2040年の17歳・鷲尾野ゆずりはの1日を考える(4)価値感とか学習環境とか諸々調査結果のまとめ

いなたくんへ

未来予測のアプローチの1つとして、ある年代の具体的なペルソナを設定し、その生活レベルで考えてみる。というコンセプトでスタートした「ゆずりはPj」。2040年の高校2年生・鷲尾野ゆずりは(17)の日常を月イチくらいで検討していくつもりだったが、気付けば前回検討から1年近くが経ってしまった……。いや、何もしてなかったわけじゃないのよ……。

一応おさらいすると、第1回ではゆずりはの家族構成やプロファイルの決定、アクションアイテムの整理をした。

第2回では、2040年の国際情勢や日本の社会をまず予想し、ここからゆずりは目線に落とし込んで考えてみた。

そして前回となる第3回では、ゆずりはの家族構成を再整理したほか、2040年の勉強の仕方や職業について掘り下げてみた。

このプロジェクトは基本的にはブレストベースで、2040年を生きるゆずりはになりきってあれこれ机上妄想していく方針だけど、とは言えネタがないとアイディアも出せない。ということで外堀を埋めるべく、いくつかの調査を宿題としていた(第3回末尾参照)。

そこで今回はおさらいを兼ね、それぞれの調査結果を整理してみる。

Summary Note

1.2040年の女子高生の価値観はどんな感じか

2.SNSの普及は若者の政治意識をどう変えるか

3.2040年の技術水準はどの程度か

4.2040年の教育環境はどう変わるか

5.2040年の仕事はどんなものになっているか


1.2040年の女子高生の価値観はどんな感じか

第2回では「世界情勢」や「日本の社会情勢」といったマクロな予想をしたが、「あるペルソナの1日」みたいなミクロな予想に落とし込むには、当人の価値観も考慮していく必要がある。

では2040年の女子高生はいかなる価値観を持っているのか。うーん想像もつかない。そんなのわかれば苦労しない。

ということで困ったときには温故知新。1974年、1996年、2017年と、およそ20年毎の過去の様子を調べてみた。具体的には、国会図書館でそれぞれの年の『SEVENTEEN』及び『an・an』『non-no』を眺めて、普遍的な価値観、あるいは価値観の変化の方向性を探ってみた。これかなり骨の折れる作業だったのだけど、結果は次の記事にまとめた。

 
『月刊セブンティーン』1974年3月号及び『SEVENTEEN』1996年3月号,国会図書館より

詳細は記事を読んでいただくとして、結論としては次の3点に集約される。

  • 社会はいつの時代も歪んでいた
  • 読者の興味関心はいつの時代も、ごく身近な日常の明るいところに向けられていた
  • コミュニケーション手段が3時代の景色を決めていた

過去は美化されがちだが実際に振り替えると、1974年、1996年、そして2017年と、いずれの時代も社会の歪みや事件、世界情勢不安は起きていた。しかし『SEVENTEEN』の世界にはそうした「暗さ」は一切なくて、友だちが気になり、異性が気になり、自分をきれいにみせて、毎日を楽しく過ごしたい、という普遍的な日常が写されていた。

ゆずりはへの影響は

以前まとめた通り2040年の社会情勢は相当に末期的になる恐れがあるけど、ゆずりはの日常にはあまり影響しない可能性が高い。

一方、ポケベルやスマートフォン等、コミュニケーション手段は日常の景色を大きく変えており、2040年のコミュニケーションがどのようなものになるかは重要なイシューになりそうだ。


2.SNSの普及は若者の政治意識をどう変えるか

生活を変えたコミュニケーション手段といえば、昨今ではSNSの影響が大きい。SNSは思想的な分極をもたらすとされるのだけど、若い時期からネットに親しむ高校生も、その政治思想は過激化していくのだろうか。


経産省若手プロジェクト『不安な個人、立ちすくむ国家』(2017)より

ということで調べてみると、思想的な偏りが生じているのは主に高齢者で、若者はむしろネットの多様な言論に慣れ冷静である、という研究結果が見られた。

ゆずりはへの影響は

2040年のことなので、SNSとは異なる、新たなコミュニケーション手段が今後生まれる余地はもちろんある。が、少なくとも現行のSNSや、その延長としてのコミュニケーション空間に関しては、ゆずりはたちは政治思想的には冷静であると予想される。

というか上述のセブンティーン読み比べの結論でも書いたけど、政治とかそもそも気にしない。


3.2040年の技術水準はどの程度か

テクノロジーの未来予測はこのブログでも特に注目してきてるけど、色んな予想があって収拾をつけにくい。ということで英エコノミストの予測本『2050年の技術』(2017)をひとつの基準とすることにした。

例えば次のような内容:

  • 1.人類は自らのゲノムを編集しはじめる
  • 2.政府がわれわれの脳の裏口の鍵を要求するようになる
  • 3.畑には微生物が撒かれ、主要タンパク源は魚類になる
  • 4.燃料は牧場で生産される
  • 5.エネルギー問題は解決している
  • 6.2050年の兵器が戦争の姿を変える

網羅性はなかったけど、ゆずりはの2040年を考える上では、概ねこの本くらいの技術水準をリファレンスとして考えていくことにする。


4.2040年の教育環境はどう変わるか

2040年になっても教室で紙の本ひらいてみんなで朗読してるのかねえ? ということで、教育環境の未来についても調べてみた。

当初予定していた高校教師へのインタビューはできなかったのだけど、某大学教育学部で教師を育てる知人と議論する機会が得られたので、その結果を整理した。

こちらも詳細は上記記事を見ていただくとして、今後の学校教育をサマると、次のような予測が言えそう:

  • 1.学び方を教える「学校」は公教育として残り続ける
  • 2.先生の役割は「ファシリテートすること」に変化する
  • 3.「入り」としての概論を教える一斉授業も残る
  • 4.学力差は拡大するが、ボトムアップも図られる
  • 5.五教科は教養として残るが、情報の授業が重要になる

ゆずりはへの影響は

アクティブ・ラーニングやIT技術を活用した授業など、教室の風景や学習環境は一定程度変化している。が、いまと変わらないものもたくさんあって、授業内容なんかも意外に大きく変わらない可能性があると思う。

このあたりは最終的には「時間割表」とかに落とし込んで考えてみてもおもしろいかも。


5.2040年の仕事はどんなものになっているか

高校の教育は未来の大人を育てるためにあるけれど、では2040年の大人はどんな風に過ごしているか。どんな仕事をしているのか。

少し抽象度は上がるが、いくつかの予想を整理してみた。

オハイオ州立大学リズ・サンダース准教授は2044年には「Co-Design」と呼ばれるデザインアプローチが主流になると予想。これは、消費者であるユーザ自身が製品・サービスの主体になるというものだ。「当事者デザイン」とも訳される。

そしてこのような時代においては、労働は内発的動機付けに基づくもの、すなわち各々の「やりたいこと」が仕事にできる機会が高まる。

ちょっと抽象度が高いけど、AIが人間の仕事を代替可能になる一方で、人間がする仕事はやはり人間の動機に起因したものが残っている、という結論である。上記記事では特にパーソナリティ理論に基づき説明したが、次回はゆずりはを例にして、ゆずりはのパーソナリティと、これに基づく2040年の仕事像を掘り下げてみる。

 

と、こんな感じで、2040年のゆずりはの1日をディテールまで描けるように、参考情報を集めてみた。前回から何もしてなかったわけじゃないんですよ。そうなんですよ…。

ということで次回以降は以上の材料も使いながら、ゆずりはの1日をさらに具体的に可視化したい。

過去の議論はこちら。

ブレストの事前調査としてまとめた記事はこちら。

 

  

 

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