今回は知財立国ならぬ「知財立県」に奔走された方の一冊を紹介します。タイトルもそのまま。著者は元ホンダの基礎技術研究所所長まで勤められた方で、定年後に国の知財流通事業の一環として埼玉の知財立県に尽力します。
特許の使い道として「技術のドキュメント化」がおもしろかった反面、それを特許活用と呼んでいいのか少し疑問だったので、その点も述べます。
特許流通事業は国の知財立国政策の一環として1997年に特許庁により開始され、その後2001年に独立行政法人工業所有権情報・研修館に引き継がれ、2010年に終了しています。工業所有権情報・研修館によれば、特許流通事業とは「特許をライセンス(実施権許諾)・売買等することにより技術移転を行うこと」を意味するそうです。
特許流通事業は1997年の開始から10年間で1万件の制約実績があり、国の投資額286億円に対して経済効果は2400億円に上ります。しかもそのうち大企業の占める割合はわずか3%で、ほとんどは国内の98%を占めるという中小企業によるものです。
埼玉は特に中小企業の多い件で、本書ではこの件での著者の活動が述べられています。
具体的には、「特許技術活用ガイドブック」という県内の特許集を作って周知させたり、特許流通アドバイザーとして各企業を回り、企業同士の交流機会を作ったり、契約締結のための仲介を行ったりしていました。
噛み砕いて言えば、「うちの会社にこんな技術が欲しい」というニーズと、「こんなアイディアを思いついたけど事業化したい人はいないだろうか」というシーズを結びつけるお仕事。「埼玉の主婦のアイディアが、北海道の事業家の苦心を解決する」という著者の言葉がわかりやすいかもしれません。
中小企業のひしめく埼玉県を1つの企業体として見たとき、埼玉知財センターが技術の交通整理を行うという構図はとてもおもしろいと思います。
そしてこのニーズとシーズの結びつけに使われたのが、特許でした。
技術流通の媒体として、特許を用いる必要はあったのでしょうか。
特許は発明について「特許請求の範囲」として一定の領域を設けます。そのため「わが社の技術は少なくともここに書かれている範囲ですよ」と、どこまでが流通させたい対象なのかを説明しやすくなります。さらに、特許出願明細書には当業者が実施できる程度にその技術の詳細な説明を記載する必要があるので、その点でも技術交換のためのツールとして向いていそうです。
つまり、技術のシーズとニーズを結ぶにあたり、技術をドキュメント化されたパッケージとして扱える点で有利なわけですね。
「技術の公開を促進して産業の発展を促す」というのは特許制度が目的とするところの1つなので、制度の活用としては目的に適ったことがされていると言えるでしょう。
ただ私は、企業間の技術流通にあたって、特許をもって行う必要はないと考えます。
すでに述べた通り、パッケージとしての特許公報の利点は理解できますが、まとまった説明資料が必要ならば、そのためのフォーマットを作るのでも足りるはずです。何も特許である必要はありません。
企業は自社の持つ全ての技術について特許出願を行うわけではないはずです。
権利化のための審査請求費用は決して安いものではなく、優遇制度があるとは言え、出願できる件数には限りがあります。またノウハウなど、権利行使困難性の観点から特許出願するのに適さない技術もあります。
技術流通のメディアを特許とすると、こうした理由から一定の技術が漏れてしまうことになります。
あとたまに「特許を取れなくとも、公開することで他社に権利化されるのを防ぐ」とか言う人がいますが、公開が目的ならば特許出願の形にしなくとも、webに掲載するのでも十分です(公開技報に載せたり、市役所で確定日付を取ればさらに完璧です)。出願するための弁理士費用もまた高いのでもったいないです。
そもそも、特許出願書類は独特の書き方がされるので、決して読みやすい書類ではありません。
したがって技術流通を目的とするのであれば、特許文献ではなく、わかりやすく概要をまとめた流通用のドキュメントを別途用意した方が、企業にとっては利点が多いように思うのです。
本書を読んでどうも腑に落ちなかったのが、特許文献を通した技術の紹介を指して「特許の活用」と連呼していた点です。技術の紹介を目的とした特許の提示を、私は特許の「活用」と呼ぶべきとは思いません。
特許を提示することのメリットには、紹介する技術の盗用防止が挙げられます。
せっかく自社の技術を紹介しても、そのまま盗まれてしまっては意味がありません。しかし特許権が存在すれば、相手の自由実施を制限することが可能です。さらにはライセンス料徴収の根拠にもなり、技術流通に参加する直接的なメリットにもなります。
このような独占権の行使を特許権の「活用」と呼ぶことに違和感はありません。独占権は、「誰に技術の使用を許可するかを決められる市場コントロール権」と呼び変えてもいいでしょう。
ただしこのことも、技術流通を特許を通して行うことの理由付けにはならないと思います。流通目的の「技術の公開」と、技術独占のための「攻撃、及び予備段階としての威嚇」とは分けて考えるべきだからです。
技術の流通にあたっては、ノウハウや特許にならない瑣末な技術も含めて、紹介したい技術を各社が紹介し合うのが理想です。その結果アライアンスや受発注が成約すれば、それをもって技術流通の成功と言えるでしょう。
このための最善の手段が特許文献を用いることでないことは、すでに述べました。
一方、技術の盗用防止やライセンス料の徴収は別のフェイズの問題であり、「ちなみにこの技術については特許があるので無断で使わないでね」と一言注釈をつければ済むはずです。
このさりげない威嚇を一言つぶやけることこそが、特許の「活用」であると私は考えます。
このように、流通させたい技術を流通させることと、その中でも特に保護すべき技術について特許を取ることは、それぞれ分けて判断されるべきです。
特許流通促進事業はもう終わってしまいましたし、本書の本質とも全く外れてしまうのですが、「特許を使う」ということを正確に認識することは、大切なことだと思います。
下手に特許にこだわらない方が自由度が増すと思ったのですが、いかがでしょうか。