いなたくんへ
昨年大ヒットした『君の名は』がJ.J.エイブラムス監督によりハリウッド映画化されるとのことで、Twitterのタイムラインがにぎわっている。エイブラムス監督といえば最近では『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』を撮ってたり。どんな作品になるのか楽しみだ。
隕石は破壊 #ハリウッド版君の名はにありがちなこと
— osa (@osa030) 2017年9月28日
てっしー(黒人)「待ってくれ、発電所を爆破するだって?マジでイカレてやがるぜアンタ。ヤクでもやってんのか?へへ…だけどすまねえな、これからバブいって一発キメに行くとこなんだ。他を当たりな」
三葉(銃突きつけ)
「冗談!やるって!!」
— モッシュ・ド@key-moto (@Spicy_2108) 2017年9月28日
ハリウッド版「君の名は。」は感動した。特に、瀧くんが親指を立てながら糸守湖に沈んでいくシーンは涙なしには見られなかった。 #ハリウッド版君の名はにありがちなこと
— 敦賀の人(艦載弁) (@tsuruga_mega) 2017年9月28日
ところで調べると、ワンピースやNARUTOのハリウッド映画化なんて話も進んでるのね。ジャンプ作品のハリウッド化ではドラゴンボールが思い出される。色んな意味でドキドキな展開。
リメイク作品はすでに原作ファンがいるため批判を浴びがちだが、それを差し引いても、成功したとは言い難いものも少なくないように思う。この理由を鑑みるに、私は芸術作品の持つ「定性要素」の重要性を挙げてみたい。
ところで、芸術作品のもつ「定性要素」はその定性性ゆえに、人間ならではの強みとされてきた。その仮説を覆したのが第三次ブーム人工知能だ。ディープ・ラーニングに代表される技術は創作分野でも人間の能力を超えようとしている。
芸術作品の定量要素・定性要素を起点として、人工知能がなぜ脅威であるのかを改めて考えてみた。そのうえで、芸術作品の標準化戦略の観点から人工知能の使い道にも踏み込んでみる。
まずは芸術作品のもつ定量要素と定性要素について説明したい。
物語を例に挙げると、プロットや設定、キャラクターの外見といった、文章や絵で定量的に説明したり、コピーできる要素がある。これを定量要素と呼ぶ。
一方で物語には、演出や行間、作品全体の雰囲気、俳優の個性といった、デッドコピーできない要素も大きい。これが私のいう定性要素だ。
芸術作品の成否を決める要因として、私は定量要素よりも定性要素のインパクトが大きいと考えている。もちろんプロットや設定も重要だけど、演出ひとつで作品の出来栄えがガラッと変わってしまう、というのはよくある話だ。
リメイクにおいては、プロットやキャラクター、あるいは世界観といった定量要素を踏襲するのが基本だろう。ところが定性要素となると、その定性性ゆえにコピーができない。
ここで原作ヒットの要因は実は定量要素よりも定性要素に負うところが大きかったりすると、これはコピーできないので、リメイク作品は別物にならざるを得ない。これが「リメイクガッカリ」の構造的原因となる。
逆に「良いリメイク作品」とは、定量要素だけでなく定性要素も一定の質を担保したものと言えるかもしれない。とは言えこの場合も、リメイク作品の定性要素は原作とは別物になって然るべきで、いずれにせよ賛否は起こる。「リメイクはいっそ別物にした方が成功する」といわれる理由もここにありそう。
以上を鑑みると、リメイク作品の発表を待つ姿勢としては、「あの作品の新バージョンが観られる」ではなく、「あの筋書きと設定を材料にしてどんな新しい作品が創られるんだろう」が健康的か。
「人工知能が人間の仕事を奪う」という言説はよく聞くが、奪われない仕事として挙がりがちなのが芸術や創作といった感性を扱う分野だ。その根拠となるのもまた芸術作品のもつ「定性要素」であるだろう。
定量的に評価したり、再現するのは難しいけど、そこに確かに価値がある。そういう感覚的作業は機械にはできない。
と、ルールベースAIの頃までは思われていた。しかし状況は変わりつつある。
端的な例として挙げたいのは、人工知能によりビートルズ風音楽を創作できたというニュース。
聴けばわかるけど、いずれもビートルズの曲ではない。にもかかわらず、そこにはビートルズ「っぽさ」がある。この言葉では定義できない「っぽさ」こそが定性要素であるところ、ディープ・ラーニングに代表される第三次ブーム人工知能は、その再現能力を獲得していることになる。
ディープ・ラーニングの教科書的な例が「猫の見分け」だ。大量の画像の中から、猫とそうでないものとを弁別できる。当時驚かれたのは、「猫とは何か」を定義せずにして見分けられた点だ。我々人間も、「猫とは何か」を定量的に定義せずに「なんとなく」、猫とそれ以外を見分けられる。それと同じことが機械にできてしまったわけである。その後、人工知能の認識エラー率は人間を超えた。
そして脅威であるのは、人工知能が人間と同じ「定性的に見分ける能力」をもつだけでなく、ビートルズ風音楽のように「定性的な要素の再現」までできてしまったことだろう。
人間には「っぽさ」を再現するリメイクは難しい。しかし人工知能ならばそれができる。
さて、とはいえ社会は人間の営みだから、創作の仕事をすべて人工知能が奪うとは私は思わない。仮にそれができたとしても時間はかかる。考えるべきは恐れることではなくて、「定性要素の模倣」の能力を獲得しつつある人工知能をどう使うかだ。
『君の名は』ハリウッド化と同じくして話題となったのが、大ヒットアニメ『けものフレンズ』第2期のたつき監督の降板だ。たつき監督は本作品の立役者であるところ、KADOKAWA社が彼を外したとしてネットが大いにザワついた。
- けものフレンズ監督降板騒動「功労者をのけものにする」KADOKAWAの企業体質(exciteニュース,2017/9/28)
- 【最悪の展開へ】たつき監督降板で発狂した一部『けものフレンズ』民、カドカワに殺害予告をしてしまう…(オレ的ゲーム速報@JIN,2017/9/27)
『けものフレンズ』ヒットの背景に「たつき監督」という要素があり、彼なくして求める作品が得られない、というファンの認識が正しいとすれば、これも定性要素の1つと言える。すごーい!
たつき監督降板、けもフレ知らない人に説明するときは「徹子の部屋で徹子が降ろされる感じ」で伝わることが分かった
— 酒本さけ (@sake_n) 2017年9月25日
さらに言及すれば、これは作品が背景として持つ「物語性」ともいえるだろう。「創作者が誰さんだから、その創作物が欲しい」という付加価値はユーザ体験として重要だが、こうした「物語性」は人工知能には創れないもののひとつである。(ただし技術が進めばそれすらも克服できる気はしてるけど)。
ただし『けものフレンズ』とたつき監督騒動については、ネットでは騒がれているものの、マジョリティが本当にたつき監督を求めているかはわからない。もしかしたら「たつき監督」という定性要素に価値を見出しているのは、一部のファンだけかもしれない。
むしろKADOKAWA社は、設定やキャラクターといった定量要素で十分に価値を出せると判断した可能性だってある。企業戦略としても、定性要素に頼らず定量要素で勝負することは、再現性を担保する上でも重要である。
例えばハリウッドは、映画のプロットについて「ヒーローズ・ジャーニー」などいくつもの定量化手法をとることで、ヒット作の再現性を高めることに成功した。
これってまさに標準化戦略かと思うんだけど、芸術作品に標準化戦略を当てはめたときどんなことができるだろう。第三次ブーム人工知能も加味して考えてみる。
標準化の教科書例がオープン・クローズ戦略だ。例えばインテルはCPUのインターフェイス部分を標準化して誰でも使えるようにし、市場を拡げつつ、その中身はノウハウとして秘匿することで利益を出した。
ハリウッド映画の場合も繰り返しになるが、プロットを標準化することでヒット作の量産に寄与している。ただし映画の場合はCPUと違って、核となる定性要素は隠さずとも模倣は困難だった。
ところが人工知能の登場により定性要素の模倣も可能になると、戦略はさらに広がるだろう。ハリウッド映画の場合は弊害として「似たような作品ばかり」ということが起きたが、演出をはじめとする定性要素までも似てしまうと、作品の品質は上がったとしても全体では飽きられてしまうかもしれない。どこで差別化するかが重要になりそう。
標準化戦略では他に品質標準を仕掛ける話もある。「この品質以上は認定」という基準を作ってしまうことで、自身に有利なビジネス環境を作るものだ。
AIで定性部分含めて品質評価できるなら、「質の担保された二次創作の生態系」を作るのとかおもしろそう。
例えばある作品の二次創作を広く認めて生態系を広げ、その作品世界を普及させるという戦略はあり得る話だ。このとき悩ましいのが品質の担保で、雰囲気や世界観の異なる作品は認めたくない。そうした作品の排除や認定を、人工知能は担うことができる。
思い付きを書き殴ったので戦略の部分は若干破綻してる気もするけど、ビジネス世界における標準化の概念を芸術作品に当てはめるのはおもしろかった。
人工知能が創作の領域で社会へ及ぼす影響はまだわからないことが多く、引き続き考えていきたい。