Webの無料学習コンテンツ群は「学校」や「先生」を滅ぼすのか

いなたくんへ

最近の若者について思うところ。やっぱりいちばんは「私の時代にはTwitterがなくてヨカッタなあ」だろう。もし私の中高時代にSNSとかWebがあったら、勉強時間や遊びの時間を相当に削られ、悲惨な青春になっていたことは想像に難くない。

ということで最近の若者について、誘惑の多い中よくがんばってるなあと微笑ましくすら思うのだけど、どうやらそれどころの話じゃなかった。次の記事では、現代の女子高生がいかにしてテクノロジーと付き合い、それを勉強に有効活用しているかが描かれている。

記事では概ね次のようなことに触れられていて、その学習効率は私の想像をはるかに上回っていた。

  • 充実するWebの無料学習コンテンツを予復習に活かしている
  • 検索やエージェントなどをうまく勉強に活かしている
  • SNSを使った「友だちとの勉強」が発達している

もちろんインタビュワーの女子高生が現代の高校生の代表とは思わなくて、特に効率的な一部の子なのかもしれない。しかし「いまそこにある未来」であることも確かである。

教育とテクノロジーの融合、いわゆるEdTechの分野は注目を集めて久しく、特に話題に上るのがWebの無料学習コンテンツや学習プログラムだ。ハーバード大学やスタンフォード大学といった一流校が無料で授業を流すMOOCsや、オンライン生放送授業Schooといったサービスは有名である。現在は離脱率が高いようだが、今後ゲーミフィケーション等で適切なインセンティブを設定できれば、Webコンテンツベースの自学自習は進むだろう。

その一方で、これは「先生」や「学校」の存在意義を揺るがす話にも聞こえる。あるいは突き詰めれば、「教育」がどう変わっていくのか、未来の子どもたちが何を、どうやって、何のために勉強するのか、といった疑問にも結び付く。

本ブログでは2040年のある女子高生をペルソナにして未来の日常を考えるという企画を進めているが、高校生視点で外せないのが学校の風景。それがどう変わっていくのか、上記記事を参考に考えてみた。

なお検討にあたっては、某大学教育学部にて未来の教師を育てる知人(以下「N氏」)とのディスカッションも行った。

Summary Note

「未来の学校」に対する3つの疑問

  • (1)先生や学校は要るのか?
  • (2)学力差が開くのでは?
  • (3)そもそも「五教科」を学ぶ必要はあるのか?

1.学び方を教える「学校」は公教育として残り続ける

2.先生の役割は「ファシリテートすること」に変化する

3.「入り」としての概論を教える一斉授業も残る

4.学力差は拡大するが、ボトムアップも図られる

5.五教科は教養として残るが、情報の授業が重要になる


「未来の学校」に対する3つの疑問

まずは疑問を整理する。EdTechが発達したとき既存の教育環境はどう変わるのか。

(1)先生や学校は要るのか?

無料Webコンテンツやプログラムで自学自習が成り立つならば、「先生」は要らなくなるのではないか。さらは「学校」に行く必要もないかもしれない。

上記記事では、学園祭など学校ならではの友達イベントにも触れたけど、少なくとも「勉強」にフォーカスすると、リアルの学校に通って生身の先生から話を聞く、という学習スタイルはちょっと非効率に思えてしまう。

(2)学力差が開くのでは?

自習による学力向上が進むなら、「自習できるか否か」は学力差の拡大、教育格差の広がりを招いてしまう。Webの学習コンテンツは、家でも進んで自習できる子どもの学力を大きく伸ばすが、そうでない子どもは伸ばせない。

これはゲーミフィケーションが超絶導入されたとしてもたぶん同じで、自習できる・できないの差は生まれるだろう。

(3)そもそも「五教科」を学ぶ必要はあるのか?

これはEdTechとは直接関係しないが、未来の教育を考えるうえで気になる疑問だ。

人工知能を専門とする東京大学の松尾教授は羽生棋士との対談で、次の趣旨のことを述べていた。

学校の試験は、さまざまある人間の能力の次元削減をして、5つとか10個の能力に要約して測っている。しかし現在の社会において測定項目としてそれで合っているかは疑問である。現在の社会で必要な能力はなにかを調査し直し、改めて次元削減し、科目を決めた方がいい。あるいは次元削減をせず、そのまま能力を評価することも今はできるのではないか。

NEC C&Cフォーラム講演(2016)での松尾教授コメントより、筆者意訳

中学校の標準科目である国数英社理の五教科は、20世紀の工業時代に設定されたカリキュラムだ。学校教育が、子どもが社会に出たとき必要になる能力の準備の側面も持つならば、社会環境の変化した21世紀に見合う科目設定は「五教科」ではないかもしれない。例えば、「知識」が検索できるいま重要になるのは「考え方」の方で、ならば「ディベート」が標準科目でもいいんじゃないの、とか。

といった疑問について、以下に現状得られた答えを述べていきたい。


1.学び方を教える「学校」は公教育として残り続ける

まず学校の必要性。これは必要であり続ける、というのが私の答えだ。

N氏によれば、公教育の役割は「学び方を教えること」「(良い意味での)勉強の強制を行うこと」にある。

「学ぶ技法」「学び続ける技術」は生まれながらには身につかなくて、勉強の時間、勉強の習慣は、一定の強制を受けねば得られない。冒頭記事の女子高生の自宅での自習も、「学校の宿題」だったり「テストのため」だったり、トリガは学校に引かれている。

もっとも、親が勉強をさせたり、ゲーミフィケーションの形で教育プログラムが自然に「学び方」を教えることはできる。この場合には必ずしも学校は必要ない。

これについては、N氏が「公教育の役割は」と主語を設けたことがポイントとなる。世のすべての親が教育できるわけではなく、現状すべての子どもをWeb学習に誘導できるわけでもない。そんななか「すべての子どもたち」に学びを「担保する」ことが公教育の役割なのだ。

テクノロジーの発達により、いまある学校のカタチにとらわれない、新しい学び方をする子どもたちは現れるだろう。しかしそれでも、公教育機関としての学校はなくならない。


2.先生の役割は「ファシリテートすること」に変化する

N氏は「子どもは未発達である」とした上で、先生の役割は「未発達な子どもたちからなる学校という異質な小社会を運営すること」であるとする。勉強を教えることそのものよりも、「小社会の運営」に重点を置かれたことには私も同意。授業外での学びってものすごく大きいよね。

「隠れたカリキュラム」という概念がある。これは、いわゆる授業科目のような正式カリキュラムにはない、その他の知識や行動様式、常識もまた重要である、という考え方だ。例えば幼少期から自立するまで家庭でなされる親との会話は、子どもに与える影響が大きいとされる(そりゃそうだよね)。

学校においても、授業の外で行われる生徒同士のコミュニケーション、イベント、日常に起こる様々な出来事が、子どもの学びの機会となる。

もし正式カリキュラムの学び、授業で伝えるべき知識がWebコンテンツなどで外部化できるなら、先生の役割はより「運営」側にシフトする。たとえば生徒指導はその1つだし、勉強についても、例えばスポーツの監督・コーチのような、生徒の学ぶ姿勢・自習態度をサポートし、ファシリテートする役割になるかもしれない。

なお、Webの無料教材は、先生が授業に取り入れることもできる。現在においても指定教科書以外の教材は使われているし、Web教材の導入も否定されない。先生の負担が減ることは歓迎したい。


3.「入り」としての概論を教える一斉授業も残る

反転授業のようなアクティブ・ラーニングも注目される。WebコンテンツやSNSを使った自習もまさにアクティブ・ラーニングの一種だ。

アクティブ・ラーニングが可能なら、授業は不要になるのだろうか。N氏によればそんなことはなくて、「入り」としての概論を一斉授業で伝えるのことはどうしても必要とのこと。まあそうだよね。これから何を勉強していくかの「目次」がないと、勉強自体が始められない。

ということで、既存授業のうちアクティブ・ラーニングに任せられる部分が増えたとしても、一定の一斉授業も残ることになる。

これは余談だけど、そもそも私は学校での教育自体が、人生に必要な「目次」作りの機会と考えている。社会に出て、起業を志して数学の知識が必要になったり、旅先の史跡が室町時代のものだったり、Civ4をプレイして世界の文明や外交史が気になったり。そのとき何を勉強すればいいのか、あるいはどうググってWipkipediaのどこを読めばよいかだけでも、学生時代の知識が必要になる。

結局のところ知識は大学を出てから得たものの方が多かったりするわけだけど、その受け皿としての「体系」を作るのが、学校の勉強の役割だろう。


4.学力差は拡大するが、ボトムアップも図られる

Webコンテンツによる自習など、アクティブ・ラーニングが生徒間の学力差・教育格差を広げる可能性について、N氏の答えは「YES」であった。ただしN氏は、学力差は広がるものの、すべての生徒の最低レベルも引き上げられること、つまりボトムアップが図られることも強調する。

学習を支援するコンテンツや機会のの拡大により、勉強ができる子は、より勉強が進められる。それと同時に、勉強が苦手な子どもについても、今よりは勉強がやり易くなる。後者もまた重要である。


5.五教科は教養として残るが、情報の授業が重要になる

「五教科」については、21世紀になっても教養として残るだろう。20世紀と現在とで社会環境は異なるものの、いつの時代にも通底する概念はある。もちろん時代に合わせて少しずつ中身は変わるかもだし、「詳細は検索すればいい」説もあるけど、五教科の中身くらいはやっぱり一度は押さえたい。

五教科の議論よりも重要なのは、それに加えて学ぶべき新しい教科だ。21世紀の大きな変化は何といっても情報化であり、誰もが仮想世界とは付き合わざるを得ない。

N氏は、「情報」の技術そのものと言うよりは「情報の使い方」を教えることが必要と指摘。例えばある情報について、その真偽を教えるのではなく、「世の中には真正ではない情報が含まれること」「その確かめ方」を教えるわけだ。

エコーチャンバー化する社会で生きていくなら、情報リテラシーはクリティカルな問題だよね。


おわりに

以上、学校や教育の未来について、調べたことを挙げてみた。本当はN氏だけでなく、高校の先生や、Edtechベンチャー勤務の友達とかにも話を聞こうとしたんだけど、実現せず。

ということでこの記事は第一報的なものとして、さらに調べて思うところあれば記事にしたい。

 

  

 

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