いなたくんへ
これは持論であるが人口は正義だ。
毛沢東はソ連に対して「核戦争やろうぜ!我が国は仮に3億人死んでも3億人生き残るから没問題!」と伝えたとされる。というのは喩えがちょっとアレだけど、世界有数の市場を自前にもって成長する姿はうらやましい。
ひるがえって日本を見ると、2015年の国勢調査で初めて人口減少が確認された。前回2010年の調査から約96万人減って、日本の総人口は1億2709万人。さらに2016年には年間出生数が初めて100万人を切り、約98万人にとどまった。
一方で65歳以上人口は全人口の27%を占める。これは高齢社会の定義である21%をはるかに超えた「超」高齢社会である。
と、いう話を聞いても、実はあんまりピンと来ないんだよね。
少子高齢化が叫ばれて久しく、年金とか社会保障費とかヤバイという話もまあ聞くんだけど、実感がわかない。具体的にどの程度ヤバイ話なんだろ。
そこで今回は、少子高齢化もたらす未来の日本を描いた『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』(2017)を読んでみた。本書は2065年までの日本に起こる出来事を年表形式で整理している。その内容は「日本の将来推計人口」(国立社会保障・人口問題研究所,2017)など各種統計に基づいており客観的。
読んでみると悲観論者大歓喜の内容で、楽観主義者の自分でもドン引きだった。40年後に9000万人を割るとされる日本の未来は、暗い。人口減少と少子高齢化が我々の生活をどう変えるのか、本書記載に基づき、イシュー毎に整理してみた。
本書によれば、「こんなに急激に人口が減るのは世界史において類例がな」く、「われわれは、長い歴史にあって極めて特異な時代を生きている」。
Summary Note
1.少子化が経済を冷却する
- IT技術者不足がイノベーションを減速し、地域の活気は失われ、企業内高齢化が経営を圧迫する
2.高齢化の本当の問題は「高齢者の高齢化」
3.「地域包括ケア」は成立せず介護離職が増大する
4.「あたり前」の社会システムが失われる
- 社会インフラの更新ができなくなり、輸血用血液や病床も不足して「どこで死ぬか」に社会的関心が集まる
5.地方経済は崩壊し、2040年に自治体の半数が消滅する
6.都市部の高齢化は2024年以降本格化し、医療介護地獄へ
7.財政危機の「2025年問題」と「2042年問題」
8.安全保障に深刻な懸念が生ずる
補足と所感:政府の対策・人工知能・地方創生
まずは少子化の影響から見てみたい。子どもが減ると何が起こるか。
購買力のある若年層が減ることで消費が冷えこみ、経済が停滞し、悪循環に陥る。これは税収の落ち込みにもつながる。また、労働市場も縮小する。
IT産業への需要は今後も堅調に伸びる一方、IT技術者は2019年をピークに、就業者数が退職者数を下回る状況が続く。IT技術者の不足は当然イノベーションへの悪影響ももたらす。
情報セキュリティの観点では国防にも直結する問題となる。
「伝統行事が消える」は私個人としては大問題だけど、それ自体はイデオロギーにもよるので、気にしない人は気にしないかも。客観的な問題としては、高齢者や子供に対する地域の見守り機能が衰退し、治安維持や災害時の手助けができなくなる。
「高齢化」というと65歳以上の定年後人口を想定しがちだが、少子化は65歳までの労働人口での高齢化も引き起こす。
人口ボリュームの大きい団塊ジュニア世代が50代に突入する2021年ごろから、企業の人件費がピークになる。彼らに加えバブル世代のポストも不足し、彼らの処遇やモチベーションを引き出すため、企業は管理職のポスト増設に迫られる。彼らが60代に入る2032年以降は退職金負担も大きくなる。
経営者も辛いが、彼らを支えるその下の世代も辛そう‥。
次に高齢化。本書が問題視するのは、高齢化と言っても単に「65歳以上人口が増える」だけでなく、高齢者の中の高齢化が進む点。
現在65~74歳人口と75歳以上人口とは拮抗しているが、やがて前者は減少し、後者の比率が増えていく。団塊世代が全員75歳以上となる2024年には日本人の6人に1人が75歳以上となる。
政府は定年年齢引き上げなど「高齢者の活用」を検討するが、増加するのが75歳以上の「超高齢者」であるので、現実には活用は困難だ。「老老介護」も増えていく。
また、本書は「貧しいおばあちゃんの激増という身近な現実から目を背けてはならない」と指摘。夫の介護に貯金を使い、少子化で地価が下がって遺されたマンションも売れず、あるいは未婚のまま高齢化した「貧しいおばあちゃん」が増えていく。
少子化・高齢化の影響で最も身近なのは「介護」だろう。しかし大きな問題を孕んでいる。
介護人材の慢性的不足や、介護保険財政破綻の回避のため、政府は「地域包括ケア」を提唱する。これは介護を「地域の支え」「家族の支え」に期待するものだ。
しかし本書によれば、以下の理由から「地域包括ケア」はうまくいかない。
- 未婚者増加、離婚増加の傾向により一人暮らしは増大しており、「家族の支え」に頼れない
- 一人暮らしの高齢男性は地域に溶け込めない傾向にあり、「地域の支え」に頼れない
- 介護を担う50代には仕事があり、中重度の要介護者を抱えることは難しい
- 増える未婚女性は自らの生活のために稼がねばならず、介護に時間を使えない
本書によれば要するに、社会保障制度が前提とする「家族」のカタチが変わってしまっているのだ。
要介護人口は2025年には約253万人が見込まれるが、老人ホームなどの介護施設のキャパシティは215万人程度しか確保できず、「介護難民」が発生する。これらは(家族がいれば)家族が支えざるを得ない。
中重度の介護者を抱えて仕事を継続することは困難なので、介護離職が相次ぐ。ところが現状の数字を見ると、過去5年に介護離職した人のうち4人に1人しか復職できずにいる。
未婚の場合には、離職すれば自らの生活も成り立たなくなる。
みんな簡単に施設入れろと言うけど、私の祖母は特養に空きがなくてすぐに入れるところに入れたら一年で500万取られたよ。待機老人問題はもっと知られて欲しい。 / “介護放棄地獄” https://t.co/pmIrewfGws
— QJV97FCr (@QJV97FCr) 2017年12月16日
少子高齢化は社会インフラへの影響も大きく、本書は次のように指摘する。
少子高齢化とは、これまで「当たり前」と思ってきた日常が、少しずつ、気づかぬうちに崩壊していくことなのである。
『未来の年表』より
道路や上下水道、市民ホールといった社会インフラの多くは高度経済成長期に集中的に整備されたもので、今後急速に老朽化する。しかし人口減少はインフラ利用者の減少と、これに伴う税収減をもたらし、自治体職員の確保を難しくする。インフラを支える技術者も高齢化し減っていく。
こうした事情から、社会はインフラは維持できず、リニューアルも困難になる。
輸血用血液のうち、けがなどに使われるのは3.5%に過ぎず、80%はがんや心臓病、白血病などの病気の治療に使われるという。
使用者の85%は50歳以上の患者で、提供者(献血者)の75%は50歳未満だ。ということは、少子高齢化は供給者減・使用者増をもたらすので、輸血用血液は足りなくなる。
これは要するに、「病院に行けば助かる」というこれまでの常識が通用しなくなるかもしれないということである。
『未来の年表』より
輸血以前の問題として病床も足りなくなる。本書は「「病院に行けば助かる」という常識が崩れ去るどころか、病院にたどり着くことすらできなくなる」と指摘。そして社会の関心は「どこで死ぬか」に集まると予想している。
予測によれば、現在ある日本の自治体のうち半数が2040年までに消滅する。そのほとんどはもちろん地方だ。この道程を見てみたい。
高齢化は地方で進むと思われがちだが、そうならない。これまで若者を大都市に吸われてきた地方ではすでに高齢化が進んでおり、比率でみると今後変わることはない。
むしろ、80代になった親が都市圏に住む息子・娘をたよって同居するケースが目立っており、地方の高齢者は数の上では減少していく。
高齢者数が減った地域では高齢者の消費をあてにしていた地域経済が成り立たなくなる。これは若者の働き先をなくし、若者は仕事を求めて都市に流出し、人口がさらに減るという悪循環にも結び付く。
2030年度には38道府県において、域内の供給力では需要を賄い切れない生産力不足に陥る。
2033年には空家率が30%を超え、倒壊の危険が増し、犯罪も誘発される。
地方の生産力不足は地方税収の落ち込みに直結し、地方自治体は地方交付税への依存度を高める。地方交付税の総額は、2030年度には現在の1.5倍に膨らむとされる。
地方交付税への依存は地方自治体の自律性も損う。
地方はヤバいけど都市圏なら安泰、という話でもない。高齢者比率に大きな変動のない地方よりも、高齢化がこれから進む都市部の方がより深刻である、というのが本書の見方だ。
なお本書では都市部として東京圏(神奈川・千葉・埼玉を含む)を指していた。東京圏の少子高齢化は2024年以降に急速に進む。
都市部における高齢者数激増の最大の要因は、現状において若い世代が多いこと。つまり「高齢者予備軍」が多い。これに加えて、故郷に残してきた年老いた親を呼び寄せるケースも少なくない。
2045年には東京も「3人に1人が高齢者」という街に変貌する。
大都市はビジネス中心の街づくりがされてきたため、医療機関や介護施設の整備が追い付かない。地価の高さから新設も困難だ。東京都の介護施設利用者数は、2025年には2010年の定員数の2・5倍程度に膨れあがる。
しかし「地域のつながり」というものもないので、地域でのケアには期待できない。
本書は、東京に住む人は今後「医療・介護地獄」を味わうと指摘する。
老後も東京圏に住み続けるのは、介護難民に陥るリスクを覚悟するようなもの
『未来の年表』より
「2040年に消滅する自治体」の多くは地方だが、現在からは信じにくいが、東京都内のいくつかの区も含まれている。
大都市部でも確実に空き家は増え、土地やマンションの価格は下がっていく。
それでも東京に人が住む以上、高齢者にとって暮らしやすい街づくりが求められるが、そのためには膨大なコストが必要だ。
社会保障費も増えるなか、大都市部に住み続ける限り、負担増とサービス低下に繰り返し見舞われることになる。
ここまで色々見てきたけど、問題のいくつかに「お金がない」があった。端的には人口ピラミッドの不均衡が原因だが、副次的には地方自治体やインフラなどの需要・出費のあるところで税収が取れない、というものもあるだろう。
ヤバいヤバいと言われる社会保障費。大きなピンチとして以下の2つが挙げられていた。
現在政府が想定するのが「2025年問題」だ。この頃になると人口ボリュームの大きい団塊世代が75歳以上になり、医療・介護費がかさむとの懸念である。
具体的には、2025年の医療保険給付額は2015年より10兆円以上増える54兆円とされ、介護給付費もほぼ2倍の約20兆円に膨らむ。
しかし本書は2042年こそ「日本最大のピンチ」になると指摘する。2042年は高齢者数がピークを迎える年であり、高齢者向け施策は人数が一番多くなる同年に合わせて進めなくては間に合わない。その社会コストがかなり大きくなるとの懸念だ。
この頃の高齢者・団塊ジュニア世代は就職氷河期世代でもあり、思うような職に就けなかった人が多く、年金保険料の納付実績が少ないため、将来的な低年金・無年金状況を避けられない。その保護費用も必要になる。
最後に安全保障。ここは日本だけでなく世界の趨勢にも関連する。
農業就業人口の先細りは、農業を主産業とする地域に大きな打撃を与える。具体的には、その地域の人口が減ることで学校や診療所の統廃合が進み、農業就業者のみならずその家族も住みづらくなり、結果として農業をやめる人が増えてしまう。
一方、世界人口は増え続けていて、食料不足を全地球規模の問題だ。日本も世界的な食糧争奪戦に巻き込まれることは避けられない。そんななかでの食糧生産量減少は国家の安全保障問題に直結する。
食料と並んで懸念されるのが水不足問題だ。「食料を輸入している国が、その輸入食料をすべて自ら生産したらどの程度の水を要するか」の推計量を「バーチャルウォーター」という。この指標で見れば、日本は水の輸入大国となる。
水不足もまた世界的なイシューであり、食料自給率と同様、日本の存立に影響しうる。
2050年には、現在人が住む地点のうち19%が無居住エリアになるとされる。このとき、有人離島においては約10%が無人島化する可能性がある。
国境離島や外洋離島は排他的経済水域の重要な根拠となるところ、これらが外国に占拠される可能性は排除できない。実際に占拠までされなくとも、自衛隊や海上保安庁の監視負担は増大し、防衛力の低下につながる。
自衛官や警察官、海上保安官、消防士といった職種の隊員募集年齢は18~26歳だが、この層は1994年からの20年で35%減と激減していて、組織規模は縮小せざるを得ない。
これまで当たり前に思ってきた「安全・安心」の確保が、少子高齢化や人口減少によって足元から崩れ去ろうとしていることに、私は危機感を抱かざるを得ない。この現実こそ、私が名づけた「静かなる有事」を最も分かりやすい形で示している
『未来の年表』より
他にも国立大学の大量倒産とか、2039年には高齢社会の次に「多死社会」が来て斎場・火葬場・無縁遺骨が増大するとか、色々書かれていたけど、大きなイシューについて以上のようにまとめてみた。少子高齢化がもたらす未来を考えるうえで、論点の整理として起点にしたい一冊だった。特に本書は数字回りもきちんと挙げているので、具体的なところはまた読み返したい。
所感に変えて、イシューとは別にいくつか補足も述べたい。
本書で述べられる未来は数字を見れば明らかで、政府も何の対策もしていないわけでは当然ない。例えば政府は2014年に具体的な数値目標として「50年後に1億人維持」を掲げている。
しかし本書は「具体的な数値目標を掲げたことは評価したいが、出産可能な女性の激減を考えれば、この数字を達成するのは無理な話」と否定的。実際に現在の出生率から計算して、非現実的であることを説明している。
本書は頭ごなしに政府政策を否定することはせず、努力は認めているのだけれど、少子高齢化が社会にもたらす急激な変化に対し、対策が不十分であると考える立場だ。例えば「地域包括ケア」も、本書を読むと不安はぬぐえない。
なお、「人口減少はむしろチャンスだ」派に対しては全否定で、「人口減少そのものに全く問題がないかのような幻想を抱かせようとするのであれば、あまりに無責任であり、非常に危うい考え」であるとしている。
これは私も同意。冒頭にも述べたが、歴史を見れば人口こそ正義だ。
世間は第三次ブーム人工知能の熱気のただ中にあり、人工知能が労働を奪う論もまことしやかに囁かれ、私もこれに同意している。この流れが正しいならば、労働力や生産力の不足に対して、ちょうど人工知能が応えてくれることになる。
本書も実はこれを否定してはいなくて、人工知能が驚異的可能性を秘めていることを認めている。けれどもその一方で、人工知能が「人間の知能を凌駕し、人々が仕事を奪われることを真剣に懸念しなければならないレベルに達する見通しは立って」おらず、「現段階で、どこまで労働力不足の解決策として織り込んでよいのかは判断に迷う」とし、未来予測の変数に加えることは避けていた。
私もこの立場には賛成。実際に人工知能が日本の課題を補うならばそれはありがたいけど、現時点で織り込むのは楽観的に過ぎるだろう。
私が本書を「自分ごと」として読めたのは、介護の問題がまず一番にあるとして、次に気になったのが地方と都市の問題だ。私も地方の出身で、いま都市圏に住んでいる。故郷が消滅とか辛すぎるし、東京圏の「医療・介護地獄化」も身にかかる火の粉だ。つらい。
本書は都市への一極集中へは反対の立場。東京について「これまでは地方から若者を吸い上げて若さを保」つなど「地方との分業で成り立っており、食料やエネルギー供給を地方に頼っていて、その地方が滅んだのでは意味がない」と指摘。
なんかアレ、シータの「ラピュタがなぜ滅びたのか、私よくわかる。土から離れては生きられないのよ」のセリフを思い出す。
じゃあどうすれば何度でも蘇るんですかね。ということで、次回は本書が掲げる解決策を紹介したい。ここまで述べてきた日本の未来に対して、本書は「処方箋」として10のアイディアを載せている。絶望的なシナリオはどこまで回避できるだろうか。