ネットと脳がつながる未来の「知る」ことの意味(『know』書評・ネタバレ)

いなたくんへ

脳のインターネット接続はSFの中の出来事じゃない。例えば他人の脳に直接メッセージを送ったり、離れた場所にいる他人の身体を遠隔操作したり、といった実験が成功している。

身体を動かす実験は、シューティングゲームのスクリーンだけ見る送信者Aと、発射ボタンを持つ受信者Bが別の建物に分かれて行われた。送信者Aの「撃つのはいまだ!」という脳波は、インターネット経由で送信者BにあてられたTMS(経頭蓋磁気刺激)コイルに送られ、腕の動きを司る脳の部位を刺激して送信者Bにボタンを押させる。

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ワシントン大学HPより

脳波の読み取りは、脳にブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)を埋め込むことでより正確になる。例えば次のニュースとか。

まだ実験レベルではあるけど、いずれ脳とインターネットは直接繋ぐのが当たり前になり、検索も考えるだけでできるようになりそうだ。そのとき我々の生活はどう変わるだろう。

幼少の頃から電子葉に慣れ親しんだ世代は、ネットで調べられることは全て「知ってる」と言う。

『know』より

野崎まどは小説『know』(2013)で、「知る」ことの意味が変わった2080年の世界を描く。その時代、脳とインターネットを繋ぐ補助器官「電子葉」の移植が義務化され、情報社会が今より遥かに成長している。

『know』は佐々木俊尚著『ウェアラブルは何を変えるのか?』(2013)で言及があり読んでみたけど、これが滅法おもしろかった。日本SF大賞ノミネート作品。未来の社会や価値観の変化を矛盾なくまとめつつ、軽快な筆致で、謎が謎を呼ぶ展開はページをめくる手を休ませない。「クラス5」の情報特権をもつ主人公・御野連レルは先生の忘れ形見・道終知ルと出会い、京都を舞台に4日後の謎を待つ。

know (ハヤカワ文庫JA)

今回は本書から2つのことを紹介したい。
1つは、本書が描く未来の世界やテクノロジーについて。今から60年以上先、2080年の世界ではいかなる技術が登場し、どんな社会が築かれるのか。当ブログはいちおう未来をテーマとしてるので、まとめてみた。

そしてもう1つが、本書がテーマとする「知る」ということの持つ意味について。本書は「知ること」と「生きること」を重ねあわせ、その2つに密接に関わる「未来予測」を描いていた。これは昨今ビッグデータ解析が実現している未来予測技術とも関係が深い。

ネタバレもちょっと含みますよ。

Summary Note

『know』が描く未来の技術と社会制度

  • 1.電子葉
  • 2.情報材
  • 3.啓示感覚とコミュニケーション
  • 4.パーソナルデータの取扱い
  • 5.情報格規定法

未来予測の実現は「全知」に至る過程に過ぎない(感想)

  • 「過去を知り、未来を見る。そうしてやっと覚悟が決められる」
  • 「《知る》とは〈情報の自己組織化〉を指す言葉です」


『know』が描く未来の技術と社会制度

本書が舞台とする2080年の世界では、いくつもの特徴的な技術や社会制度が採用されており、これらについてまとめてみた。これまで様々なSF作品が未来を言い当てており、本書の描き出す未来も参考になるだろう。

1.電子葉

本書のキーデバイスとなる「電子葉」は脳とネットワークを繋ぐ人工器官で、2053年に初めて人に植えられた。
ネットワークと通信して情報を取得する「個人終端通信装置」、脳外部からの膨大な情報の処理を行う「脳副処理装置」、脳神経の状態を非接触にモニタリングして介入する「啓示装置」から構成される。啓示装置は後述する啓示視界や啓示聴覚をつくるものだ。

6歳になると移植され、以後2年に1回のペースでハードウェアがアップデートされる。違法な高速化は厳罰。
植えればただちに使いこなせるわけではなく、新しい脳葉を使う習熟度には差があるらしい。例えば歳をとってから移植したオジサンは、子供ほどにはうまく使えてなかったりする。

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小説では、電子葉がどのように脳に植えられるかまでは明らかにされていなかった.
現在のBMIは図のような電極付1mm角チップを脳表面に埋める.

2.情報材

2040年に開発されたフェムトテクノロジーの結晶で、通信と情報取得の機能を有する極小サイズの情報素子(フェムトはナノの10万分の1のオーダー)。コンクリートやプラスチック、街のあらゆる場所に添加・塗布されており、森の木々にも行き渡っている。
情報材は人間を含む現実世界の全てをセンシングし、情報化する。これにより電子葉は、身の回りの全ての情報を電子的に扱えるようになる。

『ウェアラブルは何を変えるのか?』では、ウェアラブルの目的を「センサーにより私たちの身体をIoTに組み込んでいくこと」としている。これが実現すると、機械は人間の要望を事前に汲んで、指示がなくても実行できるようになる。この「コンテキスト」読み取りの文脈で、『know』の「情報材」を用いたセンシングに言及していた。

本書『know』でも見られるように、情報を取得・処理する「電子葉」と、現実世界を電子化する「情報材」は、両者が揃うことで絶大な効果を発揮している。この描写は現実世界のウェアラブルデバイス、そしてIoTの進化の方向を示唆するものになりそうだ。

3.啓示感覚とコミュニケーション

電子葉に備えられた「啓示装置」は、人間の五感に直接作用するユーザ・インターフェイスだ。
例えば「啓示視界」は、電子葉が視神経に介在して本人にしか見えない視覚を提供する。物語では、拡張現実のように視界の中に半透明のウィンドウを展開したり、文章を表示したりしていた。メールチェックもこれで行う。慣れていないオジサンは目線が宙を泳いでしまって、外から「いま啓示視界を読んでるのね」とわかってカッコ悪い。
他に「啓示聴覚」は、内耳神経に介在して現実には起きていない音の振動を聞こえさせる。啓示触覚もある。

2080年の人々はみな電子葉を備えているので、初対面同士が会うと互いに相手の情報を検索し、基本的なプロフィールは瞬時に読み込めてしまう。便利。なお「プライベートレイヤ」に置かれた情報は他人からアクセスされることはない。

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現実の景色に情報を重畳できる拡張現実アプリ「セカイカメラ」(画像:kimi-)
「啓示視界」はこれが直接眼の中で起こるイメージだ

コンタクトレンズ型アイウェアデバイスや、耳の中に直接スピーカーを埋め込む話は次の記事でも紹介した。2080年には、デバイスを介さずとも直接神経に作用できるようになる。

4.パーソナルデータの取扱い

ウェアラブルやIoTの普及で課題となるのがプライバシーの問題だ。身体データなどのデリケートな情報をどう扱うか。
『ウェアラブルは何を変えるのか?』や、個人情報をめぐる現状をまとめた『パーソナルデータの衝撃』(2015)では、プライバシー問題を上回る利便性が提供されることで、これらのテクノロジーは普及できると予想している
本書『know』では、データを管理する側が責任を持つというアプローチが示唆されていた。次の会話がわかりやすい。

「今は情報材が常に周辺状況をモニタしている。だけれど昔は、今のような全時モニタリングを嫌う人が多かった」
「なんでですか?」
「取得された情報が、意図しない場所や人に漏れるのを恐れていたんだろう」
「でもそれはデータ取得の問題じゃなくて、その後の管理の問題ですよね」

『know』より

こうしたアプローチは、ビッグデータにまつわる論点をまとめたベストセラー『ビッグデータの正体』(2013)でも挙げられていた。データの取扱者側に使用責任を問う法制や、会計監査のような専門の監査機関を設立するといった具体的な提案だ。これらが実現すると、我々(の子供世代?)の感覚も『know』の会話のようになるかもしれない。

5.情報格規定法

データとプライバシーの問題で重要になる社会制度が「情報格規定法」だ。本書の提示する未来では、各個人の社会貢献度や公共的価値、納税額などに応じて「クラス」が定められる。クレジットカードの信用情報を想像すればいいだろう。

全ての市民は「クラス1」から「クラス3」に割り振られ、取得可能な情報量と、個人情報の保護量が変化する。下のクラスでは個人情報は保護されず、かつ十分な公共情報を利用できない。例えば映画の盗撮などをすると、情報流出のリスクから「クラス」が下げられてしまうとのこと。なるほど合理的。

なお、行政や警察機関ではクラス3以上の特権クラスが付与される場合があり、市民にアクセスできない情報や、市民のプライベートも覗くことができる。

以上、本書が描く2080年の技術や社会制度をまとめてみた。私はこうした設定だけでも十分楽しめるけど、当然ながら本書の醍醐味はこれだけではない。

 

未来予測の実現は「全知」に至る過程に過ぎない

発達した情報社会を舞台に本書がテーマとするのは「知る」ということの持つ意味だ。「調べられることは全て知ってる」という社会で、「知る」ことの本質とは何なのか。

機銃掃射はよけられるのか?

特殊な電子葉を備えるヒロイン・知ルは、空間の全情報から物理シミュレーションを行い、機銃掃射の弾道を事前にすべて予測するという芸当をやってのける。圧倒的情報処理に基づく未来予測、本書が「想像力」と呼ぶものは、実現できるだろうか。

ビッグデータ解析に基づく未来予測はすでに使われ始めている。その一方で『シグナル&ノイズ』(2013)では、予測にまつわる様々な事例を紐解き「予測」が抱える構造的限界を解説している。

『シグナル&ノイズ』が指摘する限界の1つが不確実性の存在だ。現実世界はカオス理論に支配されるので、100%言い当てることはできず、確率的にしか予測できない。アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言ったが、我々は神ならぬからこそ、起こる出来事をサイコロ的に予想せざるを得ない。

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いわゆるバタフライ効果、カオスが生み出すノイズは完全には排除できない
(画像:mindfulness)

完全な物理シミュレーションの実現は、世界を決定論的に観測できたことを意味する。現実的には難しそうだが、知ルはこれを実現しており、すると彼女は神の領域に至っているということになる。この「全知」が、実は本書の核心に関係していたりする。

全知を超えた先にあるもの

物語中盤で知ルは、京都神護寺の大僧正に「悟り」の意味を尋ねる。大僧正の言葉は本書の核心部分をうまく暗喩していたので、少し長いけど引用したい。大僧正は「悟り」とは「今まで知らなかったことを知ること」であるとし、さらに次のように語りかける。

「その通り。難しいことはないの。ところでこの〈覚悟〉という言葉には〈悟る〉の一字も入っておる。〈覚〉と〈悟〉。合わせて覚悟」

「〈覚〉とは読んで字の如く〝覚えていること〟。すなわち〈過去〉を指す。それと対照となるのが〈悟〉。〝悟ること〟。これは〈未来〉を指している。まだ知らないもの、悟らなければ知り得ないもの、それが未来じゃ。未来は誰にも知り得ない。つまりお嬢さん。お主の知らないことの一つは、未来じゃ」

「人は過去の経験から未来を予想する力を持っているからのう。昨日はこうだったからきっと明日はこうだろうと想像できる。過去を知り、未来を見る。そうしてやっと覚悟が決められる、というわけじゃな。するとここで我々はまた一つ悟る。〝人には絶対に覚悟できないことがある〟」

『know』より

過去に基づき未来を予想する、全知があれば未来を完全に予測できる、というのは知ルが体現してみせた。物語は高度情報社会の描写からはじまり、「知ること」「未来を想像すること」、そしてさらに「生きること」まで、3者の関係を一体不可分に描き出す。これがの小説のおもしろさだ。

完全な未来予測は全知に至る過程に過ぎず、さらにその先まで「知る」と何が起こるのか。本書は3者の反対である「知らないこと」「想像できないこと」「生の向こう側にあるもの」、すなわち「死」に挑む。

ところで、2080年の未来で謎解きをしながら、真言宗僧正の言葉や神話の話が要所に出てくるのは意外だった。著者の好みもあるだろうけど、高度に発達した情報社会を舞台に「知る」ことを描くには、21世紀前半の今の言葉で説明するより、普遍的価値観から光を照らす方が、より本質に迫れるのかもしれない。

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本書にも登場する、エデンを守る智天使ケルビム(図中央)
預言者エゼキエルの書では「回転する炎の剣」ではなく二重の車輪とともに登場する

「知る」ことは情報エントロピー増大への抵抗

本書の結末の出来事が本当に起こるかはわからない。しかし少なくとも、人が情報エントロピーの増大に抗うように進化する、という点には同意する。知ルは「知る」ことの意味を次のように定義していた。

《知る》とは〈情報の自己組織化〉を指す言葉です。物理的には脳という器官に情報を摂取し、自己組織化し、情報体の秩序を形成していく。情報エントロピーの増大に抗う。

『know』より

生命の進化とテクノロジーの進歩を1つの系譜に繋げる『テクニウム』(2014)では、進化の普遍的方向性としてエクストロピーの増大、無秩序性の減少を挙げている。ヒトの進化はこれからも続き、それは情報エントロピーを減少させる方向に進むだろう。

本書『know』はその可能性として「全知」の脳内への取り込みと圧縮を示していた。別のやり方としては、人間の方が肉体を捨て、情報に溶けていくこともありえそう。私はそちらの予想を支持している。ただしそれは2080年よりも未来の話になりそうだ。

いろいろ書いたけど、この小説はビッグデータやウェアラブル、IoTといった、いまイシューになっているテクノロジーがもたらす未来をわかりやすく描写していて、しかも読みやすくておもしろかった。まあ14歳の少女とアレしちゃうのはいかがかなものかとも思ったけど、「全知」はラストに向けてのキーだったし、知っとく必要があったのかな。
素敵な一冊に出会えた。

 

know (ハヤカワ文庫JA) ウェアラブルは何を変えるのか? ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える

 

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