目に唱えられていた。未来は確定しているように思われた。平和で繁栄したヨーロッパが、世界を支配し続けるのだ。

 今度は、1920年の夏に思いを馳せて欲しい。ヨーロッパは大きな苦しみを伴う戦争によって引き裂かれていた。大陸はずたずたにされた。オーストリア・ハンガリー、ロシア、ドイツ、そしてオスマンの帝国はことごとく消え去り、何年も続いた戦争で数百万人の命が失われた。(中略)アメリカや日本など、ヨーロッパ勢力圏の周縁部に位置する諸国が、いきなり大国として浮上した。だが一つだけ確かなことがあった。不利な講和条約を押し付けられたドイツが近いうちに再び浮上するはずがないということだ。

 さて次は1940年の夏まで飛んでみよう。ドイツは再浮上したどころか、フランスを征服し、ヨーロッパを支配していた。(中略)ドイツに立ち向かう国はイギリスただ一国のみで、まともな人の目には、戦争はもう終わっているように思われた。ドイツの千年帝国があり得ないとしても、少なくとも今後100年のヨーロッパの命運は決まったようなものだった。ドイツがヨーロッパを支配し、その帝国を継承するのだ。

 続いて、1960年の夏だ。ドイツは五年とたたずに敗れ、戦争で荒廃していた。ヨーロッパはアメリカとソ連により占領され、二分された。ヨーロッパの帝国は崩壊の途にあり、その継承者の座を巡ってアメリカとソ連が争っていた。アメリカはソ連を包囲し、その圧倒的な核軍備をもってすれば、数時間のうちにソ連を全滅させることもできた。アメリカは世界の超大国として躍り出た。(中略)また内心では誰もが狂信的な毛沢東の中国を、いま一つの危険と見なしていた。

 次に、1980年の夏に身を置いてみよう。アメリカは七年間続いた戦争に敗れた。相手はソ連ではなく、共産主義国の北ベトナムだった。(中略)またアメリカはソ連を封じ込めるために、毛沢東の中国と手を組んでいた。アメリカ大統領と中国国家主席が、北京で友好会談を行ったのだ。急速に勢力を増していた強大なソ連を阻止できるのは、中国との同盟しかないように思われた。

 それでは今が2000年の夏だったら、と想像してほしい。ソ連は完全に崩壊した。中国は共産主義とは名ばかりで、実質は資本主義化していた。北大西洋条約機構(NATO)は東欧諸国だけでなく、旧ソ連諸国にまで拡大していた。世界は豊かで平和だった。

『100年予測』より

どうだろう。

ワクワクしてはこないだろうか?

脚色はあるものの、20世紀という100年間において、大きなパラダイムシフトが何度も世界を覆ったことがよくわかる。20年という時間はこうも未来への期待を裏切り、予測の困難な社会を出現させた。それぞれの時代に戻って、その20年後の未来を告げても、きっと信じてはもらえないだろう。

ひとつ確実に当たる予測があれば、それは20年後が予想できないという予想だ。『ニュータイプの時代』でも述べていたけど、「予測し得ないようなこと」は予測できない。

で、その「予測し得ないような未来」を、どうにかして予測する。

それってメチャクチャおもしろくない? というのが、私がこのブログを続けている理由のひとつだ。

「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもので、予想もつかない出来事はいまも毎日のように生起している。未来を創る発明も日々どこかで生まれている。もうね、Twitterとか見ててもね、毎日が想定外の連続で楽しくて仕方ないよね。

そして、それら事象が空間的にも時間的にも折り重なって、わずかに1年後ですら世界を見たことのない場所に塗り替えていく。そのどんでん返しが指数関数的畳み込まれるバタフライ・エフェクトの先にあるのが、10年後、20年後という未来なわけだ。

そんな未来を予測する。

「予測し得ないことは予測できないので予測しない」なんてね、極論すれば気概が足りない。予測し得ないからこそ、そこにおもしろさがあるんじゃないか。

でもどうやって?

未来予測は当たらない、という結論には同意する。では、当たらないものをどう当てるのか。

現在の各事象からどれだけ補助線を伸ばしたとしても、ロジカル・シンキングを積み重ねても、直ちに20年後を言い当てることはできない。それでも予測を当てようとするなら、いずれかの局面においては、何か、発想を飛躍させるサプライズが、非連続を織り込む投機的な判断が不可欠となる。

それはきっと、スリリングで冒険的な作業になるはずだ。

『スペキュラティヴ・デザイン』のPPPP図における「起こってもおかしくない未来」とは、そうした非連続な未来のことだ。「起こりそうな未来」との境界線はパラダイム・シフトを示し、この境界性を世界はどのような形で超えるのか、それが大きな論点となる。

未来を構想すること、未来を自ら切り開くことの重要性について、既に述べた通り私は完全に同意する。パラダイム・シフトを待つのではなく、自ら興す。それは「起こってもおかしくない未来」を当てることのひとつのアプローチとなるだろう。

あるいは一度非現実の物語世界を描いて、その中から可能世界の要素を紡ぐというのも、非連続の先を視るには必要なアプローチに違いない。

そうしたあらゆる冒険の全てもひっくるめて、未来の世界を言い当てる。それは必ず創造的で、おもしろいものになるはずだ。

それが未来予測だ。


4.イシューは「予測か構想か」の問いではない

と、想いを新たにしたところで、「このブログを通してやること、やらないこと」を整理してみる。未来予測に関して、このブログにおいては今後も方針を変えず、次の2つの方向性で行きたいと思う。

  • 可能世界を可視化する
  • 可能世界の組み合わせに非連続を加えて、予測不可能な未来を予測する

その一方でこのブログでは、次のことは原則として主題にしない。

  • 自ら未来の構想をすること、特に、物語を語ること
  • 現実に対して批評的に振る舞うこと

主題としないだけで含む可能性はあるけれど基本的には、このブログを通して、なんらかの世界を創ろうと働きかけることまでは目指さない。原則として「未来はこうなるだろう」の範囲にとどめ、「未来はこう在るべき(なのでそのように未来を創るための具体的な手段を取る)」までは目的にしない。

また、例えばスペキュラティブ・デザインはその要素として批評性を持つことを特徴とするが、このブログを通して現代社会を批評することも、目的にはしない。

これら2つは別のところでやっている・やろうとしているから、というのもあるけど、このブログにおいてはあくまでボトムアップのアプローチを守って、世の中で様々な人たちが想像する可能世界の蓄積と、それらの組み合わせから想像される非連続な未来の予測とに集中したい。

私としては「未来を構想する」ことをこそ重要視してはいるものの、「未来予測」もおもしろいと思っているので、あくまで後者を射程にするというわけだ。

で、そこでひとつの重大な問題に直面する。

このブログはおもしろいのか?

文脈は全然ちがうけど、次のTweetは、ある著名人の書評が本の中身に触れていないことについてのつぶやき。

いや、まさにこれなんだよね。
結局大事なのはおもしろさで、私としておもしろいと考えている「未来予測」のおもしろさを、果たしてこのブログできちんと表現できているのか、と問われるとグッと言葉が詰まってしまう。

可能性界を可視化するとか、非連続を予想したいとか、色々それっぽいこと書いたけど、これまで積み重ねてきた記事みると、そんな風に書けてますっけ? とかセルフツッコミを禁じ得ない。

予測か構想か。

そのアプローチも大事だけれど、そもそも「おもしろい」と思ってやっている以上、そのおもしろさをきちんと伝えられるべきだと思うし(伝えたいからノートではなくブログとして書いてるわけだし)、そこはきちんと頑張りたい。

というわけで、未来の予測不可能性を愛しつつ、心を新たに続けていこうと思います。

 

  

 

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2040年の憧れの職業・稼げる仕事

いなたくんへ

前回、2040年ごろの労働環境について予測をしてみた。AIロボティクスによる自動化のほか、オンライン労働の普及や労働市場の国際化により、労働市場全体の縮小や格差の拡大が起こっている。

その一方で、人間が行うべき労働領域のシフトや、「デザイン思考」から「当事者デザイン」の時代への変化といった背景により、人々はより内発動機に沿った労働、つまり自分のやりたい仕事ができているかもしれない。

今回はさらに視点を変えて、2040年の高校生が憧れる職業を考えてみた。そもそも私が未来の労働について考え始めたきっかけは、2040年の高校2年生・鷲尾野ゆずりは(17)の1日を考えたかったからだった。

「鷲尾野ゆずりはの1日を考える」は、未来予測のひとつの方法論として、具体的なペルソナを決めてその人物の日常を描くことで、ミクロなディテールを浮き彫りにする試みだ。

高校生の日常なので、学校生活は欠かせない。学校といえば教育。そして教育はそのひとつの大きな側面として、社会で生きていける能力を身につけさせる目的がある。では、そのとき社会は、労働環境はどう変わっているのか? という連想で、これまで未来の労働について考えてきた。

今回はその原点に立ち返り、「高校生にとっての憧れ」の視点で未来の労働を考えてみた。それぞれのタイトルだけ見ると2020年現在と大きく変わらないけど、自分としてはそれなりに精度の高い予想ができたと満足している。

Summary Note

2019年の高校生の憧れの職業は、内発動機の多様性の現れである

1.意思決定にまつわる仕事

  • 起業家・経営者

2.人間関係にまつわる仕事

  • ビオトープ・タレント
  • 専門職
  • 政治屋(補足)

3.身体性を伴う仕事

  • 職人
  • 警察官・消防士・救急隊員
  • 自衛官

4.選ばれた人

  • スポーツ選手
  • アーティスト
  • 宇宙飛行士

5.安定した仕事

  • 公務員


2019年の高校生の憧れの職業

さて、2040年を考えてみるその前に、そもそも現在の高校生はどんな仕事に憧れるのか。軽く調査結果を確かめてみる。


高校生の将来なりたい職業(中高生が思い描く将来についての意識調査2019より)

男子はプログラマとか起業家とかクリエイターとか公務員とか、女子は看護師とか芸能人とか会社員とか保育士とか。目立つ仕事もあれば、地味めの仕事もあれば。稼げそうな仕事もあれば、そんなことない仕事もあれば。

ランクインの基準は何だろう?

内発動機に素直な仕事

ちょっと乱暴だけど、ここでひとつの仮説を立ててみる。それはランクインした「将来なりたい職業」とは、高校生たちの内発動機に素直な仕事である、というものだ。

内発動機とは、内面に湧きおこる興味・感心であり、それはパーソナリティによって異なる。パーソナリティとは生まれ持った気質であり、外向性とか誠実性とか、いくつかの評価軸が知られている。

例えば『あなたの天職がわかる16の性格』(2016)では、MBTI法に基づき性格を分類し、それぞれの適職を整理していておもしろい。MBTI(Mayers-Briggs Type Indicator)は国際規格にもなっていて、『16 Personalityies』のサイトで無料で評価できるのでおススメ。ちなみに私は「建築家(INTJ)」タイプだったよ!

内発動機は、具体的には例えば次のような欲求が挙げられる。

  • 人の役に立ちたい
  • 人とコミュニケーションをしたい
  • 冒険したい、チャレンジしたい、楽しみたい
  • 独立してやりたいことをやりたい
  • 独創したい、アイディアを形にしたい
  • 安定したい
  • 社会的地位が欲しい、目立ちたい

価値観は人それぞれなので、このどれに共感するかはまちまちだと思うけど、こうした多様な動機がそのまま素直に現れたのが、ランクインした職業たちなんだろう、と私は考える。

なお大前提として、その職業が高校生に認知されている必要があることはここに述べておく。さらに言えばその認知は、イメージと実態とが乖離している可能性も踏まえておきたい。

では、2040年の憧れの職業は?

2040年においても、高校生たちが憧れる職業は、彼らの内発動機に基づき選ばれるだろう。ということで、以下ではそれぞれの内発動機に鑑みながら、2040年における憧れの仕事を考えていく。


1.意思決定にまつわる仕事

2040年においても、意思決定は重要な仕事だ。もちろん、AI等の自動化技術は人の意思決定をサポートするが、意思決定主体はあくまで人間であり続ける。それは事業の所有者が人間であるからだ。

この領域においては「起業家」「経営者」が人気となる

起業家・経営者

2040年には市場の仮想化・国際化がさらに進んで、起業のハードルが現在以上に下がっている。遠隔地のニーズがより可視化され、シーズとのマッチングがより活発になり、最初は小さくとも事業を起こしやすくなる。

若手の起業家や経営者はありふれた存在になり、冒険心や独立心の溢れる高校生にとって、憧れの未来となるだろう。

2040年は当事者デザイン(Co-Design)の時代であり、起業チームではサービスデザイナーが中心的な役割となる。当事者デザインにおけるサービスデザイナーは、ユーザを巻き込んでのコミュニティを創り上げる。ときには新興宗教の教祖的な色彩も帯び、多くの場合、起業家自身がこれを担う。

そこではあらゆるレベルにおいて、「物語を創る当事者デザイナー」と「物語を具現化する専門家」の二人三脚がみられるはずだ。

  • レストラン経営者(物語の創造)とシェフ
  • マーケター(場の創造)とエンジニア
  • 編集者(ファンコミュニティの運営)とアーティスト

なお、2040年には現在以上に「意識高い人」も増え、食い物にされる人、食い物にしようとする人たちも溢れている。単に功名心に憧れるだけの高校生は、いずれ勉強代を支払うことになるだろう。


2.人間関係にまつわる仕事

2040年において特に重要性を増すのが人間関係にまつわる仕事だ。現在の仕事の一定の領域は自動化が進んで、人間はいま以上に「人間を相手にする仕事」に集中することになる。

ビオトープ・タレント

インターネットやSNSは、コミュニティの多極化、価値観の多様化を進めた。細分化された空間のそれぞれには、その空間でのみ通用するコンテクストが生じ、空間は例えば「ビオトープ」と呼ばれる。

卑近な例ではTwitterがわかりやすい。ある属性の層に対しては絶大な影響力を誇るが、別の属性層では全く無名な、フォロワー数十万レベルのアカウント。こんなたとえでイメージ湧くかな。あるいはYoutuberとかVtuberでもいいだろう。

2040年にはおいては、あるビオトープに特化して影響力を持つタレントが、あらゆるチャネル、あらゆるレイヤーに現われてる。私はこれを「ビオトープ・タレント」と呼ぶ。彼らは2020年現在のテレビタレントのような知名度こそないが、一定規模のビオトープに君臨することで、十分な収入を得られている。

現在の高校生が芸能人に憧れるのと同様に、2040年の高校生は自身の属する領域のビオトープ・タレントをロールモデルとして、これに憧れるだろう。

ちなみにビオトープ・タレントの適性として、芸に秀でることはもちろん、ビオトープの人たちとのコミュニケーションが重要な能力となる。単に承認欲求を満たしたいだけでは務まらない。

専門職

弁護士や弁理士、税理士などの士業。教師や保育士、トレーナー。医師、看護師、ケアマネージャー。これら専門職は、2040年においても高い地位や社会的需要を維持している。

ただし2020年現在と異なり、彼らの提供価値のうち、知識や経験の占める割合は低下している。言うまでもなく自動化技術や集合知の影響である。

彼らに求められるのはむしろ、依頼人や提供者への(高度な知識・経験を前提とした)コミュニケーションだ。相手の悩みに傾聴し、相手に共感して、相手の文脈に沿って提案をする能力。資格試験も、そのような実務能力を量るものに変わるだろう。

専門職の特徴は認知度である。実態を知るかどうかは別として、高校生にとってこれら職業を指すコトバはわかりやすく、ゆえに人気につながりやすい。

実際に大成するには「人を助けたい」「人のために役立ちたい」というパーソナリティが重要だけど、それでも労働機会は多いので、最初の入り口は「めだちたい」とか「何となくカッコよさそう」でも、それなりに食べていけるはずだ。

政治屋(補足)

高校生の憧れの職業にはランクインしないが、補足として「政治屋」も挙げておきたい。「政治屋」とは、いわゆる国会議員や市議会議員といった代議士ではなく、事業におけるプロジェクト・マネージャー的な仕事を便宜的に指す。

2040年には、人間の労働領域として意思決定の重要性が増している。ということは「起業家・経営者」の項でも説明したけど、意思決定は組織の代表者には限られない。意思決定は組織間や、あるいは組織内の各階層でも行われる。

意思決定の中でも特に重要な役割が、ステーク・ホルダー間での交通整理だ。サービスや、プラットフォームや、あるいはビオトープなど、それぞれのエコシステムの中で、間で、ポリティカルなコミュニケーションが必要とされ、これを担う人材が重要になる。特に、規模が大きなエコシステムや、エコシステム間の調整を担える人材は高い収入を得るだろう。

ただしこの仕事は表には出てこないので、高校生にとっての認知は低く、憧れの職業には入らない。しかしながら2040年における重要な職業のひとつであるため、ここに言及した。


3.身体性を伴う仕事

2040年は、低レベルの知的労働はすでにAIに代替されている。一方、身体性を伴う労働のロボティクスによる代替はまだ進行が始まったばかりの段階だ。そのため、身体性を伴う労働が2020年現在よりも「人間らしい仕事」として認められている。

職人

ロボティクスによる自動化の困難な職人業は、一定の人気を博している。例えば工芸家や、シェフ、美容師、各種技師などだ。特にこれら職人は当事者デザイナーと手を組むことで、様々な「物語」を具現化していく。

手を動かして価値を創ったり、工夫をするのが好きな人は、こうした職人に憧れる。

警察官・消防士・救急隊員

警察官や消防士、救急隊員なども安定して人気がある。2020年現在に比べて、監視や一次対応など一定の業務はすでに自動化されているが、社会の安全を支えるこれら職業は無くならないし、重要であり続けている。

上位にランクインするかは別だけど、使命感をもつ高校生にとって将来の選択肢のひとつとなっている。

自衛官(補足)

自衛官は警察官等の仕事に比べて人員数が少ないため、これもランクインまでするかと言えば難しそうだが、選択肢のひとつとなっている可能性はあり、言及しておく。

高校生にとって自衛官が人気であるかは、そのときの安全保障政策や世論にも左右されるためわからない。しかしながら、2040年の国際情勢を鑑みるに、安全保障の重要性がさらに高まっているシナリオは考えられる。

実際には、軍隊は機械化や専門化、人材の高度化が進むため、(すでに現在もその傾向があるけれど)誰でもなれる仕事ではなくなる。その代わり、高度な教育が施され、自衛官を経て「起業家」や「政治屋」となる人も増えているかもしれない。


4.選ばれた人

スポーツ選手やアーティストなど、一握りの限られた才能により「夢」を実現した人たち。2040年にとっても彼らは憧れの的であり続ける。

ただし、高校生になると現実(実現可能性)が見えてくるため、まだ本気で目指す高校生は限られてはいるだろう。小中学生だったらランクインするけど、高校生ではランクインまではしないかも。

スポーツ選手

スポーツは2040年においても魅力的なエンタテイメントであり、その仕事は無くならないし、もちろん人気であり続ける。ただし2040年においては、サッカーや野球だけでなく、いわゆるオンライン・ゲームも「仮想スポーツ」として認知されるに至っている。

スポーツ選手には2つの類型に分けられる。1つは「トップアスリート」型。メジャー・スポーツや、世界規模のプレイヤーなど、その実力が全人類においてもトップクラスの「選ばれた人」たちだ。

もう1つは「コミュニケーション」型。トップアスリートではないけれど、プレイスタイルで人々を魅了したり、解説やコミュニケーションを通じて物語を提示したり、アイドル的に振る舞ったりする。これらは「選ばれた人」というよりは、上述の「ビオトープ・タレント」に分類される職業となる。

アーティスト

アーティストの言葉の射程は広い。音楽、文筆、詩、美術、舞踏、演劇、芸能、などなどあらゆるアートのジャンルで活躍する人たちだ。

クリエイティブの仕事はAIによる代替が進むが、それでも圧倒的な才能は存在する。先鋭化された超ハイコンテクストから新しい価値を生み出すトップアーティストたちは、AIによる知的労働・感情労働の代替が進むからこそ、人間性の極北として大きな注目を集める。

アーティストもスポーツ選手と同様、2つの類型に分けられるだろう。1つはここで述べた「選ばれた人」、すなわちトップアーティストだ。もう1つはビオトープ・タレント型で、創造物そのものの価値というよりは、これを物語に載せて特定ビオトープに対して価値提供する人たちだ。

なお、クリエイティブな人間とは、アーティストになるためにアートを行うのではなく、アートを行うことが生活の一部となる人だ。そのため、金銭労働ではなくとも、趣味の範囲でアートを行う人たちも小さくない層を形成している。

宇宙飛行士

2040年においても宇宙飛行士は限られた専門職だが、2020年現在よりはそのすそ野が広がっている。月・地球ラグランジュ点ではゲートウェイ・ステーションが稼働して、火星や火星以遠への探査も活発になっているだろう。

したがって、冒険心溢れる高校生にとって、宇宙飛行士も捨てがたい選択肢となっている。


5.安定した仕事

「安定したい」というのもひとつの欲求であり、特に日本人は安定志向者の割合が大きいという調査結果もあったりする。そのため、安定した仕事(正確には「安定しているように見える仕事」)も人気の仕事のひとつとなる。

公務員

安定志向の高校生にとって、2040年においても公務員は重要な選択肢のひとつとなる。公務員は2040年においても無くならない。その理由は次の通りだ。

  • 地方インフラや各種行政機能の推敲のため、絶対数の人員が必要である
  • 公務員は民間セクターに比べて効率化が遅れ、自動化が進んでいない
  • 国家的な労働市場縮小への対策としての雇用機会の担保に資する

3点目については、公務員は税金で雇われることから、国民の批判も集めることとなる。が、それでも安定志向の若者はこれを目指すだろう。


高校生たちの憧れは叶うのか?

以上、2040年の高校生が憧れる仕事について、ランクインしそうなものを挙げてみた。結局のところ2020年現在と大きく変わらないというか、予想として保守的過ぎた気はしている。けれども、ヒトの性質が20年で大きく変わらなければ、その動機や欲求も似たようなものになるとも思う。

では、2040年の高校生たちは憧れの仕事に就けるのか。

環境の変化として、2040年においては、労働市場の縮小や労働機会の格差拡大、自動化技術の普及が起きている。

ただしこれらはあくまで傾向に過ぎない。2040年という時間軸では、すべての仕事の完全な機械化は当然無理だし、現在より効率化が進むとはいえ、現在的な働き方もなお残っているはずだ。つまり、2040年においても仕事のすそ野はあくまで広い。

労働市場の国際化や、オンライン労働の普及など、生活スタイルの変化もそれなりに大きいとは思う。ティール的に、今よりもずっと自由度高く働く人も少なくない。けれども多くの人は、組織に属し、定められた規律に則り、社会を支える。

2040年の高校生のうち、今回挙げた職に実際に就くのは、実際には一部だけとなるだろう。ただし、それは夢が破れることを意味しない。大学に進学し、それから社会を支える多様な職業機会を目にして、彼らはより自身に適した仕事を見出していく。現在の我々の多くが、高校生には知られていない、しかしやりがいのある様々な仕事に就くように。

 

  

 

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2040年の労働市場で顕在化する3つの社会問題

いなたくんへ

たとえば今から20年後の2040年。

私はまだ働いているけど、今と同じような働き方をしてるだろうか。2040年には、今年生まれた子どもは20歳になる。多くは大学生で就職はまだ先だろうけど、将来像は描き始めているはずだ。それはどのような未来か。

私たちの労働環境は、これからどう変わっていくだろう。

AI・ロボティクス等の自動化技術により仕事が奪われる未来や、ベーシック・インカムのような制度が取沙汰されている。オンライン労働の普及や、自動翻訳による海外との連携も深まっていくことだろう。そういえば前回はティールについて考えもした。

今回は、労働市場を変革させる変数を整理するとともに、2040年頃における課題と、想定されうる解決アプローチについて考えてみた。2040年の状況が少しは可視化できたと思う。

Summary Note

1.今後20年の労働市場を変革させる3つの変数

  • AI/ロボティクスにより労働領域がシフトする
  • オンライン労働が増える
  • 国家間の労働市場が接続される

2.2040年の労働市場における3つの社会課題

  • 労働機会の格差の拡大
  • 国際競争に耐える高付加価値人材の育成
  • セーフティネットとなる「地域性のある労働」の担保

3.都市インフラ企業が提供するベーシック・インカム

  • 用途の限定されたポイントが給付される
  • ポイントは社会信用システムに基づき付与される
  • 仕組みの運用は国家の委託を受けた企業が担う
  • 財源は税金とする

4.人材・企業の国外流出は国家間条約により防がれる

5.未解決問題

  • そもそもの労働格差をどう解消するのか
  • 教育機会をいかに担保するのか


1.今後20年の労働市場を変革させる3つの変数

時間軸として多少の前後はあるだろうけど、労働市場における2040年までの変化としては、次の3つの要因がインパクトを持つと思う。

(1)AI/ロボティクスにより労働領域がシフトする

第3次AIブームにより「AIが仕事を奪う」論が盛り上がったが、これには2つのシナリオがある。

1つは、AIにより既存の仕事は失われるが、代わりに新たな仕事が生まれるとする説。ただしこの場合でも、「摩擦的失業」や「需要不足による失業」と呼ばれる、新たな仕事が生まれるまでのタイムラグによる一時的な失業は起こるとされる。

もう1つは、AIやロボットなどの機械が生産手段から生産主体に変化し、人間の労働を全面的に置き換えてしまうシナリオだ。『人工知能と経済の未来』(2016)ではこの段階を「純粋機械化経済」と呼び、労働市場や、その前提となる資本主義を終焉させると予想する。

私は長期的には純粋機械化経済の実現や、資本主義が終わる未来を支持する。が、2040年という時間軸ではまだそれには至らないだろう。おそらく前者のシナリオに沿って、人間が担う労働の領域がシフトすると予想する。

意思決定や知的労働は、AIによる自動化が進み、人間は現在よりも上位フレームの労働を担う。肉体労働や感情労働はむしろ重要性を増すが、後述するオンライン・コミュニケーションやテレイグジスタンスの影響を受け、全体として労働市場の規模は縮小する。

このあたりは次の記事でも予想した。

(2)オンライン労働が増える

2040年には、オンラインでの労働が今よりも普及しているはずだ。知的労働はテレプレゼンスを用いた在宅勤務が当たり前になる。肉体労働・感情労働についてもテレイグジスタンス・ロボットを用いた遠隔労働が現れ始める頃だろう。

ただし、人と人とのコミュニケーションが必須となる高位の意思決定や、直接的感情労働など、あくまで生身が重視される労働は残る。それらは高付加価値の労働とみなされるだろう。

場所の制約がある程度取り払われることは、メリットとデメリットとをもたらす。需要と供給のマッチングにより仕事の数は増えるが、スケールフリー・ネットワーク効果により高付加価値・高収入の労働は一部に偏在し、労働格差は拡大する。

生活レベルでみると、2040年には「通勤」の位置づけが変わっていて、プライベートの生活時間が人の価値観に与えるウェイトがより大きくなるかもしれない。

(3)国家間の労働市場が接続される

20年後には音声やテキストのリアルタイム翻訳が当たり前になり、言語の壁を越え、国家間での労働市場の接続が進むだろう。そのため、オンラインで完結する労働は国際競争にさらされることになる。

国際競争の影響を受けずに済むのは「場所」に関する仕事だ。これをここでは「地域性のある労働」と呼ぶことにする。地域性のある労働には次のものが含まれる。

  • 地域の労働やインフラに関する労働
  • 身体性を伴うオフライン労働(直接的感情労働や人間関係にまつわる政治的仕事も含まれる)
  • 詩や芸術、キャッチコピーなど、言語や文化に深く根差したハイコンテクストな労働

労働市場の国際化は、全体的には労働機会を増やすだろう。国境を越えて外国の仕事も請けられるし、規模の拡大に伴いロングテールの労働機会も生まれるはずだ。

その一方で、スケールフリー・ネットワーク効果により、高付加価値の仕事は一極集中が起こるだろう。スケールフリー・ネットワークとは、典型的にはインターネットの構造がそれで、優勢的選択による分極化が起こりやすいことが知られる。

より希少となる高付付加価値の仕事を手に入れるべく、教育がさらに重要になる。
また、労働力や労働機会の国外流出が国家間の問題として認識されるだろう。

その他のメガトレンド

労働市場に対する主要な変化としては以上の3点が考えられるが、これとは別に、2040年ごろのマクロトレンドも挙げておきたい。2040年には以下の点が世界的な事象となって現れている。

  • 高齢化
  • 都市化
  • 水・食料問題の顕在化


2.2040年の労働市場における3つの社会課題

以上に挙げた変化を背景として、2040年の労働市場ではいくつかの課題が生じているはずだ。その代表的なものを3つ挙げたい。いずれも大きな社会問題となっている。

(1)労働機会の格差の拡大

既に述べた通り、労働市場のオンライン化や海外との接続は、スケールフリー・ネットワーク効果により格差を拡大させるだろう。

教育レベルの高い人や、感情労働を含めた能力の高い人は、より高収入・高付加価値労働の機会が得られ、自由な働き方ができる。競争は激しいが、リターンの大きな世界だ。

一方で、教育レベルが低かったり、競争に足る能力を持たない人は、労働の選択肢が制限される。具体的には次のような労働しかできなくなる。

  • 地域性のある労働のうち、低賃金の労働
  • AI/ロボットに任せるよりも人の方が安くつく単純労働
  • 本人の自由意思(内発動機)に基づく低賃金・無賃金労働(たとえばブログ執筆とか)

労働格差の拡大は、さらに次のような課題を生む。

  • 低学歴者・低能力者の労働機会をいかに担保するか
  • 高学歴者・高能力者が得る富の再配分をいかにして実現するか

(2)国際競争に耐える高付加価値人材の育成

労働市場が海外に接続されると、国際競争に耐えられる高付加価値人材の育成が国家的な課題となる。こうした人材が育たなければ、貴重な労働機会を外国に奪われてしまうからだ。

対応策のひとつはまず教育だ。ただし、2040年の労働市場で求められる人材像は2020年現在とは異なるため、教育の内容も今とは違ったものになるだろう。単なる知識だけでなく、感情的振る舞いや、多様な経験、あるいはチームリーディングや政治的なコミュニケーションの力が価値とみられるかもしれない。

また、ゴールドラッシュ時代のつるはし売りではないけれど、教育産業も大きく育つ。教師や講師、教育プログラムの設計者などが増えるだろう。

その上で、育った高付加価値人材や、その人材が得た富の海外流出をどう防ぐかも、国家の重要な課題となる。

(3)セーフティネットとなる「地域性のある労働」の担保

労働格差の拡大に伴い、働けない者が出るだろう。国家は彼らに労働機会を提供する必要があるところ、国際競争に晒されにくい「地域性のある労働」がセーフティネットとして機能する。

機能する、というよりも、セーフティネットとしてきちんと機能させるために、国家は「地域性のある労働」を整備しなくてはならない。


労働市場における変化と課題の整理


3.都市インフラ企業が提供するベーシック・インカムとその対価

以上に挙げた課題を解決するために、2040年にはどのような方策がとられているだろう。私は1つのアプローチとして、ベーシック・インカムに似た仕組みが考えられると思っている。

ベーシック・インカムとは、国家がすべての国民に対して、最低限の生活が送れるだけの金銭を給付する仕組みだ。ただし私が考える「似た仕組み」は、単に金銭を給付するものではなく、次のような仕掛けである。

用途の限定されたポイントが給付される

金銭が給付されるのではなく、用途の限定された生活ポイントが支給される。用途とは、生活に関するものだ。電気・水道などの都市インフラの利用料や、食料や衣料、生活消費財の購入等に使用できる。米国のフードスタンプに似た仕組みだ。

なお、フードスタンプは金銭への交換が問題になっているが、ブロック・チェーン技術等を用いることで、交換を防ぐことが考えられる。

ポイントは社会信用システムに基づき付与される

ポイントは無償では供給されない。社会信用システムに基づき付与される。

社会信用システムとは、例えば都市の生活ルールを守ったり、税金や公共料金の支払いをきちんと行うなど、いわゆる「マナー」を守ることで得点を付与する仕組みだ。社会信用システムのスコアが高くなると、融資を受けやすくなったり、レンタカー等のサービスでデポジットが不要になるなど、様々なサービスで得点が得られる。

今回考えるベーシック・インカム「に似た仕組み」では、都市はそのインフラとして社会信用システムを含む。そして地域での生活態度や、地域への労働力提供を管理し、その対価としてポイントを付与する。

地域の仕事は、小さなところではごみの分別から、インフラの日常的な点検補修、自治会の作業などが考えられる。現在においても、田舎では道路や水路の整備、消防団などは地域住民の自治に委ねられるが、これが都市でも行われるイメージだ。

こうした地域的な小さな労働に対してポイントを支払うことで、実質的に雇用が創出されることになる。住民自身に委ねることで、生活圏内のメンテナンスを、機械による自働化や専門業者に委託するよりも低いコストで実現できるというわけだ。

また、水や食料の使い方、電力の適正使用などもポイント付与の対象となる。2040年には水・食料・資源の不足が国際的な課題となり、おそらく各国家に対して、京都議定書のような制限が課されるだろう。これを社会信用システムに紐づけることで、市民個々人のレベルでの資源管理が促される。

仕組みの運用は国家の委託を受けた企業が担う

社会信用システムの運営と、これに基づくポイントの付与は、企業が担う。

2040年までには世界的に都市化が進むが、都市のインフラや、生活を支える各種のサービスなど、都市の運営自体が企業に任せられているだろう。現在でもMaaS(Mobility as a Service)のような、サービスレベルを包含した交通インフラが提唱されているが、それがさらに都市全域に拡大しているイメージだ。

企業は、経済活動として都市全体の運営を行い、その一環として、住民自身に地域の労働を委ね、管理コストの低下を狙い、さらに対価として生活ポイントを還元する。

なお「企業」と書いたが、これは1つではなく、複数企業からなるコンソーシアムとなるだろう。企業はこのエコシステムに参加することで、都市生態系のバリューチェーンにスムーズに参入できる。

財源は税金とする

ベーシック・インカムの最大の論点の1つが財源だ。

今回提案した「似た仕組み」でも、生活ポイントは地域の労働の対価として付与されるものの、市民全体の生活の保障となればどうしても運営側の持ち出しが必要になる。

その分は、やはり税金で担保するしかない。

2040年には労働格差が広がり、能力の高い人材にはより多くの富が集まっている。そこで、労働市場の勝者への課税率を大きくし、これを都市に対して還元させる。あるいは、そうした高収入労働者の働く企業に対して課税割合を高めることもひとつの手段となるだろう。

この再配分は、最終的には所得の低い市民にポイントの形で届くが、これは都市インフラ維持の対価として間接的に行われる。このため、都市で生活する高額納税者や企業も、一応は受益者となる。

さらなる3つの課題

このように、労働格差の拡大により働けなくなった市民や、低所得に甘んじる市民に対して、地域性のある労働の機会を担保することで、都市の管理コストを低減しつつベーシック・インカムを給付できる。

しかしながら、まだ次のような課題が残る。

1つ目に、それでも地域の労働を忌避する人をどうするか。社会信用システムのインセンティブすら無視する最底辺層は少なからず出るはずだ。これは、一定の権利制限を前提とした生活保護しかないだろう。このとき、給付されるポイントは、生活保護に対していわゆる「貧困の罠」に陥らないよう設計される必要がある。

2つ目に、高所得者や企業への税率を高めた場合に、その海外流出をどう防ぐのか。これは後述する方法により対処される。

3つ目に、高齢社会化にどう対処するのか。今回提案した「似た仕組み」は高齢社会化への対処ではないため、別の解決策が必要になる。


4.人材・企業の国外流出は国家間条約により防がれる

ここでは、上記で挙げた課題のうち、高所得者や企業の海外流出の防止について考えてみる。

労働市場が国際的に接続されて、労働者や企業は国境をまたいで活躍をする。先に述べた通り国家がこれら高収入労働者や企業への課税を高めようとするならば、税率の低い国に拠点を移そうとするのは自然だろう。

国家によっては、人材や企業の誘致を優先し、課税率を低く抑えるかもしれない。それは、国家同士が税率を下げることの競争に繋がるかもしれない。

2040年の国際社会はフラットになる

ところで、2040年の国際社会は現在とは様相が異なっている。

新興国の経済水準が上向き、現在の先進国は高齢化等の問題により勢いを失い、多くの国が「中堅国家」として横並びとなる。米国や中国といった「大国」ももちろん存在するが「超大国」は不在となり、先進国対新興国という対立構造も失われている。

このとき、大多数が中堅国家となった国際社会は、人材の流動性と課税に関する国際的な枠組みを設けるだろう。課税額を下げる競争を行ったところで、結局は共有地の悲劇をもたらすだけだ。それよりも、各国で一定の税率を保つ協定を結んだ方が、持続的な社会を築ける。

この枠組みに参加しない場合、例えばオンラインを通じて接続される国際的労働市場に参加できなくなるなど、ペナルティが課されるだろう。個人も、企業も、脱法的制度を持つ第三国に所在を移すことは難しくなる。

なお、ここで述べた「枠組み」自体は、世界でひとつになるとは限らない。複数の経済圏への分断が起こるかもしれないし、孤立してでも保護策を取る国も出て来るだろう。それらは貿易摩擦の原因となる。

高齢者にも「地域性のある労働」を促す

ついでになるけど、もう1つの課題である高齢社会化にも触れておきたい。我が国を筆頭として、米国や中国、欧州、そして現在の一部の新興国も、2040年には大きな高齢者人口を抱えている。

高齢社会化の問題として、例えば次のような点が挙げられる。

  • 社会保障費の負担が大きくなる
  • 高齢者が働かない場合、労働者人口の比率が相対的に減少する
  • 高齢者が働く場合、若年層の労働機会が奪われる

このうちの一部は、地域性のある労働を対価とした生活ポイントの付与で、一定の吸収が図れるかもしれない。

すなわち、社会信用スコアと生活ポイント付与をインセンティブとすることで、高齢者にも「地域性のある労働」を促し、一定の労働を担ってもらう。ただし「地域性のある労働」を超えた範囲では、若年層の労働機会を奪うことは控えていただく。

また、相続税を現在よりも厳しくすることも考えられる。ただし、財産をそのまま召し上げるのではなく、税率を上げた分について、社会信用スコアや生活ポイントといった形で相続者に還元する。富を移動しにくい形にすることで、地域や国家からの流出を防ぐ狙いだ。

もちろん、これらは施策としてはインパクトを持つものではなので、より抜本的な他の施策が必要にはなる。


5.未解決問題

ということで、2040年の労働市場が抱える課題と、その解決策としてのベーシック・インカム(に似たもの)を考えてみた。ただし、さらにまだ2つの問題が残っている。

(1)そもそもの労働格差をどう解消するのか

労働格差をどうするか。私としては、これはもう仕方がないんじゃないかと思う。

今回は2040年という時間軸で考えたけど、いずれ純粋機械化経済への移行が進行すれば、人間の生活が賃金労働の対価によって成立する時代は終わりになると私は予想している。産業の自働化により生産性が爆発的に向上し、ベーシック・インカムのような生活の保障制度がさらに進歩し、人間は賃金を目的としない「広義の労働」を楽しみながら生きていく。そんな時代がやってくる。

2040年はあくまでその過渡期であって、社会はさらに大胆に変わっていかなくてはならない。

個人の生きがいや、企業の役割や、国家の生存のために、賃金以外の何を労働のインセンティブとするのか。その探求こそ、むしろ真の課題となるだろう。

(2)教育機会をいかに担保するのか

今回は教育格差を解消するための具体的な方法には触れなかった。義務教育をはじめとした無償の教育機会の提供とか、とにかく底上げと機会提供を行うしかない気がする。

ただし、教育機会の提供は国家ではなく、都市を運営する企業が(その運営コストを下げる目的で)積極的に取り組んでいくかもしれない。

また、人間が行うべき労働の種類も変化していることから、教育の内容は現在とは異なり、より個人化された、より人間の力を強化するようなものに変わっていくのかもしれない。

このあたりの考察は次回以降あらめて考えたいと思う。

 

  

 

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ティール組織の限界とベーシック・インカムの財源

いなたくんへ

テクノロジーの進化やイノベーション論でよく目にするのが、自由な生き方、自由な働き方の実現だ。

たとえばWIRED編集長のクリス・アンダーソンは「会社という形態はすでに、二十世紀の遺物ではないか」と疑問を提示。小林弘人著『Webとは現実世界の未来図である』(2014)では、「通常の会社組織は社員を雇っている異常、能力や適性が足りなくてもその人材を使わなくてはならない」が、「ネットでは有能な人間とだけ競争が可能だから、効率が圧倒的に良くなる」として、新しい組織の可能性に言及していた。

この流れにある組織論に、近年話題を集める「ティール」がある。ティール組織とは、組織のメンバーがそれぞれ自己決定を行う自律的組織であり、極めて自由度の高い働き方が実現される。

これを受けて、ティールこそが正しい組織の在り方であり、ピラミッド型の組織とは古いものであり、いずれ全てがティールにかわる、という極端な言説を聞くこともある。

本当だろうか?

私はかねてより、ティール組織、というよりティール組織信奉者の言葉に違和感を覚えていて、今回その限界について考えてみた。

また、仮にティール組織が広く普及した状態においては、私はネットワーク効果によりむしろ格差が拡大すると予想する。そのとき富の再配分の方法として期待されるベーシック・インカムについて、財源問題の解決策を考えてみた。

Summary Note

1.ティール組織はどこまで成立するか

  • ティールは万人に通用するのか?
  • 大きすぎる自由は人を溺れさせる
  • 組織がフラットにならないのは人間だから
  • ティールはスケールフリー・ネットワーク問題を起こすか
  • 労働の高付加価値化は全ての人を幸せにしない

2.ベーシック・インカムの財源問題を解決する3つの方法

  • ノブレス・オブリージュ
  • 多数決
  • 再配分が利益を生む構造とする


1.ティール組織はどこまで成立するか

ティールとは、元マッキンゼーのフレデリック・ラルー氏が著書『Reinventing Organizations』(2014)で提唱した組織論だ。同書は17カ国語に翻訳され40万部を超えるベストセラーとなった。

従来型の中央集権的上意下達型組織(多くの会社組織はそうなっている)に対して、ティール組織では、ボトムアップ型の意思決定プロセスを重視し、リーダーは存在しない。メンバーはそれぞれ差利用権をもって、自らの主体性の下に自律的に活動をする。各メンバーの関係は完全にフラットであり、各個人が有機的・調和的に協働することで、共通の目的を達成しようとする。

ティールは万人に通用するのか?

私はティールの考え方は否定しないし、所属組織(企業)の垣根を超えて有志がユルく集まり大きなプロジェクトを実現する、といった場面にも何度か立ちあったことがある。これからのCo-Designの時代、当事者デザインの時代において、イノベーションの実践はティール的な関りからこそ生まれるだろう。

しかしながら、ティール組織をあらゆる組織の次世代であるとし、旧来的な組織の在り方を全く否定する考えには賛成できない。ティール組織は理想的ではあるが、あくまで例外的な組織形態に留まると私は思う。

これに関して、北野唯我著『転職の思考法』(2018)に興味深い一節があった。同書は物語形式で転職の考え方を解説するが、主人公が「自分の好きなことは何か?」というあるあるの疑問に悩んだとき、コンサルタントに次のように告げられる。

99%の人間は『心からやりたいこと』という幻想を探し求めて、彷徨うことが多い。なぜなら、世の中に溢れている成功哲学は、たった1%しかいないto do型の人間が書いたものだからな。彼らは言う。心からやりたいことを持てと。だが、両者は成功するための方法論が違う。だから参考にしても、彷徨うだけだ。

『転職の思考法』より

『転職の思考法』によれば、仕事を楽しむ人間の使う言葉は二種類に分けられる。

  • to do(コト)型:明確な夢や目標を持ち、何をするのかで物事を考える
  • being(状態)型:どんな人でありたいか、どんな状態でありたいかを重視する

そして同書は、99%の人間はbeing型であり、「being型の人間は、ある程度の年齢になった時点から、どこまでいっても『心から楽しめること』は見つからない」と指摘する(その上で、それが問題ではないことも説明する)。

これは私の偏見だけど、ティール組織を称賛する人って、どうもto do型が多い気がするんだよね。ティール組織に向く人イコールto do型とまでは言わないけれど、生存者バイアスというか、ティール的に自由な働き方を実現できた人が「こっちの水は甘いぞ!」と言って煽るような、あるいはそれを見た現状に不満のある人が隣の青い芝を見る眼差しで、ティールに救いを求めているような。

でもティールって、決して万人向けではないと思うんだよね。

大きすぎる自由は人を溺れさせる

自由には代償として責任が伴い、責任を担保できる能力が求められる。

ティール組織の最終形では、メンバーは常に自分とチームとの目標を自覚し、全体の意思決定プロセスすら経ずして、組織に対してできる最善の活動を自発的に行う。

これってメチャクチャ高度だよね。

実際に私がみたティール的な働き方をする人たちはみな、高度な専門性や経験、能力を持ち、指示待ちの人は誰もいなくて、自分で難易度の高い課題を見つけ出して、情熱でそれを解決していた。そういう人たちが対等な能力を持つ人同士で結びつき合い、ごく自然発生的に、そこにチームが出現する。

だけどそれは特別な事例だ。私たちは、誰もが自ら課題を見つけ、創造的に振る舞えるわけではない。

指示をもらって、与えられた仕事を淡々とこなす方が性に合う人もいる。先の「能力」という書き方は厳密には適してなくて、良し悪しではなく適性の問題で、そういうやり方のほうが(他人に比べて)能力を発揮できるタイプがいる、ということだ。そういう人は逆に、あまりに自由度の高い環境では何をしたらいいかわからず、パニックに陥ってしまう。

私は「自分の能力で対応できる裁量の範囲よりわずかに高い自由度」が与えられた環境こそが最適解だと考える。たぶん人は、そのような環境で最も自由を自覚できる。それ以上の大きすぎる自由は、むしろ人を溺れさせてしまう。

組織がフラットにならないのは人間だから

実際にティール組織について調べると、「よくある誤解」として、ティールが全ての組織を置換するものではないと説明される。

WIRED創業編集長ケヴィン・ケリーは『インターネットの次にくるもの』(2016)で、自律的な個人によるボトムアップの力を重視しつつ、トップダウンの重要性にも触れていた。

同書では、例えばプラットフォームではなくプロダクトの生産を目的とする場合には、強力な指導者や階層が必要であるとし、その上で、トップダウンとボトムアップの適切な協働が在るべき姿であるとする。

英エコノミスト『2050年の技術』(2017)では、組織のヒエラルキーを無くそうとする試みはこれまでうまくいっていないとし、未来においても「組織構造はフラットにならない」と予想。その理由を次のように述べている。

それを示すデータとして、1983年以降、アメリカ経済における管理職の数はおよそ二倍に増えている。

平等主義的権力構造が失敗する一因は、ヒエラルキーにおいて自らがどのような地位や全体的立場にあるかという認識が、たいていの人にとってきわめて重要な意味を持つことだ。

『2050年の技術』より

みんな隣人の権力には敏感だよね。にんげんだもの。

 

ティールはスケールフリー・ネットワーク問題を起こすか

それでもティールが広く普及したらどうなるか。

インターネットの世界は、見方によってはすでにティール的なものを成立させている。インターネットは、遠隔地に存在する小さな需要と小さな供給とをつなぎ合わせ、コラボレーションを実現する。供給者はこの系に自律的に参加し、必要な他のリソースと有機的に繋がって、付加価値を創り出す。

しかし、その仕事の全てに十分な対価が生まれるとは限らない。労働の種類によっては需要に対して供給が飽和し、市場原理によって対価は著しく低下する。

あるいは、チームが常に流動的なティールは、スケールフリー・ネットワーク現象を引き起こしうる。

スケールフリー・ネットワークとは、典型的にはウェブのような、ハブとスポークとからなる大規模ネットワーク構造を指す。そこでは優勢的選択が生じ、すなわち、能力のあるノードへの一極集中が起こる。

ティールが主流になったなら、能力の高い一部の人に仕事や対価が集中するかもしれない。同じ専門性の比較において相対的に能力の低い他の人々は、ロングテールとなって十分な機会を得られない。

労働の高付加価値化は全ての人を幸せにしない

ティールが普及する要因のもう一つの可能性として、自律システムの進歩がある。

AIなどの自律システムがより高度化すれば、人間が行うべき労働はより高付加価値で創造的な領域にシフトする、という予想がある。もちろん、完全に全ての仕事が創造的なものになるかといえば、それは極端だろうけど、傾向として、そうした労働が労働市場の少なくない割合を占める未来はありうるだろう。

あるいは自律システムに拠らずとも、定型的な業務が人件費の安い地域に外注される、といったことも局所的には進行しうる。

いずれにせよ、労働市場において高付加価値労働が主流となれば、これと親和性の高いティール的な働き方が適応的に普及していくかもしれない。このような未来において、人間同士は内発動機に基づき有機的に結びつき合うとともに、対価は専門性や能力の高い一部の人間に集中し、ゆえに労働機会は限定される。


2.ベーシック・インカムの財源問題を解決する3つの方法

そういうわけで、個人の自律性を重視するティールという働き方は魅力的だが、それは高い専門性や能力に裏付けられてのものであり、人々を自由にするどころか、むしろ機会を奪うかもしれない。

そこで考えられるのが、ベーシック・インカムだ。

たとえば労働の一極集中が起きたとき、わずかに1%の優秀な労働者が富を集めるものとする。残りの99%の人々は、自身のできる範囲での労働を行いつつも、十分な賃金が得られない。このとき、1%の人が99%の人々に富の再配分を行うことが望まれる。

99%の人にとって、労働のみではなく給付により生活が支えられるならば、それはベーシック・インカムとなる。ベーシック・インカムは財源が大きな問題とされるが、1%の人が富を集めるという前提に立てば、原資はまず確保できる。

次の大きな問題は、1%の人々が99%の人々に富を還元することのインセンティブだ。この再配分をどう実現するか。富とは力であり、他者よりも力をもつことで個として優位に立とうとするのは、生物としての本能だ。これにどう逆らわせるか。

次の3つのアプローチを考えてみた。

(1)ノブレス・オブリージュ

1%の人の自由意思による再配分に期待する。実際に大富豪と呼ばれる人たちは多額の寄付を行うことも多く、期待できる。

とは言え、99%の人々の生活を支えるほどの規模となると難しそうだし、自由意思のみに基づくのでは安定せず、持続的とは言えないだろう。

(2)多数決

共同体の99%の総意をもって、1%の人に対して、再配分を法的に義務付けさせる。これは法治国家による民主主義的な解決である。現状でも累進課税がなされているが、それがさらに激しくなるイメージだ。

しかしながら、国家が介入しての強制的な再配分は、程度が低ければ「福祉国家」と呼べるが、その程度が強まれば社会主義的色彩が強まる。それ自体は悪いことではないけれど、1%の人が富を生むことのインセンティブを奪ったり、そもそも国外に出られてしまうことの懸念は残る。

ひとつの未来ではあろうけど、いささか乱暴であり、実現には大きな摩擦を伴うだろう。

(3)再配分が利益を生む構造とする

ではどうするか。1%の人にとって、再配分が長期的・持続的観点での利益となる構造をつくればいい。

たとえば1%の人の富が消費により支えられるとして、その需要者たる99%の人が対価を払えなくなれば、1%の人もいずれ立ち枯れてしまう。そのような経済の壊死を防ぎ、循環を担保することは、1%の人にとっても重要であるはずであり、1%の人が富を社会に還元することの動機となる。

金が金を生むのではなく、金の分配によってしか金を維持できない、そんな構造がつくられることが好ましい。

1%の人は、再分配後に残る少し多めの金銭と、能力に見合った自由な生き方という報酬を得る。他方、99%の人たちは、能力に見合ったフレームの範囲で幸福に生きる。

これは見方によっては、1%の人が残りの99%を「消費者として飼う」ようにも捉えられる。が、流動性さえ担保されれば、私はそれでもいいと思う。世代交代を経ながら、1%の人は階級として固定されず、能力に応じ99%の人との間で入れ替わる。

人々は能力に応じて働き、その富を再分配するにせよ、あるいは分配を受け取るにせよ、その生活は担保される。これはマルクスがゴータ綱領批判で示した「共産主義社会の高い段階」にも近い。

各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る。

『ゴータ綱領批判』における「将来の共産主義社会の高い段階」

 

ということで、まずはここしばらく流行りのティールについて、心のモヤモヤを書き出してみた。ティール組織。理想的ではあるのだけれど、悪く言えば強者の理論というか、成功者の生存バイアスというか、人の可能性に期待しすぎな気がしてしまう。自由は無償じゃないというか。

もちろんティールの力は信じるものの、それが実現できるのは一部の人であって、そしてそうだからこそ、労働市場がネットワーク化し、あるいは機械に置き換えられるようになったとき、多くの雇用が失われる未来も考えてしまう。

しかしながら、ティール組織のような、内発動機に基づく生き方そのものが価値として認められるならば、そうした生き方をこそ普及させ、賃金はもはや副次的な調整材として社会に還元・循環される未来もあっていいと私は思う。

そんなユートピアの実現を夢見つつ、ティールの普及に期待したい。

 

  

 

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Civ4五大国決戦マルチ実況・弦音視点(6)律令時代

いなたくんへ

文明シミュレーションゲーム「Civilization」マルチプレイの実況第6回。
第1回と前回記事はこちらから。

A.D.410に「弦」王国を建国するも、財政難にあえぐ弦の民。前回プレイでは、内政では通貨の導入と暦法の完成があった。外交に関しては、餃子の民と不可侵協定を結ぶも、マリが勢力圏を拡大して虎谷関を侵食する。これへの対処が急務となる。


A.D.860頃の勢力図

今回プレイでは各民族の地勢が概ね明らかになったので紹介していきたい。蓋を開けてみたらちょっと予想外の結果であった。

Summary Note

A.D.920:「法律」の発明と律令制

マリの文化侵略が加速、防衛力強化へ

馬の民・餃子の民・シャカ族の勢力図

A.D.1100:大弦帝国の成立

次回戦略:「紅河作戦」準備

コラム:「法」というイノベーションと、虚構

なお、この実況はブログ『木牛流馬は動かない』の筆者氏とのマルチ実況だ。画面を見られてしまう都合上、実際のプレイと記事の公開とはタイムラグを設けていて、今回第6回は2018/2/25のプレイ内容である。


A.D.920:「法律」の発明と律令制

まずは内政から。

A.D.880:アインシュタインの「哲学」と道教創始

A.D.880に首都・天元府にて3人目の大科学者アルバート・アインシュタインが出現。これまでに生まれた2人の大科学者には「アカデミー」を建ててもらっていたが、大科学者には他に「発明」をお願いすることもできる。

アインシュタインには新たな学問体系として「哲学」を完成してもらった。「哲学」は「瞑想」と「文学」「演劇」の発展テクノロジーでもある。

「哲学」を世界で最初に完成させたことで、龍樹路に新たな宗教「道教」が創始された。
また、宗教制度として「平和主義」の採用も可能になったが、この採用は見送った。軍事ユニットの維持費が増大するためである。

A.D.920:「法律」の完成

続いてA.D.920に、「通貨」の発展テクノロジーとして「法律」が完成する。律令制国家への移行である。

「法律」の布告に伴い、各都市で裁判所の建設が可能になった。裁判所を建設すると、その都市の維持費を低減できる。

また、労働制度として「階級制度(カースト制)」の採用も可能になるが、これはまだ見送る。「階級制度」を採用すると、各都市での専門家雇用の制限がなくなるほか、工房の生産力が向上する。

A.D.960:文化遺産の完成

A.D.960に征餃子鎮で文化遺産「マウソロス霊廟」が完成。効果として「黄金時代」の期間を延長できる。黄金時代については後述。

続くA.D.980には首都天元府にて「空中庭園」が完成。こちらは各都市の人口を増やせるほか、各都市の衛生を高められる。衛生が不足すると食料供給量が減ってしまうので、地味にうれしい効果である。

A.D.1020:征餃子鎮で奴隷が反乱

A.D.1020に征餃子鎮にて奴隷の反乱が発生、一時的に都市の生産が停止した。これまで奴隷制による緊急生産を各都市で行ってきたが、不満の蓄積が反乱に結び付いてしまったようだ。

武力鎮圧も選択肢ではあったが、ここは穏便に「原因となった奴隷の不満を調査し解消」を選択。調査費として国庫から11ワラジを引き出した。


マリの文化侵略が加速、防衛力強化へ

さて、各民族の情勢を見ていこう。まずは前回虎谷関を文化侵略してきたマリから。

マリの勢力圏偵察

第2回プレイのB.C.400頃にマリを偵察して以来、その後は特に見てこなかった。しかし時間も経過しているし、改めてマリを偵察してみた。龍樹路と虎谷関から戦車を走らせる。

すると、マリの首都ティンブクトゥの北西の海沿いに「ワラータ」が、南西の海沿いに「ガオ」が建設されているのが発見できた。


虎谷関の防衛戦力強化

で、文化侵略を受けた虎谷関はピンチなので、木牛流馬府で生産した弓兵を逐次防御に向かわせる。


木牛流馬府を発して甲河を越え、虎谷関を目指す弓兵たち.
南では労働者が虎谷関と天元府とを結ぶ街道を敷設している.

また、虎谷関を守る戦士の装備を更新し、「斧兵」にアップグレードした。費用をかけることで、兵士は上位の装備にアップグレードできるのだ。




戦闘力は戦士2に対して斧兵5、さらに斧兵は対白兵戦で攻撃力を50%増す.
東から弓兵が着任しつつあるのが見える.

ちなみに斧兵の生産には「銅」または「鉄」が必要で、これはアップグレードでも同様である。このとき虎谷関と首都天元府とを繋ぐ街道が完成したため、銅と鉄が虎谷関に供給され、ようやく斧兵へのアップグレードが可能になった。

A.D.1060:第9都市「白蛇路」の建設

虎谷関と天元府とを繋ぐ街道沿いに第9都市を建設、「白蛇路」と名付ける。戦略的にはあまり意味がないのだが、この場所にマリに入植されると厄介なので、先んじて繋いだ形だ。中継都市に過ぎないので行政区分は「路」とした。

ところが同年にマリは「タケッダ」を建設。垜(あづち)山系を超え、木牛流馬府の真西に割り込んできた形だ。いい度胸しておる…。まだ弦国の勢力圏が押しているが、油断はできない。甲河を渡らせるわけにはいかない。



後年にはマリは長弓兵、弓騎兵×2、斧兵、スカーミッシュ兵(強化された弓兵)からなる部隊をタケッダに配備.

A.D.1180頃のマリの情勢

マリは虎谷関の勢力圏を大幅に削り、その地域の開発を急ピッチで進めている。我が国としてはともかくも、前線の防衛戦力を強化するより仕方がない。


大挙して開発を進めるマリの労働者たち

A.D.1180時点においてこの地域に配備される戦力は以下の状況であった。

弦領「虎谷関」

  • 斧兵×1
  • 弓兵×4
  • 長弓兵×1
  • 戦車×1 ※ニアニ、タードメッカの偵察

マリ領「ニアニ」

  • スカーミッシュ兵(強化された弓兵)×2
  • 斧兵×1
  • 剣士×1

マリ領「タードメッカ」

  • 斧兵×1
  • 槍兵×1
  • 長弓兵×1

なおマリとは北西でも勢力域を接しており、「龍樹路」にも弓兵×2、長弓兵×1を配備した。

弓兵・長弓兵は都市防御に優れた兵種である。今回前線への配備が進んだことで、虎谷関、龍樹路ともに、奇襲により奪われることはなくなった。とは言えマリの戦力強化も顕著であり、油断はできない。


馬の民・餃子の民・シャカ族の勢力図

緊張関係にあるマリとは以上のような状況であったが、他の異民族との状況についても紹介したい。

馬の民:思わぬ大勢力を擁することが判明

A.D.880に馬の民の首邑カラコルムで炭鉱事故が起こる。馬の民はA.D.710にトゥルファンでも同様の事故があったばかりで、不幸が続く。

そんな馬の民の領土について、斥候による探索が進み、その全貌が見えてきた。

東部では「アルマリフ」「ウランバートル」の2都市を発見。この地域は餃子の民の勢力下にあるとばかり思っていたので驚いた。丁河沿い、トゥルファンの南には「カザン」も確認できる。なお「青源」は餃子の民の都市。


西部、龍樹路の北では「タブリーズ」を確認。こちらは以前「寧夏」のあった地域である。タブリーズと首邑カラコルムとの間には「サンチュ」も確認。

数えてみると、馬の民は合わせて11都市を擁する一大勢力であることがわかる。現在はまだ多くの都市が立ち上げの段階のはずで、維持費など財政に苦しんでいると予想されるが、将来これらの都市が成長し経済力・生産力を伴ったとき、馬の民は無視できない力をもつことになる。

現状こそ友好関係にあるものの、馬の民は弦国の最大の脅威となるかもしれず、注意が必要になりそうだ。


馬の民による、餃子の民を敵視する発言

餃子の民:順調に発展

餃子の民はA,D.980に文化遺産「シェダゴン・パヤ」を、さらにA.D.1080には文化遺産「聖誕教会」を完成させるなど、変わらずハイペースである。

また、A.D.1000には大芸術家により「黄金時代」に突入した。「黄金時代」とは、大科学者や大芸術家といった偉人によりもたらされる、商業力・生産力が一定期間爆発的に伸びる時代を指す。

なお餃子の民の勢力のみまだ全貌が明らかでないので、次回以降確かめたい。



征餃子鎮を起点にみる周辺勢力図.
征餃子鎮の北東に「青源」が見える.

丁河沿い、餃子の民の勢力圏をシャカ族の宣教師や斥候がうろついており、両民族が相互通行協定を結んだことが伺える(A.D.1000頃)

シャカ族:実は大したことなかった?

馬領ティフリスで捕縛された密偵「三蔵」に代わって、前回「悟空」をシャカ族の勢力圏に送り込んだ。その探索の成果があり、シャカ族の領土の全貌が明らかになった。

ちなみに天元府や木牛流馬府を育て、馬の民の勢力下を北上していた甲河は、シャカ族の首邑ウルンディに通じていることがわかった。


シャカ族の首邑ウルンディを発見した「悟空」(A.D.1000).
南にはノバンバと三段廻船が見える.

キャプチャ1枚に収まったシャカ族の勢力圏の全貌

全部で7つの都市が確認できた。正直言ってノバンバ北方にはもう少し広い土地があると思っていたので拍子抜けだったり。

前回発見していた北方の都市「ノンゴマ」「チェロキー」も、都市圏に氷土がありあまり優良な都市とは言えないだろう。ちなみにチェロキーはA.D.440に蛮族から奪った都市だね。

ただし海に面した都市が多く(4都市)、造船能力は高そうなので、その点には注意が必要だ。特にウルンディとノンゴマに囲まれる北部の内海(「ノンゴマ海」と名付けた)が軍事利用された場合には厄介である。


A.D.1180、オンディ近郊に滞在中の「悟空」.
のどかな景色が広がっており、海もあり、住むにはよさそう.

A.D.1060:龍樹路で異民族の密偵を摘発

A.D.1060に龍樹路で異民族の密偵を摘発したとの一報が入る。

どこの密偵だろう。ためしにシャカ族にカマをかけてみると…

簡単にゲロした。うーん、この始末、どうしてくれよう。

シャカ族は密偵を送り込むようなゲスですよ、ということを示すべく、いちおう馬の民と餃子の民にも報告はしておく。

「三蔵」のときもそうだったけど、摘発を受けた密偵はそれを最期に消されてしまう。その活動内容まではうかがい知れない。

A.D.1180時点の見通し

以上が馬・餃子・シャカの3民族の現状であった。餃子の民を除いておおよその勢力を明らかにできた。

馬の民はその勢力圏が広く脅威化が予想される。今後の動向には注意し、現状の友好関係を維持したい。また、文化遺産を多数擁する餃子の民も引き続き警戒を怠れない。

シャカ族は勢力圏を接するわけでもなく、馬の民、餃子の民に比べて力をもつとも思えないので、特に気にする必要はなさそうだ。ただし万が一馬の民が敵性化した場合には挟撃を頼むなど、協力関係は模索できるはずなので、時勢を見て関係を作っていければと思う。


A.D.1180頃の各民族の勢力図


A.D.1100:大弦帝国の成立

さて、各異民族の状況を確かめたところで、再び弦国の内政に目を戻してみる。

A.D.1060:「封建制」の確立と革命の勃発

「君主政治」の発展として、A.D.1060に弦国で「封建制」の概念が確立する。これは、異民族を封じて弦国への従属関係を明確にさせる、という考え方だ。

これを唱えたのは、マリへの攻撃を主張する急進的一派であった。彼らは進まぬ内政改革と、現王政のマリに対する弱腰を糾弾、弦王家・羽氏の傍流にあたる弓摺羽氏をかつぎあげ、A.D.1080の革命に発展した。内乱はA.D.1100に終息し、弓擦羽氏が覇者となる。

A.D.1100:大弦帝国の成立

弓擦羽氏は、弦の民こそが王の中の王であり、異民族をも統べる天命にあると内々に宣言。自らの地位を「皇帝」と定め、国号を「大弦帝国」に改めた。



シャカ族より祝辞を受けるも無礼な物言い.
めでたい場であるので、ひとまず話題を変えてやったが….

政治制度としては「主従制」を採用。これにより各都市で生産される軍事ユニットの、生産時の経験値が向上する。

AD.1180:「官吏」「紙」を発明

帝政移行に伴い複雑化する社会を効率的に治めるべく、A.D.1180に「官吏」が確立する。これは「数学」と「法律」の派生テクノロジーで、農場の灌漑が可能になり、各都市の生産力が強化される。

同年には首都・天元府で4人目の大科学者アンドレイ・サハロフが誕生。官吏の仕事をより効率化すべく、「紙」を発明してもらった。「紙」があると異民族との地図交換が可能になる。もっとも我が帝国は自前で探索できているので、地図交換の予定はない。


獲得テクノロジーの時系列図(今回獲得したものは右側太字)

といったところで今回はここまで。


次回戦略:「紅河作戦」準備

大弦帝国は世界を統べるものであるが、その対象には当然マリも含まれている。しかるに、虎谷関を犯すマリは誅されねばならない。

弦皇帝は軍備増強を指示するとともに、マリへの軍事行動の準備を下命。これを受けて「紅河作戦」が立案された。その内容は以下の通りである。

  • 第1段階(虎谷関開放):タードメッカ、ニア二を攻撃
  • 第2段階(丙河域紅化):ジェンネ、ケンビ・サレー、オーダコーストを攻撃

この準備として防衛戦力と攻撃軍の編成が必要になる。
ここで、創設される帝国軍の部隊編成単位としては以下が採用される。

  • 小隊 =1ユニット
  • 中隊 =3個小隊 =3ユニット
  • 大隊 =3個中隊 =9ユニット

防衛戦力の構築

現時点ではマリからの先制攻撃を受ける恐れすらあるし、マリに侵攻して逆襲されることもあるだろう。したがってまずは防衛力の強化が必要である。

前線となる2都市には以下の戦力を設ける:

  • 虎谷関 …弓兵1個中隊(3ユニット)
  • 龍樹路 …弓兵2個中隊(6ユニット)

弓兵は都市防御に優れるため、2倍から3倍の敵に対処できる見積もりである。
なお龍樹路よりも虎谷関の常駐戦力の数が少ないのは、攻撃軍の侵攻を虎谷関からスタートするため、つまり虎谷関には攻撃軍も駐留するためである。

天元府、木牛流馬府、白蛇路も攻撃を受ける恐れがあるので、こちらには以下の戦力を置く。

  • 各都市 …弓兵2個小隊(2ユニット)ずつ
  • 当領域 …弓騎兵1個中隊(3ユニット)

弓騎兵中隊はマリの侵攻先にあわせて動かす。

攻撃軍の編成

攻撃軍としては以下の戦力を準備する。

  • 都市攻撃 …斧兵4個中隊(12ユニット)
  • 部隊防御 …弓兵1個中隊(3ユニット)

さらに、占領した都市を確保しておくための弓兵1個中隊(3ユニット)と、攻城兵器の開発も行わねばならない。あとは行軍中や防御部隊の回復のための衛生兵も必要だなー。

現状では龍樹路に弓兵1個中隊(3ユニット)、虎谷関に弓兵等2個中隊(6ユニット)があるのみで、上述の戦力はほぼ存在しない。次回はこの生産にかかりきりになりそうだ。

馬の民とは友好関係にあり、餃子の民とも不可侵協定を結んでいるので、背中を刺される心配はない。安心して軍編成に集中できる。


コラム:「法」というイノベーションと、虚構

B.C.4000に甲河沿いに定住して5000年、「農耕」「宗教」「筆記」など数多の革命的テクノロジーを生み出してきた弦の民だが、A.D.920に成立した「法律」もまた、その歴史を語るうえで欠かせないイノベーションと言えるだろう。

「法」とは、社会秩序を維持するための規範である。同様の規範には元々「道徳」があった。「法」が「道徳」と異なるのは、国家権力による強制力がある点だ。その基準は事前に成文法として布告されたり、過去の判断事例が尊重されることもある。

行動の結果に対する賞罰がルールとして明示されることで、民は自らの行動の結果を予見できる。これは社会活動の円滑化を実現するとともに、社会にとって好ましくない行動が抑止される。

ということでCiv4世界では、裁判所を建てることで都市の維持費を半減できる。

ほう【法】(ハフ)

2 社会秩序を維持するために、その社会の構成員の行為の基準として存立している規範の体系。裁判において適用され、国家の強制力を伴う。法律。「法のもとの平等」「民事訴訟法」

デジタル大辞泉より

こうした「法」の正体について、並行世界の人類史を整理した『サピエンス全史』(2016)はこう述べている。「虚構である」と。

弦の民を束ねる「虚構」

並行世界の人類学者ロビン・ダンバーによれば、「ヒトが安定した関係を維持できる個体数の認知的上限」はおよそ150人とされる(ダンバー数)。

しかし農業革命により人口が爆発的に増大すると、ヒトは集団の秩序を維持するため、新たな仕組みをもつようになった。それが「虚構」である。人々は「想像上の秩序」を信じることで、物質世界においても秩序を保とうとした。

「虚構」は、初期には「神話」の形で現れた。このことは、世界で最初に神の存在を体系化した弦の民に明らかである。上述の「法律」もまた、実体なき「想像上の秩序」の一例と言えるだろう。

『サピエンス全史』はこれを「虚構の世界が物質世界を飲み込んだ」とみる。

3つの普遍的秩序

『サピエンス全史』はさらに、時代が下っての次の3つの普遍的秩序に発明に注目する。

  • 「宗教」(超人間的秩序)
  • 「貨幣」(経済的秩序)
  • 「帝国」(政治的秩序)

宗教は秩序に正当性を付与する。
貨幣(弦国で制度化された「ワラジ」)は、これを信じる人々の範囲に経済の単一化をもたらす。
そして「諸民族の王」なる虚構に基づく「帝国」は、異民族の多様な文化をも包括し、世界の人々を潜在的な臣民として、統一した秩序の下に結び付ける。

『サピエンス全史』によれば、この3つの普遍的秩序が、誰もが統一文明の内部に組み込まれうる可能性をもたらし、(並行世界の)人類を統一に向かわせた。

ということでA.D.1100に成立した大弦帝国もまた、世界を呑み込む統一の「虚構」となる可能性を秘めている。その最初の段階となる「紅河作戦」の推移について、次回以降みていきたい。

次回はこちら。

 

 

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ガートナーのハイプサイクルを去年と比べて読んでみた(2019)

いなたくんへ

ガートナーが例年発表している「先進テクノロジのハイプサイクル」。2019年版では、2000を超えるテクノロジから、注目すべき29の先進テクノロジと、5つのテクノロジ・トレンドがまとめられた。


ガートナープレスリリースより

2019年版では大幅な刷新が図られていた。2018年版で挙げられていた先進テクノロジ35のうち、2019年版に残ったものはわずかに9つ。2019年版ではこれに20項目を新規に加え、合計で29の先進テクノロジを挙げている。

今回は新たに出現したもの、消えたものについて、2018年版と比較して読んでみた。なお、2017年→2018年の変化は次の記事でまとめている。

新規テクノロジには説明をつけたけど、私の独断と偏見に基づくものなので間違っていたらゴメン。きちんとした定義や詳細は自分でググってね。

Summary Note

5つのテクノロジ・トレンドの変化

1.AI技術は次のフェイズへ(高度なAI/アナリティクス)

2.深まる機械による現実理解(デジタル・エコシステム)

3.人間拡張は道具の進化の形で進む(オーグメンテッド・ヒューマン)

4.自動運転が現実の拡張を牽引(センシングとモビリティ)

5.計算技術の革新はくるか(コンピューティングとコミュニケーション)


5つのテクノロジ・トレンドの変化

まず最初に、ガートナーが整理した5つのテクノロジ・トレンドを見ておこう。2019年版では次のトレンドが挙げられていた。

  • 高度なAI/アナリティクス
  • デジタル・エコシステム
  • オーグメンテッド・ヒューマン
  • センシングとモビリティ
  • ポストクラシカルなコンピューティングとコミュニケーション

これら項目について、違和感はないだろう。AI技術は進化を続け、現実のデジタル化や人間の拡張は進展し、コンピューティング技術も進化している。また、モビリティとこれを支えるセンシング技術もこれからの社会を大きく変える可能性がある。

2018年版からの変化は

これを2018年版から比較してみる。2018年版で挙げられた5つのトレンドは以下。

  • AIの民主化
  • エコシステムのデジタル化
  • DIYバイオハッキング
  • ユビキタスなインフラストラクチャ
  • 透過的なイマーシブ・スペース

AIは「民主化」から「高度化」へと捉え方が変わっているが、いずれにせよ継続してトレンドに挙げられている。

また、「エコシステムのデジタル化(2018)」が「デジタル・エコシステム(2019)」に、人間拡張について「DIYバイオハッキング(2018)」が「オーグメンテッド・ヒューマン(2019)」に変わっているが、これらもカテゴリとしては変わらない。

一方、2018年版にあった「ユビキタスなインフラストラクチャ」「透過的なイマーシブ・スペース」はそれぞれ消えて、2019年版ではかわりに「センシングとモビリティ」「ポストクラシカルなコンピューティングとコミュニケーション」が登場した。

特にモビリティとこれを支えるセンシング技術は、これまでも先進テクノロジのアイテムとしては挙がっていたが、トレンドとして捉えられるようになったのは注目だろう。

それでは、各テクノロジについて2018年版からの変化を見ていく。


1.AI技術は次のフェイズへ(高度なAI/アナリティクス)

AIに関するところでは、2018年版で挙げられていた次のテクノロジが消えていた。

  • 汎用AI(黎明期)
  • ディープ・ニューラル・ネットワーク向けASIC(黎明期)
  • 会話型AIプラットフォーム(黎明期)
  • ディープ・ニューラル・ネットワーク(過度な期待期)
  • 仮想アシスタント(過度な期待期)

その一方で、2019年版では次のテクノロジが新規に挙げられている。

敵対的生成ネットワーク:黎明期

GAN(Generative Adversarial Network)。2つのニューラルネットワークを互いに競わせて入力データの学習を深め、新たな疑似データを生成する教師なし学習手法。

アダプティブな機械学習:黎明期

巨大なデータセットに基づく学習済み汎用モデルをベースとして、特定分野のデータを加えて再度機械学習をする手法。その分野に特化した少ない教師データで結果を出力できる。

転移学習:黎明期

ある分野のタスクについて学習させた学習済みモデルを、関連する別分野に用いる手法。当該別分野では少ないデータでも結果を出力できる。

説明可能なAI:黎明期

機械学習におけるいわゆるブラックボックス問題に対して、結果出力の理由を説明できるAI。主に使用データを説明するアプローチと、アルゴリズムを説明するアプローチとがある。

感情AI:黎明期

人間の感情を認識できるAI。たとえば、人間とのインタラクションを行うロボット等をより人間的にふるまわせることが期待される。

パーソニフィケーション:黎明期

擬人化。機械やシステムを人であるかのように振る舞わせる技術で、たとえば音声エージェントもこれに該当する。

DNNや仮想アシスタント(いわゆるエージェント)といった、第三次ブームAIにおける典型的な技術がハイプサイクルから消えた一方、それまで「汎用AI」としてくくられていた現行AIの課題を解決するための技術が咀嚼され、それぞれ登場したかっこうだ。AI技術が順調に前進していることをうかがわせる。

次のテクノロジは2018年版から残っているが、フェイズが少し進んでいる。

  • エッジAI(黎明期→過度な期待期)
  • AI PaaS(黎明期→過度な期待期)


2.深まる機械による現実理解(デジタル・エコシステム)

現実とデジタルの融合という視点では、2018年版からは次のテクノロジが消えた。

  • デジタルツイン(過度な期待期)
  • スマートワークスペース(過度な期待期)
  • コネクティッド・ホーム(幻滅期)

2019年版では新規に次のテクノロジが挙げられている。機械による現実の理解が進み、オペレーションも含めてのデジタル化がさらに進むことになりそうだ。

DigitalOps:黎明期

Digital Operationの略。学習と最適化を通して業務プロセスの高度な自動化を行うもの。RPA(Robotic Process Automation)やDigital Twinもこれに包含される。

合成データ:黎明期

Synthetic Data。現実のサンプリングデータやシミュレーションに基づき生成される、現実には存在しないデータ。これを用いることで、たとえば現実を模した環境での学習を効率的に行える。

グラフ分析:過度な期待期

人やトランザクションなどエンティティ間の関係を分析する手法。ガートナーによれば、今後より実用的な関係分析が拡大すると予想される。

エッジ・アナリティクス:過度な期待期

中央システム(クラウド等)ではなく、データが生成される場所(センシング端末等のエッジ)でリアルタイムに解析を行う手法。IoT機器の増加により期待されるアプローチ。

なお、「グラフ分析」「エッジ・アナリティクス」は、ガートナーのトレンド・カテゴリでは「高度なAI/アナリティクス」の領域に含まれるが、これらも機械が現実を理解するための技術であり、「デジタル・エコシステム」のトレンドにも含まれるもの考え、上に並べた。

2018年版で挙げられていた「ナレッジ・グラフ」は2019年版にも残存。変わらず黎明期に位置づけられている。

  • ナレッジ・グラフ(黎明期)

ブロック・チェーンは要素技術から社会の革新概念へ

2019年版では「ブロック・チェーン」の言葉が消えた。具体的には次の2つのテクノロジがなくなっている。

  • ブロック・チェーン(過度な期待期)
  • ブロック・チェーンによるデータセキュリティ(黎明期)

2018~2019年は、ことに仮想通貨に関しては冬の時代と言え、ブロック・チェーンへの注目は確かに下がっていた。しかしながらブロック・チェーン技術の本質である「非中央集権」については研究開発が進んでおり、2019年版でも次の2つのテクノロジが登場している。

非中央集権型Web:黎明期

Web3.0と呼ばれる、ブロック・チェーン技術を基盤として形成されるPeer to Peerのコミュニケーション。GoogleやAmazon等のエコシステムを覆すものとして期待される。

非中央主権型自律組織:黎明期

Decentralized Identity。スマートコントラクト等のブロック・チェーン技術により自律化された組織。

ブロックチェーンは単に要素技術ではなく、これをドライバーとして社会を革新する概念と捉えられているようだ。


3.人間拡張は道具の進化の形で進む(オーグメンテッド・ヒューマン)

「ヒューマン・オーグメンテーション」は、2017年版では黎明期に挙げられていたものの2018年版で消滅、しかし今回、2019年版で復活した格好となる。

まず次の2つのテクノロジは2018年版から続いて健在。

  • バイオ技術(黎明期)
  • バイオ・チップ(過度な期待期)

さらに2019年版では次のテクノロジが登場した。

イマーシブ・ワークスペース:黎明期

IoTやAR/VR、スマート技術等により、物理的な労働環境がより柔軟で多様なワークスペースに変化するとする考え方。

拡張インテリジェンス:黎明期

AIと人間との協調。AIによる意思決定支援などを利用することで、より自働化・効率化された能力を個人・組織が発揮できることが期待される。

これらは、人間そのものを肉体的に改良するというよりは、AIやXRといった道具を通じて、人間の自由度の拡張や効率化を進めるものだ。道具を通じた自由度や効率の向上は、人間と道具の歴史そのものであり、AIやXRを最新の「道具」と捉えた場合の自然なかかわり方のように思える。またそのことに比べると、人間の身体機能や認知機能を工学的・物理的に向上させる、というアプローチはやはり不自然にも思えてくる。

ブレイン・マシン・インターフェイスの影響は限定的か

一方、2018年版から消えてしまったのは次のテクノロジたち。

  • エクソスケルトン(外骨格)(黎明期)
  • ブレイン・コンピュータ・インターフェイス(過度な期待期)
  • スマートファブリック(幻滅期)

エクソスケルトンは製品も増えてるし、スマートファブリック(スマート衣料)も衣服に織り込めるセンサ技術は次々新たなものが提案されているけれど、市場成長や産業への波及は確かに限定的で、削除されたこともまあうなずける。

一方でBCIに関しては、2019年にはNeuralinkによる革新的技術の進捗が発表されたばかりで意外。消えた理由を推察するに、用途が医療など限定的だと判断されたか、実現時期がやはりまだ遠いと見直されたのかもしれない。

ただ、どちらの理由もイーロン・マスクおじさんが何とかしてくれそうな気もするし、あるいは今回のマスクおじさんの発表が2019年版ハイプサイクル編集に間に合わなかっただけかもしれない。来年版では復活してほしいなー。


4.自動運転が現実の拡張を牽引(センシングとモビリティ)

2019年版ではトレンドとして挙げられるまでになったモビリティ。次の自動運転系のテクノロジは2018年版から顕在だ。

  • 自律走行レベル4(幻滅期)
  • 自律走行レベル5(黎明期→過度な期待期)
  • 空飛ぶ自律走行車(黎明期)

いずれも「主流の採用までに要する年数」は10年以上と予想され、このうち「自律走行レベル5」は2018年版では「黎明期」だったのに対して、2019年版では「過度な期待期」に前進している。

レベル4で幻滅してレベル5に過度な期待、というのも違和感あるけど、ハイプサイクルでは黎明期から期待期に、期待期から幻滅期に向かうにつれて実現可能性も高まるので、レベル5についても実現に向け前進していると言えるのだろう。

一方、2019年版では次のテクノロジが新たに登場した。

軽貨物配送ドローン:黎明期

軽貨物を配送する無人航空機。たとえば陸路未整備地域での医薬品配送などで注目されている。

3Dセンシング・カメラ:幻滅期

環境を立体的にセンシングするカメラ。たとえば自動運転における環境認識や三次元地図作成に用いられる。

ARクラウド:黎明期

拡張現実(Augumented Reality)空間をオンラインで利用できる仕組み。三次元データに対して、複数端末、複数ユーザがリアルタイムにアクセスしたり、編集できる。

配送ドローンは新興国をはじめ世界で実証実験が進んでるけど、あくまでまだ実証の段階か。

センシング観点では、自動運転を牽引役として、現実世界のデジタル化と拡張技術が今後盛り上がっていきそうだ。現実の拡張に関しては、次の2つの項目が2019年版では消えたけど、いずれもすでに普及期に入っており、ハイプサイクルからは卒業といったところだろうか。

  • 拡張現実(幻滅期)
  • 複合現実(幻滅期)

モビリティではないけど関連するところでは、次の2つの技術も2018年版から消えた。

  • スマート・ロボット(過度な期待期)
  • 自律モバイル・ロボット(過度な期待期)


5.計算技術の革新はくるか(コンピューティングとコミュニケーション)

「ポストクラシカルなコンピューティングとコミュニケーション」のトレンドでは、従来とは異なる、まったく新しいアーキテクチャが採用されると予想される。

まずはコンピューティング技術に関して、新出テクノロジは次の通りだ。

ナノスケール3Dプリンティング:黎明期

ナノスケール構造物の三次元形成技術。たとえば3Dプリンタが用いられ、次世代材料のほか、三次元論理回路は現行コンピュータの限界を超える性能をもたらすことが期待される。

次世代メモリ:幻滅期

DRAMやNANDフラッシュなどの既存記憶素子の限界を上回る次世代の記憶素子技術。磁気抵抗メモリ(MRAM)や抵抗変化メモリ(ReRAM)など複数種類が提案されている。

一方、次の技術は2019年版から消えてしまった。

  • ニューロモフィック・ハードウェア(黎明期)
  • 量子コンピューティング(黎明期)

正直なところこの2つが消えたことは意外。特に量子コンピューティングは実用化も遠くないと思うんだけど、用途が限定的と判断されたためだろうか。

コミュニケーションに関しては、次のテクノロジが新規に登場。

低軌道衛星システム:過度な期待期

低軌道を周回する小型衛星群(衛星コンステレーション)を用いたシステム。特に通信衛星を用いた場合、インターネット未接続地域をオンライン化することが期待される。

また、世の中的にも注目度の高い「5G」も残存。こちらは2018年版では「黎明期」にあったものが2019年版では「過度な期待期」に前進している。

  • 5G(黎明期→過度な期待期)

次のテクノロジは2019年版では消えてしまった。IoT的なものが今後も進展するのは間違いないと思うんだけど、用語として「IoT」って捉えどころなくて微妙だよね。

  • IoTプラットフォーム(過度な期待期)

以上に加え、2019年版では、2018年版では挙げられていた材料やデバイス系のテクノロジが軒並み消失。私としてはこのあたりこそ世の中を変えるポテンシャルが高いと思うんだけど、とは言えまだ芽が出てきていなかったり、波及効果がそれほどでもないのも事実かな。

  • スマートダスト(黎明期)
  • 4Dプリンティング(黎明期)
  • 自立修復システム・テクノロジ(黎明期)
  • 立体ホログラフィックディスプレイ(黎明期)
  • カーボン・ナノチューブ(過度な期待期)
  • シリコン負極電池(過度な期待期)

 

ということで、ガートナーの「先進テクノロジのハイプサイクル」について、2018年版と2019年版とを比較して整理してみた。

正直なところハイプサイクルは毎年入れ替えも多いし、ここに載ったからといってそれが未来を予測するわけではなくて、むしろ現在のトレンドを把握するのに役立つ。その意味では、新しいバズワード(の候補)を知っておけたのはよかったと思う。

また、ハイプサイクルに挙げられたものの少なくないテクノロジが未来を創ることも確かであり、それぞれの用語を眺めながら、これからどんな世界が現れるのか想像したい。

前回(2017年と2018年の比較)はこちら:

次回(2019年と2020年の比較)はこちら:

 

  

 

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オンライン飲みの限界と、オフライン飲みの3つの価値

いなたくん久しぶり!

コロナウィルスの影響による外出自粛により、Skype飲みやZoom飲みが世界的に増えてるね。

Skype飲みは、私は海外赴任した友人と2013年頃からやっていて、とても楽しい体験だったので周囲に勧めたところ、当時は「変わってるねー」といった反応が主だった。だからいま世の中的にその価値が認められて、やはり楽しいものは楽しいということで安心している。

こうした「オンライン飲み」は、今回の騒動に拠らずとも、長期的には普及していくと思う。

プレイステーションを発明した久夛良木氏は、コミュニケーションが最大の娯楽であると述べていた。オンラインの強みが、デジタルの介入による現実以上の体験の実現であるところ、「飲み」というコミュニケーションもデジタルにより強化され、強化されたコミュニケーションは現実を上回る娯楽となるはずだからだ。

その一方で、オンラインも万能ではなく限界があり、「オフライン飲み」はなくならない。むしろオフラインの価値は見直され、その価値に特化した体験となって行くはずだ。

これから数十年と言う少し長い視野で考えたとき、オンライン飲みの限界はどこになり、オンライン体験の拡大に対してオフライン体験は何を強みとして行くのか、考えてみた。

Summary Note

1.オンライン飲みの強みはデジタルの介入

2.映画をなぜ映画館で観るのか

  • オフライン体験の価値は「正直な信号」「身体性を伴う共通体験」「コスト」の3つ

3.オンライン飲みの可能性を拡げる「場」作りとしてのゲーム


1.オンライン飲みの強みはデジタルの介入

冒頭で述べた通り、オンラインの強みは、単に現実の体験をデジタルで再現するだけでなく、デジタルの強みを生かしてオフライン以上の体験を創れることだ。

たとえばボードゲームがある。人生ゲームとかモノポリーとか、正月に親戚と盛り上がったりしたよね。オンラインゲームも本質的にはこの延長上にあって、例えばCivilizationなどのストラテジ―系ゲームは、ボードゲームの名残りを色濃く残していたりする。

オンラインゲームは、ボードゲームで必要な「親」の役割、アイテムカード配布や点数計算を自動で行うのみならず、例えば全世界で好きなプレイヤーと戦えたり、さらにはユーザのレベルに応じて適切なマッチングをしてくれたりと、オフラインでは実現できない体験を提供してくれる。

オンライン飲みの進化も、基本的にはこれと同様に進むだろう。

どんなことが実現する?

単に遠隔地の人同士を繋げることにとどまらず、例えばリアルタイム音声翻訳の技術が向上し、言語を超えた「オンラインの飲み」が実現できるかもしれない。

たとえばリアルの友人でなくとも、ユーザプロファイルに基づき気の合う友人を全世界からマッチメイクして、新たな友人ができるかもしれない。

出会いが目的でないならば、出会い系アプリと違って、素顔が見えないことに問題はない。リアルではなくアバターを介して、素性の分からない相手と飲む、ということも一般的な風景となって行くだろう。

Twitterなど現在のSNSと同様に、相手の素性は半分程度は分からない状態、年齢性別出身は不明だけど趣味嗜好だけは分かるような、そんな状態でコミュニケーションを行うことが自然になっていく。むしろ、オンライン飲みにおいても(むしろ飲みという無防備な状態にあることを晒すからこそ)匿名性や安全を担保する機能は重要になる。

また周辺では、フードデリバリーや、飲みすぎないように適切な時間で切れてしまう機能とか、オンラインならではの課題を解決する機能も追加されていくはずだ。

コロナウィルスの騒動で多くの人が「オンライン飲み」を体験し、ハードルが低くなり、さらに帯域の問題も解決して、その上で種々の付加価値が乗せられれば、オンラインでの飲み会はひとつのジャンルとなっていく。

 

ということを前提として、それではオフライン飲みはこれからどうなっていくのか、そしてオンライン飲みに在るべき要件と限界は何か、もう少し深く掘り下げてみる。


2.映画をなぜ映画館で観るのか

オンラインに対する現実、すなわちオフラインの強みは「身体性」に他ならない。実際の物に触れ、相手の呼吸を感じることの価値だ。VRボディスーツによる力覚・触感再現という手段ももちろんあるが、リアルは再現しきれない。

身体性は、さらに具体的には次の2つの要素に分解できそうだ。

  • 正直な信号の交換
  • 身体性を伴う共通体験

デジタル技術は「正直な信号」を失わせる

「正直な信号(honest signal)」という学術用語がある。

たとえば笑顔について、自然な笑顔は目元も笑うが、作り笑いでは口角しか笑わない。目元の筋肉は不随意筋であり、自分の意思で動かすことはできない、つまり本当に笑っているときしか動かないからだ。

人間は相手の真意を探るにあたり、こうした非作為的なシグナルに注目する。これが「正直な信号」だ。そしてこれは、オフラインで相手と接することの重大な動機となる。

東京大学の岡ノ谷教授は、正直な信号とコストの関係について述べている。教授によれば、コミュニケーションにかかるコストが高いほど、正直な信号が担保されるという。

たとえば手紙がある。中世の頃、手紙が高価な通信手段だった時代には、人は(暗号化や欺瞞工作等はあったにせよ)伝えたい相手に対して、できる限り真実を伝えようとした。また受けても、そのコストから、手紙の内容は真実であると考えた。

一方でメールやチャットの普及した現代において、文章を伝えることのコストは限りなく下がり、ゆえに、スパムメールは溢れ、相手の返信もどこまで真実かはわからない。大事な話は相手に直接会って話そうとするのは、欺瞞不可能な「正直な信号」を表情や仕草から汲み取ろうとするからだ。

デジタル技術がコミュニケーションを補うほど、デジタルの世界における「正直な信号」は失われる。スクリーン越しに見える相手の顔は本物だろうか? その表情は加工されてはいないだろうか?

デジタル技術がオンラインでのコミュニケーションを補うほど、オフラインでの未加工のコミュニケーションが価値を持つ。

「身体性を伴った体験」を通じたコミュニケーション

オフライン・コミュニケーションにおけるもう一つの価値が、オンラインではどうしても実現できない、身体性を伴った体験だ。

同じものを食べる、スポーツをする、テーマパークや脱出ゲームといったアトラクションで遊ぶ、本物の芸術作品を見る…。

同じ食べ物をデリバリーしたり、VRスポーツを楽しんだり、もちろんオンラインでの代替手段はあるけれど、それでもすべてを置き換えられるわけではない。オフラインでしかできない体験は確実に残り、これを共に行うというコミュニケーションは、オフラインでしかできない。

なぜ映画は映画館で観るのか?

誰かと映画館で映画を観る。という体験は、コミュニケーションという側面でみたとき、オフラインならではの価値がある。その相手が大事な相手であるほど、その価値は際立つ。

たとえば恋人がわかりやすい。同じコンテンツを視聴しながらの相手の反応から、相手の好みに意識を配る。もしかしたら手が触れるかもしれない。観終わった後の感想をしゃべりながら盛り上がり、もしかしたらこいつは今夜イケるんじゃないか的な下心を巡らせる。

こうした体験は明らかにコンテンツ視聴そのものの価値と言うよりは、身体性を伴った体験を共に行い、正直な信号を交換して共感すること、あるいは共感を確かめることを目的とする。

と、性的欲求という動物にとっての最大の身体的動機を例に挙げたが、親しい友人とのコミュニケーションであってもこれは変わらなくて、その友人が大事な友人であるほど、特にこれから親しくなりたい友人であるほど、オンラインだけでは得られない「正直な信号」を交換したくなる機会はあるはずだ。

オフライン体験の未来

もうひとつオフラインの強みを挙げるとすれば、コストの問題はあるだろう。学校帰りの友人や、仕事帰りの同僚ならば、オフラインで会ったほうがコストが安い。あるいは設備や、面倒くささの問題もあるかもしれない。

が、コストの問題はおくとして、オンライン体験が従来のオフライン体験を代替するほど、オフライン体験はその特徴である「身体性を伴う体験」並びに「正直な信号の交換」に重きを置いていくだろう。

オンライン飲み、つまり居酒屋に関して言えば、料理やその場での体験が挙げられる。現状では居酒屋が有利だが、オンライン飲みの発展によりデリバリーが廉価・高品質になった場合、居酒屋はさらにそれを上回る体験を提供していくことになる。


オンライン飲みの可能性を拡げる「場」作りとしてのゲーム

さて、オフライン飲みの価値を整理したが、ではオンライン飲みが万能かと言えばそうではないはずだ。オンライン飲みを有意義にするために必要な要件もいくつかあるはずで、私はここではそのひとつ、「場」の重要性を挙げておきたい。

親しい友人との間であれば、ただ画面を開くだけで積もる話も、とりとめのない話も溢れるだろう。その間にはすでに関係性という「場」ができている。

しかし、初対面同士ではどうだろう。あるいは、コミュニティのレクリエーションを兼ねたオンライン飲みを想定する。

テレワークが当たり前になり、オンラインで労働を行う場合にも、そこにチームが存在するのであれば、業務外のコミュニケーションは行われることが好ましい。歓送迎会や、年に一度のイベントなど、オンラインで行う場合はあるだろう(私は仕事の飲みは苦手だが、しかし一定の「飲みにケーション」はチームビルディングに必要と考えている)。

こうしたとき、それぞれ手元に食べ物を用意してさあスクリーンに向かって盛り上がろう、ではなかなかキツい。「正直な信号」が見えなければ、相手の真意も探りにくい。

「場」としての広義のゲーム

ひとつ参考になるのがオンラインゲームだ。私は大学時代の友人たちと、オンラインゲームをしながら飲むことがある。あいつをどうぶっ殺してやろうと作戦を練りながら、チャットで軽口を叩きつつ飲む酒は、うまい。

ゲームという「場」があると、無言の時間があってもコミュニケーションは成立するし、ひとつの目的が題材があることで次の話題にも事欠かない。居酒屋の場合は「場」に相当する共通体験・目的が酒と料理であるところ、ゲームはオンライン飲みにおけるその代替になるわけだ。

もっとも、ゲームは認知資源を奪うので、会話でのコミュニケーションを主としたい場合には筋が悪いが、しかし共通体験としての「場」を用意することには一定の価値があるだろう。

認知的負荷の低い簡単なパーティゲームや、コミュニケーションのためのレクリエーション、あるいは射幸性を伴う簡単なギャンブルのようなものでもいい。これらはコミュニティによって好みが分かれるだろうが、TVゲームよりも広義の「ゲーム」が場の中心に持ち込まれることで、オンライン飲みの成立機会を広げることができるはずだ。

 

ということで、オンライン飲みが普及した際におけるオフライン体験の強みと、そしてオンライン飲みにおける「場」の重要性について整理してみた。

実際にどこまでオンラインのみが拡がるかはわからないけど、数十年と言う時間軸では、ひとつのジャンルとなるものと予想する。

そのひとつの契機となったのは、残念ながらコロナウィルスによる外出自粛というイベントだった。これについては、いち早い収束を願うばかりだ。

 

  

 

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「正否」「当否」「適否」の3つの世界を行き来する

いなたくんへ

人生をやり直せたら、というのは誰もが思うことだろう。
高校の部活、受験する大学、あのときあの人とこうしていたら。

そうした「if」のひとつには職業選択もあるだろう。
私はいま知財業界に身を置いているが、人生をやり直したとしてもう一度知財業界を目指すだろうか。弁理士試験を受けるだろうか。これは何度も考えてしまうテーマだ。

正直、「強くてニューゲーム」なら次のリプレイ人生でも知財に進んで「オレTUEEEEEEEEEE!!!!」やるのも悪くないけど、脳みそリセットされて再度あの試験とか下積みとかやるのはちょっとな……という気もしないでもない。

とはいえ、「知財業界に入ってよかった!」と思えることは確実にある。それはそれ以前の人生との比較において、私が知財業界に入って初めて体験できたことだ。

後で説明する通り、実際には知財以外の職種でも多かれ少なかれ似た考え方はするかもだけど、私としては、それは知財という業界に入ることで初めて得られた景色だった。

ということで今回はそんな「初体験」の話をしたい。

本日7月1日は弁理士の日。@dokugakuさんのブログ「独学の弁理士講座」にて、弁理士の日を勝手に盛り上げる「弁理士の日記念ブログ企画2019」なる企画が開催され、今年のテーマは「知財業界の初体験」なので、私もこの記事にて参加する次第である。


技術は正否を、法律では当否を、経営では適否を考える

私は理系大学に進学したものの、このままエンジニアに進むのでいいんだっけ、な疑問に駆られた。特に、大学1年次にプログラミングやHW製作を行う同級生を見て「勝てない」と思ったことが大きかった。

他の友だちにはない、何か強みが必要だ。そうだ、何か資格を取ろう。
ということで安易に資格試験に逃げ、弁理士になり、せっかく弁理士なんだし知財に進むか、ということで知財業界に入った。

そういう成り行きではあったのだけど。知財業界は私に新しい景色を見せてくれた。
端的には、「正否」「当否」「適否」の3つの世界である。

正否:科学技術は宇宙の法則の上に成り立っている

エンジニアリングは基本的には科学や技術や科学技術に立脚していて、それは再現性のある法則の上に成り立っているということである。つまり、純粋な技術の問題においては、「正しいか否か」を答えることができる。

もちろん技術の問題に落とし込むこと自体が難しかったり、未解明でわからないこと、統計的にしか答えられないこともあるのだけど、基本的には、そこには「正否」が存在する。

私がいた理系の世界というのは「正否」の世界だったし、大人になった今も、当時の友人たちは「正否」の世界に生きていると思っている。だから彼らは正直だし、合理的だ。

当否:法律は現実世界の規定を目指す

プログラムによく似たものに「法律」がある。ある変数(法律要件)に応じて出力(法律効果)が定められ、ある条文は定義を宣言し、またある条文は他の条文を参照し、あるいは法律そのものが他の法律のサブクラスであったりする。

法律がプログラムと異なるのは、それが現実という複雑系を扱う点だ。法律は揺れ動く現実世界の全てを記述することはできなくて、人間の起こす様々な事象を、あるいは人間特有の多面性を、なんとか「解釈」を用いてこなそうとする。

必ずしも唯一無二の正解はなく、それが「妥当であるか否か」の当否の判断があるのみである。

適否:経営判断に正解はない

最も自由度が高いのが経営の判断だ。経営、というと大仰だが、例えば仕事が終わって疲れて家に着いて「何をするか」とか、じゃあビール飲んでくつろぐことに決めたと思ったら風呂場が爆発して黒ずくめの不審者が闖入してきて「さあどうするか」とか、環境や他者がある中での、その場その場での判断である。

そこに正解はなく、当否を決める定式的な基準もない。あるのは、それがその状況において「適切であるか否か」の判断である。


知財業界で初めて3つの世界に触れた

説明するまでもないが、知財は「正否」「当否」「適否」の3つを扱う仕事である。

知財業界に入ることで初めて、私は「正否」のみならず「当否」「適否」の世界に触れた。
判断基準が変われば人も変わる。それぞれの世界には、それぞれの考え方に適応したそれぞれの人たちがいて、そうした人たちとの関りも私には新しかった。

そんなの知財に限らないでしょ

「正否」「当否」「適否」の3つを使うのは何も知財に限らないぜ、とツッコまれれば、それはその通りである。

例えばエンジニアでも、標準仕様や準拠法は押さえるだろうし(当否の判断)、経済活動である以上は外部環境や競合は調べて価値提案キャンバスくらい描くだろうし(適否の判断)、いっしょである。

広告とか、報道とか、あらゆる仕事においてもこの3つの世界に関わることはあるだろう。

その点では、これは知財の専売特許(知財だけにwww)とは思わない。あくまで私が私的な体験として得た感動である。

とはいえ知財

そう。とはいえ、である。とはいえ知財は特別な立ち位置にあると思う。
知財法の専門家として当否判断に立脚しつつ、様々な領域の技術を広く扱い、かつその活動は競争戦略上の要請に直結する。

足場が「当否」のところにあるのもポイントで、技術に対しては、純粋な技術的解決から経営戦略上の差異化要素(それは必ずしも技術的に高度とは限らない)まで、抽象度のダイナミックレンジを広く持つ。

さらに言えばこの「当否」は、その技術的解決が果たしてクリティカルであるか、という、技術の価値そのものを(ひとつの側面として)測るものであったりする。

そもそも弁理士として当否の世界の奥深さを知り、その上で正否の世界を広く俯瞰し、適否の世界と深くかかわる、ということは、知財業界に入ることで得られた私の「初体験」であった。


人生をやり直せたらまた知財業界に進むか?

さて、改めて冒頭の仮説に戻ろう。人生をやり直したとして、もう一度知財業界を目指すだろうか。

私としては、エンジニアに進まなかったことには未練がある。やっぱり自分で物を作る、というのはやりたいんだよね。ソフトウェアであれば(今やハードウェアであっても)そのハードルは限りなく低くなっていて、知財業界に入らずそちらに進んでいたら、色んなものを作っていただろうと思ってしまう。

その一方で、モノを作るのに重要なのは実装工程そのものよりは、その一段前にあるということもわかってきて、そこではむしろ知財の経験をこそ活かせることも多分にありそうなので、そうするとまあ知財も悪くなかったかな、とも思ったりする。

 

ということで、「弁理士の日記念ブログ企画2019」の一環としてテーマ「知財業界の初体験」で思うところを述べてみた。

前回の参加記事はこちら(テーマは「知財業界でホットな物(又は新しいもの」)。

 

  

 

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