いなたくんへ
人工知能の進化が加速しており、特に近年目を見張るのは、ディープラーニング等の技術に基づく認識だ。例えば画像の認識では、2012年にエラー率25%程度(絵を見せると4枚に3枚について内容を正答できる)だったのが、2015年2月には人間の5.1%を下回るスコアを出している。人工知能が人間の能力を超えたわけで、実は歴史的な出来事だったりする。
人工知能にできる領域がどんどん拡がっていく一方、ひらめきや感性を活かした創作活動は人間にしかできない、と言われてきた。ところがそれすらも覆ろうとしている。人工知能がミュージカルを書いたというニュースだ。
ケンブリッジ大学の人工知能が多数のヒットミュージカルを解析し、登場人物とあらすじなどを書きだしたというもの。ミュージカルの多くの部分は人間もかかわっているようだけど、創作活動にも人工知能が参入というのは衝撃的だ。
実は人工知能の創作活動活動に対する取り組みは以前から始まっており、著作権の大家・福井建策氏がまとめ記事を書かれていたので、紹介したい。
創作を始めたと言ってもまだ人間のそれと比べて劣る点は散見される。しかし着目すべきは進化の速さで、いずれ人間と並び、あるいは人間を超える創造物を生み出すことになるだろう。その過程の上でなお、私は人間に残される強みがあると思う。それは人間の創作物の持つ「物語」だ。
Summary Note
人工知能の創作活動進出と著作権(記事より)
- 音楽、ニュース記事、演劇など各種創作分野に人工知能が進出している
- 人工知能の特徴の1つは創作のスピード
- 現状では多くの国では人工知能に著作権は認められず、人工知能を「運用したもの」に認められる
「物語」を持たない人工知能に文化は創れない
- 人工知能は創作のプロセスをブラックボックス化してしまうが、創作者の人格や過程といった「物語」もまた創作の一部であり、これは人間にしか創れない
- ただし商業的には「本物の人間による創作物」はニッチなジャンルとなる可能性があり、そのときこそ著作権法による文化保護が重要になるかも
福井建策氏は次の記事で、人工知能による創作の現状と、それにより生じる著作権の問題について述べている。「クリエイティブ系の職種は人工知能に仕事を奪われそうにない」というオクスフォード大の研究を紹介しつつ、安心はできないという主張だ。
記事で挙げられていた創作事例を紹介したい。人工知能はもうこんなことまでできている。
- 自動作曲ソフトによるバッハ風の音楽は本物と大差がない(本物 vs. 偽物)
- APなどの世界的大手通信社では、スポーツなどの短報記事にはAI制作のものを利用しており、年間10億本の記事を作成している会社もある(New York Times記事(2015/3/7))
- 2015年の東京国際映画祭では、アンドロイド女優が主演女優賞にノミネートされた(ガジェット通信記事(2015/11/3))
特に氏が強調するのはスピードだ。人工知能は1秒に1曲のペースで音楽を作ることができる。その膨大な曲は玉石混交ではあるものの、ユーザの嗜好を学習して良くできたものだけを選べば、十分に市場を席捲できるという。
なお、本題であるコンピュータ創作物の著作権性については次のように述べられている。
- 日本では1993年に議論されており、「人がコンピュータを道具として使えば著作物たり得る」が、「創作過程において人の創作的寄与が必要」とされ、あくまで人間が創作していると見られる場合にのみ成果物は著作物になる
- 英国は独特で、1988年の著作権法改正でコンピュータ創作物を著作物と認める制度を導入した(178条)。ただし著作権者は「necessary arrangementをした者」となる
少し本題から外れるけど、著作権について少しだけ。
コンピュータ創作物に著作物性を認めるのは今のところは英国だけで、世界の主流は日本と同様、基本的には認めない考えのようだ。これは以前話題になった「猿の自撮り事件」とも整合する(猿は人間ではないので、猿の自撮り写真には著作物性は認められないとされた米国の事件)。
とは言えこれから人工知能による創作物が世の中に溢れ、ステークホルダーの利益構造が変化すれば、著作権法も変わっていくかもしれない。例えば英国の制度では、著作権をもつのは人工知能に創作を「させた者」と考えらる。そうした人々が他の国でも制度変更を迫るかもしれないからからだ。
人工知能技術に長けるGoogleやFacebookといったソフトウェア企業はオープン志向なのでそんなことはないと思うけど、もし人工知能の創作物に著作物性が認められるとしても、私はその権利は大きく制限されるべきだと思う。
著作権法の目的は文化の発展であり、人々の創作意欲を惹起するために、死後50年(国によっては70年)という長大な独占期間を与えている。しかし1秒に1曲を創れる人工知能(を運用する者)に対して、長い独占を認めるべきかは甚だ疑問だ。
もちろん、不適切な二次創作やビジネス活動への支障を防ぐため、なんらかの財産権的、人格権的保護は必要になるかもしれない。しかしそれは、人間の文化的活動の保護を目的とする現行著作権制度とは異なるものであるべきだ。特にビジネス上の利益を守るだけなら、著作権法というよりは不正競争防止法とか、他の法律でのサポートの方が適しているかもしれない。
話は戻って人工知能の創作について。人工知能がこのペースで進化して、人間並みの、あるいは人間を上回る創作活動を行ったとき、人間に残される有意性とは何だろう。私は人間の持つ「物語」だけは、人工知能には創れないと考える。
希望する条件を入力すると素敵なロゴデザインを作ってくれる「Tailor」というサービスがある。類似サービスは他にもあり、これらも人工知能を使った創作サービスの1種だ(クラウドソーシングに次ぐ「ボットソーシング」と呼ぶらしい)。
便利であるが、例えば東京五輪のロゴのような、大きなイベントのデザインを機械に任せられるだろうか。そうはならないだろう。人々がデザインに求めるのは成果物だけではない。いつ、どんな人が、どのような想いでどう工夫して、最終的になぜそう決まったのか、背景にあるこうした「物語」もまた価値を生んでいるはずだ。
諭吉先生1枚と1時間程度があれば、素晴らしいデザインはできるかもしれない。しかし人々が五輪ロゴに望むものとは、そういうものではないだろう。
‥‥うーん、五輪ロゴはちょっとたとえが悪すぎる気がしてきたよね。むしろボットに頼んだ方がよかったのでは? という声も聞いたり。
でも例えば五輪を象徴する「五つの輪」ならどうだろう。明治や平成といった元号は? 日常にも、誰かが創ったからこそ意味のあるデザインはあるはずだ。こうしたものも含めて、すべての創作を機械に任せることはできるだろうか。
これが人工知能の創作で問題になることの1つだ。過程がブラックボックス化され、記号的意味を支えるはずの「物語」が見えなくなってしまう。
「アンネの日記」が人工知能の創作だったら、ベストセラーになっただろうか。
人工知能が進化すれば、「大戦時に迫害され苦しんだユダヤ人」の仮想人格を創り上げ、様々な史実も編纂して、同等の迫力のストーリーを産み出すことはできるだろう。しかし我々が「アンネの日記」を通して得たいのは表面的なストーリーではない。実在したアンネという少女の苦悩や心理を、同じ人間として追体験したいのだ。
「はだしのゲン」や水木しげるの戦記モノも同様だ。私たちは著者のもつ偏見や価値観も含めて、同じ人間がどう感じたか、どう考えたかを求めている。それは、人間ならぬ人工知能には永遠に創り出せない「物語」だ。
ノンフィクションを例に挙げたが、フィクションでも同様だ。たとえば数多の文学小説はフィクションだけど、それを書いた著者の人生や、人間的背景も併せて読み解かれる。
そもそも文化活動とは、人間を中心とした概念だ。辞書の定義を引用しよう。文化は人間の手で創られる。文化を構成する創作活動もまた、人間を排除できない。
①〔culture〕 社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教,種々の制度などはその具体例。文化相対主義においては,それぞれの人間集団は個別の文化をもち,個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており,その間に高低・優劣の差はないとされる。カルチャー。
②学問・芸術・宗教・道徳など,主として精神的活動から生み出されたもの。
三省堂大辞林より
ここまで文化活動における人間の不可欠性を述べてきたけど、ちょっとだけちゃぶ台を返したい。文化活動と商業活動は別である、という点だ。
人工知能の進化の速さを考えると、消費されるエンターテイメントとしての創作では、人間にはちょっと勝てない気がしてくる。創作の量が圧倒的だし、質で人間を凌駕するのも時間の問題だろう。
人間が創るから意味がある、とは言ったけど、人工知能は「物語」を備える「創作者」そのものすら創り出し、それが実在の人物か否かを全く分からなくするだろう。LINEの「りんなちゃん」とかと話すと特に思う。人工知能が十分に発達した未来では、相手が人間か否かは問題にされなくなってしまうかもしれない。
「本物の人間による創作」は、全ての創作におけるニッチなジャンルに留まるだろう。文学がSF、ミステリー、恋愛、ラノベといった様々なジャンルと並列の1つに過ぎないように、「本物の人間による創作」も人工知能の手による膨大な創作物に埋もれていく。
そこで問題になるのが創作者のインセンティブだ。創作がニッチなジャンルに陥ったとき、これを利用するユーザ数も減るだろうから、創作者は十分な収入を得られない。すると創作者の数も減っていき、ジャンルそのものが衰退していく。
私は人工知能には作りえない、人間によってのみ提示できる物語はあると思うが、それが世の中に生き残れるかは別の話だ。
そのときこそ、独占を認めて投資回収機会を与える、文化保護を掲げる著作権法が再び重要になるのかもしれない。