テクニウムの自己増殖がもたらす未来(『テクニウム』書評3/3)

テクノロジーとはいったい何か。『テクニウム』(2014)はこの疑問への答えを探るなかで、いくつかの仮説を述べている。

  • 生命を「自己生成可能な情報システム」としてみると、ヒトの次の進化形は「テクニウム」となる
  • イノベーションやテクニウムには事前に決められた固有の順番があり、必要な条件が全て揃ったとき新しいテクノロジーが生じる
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テクニウムとは、テクノロジーが大規模で相互に結ばれたシステムを指す。霊長類まで続いた生命の進化の続きにはテクニウムがあり、時計を太古の地球に巻き戻してやり直しても、再びヒトやインターネットがあらわれるという。この仮説について次の記事で紹介した。

本書の仮説が正しいとしてやっぱり気になるのは、進化したテクニウムが今後どこへ向かうのかだ。進化に固有の方向があり、それが必然であるならば、今後向かう先も予想できるはず。テクニウムはどんな未来を引き起こすのか。

本書はテクニウムが、エクストロピーの増大と非物質化、自己増幅の方向に向かっていると述べている。この予想から想起されるのはテクニカル・シンギュラリティだ。テクノロジーの進歩の担い手が人間から人工知能やポストヒューマン変わる、という予想で、有名なところではレイ・カーツワイルの「2045年問題」がある。

私は「2045年問題」には異論があるが、本書『テクニウム』の理論に基づくと、テクニカル・シンギュラリティが起こるべくして起こるように思えてならない。本書の予想を紹介しながら、この問題について考えてみる。

Summary Note

テクニウムの進化が起こる場所(本書より)

  • 生命とテクニウムの進化は、エクストロピーの増大と非物質化に向かう
  • テクニウムは自己増幅し、進化する領域自体を変えていく
  • ムーアの法則は、エネルギーの制約を受けない縮小化可能領域に働く

テクニウムの進化がもたらす近未来(本書より)

  • 多様性の爆発的増加が「選択支援テクノロジー」を発達させる
  • テクニウムの相互性発達がオープン化を促す
  • テクノロジーの偏在化がパラダイム・シフトをもたらす
  • UNIXカーネルはテクノロジーの世界のゴキブリとなる
  • テクノロジーの自己増殖が止められなくなる
  • テクニウムがヒトから独立する

ヒトの次世代を担うのは人工知能か、ポスト・ヒューマンか

  • 選択支援テクノロジーは確かにヒトを超える人工知能を生もうとしている
  • その一方でヒト自身による自己増殖も始まろうとしている

 

テクニウムの進化が起こる場所(本書より)

本書は生命とテクニウムとを「自己生成可能な情報システム」の観点から連続して論じる。この一連の進化には、生命の時代から一貫した傾向もあれば、近年のテクニウムに顕著な変化もある。テクニウムが向かう先を見る前に、まずはその進化の特徴をまとめてみたい。特に、本書のムーアの法則に関する分析は面白い。

エクストロピーの増大と非物質化・脱身体化(本書第4章より)

生命は進化の各段階で無秩序性を少なくしている。この傾向に本書は、エントロピーの反対の「エクストロピー(Extropy)」という言葉を付ける。エクストロピー増大はテクノロジーでも同様の傾向で、「もっとも複雑なテクノロジーが、最も材料を使わず最軽量だ」。この最たるものにソフトウェアがある。

エクストロピーを長期的に見ると、物質世界から超越的な非物質世界への脱出と考えることができる。

「価値の脱身体化」(物なしの価値)というのはテクニウムにおける定常的な傾向だ。

非物質化がエクストロピーを進める唯一の方法ではない。テクニウムが情報を圧縮して高度に洗練された構造にすることもまた、非物質化の勝利だ。例えば、(ニュートン以来の)科学は、物質の運動についての膨大な量の証拠を抽象化して F=ma のような非常に単純な法則で表してきた。

自己増殖と「進化の進化」(本書第13章等より)

進化で普遍的となるもう1つの要素に「自己増幅」がある。これも本書のいくつかの言葉を引用したい。

テクニウムの膨大な力の源は、その規模だけでなく、自己増幅する性質にもある。

もっと重要なことは、知識が構造化されている方法自身が進化し、再構築されているということだ。

進化は進化したがっている。(中略)
自分が姿を変える領域自体を変えてしまう、変幻自在の存在を想像してみればいい。(中略)
生命はより多くの適応方法を獲得してきたが、それが本当に変えてきたのは自分の進化性、つまり変化を創造する傾向と機敏さだ。

進化とは自己増幅であり、さらに重要なのは、増幅する領域自体が変化していく点だ。テクニウムの進化も、ある特定の領域で極端に進む可能性がある。そのヒントとなるのが「ムーアの法則」だ。

ムーアの法則が及ぶのは「縮小可能領域」(本書第8章より)

2045年に人工知能の能力が全人類の総和を超える、いわゆる「2045年問題」。この予想が根拠とするのは、ムーアの法則に代表される指数関数的変化だ。
ちなみに本書によれば、「2045年問題」の提唱者レイ・カーツワイルはムーアの法則を拡張しており、「1000ドルで可能な1秒あたりの計算回数」でみると、指数関数的傾向は1900年まで遡れるという(カーツワイルの法則)。

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「1000ドルで可能な1秒あたりの計算回数」でみると、
使用される技術は変遷するが、その成長度は100年間変わっていない
(画像:Wikipedia)

100年前からテクニウムに起こった指数関数的変化は、テクニウムの未来の本質を示唆する。ムーアの法則に対する本書の分析はおもしろい。

最初に気づくことは、すべてが縮小化、つまりサイズが小さくなることによって生じた効果の例であることだ。

つまり完全なニューエコノミーでは、ほとんどエネルギーを必要とせずに規模も小さくできるテクノロジーが重要な役割を果たす――光子、電子、ビット、ピクセル、周波数、遺伝子などだ。そうした発明は縮小するにつれ、原子そのもの、ビットそのもの、そして非物質的な本質に近づいていく。

本書は「より速いジェットエンジンはトウモロコシの生産量を増やさないし、より良いレーザーは薬の開発の速度を上げないが、より早いコンピュータのチップはそれらすべてをもたらす」とし、その理由を小型化に見つけている。

本書によれば、「規模を大きくしていくとエネルギー需要が急速に拡大して制約条件になる」ため、例えば電池の効率は指数的成長はできない。DNA配列決定、磁気記憶、半導体、帯域、画素数など、指数関数的成長の見られる分野は、いずれも縮小化に進む領域であり、その背後にはエネルギーの制約からの解放があると指摘する。

 

テクニウムの進化がもたらす近未来(本書より)

ムーアの法則の直接的作用は、全てのテクノロジーに対してでなく、あくまで縮小化可能な領域にのみ働くことがわかった。指数関数的成長をもたらすものが縮小の効果というのは、エクストロピーの増大、非物質化・脱身体化という進化の方向性にも合致している。縮小可能領域こそが、いまテクノロジーの自己増殖が起きている場所、進化の行われている場所に他ならない。

こうしたテクニウムの進化が進んだとき、具体的にいかなる未来が訪れるのか。本書記載に基づき6つの予想を紹介したい。

1.多様性の爆発的増加が「選択支援テクノロジー」を発達させる

指数関数的成長により多様性は爆発的に増していく。本書は例えば米国における年間特許出願件数の推移を紹介していた。科学論文数も同じく指数関数的に伸びている。

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1840年以降の米国における年間特許出願件数(米国特許商標庁データより作成)

特許出願件数は産業政策にも左右されるが(現に近年はパテント・トロール対策の法制度整備で出願件数減少中)、長期的には本書の指摘する通り、テクノロジーの多様性増加が特許件数にも反映されているようだ。
グラフの近年の伸びは、1990年代に認められたソフトウェア関連特許の分だろう。今後は遺伝子関連特許の増加が、グラフの指数関数的成長を続けさせるかもしれない。

本書は、こうした多様性の増加が選択肢の過剰を生み、「選択支援テクノロジー」を発達させると予想する。私はこれがテクニウムの進化の次の「必然」であると考えてる。

超多様性への解答は選択支援テクノロジーを使うことだ。そうしたより良い道具は、人類が途方に暮れるほどの選択肢の中から選ぶことを助けてくれる。(中略)多様性は多様性を吸うための道具を生み出す(中略)。

2.テクニウムの相互性増加がオープン化を促す

本書によれば、テクニウムは進化に伴い相互性も増していく。テクノロジー同士が接続され、相互に協働することで付加価値を生み、1+1+1が3ではなく5にも10にもなる。

全体が個々の集積の和を超えるということだ。これこそがテクノロジーが育てる、創発する力なのだ。

自分の考え(ツイッター)、読書(StumbleUpon)、財務(Wesabe)、自分のすべて(ウェブ)の共有は一般化しており、テクニウムの基盤になりつつある。

近年起きているオープン化は、本書に基づけば、テクニウムの正しい方向性に沿っているということになる。

3.テクノロジーの偏在化がパラダイム・シフトをもたらす

テクノロジーの指数関数的成長により、普及の速度も早まっている。ここで本書は、あるテクノロジーを「誰もが持つ」ようになり、その存在を意識しなくなるとき、大きな変化が起こると予想する。本書が挙げる例がおもしろいので、いくつかを紹介しよう。

1000台の自動車は、移動を可能にし、プライバシーを創造し、冒険を提供する。10億台の自動車は、郊外を形成し、冒険を排除し、土地に根差した考えを消し、駐車問題を引き起こし、交通渋滞を生み出し、建造物は人間的尺度で作られなくなる。

1000台の人間の遺伝子配列決定装置は、個人向け医薬を一気に広める。10億台の遺伝子配列決定装置は、毎時リアルタイムで遺伝子損傷を監視し、化学工業をひっくり返し、病気の定義を変え、家系図を流行らせ、「超清潔」なライフスタイルを打ち出して有機体が汚れて見えるようになる。

他にも本書は、常時稼働カメラ、ディスプレイ、人間型ロボット、果てはテレポート基地について、1000台が10億台になった場合の変化を予想していた。

すでに出現したテクノロジーでも、その量の偏在化は社会に質的変革をもたらすことになる。今後出現するテクノロジーの予想も興味深いが、今あるテクノロジーが偏在化したとき何が起こるか、という視点で未来を想像するのもおもしろそうだ。

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本書曰く、1000台のテレポート装置は休暇旅行を活性化し、
10億台のテレポート装置は国民国家とプライバシーを終わらせる。
未来なら風呂場への誤接続防止機能くらいあってもよさそうだけど、
プライバシーに対する考え方がいまとは変わっているのかも。
(画像:tirol28)

4.UNIXカーネルはテクノロジーの世界のゴキブリとなる

本書によれば、テクニウムの進化はテクノロジーの複雑性を増加させる。しかし、ネジからテレビから飛行機まで、世にあるテクノロジーの全てが今後も複雑性を増すのだろうか。
本書はいくつかのシナリオを提示しており、その中でも正解とするのは「大部分のテクノロジーは単純もしくはやや単純だが、少数が引き続き大きく複雑化する」という道筋だ。

本書によれば、テクノロジーもいくつかの層からなる。レンガ、木、ハンマー、電気モーターは生物界の微生物に相当し、これ以上は進化しない。都市や家も同じままだが、その表面には、急速に進化するガジェットやスクリーンが付けられるかもしれない。

私も本書の予想には賛成だ。「進化は進化の領域を変化させる」「縮小可能領域以外は指数関数的成長をしない」という仮説にも適うし、生命の生態系をアナロジーとする点もおもしろい。本書解説に基づき「UNIXカーネル・ゴキブリ仮説」とでも名付けようか。

現在のコンピューターでつかわれているUNIXのカーネルのようなプログラムのコードが、これから1000年経っても使われている可能性がかなりある(中略)。

それらはきっと2進数を使ったデジタルの細菌やゴキブリのようなもので、単純なテクノロジーはそのままで使えるから生き続けていくのだ。それらはより複雑になる必要がない。

5.テクノロジーの自己増殖が止められなくなる

テクニウムに最近現れた根本的な力に「自己増殖」があるという。自己増幅が進化の基本的な性質であることは紹介した通りだ。しかしテクニウムはこれまで、自身の進化を人間の手に頼っていた。発明家は起こるべき発明を世に現すパイプ役であり、発明家がいなければテクニウムは進化できなかった。

ところが近年、テクニウムは人間の手によらずとも自ら自己増殖する力を獲得しつつあるという。本書はその傾向が顕在化する分野として、遺伝子、ロボット、情報、ナノの4つを挙げている。いずれも縮小可能領域のテクノロジーだ。

本書は次のように指摘する。
遺伝子テクノロジーは新しい染色体や生命が創ろうとしているが、遺伝子はそもそも突然変異による自己改変を繰り返す。ロボットはロボットを創れるし、情報分野ではすでにコンピュータ・ウィルスが進化を始めている。自己組織化能力をもつナノ・マシンが野生化したら、自然界の狭いニッチで繁殖し、取り除くことはできなくなる。

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分子で構成されたギア(画像:NASA on The Commons)
本書はナノ・マシンの暴走「グレイ・グー」には否定的。
自然界で野生化したナノ・マシンの生態系とかすごく気になる。

すでにいくつかのテクノロジーは人間の制御を超えている。本書は「多くの意味で、インターネットは決して止まらないようにデザインされている」と指摘する。止まらなくなったテクニウムはどこに進むのか。

6.テクニウムがヒトから独立する

指数関数的成長が起きているのはテクノロジーだけではない。本書は人口動態と、エネルギー消費もまた同様に、指数関数的に伸びてきたことを指摘する。ただし人口の増加は21世紀以降は鈍化することがわかっている。もしテクノロジーの進化が人口動態に基づくならば、テクノロジーの進化も止まるのか。

本書はこの疑問に対して、いくつかの予想を提示している。その中の2つを紹介したい。

  • 人間の知性の数が減っても人工的な知性を何十億の単位で作ることはできる。人工的な知性がアイディアを生み出し続け、それらが人間と同様にアイディアを消費する。それらは人間ではないので、それによる繁栄や進歩は人間のそれとは異なったものになる可能性がある(シナリオ2)
  • 進歩を維持するために、平均的な人間の知性を良くすればいい。集中力は高まり、睡眠時間は短くなり、長寿化し、より多くを創造する(シナリオ3)

いずれの予測も、テクニウムの進化を促すものが、人工物あるいは「いまよりも進化したヒト」に替わることを示唆している。これらはテクニカル・シンギュラリティの仮説と一致する。

約1万年前に、地球が人類を変える力を、人類が生態系を変える力が上回るという転換点が訪れた。その地点がテクニウムの始まりだった。そして今、テクニウムが人類を変える力が、人類がテクニウムを変える力を上回るという次の転換点を迎えている。ある人はこれを特異点(シンギュラリティー)と呼ぶが、まだ決定的な名前はない。

世代を重ねれば、人間による流行りや経済状況という雑音は打ち消され、本質的な方向性がテクノロジーを導くようになる。

テクニウムはいま、ヒトから離れようとしている。

 

ヒトの次世代を担うのは人工知能かポスト・ヒューマンか

「心」の原理解明を試みる『フューチャー・オブ・マインド』(2015)では、人工知能が人間の知性を超えるタイミングとして「2045年」では早すぎることを示唆している。人間の知性を機械で再現することは、想像されているよりも遥かに難しい。ただし否定するのは時間軸だけだ。やがて人工知能や進化した人類「ポスト・ヒューマン」が現在のヒトを超える、という未来は変わらない。

本書『テクニウム』が描くように、テクニウムの進化がエクストロピーの増大、非物質化・脱情報化、自己増殖に向かうなら、テクノロジー自身がテクノロジーを進化させるテクニカル・シンギュラリティは、起こるべくして起こるだろう。

ただし、その道筋についてはもう少し考える余地があるかもしれない。例えば人工知能とポスト・ヒューマン、ヒトの次世代を担うのはどちらなのか。

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「人間の進化」で画像検索したらマッチョが出てきたので掲載。
こういう人工知能搭載ロボットが跋扈するか、ヒトがこうなるか。
ちなみに藤子・F・不二雄も比較的衝撃的な未来人像を提示している。
(画像:Wikipedia

ヒトを超える人工知能が生まれるまで

本書は多様性の爆発的増大が、多様性を吸収するための道具「選択支援テクノロジー」を発達させると予想した。そう考えると、例えばGoogleのページランク(に表現されるテクノロジーの抽象形)は、テクニウムの進化の歴史における必然的大発明だったのかもしれない。

いま「選択支援テクノロジー」には、ニューラル・ネットワークなどを用いた高度な認識技術や、ビッグデータの相関分析に基づく未来予測などがある。IoTなどにより今後も増加・多様化する情報は、選択支援というニーズを生み、人工知能開発に目的を与え、その進化を促している。
本書は、イノベーションには事前に決められた固有の順番があるとしている。選択支援テクノロジーは、テクニウムの発達段階として必然的なものであり、生まれるべくして生まれているのだ。

そして選択支援テクノロジーの系譜に続く、いくつかの必然のテクノロジーが現れたあと、人工知能はヒトを超え、ヒトは進化の歴史上の役割を終えるのかもしれない。我々がいま目にしているテクノロジーは、ヒトを超える人工知能のゆりかごだ。

ヒトの強化も始まっている

その一方で、『フューチャー・オブ・マインド』の上記書評記事で私は、人工知能よりもポスト・ヒューマンの方が先にテクニカル・シンギュラリティに達すると予想した。少なくとも現時点では、ヒトの脳のエクストロピーは人工知能のそれよりも大きいらしく、そして生命やヒトの能力強化は始まっている。ヒトもまた自らの能力を自己増殖するテクノロジーを手に入れつつあるのだ。

ただし、ヒトがポスト・ヒューマンに進化しても、その姿はいまのヒトとは似つかないものかもしれない。『フューチャー・オブ・マインド』も進化の方向性は非物質化・脱身体化であるとしており、進化したヒトがいずれ肉体という器を捨てることは避けられない。『フューチャー・オブ・マインド』では、ヒトの脳情報がそのまま「情報体(コネクトーム)」として宇宙を旅できる未来を予想している。

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米デューク大学は複数のマウスの脳を繋げて「ブレイン・ネット」を構築、
4匹に協調行動をとらせた(画像:Miguel A. L. Nicolelis)

ヒトの次なる進化の競争

テクニウムの進化形は、無機質のコンピュータ・ネットワークから生起するのか、それともヒトの進化形であるのか。生命とはテクニウムの次のカタチを生むための過程に過ぎなかったのか、それとも生命にはまだ姿を変えていく余地があるのか。

いずれにせよ、ヒトは過程だ。次世代の進化を生むという必然からこの世界に存在する。本書『テクニウム』は、生命とテクニウムの進化におけるヒトの位置づけについて、次のように述べている。

ホモ・サピエンスは、ある傾向であり実体ではない。

われわれはホモ・サピエンスとしての進化を開始したばかりだ。そしてテクニウムの親かつ子供として、つまり加速された進化の親であり子として、われわれは、まさに進化によって定めれた道すじにいる。

生命に六界があるように、テクニカル・シンギュラリティ後のテクニウムにも、複数の由来に基づくいくつかの形態が併存するのかもしれない。コンピュータの世界から生まれた人工知能と、ヒトが強化されたポスト・ヒューマンとが、さらに多様化と複雑化を繰り返しながら争うのだ。

そしてどこかの時点では、人工知能由来のテクニウムと、ヒト由来のテクニウムとが交じり合い、さらに次の段階へと進むのかもしれない。

 

technium フューチャー・オブ・マインド―心の未来を科学する シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき

 

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