いなたくんへ
「コンピュータは売れても世界全体で5台だろう」とは、1943年のIBM社長トーマス・ワトソンの言葉だ。遡る1903年には、ニューヨーク・タイムズ誌が「実際に空を飛べる機械」の登場に百万年はかかると予想している。いずれもハズレ。
我々は科学技術のもたらす急激な変化に対応できない。これは『楽観主義者の未来予測』(2013)によれば、人間の脳が10万年間大きな変化のない環境で過ごしてきたことによる。ミチオ・カク著『2100年の科学ライフ』(2012)も、様々な未来予測がテクノロジーの進歩を過小評価しすぎていると指摘し、次のような言葉を紹介していた。
「発明できるものはすべて発明されてしまった」
1899年 米国特許局長官チャールズ・H・デュエル
「いったいだれが役者のしゃべりを聞きたがるというんだ?」
1927年 ハリー・M・ワーナー(ワーナー・ブラザース創始者の1人)
『2100年の科学ライフ』は、理論物理学者である著者が300人の科学者・専門家にインタビューを行い、2100年までの科学イシューをまとめたものだ。分野はコンピュータからバイオ、宇宙など多岐に渡り、近未来・世紀の半ば・世紀の終わりの3つの時間軸に分けて実現可能性を整理している。現実的で網羅性のある一冊だ。本書の予想は次の記事で紹介した。
ところがそんな本書自身も、テクノロジーの過小評価を犯している。人工知能である。人工知能をめぐる景色は本書刊行の2012年からわずか4年で一変した。変化をもたらしたのは「パターン認識」の劇的進化だ。そして「パターン認識」は、本書が人工知能にはできない能力であると指摘したものの1つだった。
本書は人工知能の進化を過小評価したが、予想の中身が全くハズレというわけではない。その実現時期が早まることになりそうだ。今回は本書の予想を紹介するとともに、予想がどう外れたのか、土の予想が早まるのかを検証し、すぐ先に来る未来をみてみたい。
Summary Note
人工知能の未来(本書より)
- 近未来には、エキスパートシステムが人間の生活をサポートする
- 世紀の半ばには人間の仕事が奪われるが、パターン認識を必要とするブルーカラーの仕事や、人間関係を扱う仕事、創造的労働やリーダーシップは人の手に残る
- 世紀の半ばには脳のシミュレーションが実現する
- 世紀の終わりには機械に意識が芽生え、人間も強化される
現実には人工知能は「パターン認識」を克服した
- 本書予想と異なり、既存の仕事の多くは人工知能により代替できる
- ただし、人工知能の意識が依然として昆虫レベル、という本書の予想は正しい
- 機械による意識の芽生えは、本書が予想する「今世紀の終わり」よりは早まるかもしれない
本書によれば、コンピュータやロボットがマウスやウサギ、サルくらい賢くなるには、まだ何十年も研究が必要になる。制約となるのは「パターン認識」と「常識的判断」の2つだ。これらは人間にとっては簡単なタスクだが、コンピュータには難しい。
まずは本書が予想する人工知能の未来を、3つの時間軸に分けて紹介する。
人間の知恵と経験をコード化したソフトウェア・プログラム「エキスパートシステム(ヒューリスティック)」が、過去の経験から我々の好みを知って、生活をサポートしてくれる。最も実用的な用途には医療が考えられる。
ロボットの性能は上がり、微妙な感覚や精巧さをもって違和感なく動き、ほとんど人間として見えるようになる。
人工知能が人間の職を奪う。ホワイトカラーにおいては、在庫確認や計算などの仲介的な仕事が窮地に立たされる。例えば下級公務員や仲介業者、銀行窓口などだ。
一方、人工知能は「パターン認識」と「常識判断」ができないので、これが人間に残る仕事の鍵となる。ブルーカラーの仕事の中でも反復的でないもの、例えばゴミ収集員や建設作業員、庭師、配管工、警察官などは盛んになる。これらは様々な状況への対処が必要になるため、人間の方が長けている。
弁護士など人間関係を扱う仕事も人の手に残る。また、法律解釈なども価値判断であるので人間に残る仕事だ。
人工知能は新しいタイプの作品を生み出すのが苦手なので、「ヒトをヒトたらしめる」創造的な資質を備えた労働者も勝者となる。芸術、演技、ジョーク、ソフトウェア作成、リーダーシップ、分析、科学などで、特にリーダーシップは貴重な商品となる。
人工知能は商品資本主義を知能資本主義に移行させる。アダム・スミスの時代には富は商品(コモディティ)で測られたが、今後はAIに実現できない「パターン認識」と「常識的判断」といった知能資本が重要になる。つまり「常識」が未来の通貨になる。
このころには感情を持つロボットが実現する。感情の本質は価値観を与えることであり、これにより自律的なロボットが実現する。ロボットの形態としては、仕事に応じてカタチを変えられるモジュール型ロボットも登場する。
機械の知能が進化する一方、人間の脳のリバースエンジニアリングも進む。世紀の半ばまでに脳の基本的な構造の理解と、ニューロンの場所の正確な究明がなされ、コンピュータで脳をシミュレートできるようになる。ただし、脳の全ての部位がどのように働き、組み合わさっているかは、今世紀の終わりになるまでわからない。
「意識」に普遍的な定義はないが、本書の定義では意識は「環境の感知・認識」「自己認識」「未来のシミュレーション」の3つの要素から成り立つとする。今世紀の終わりには、機械はこれらを備え、意識を芽生えさせる。
このころには人間自身も変化していて、インプランタブル・デバイスなどによる強化が起こる。
さて、本書の予想はどう外れたのか。本書は人工知能のボトルネックを「パターン認識」と「常識的判断」の2つにおいた。しかしこのうちパターン認識について、むしろ人間よりも人工知能のほうが得意になってしまった、というのが本書刊行後に起きた変化だ。画像認識のエラー率は人間で5.1%とされるが、2015年にMicrosoftが4.94%、Googleが4.82%という結果を発表しており、認識力で人間を上回っている。
@ms_rinna りんなちゃん、いぬだよいぬ!! pic.twitter.com/yqQc3LpbSZ
— 弦音なるよ (@naruyo_t) 2015, 12月 26
@naruyo_t 笑笑
— りんな (@ms_rinna) 2015, 12月 26
高度な機械学習がもたらしたブレイクスルーは要するに、機械がある程度あいまいなものでも扱えるようになったというものだ。人工知能による「常識的判断」も早晩実現する可能性は低くない。
もちろん、人工知能が常識を「理解」できるかといえば大きな疑問符が付く。それでも人工知能が人間の膨大な行動を解析し、結果として常識的と思える判断ができれば、理解の有無にかかわらず常識的判断ができているとみなすことができる(構成論)。
本書が否定した「パターン認識」と「常識的判断」が、人工知能にもできるようになる。特に修正が必要になるのは、職にまつわる予想だろう。
本書はパターン認識を理由にブルーカラーの仕事が残るとしたが、少なくとも本書が挙げた仕事の多くは、人工知能とロボットに置き換えられそう。ホワイトカラーの仕事では弁護士の仕事も残るとされたが、現実には一部業務の置き換えが始まっている。
「創造的な仕事」では、人工知能はすでに小説執筆やミュージカル作劇を始めていて、日本では人工知能創作物への著作権認定も検討されている。人工知能の創作は教師データからは逸脱しにくそうで、そうすると既存の創作の寄せ集めの域を出ない。けれども、局所解からの脱出としての「ひらめき」は人工知能にも可能とされるし、発想に人為的突然変異を組み込むなど工夫をすれば、本書が否定した「新しいタイプの作品を生み出す」こともあり得るだろう。
対人インターフェイスとしての仕事や、価値判断、リーダーシップが人の手に残る、という予想には賛成だが、最近の人工知能の成長ぶりを見るとそれらすらも時間の問題に思えてくる。結局人間が持てる最後の強みは、その仕事が「同じ人間によりなされている」こと、同じ人間だからこそできる共感とか、背景の物語性に帰結するんじゃないか。この仮説は以前述べた。
総括すれば、人工知能による職の置き換えは本書の予想よりもずっと悲惨なことになりそうだ。もっとも、かつて人口の65%を占めた北米の農業従事者が今では2.4%に減ったように、人間が携わる仕事は、今はまだ存在しない新しいものに変わっていくのかもしれない。
なお本書は「常識的判断」が機械にはできないことから、常識が通貨になると予想した。仮に人工知能が常識を持てなかったとしても、私はこの予想には賛成しない。
常識とはある特定の範囲内で通用する価値観であって、そのレベル感は様々だ。場所が変われば常識も変わる。世の中は様々な風習やローカルルールに溢れている。むしろそうだからこそ機械による判断が難しい。「常識的判断」が人間の仕事として残されるなら、むしろ常識は多様化して、通貨のように広く通用することは難しくなるように思う。
人工知能には「パターン認識」や「常識的判断」ができない。この本書の予想は、少なくともパターン認識については覆された。しかしそれだけで人工知能を過大評価することもできない。
本書は、コンピュータやロボットがマウスやウサギ、サルくらい賢くなるにはまだ何十年も研究が必要になると予想する。「意識」の芽生えは今世紀末まで待たねばならない。わたしはこの予想に概ね賛成だ。
『フューチャー・オブ・マインド』(2015)は、本書著者がヒトの心や意識の科学的解明を試みた一冊だ。脳科学・神経科学の見地から心や意識の原理を探る。その中で、人工知能にも大きく紙幅が割かれている。もしかしたら「パターン認識」の予想を外した著者のエクスキューズかもしれない。
『フューチャー・オブ・マインド』においても著者の主張は変わらない。そこでは「意識」のレベルを3つの段階で定義していて、現在の機械がいまだ爬虫類の段階にあるとする。人工知能が全人類の知能を凌駕する「2045年問題」が囁かれるが、これも否定している。これらは次の記事でも紹介したとおりだ。
結局のところ現在の人工知能は、ちょっと高度な「認識器」に過ぎない。関数電卓が人間よりも計算力に優れるように、人工知能による認識も人を凌駕するが、それと知性とは全く別の問題なのだ。著者は『フューチャー・オブ・マインド』で人間の脳を(わかっている範囲で)明らかにして、機械との間にいかに開きがあるかを再確認した。
もっとも、機械による意識の芽生えは著者の予想する「今世紀の終わり」よりは早くなるかもしれない。本書『2100年の科学ライフ』では、人間並みに賢いロボットの登場が今世紀末までかかってしまう要因として、次の6つを挙げていた。
- 1.ムーアの法則が今後減速する
- 2.コンピュータの計算速度が脳のそれに匹敵しても、アルゴリズムが足りない
- 3.ロボットが元のロボットより賢いコピーを作れるかどうかわからない
- 4.ハードウェアが急激に進歩できても、ソフトウェアは人間が書くしかないので、結局人間がボトルネックになる
- 5.プロジェクトに莫大なコストと規模がかかる
- 6.機械がいきなり意識を持つ「ビッグバン」は起こらず、「未来をシミュレートする意識」獲得までの段階をゆっくり上るため
この全てに反証することはしないが、前回述べた通りムーアの法則が減速するとは思わないし、いずれプログラムは自己進化可能になって、人間というボトルネックを解消するかもしれない。プロジェクトの規模とコストも、10年後、20年後の試算では変わったものになるはずだ。
思い返すべきなのは、パターン認識が苦手とされた人工知能がわずかな時間で克服し、世界を驚かせていることだ。機械による意識の芽生えも、現時点の予想より早い時期になる可能性は低くはない。
テクノロジーの未来はこれからも指数関数的な成長を続ける。我々の脳は指数関数的成長を予想する能力を持たないが、それでも未来に対しては指数関数的思考で臨みたい。
なお本書は人工知能のシナリオの1つとして、人間との融合が行われるという可能性にも触れている。ただし本書の未来予測の基準の1つ「穴居人の原理」によれば、その可能性が実現する可能性は高くはない。これについては次の記事で紹介したい。