有史後もヒトの脳が進化を続けていたことの傍証(『ネット・バカ』書評1/2)

いなたくんへ

むかし、人類は黙読ができなかった。
証拠がある。いまから1600年前の西暦380年、聖アウグスティヌスが、ミラノ司教が声を発さずして本を読むのを目撃して手記に「やべー!」と書いているのだ。手記は、当時は音読が当然であり、黙読が特異な習慣だったことを示す。このエピソードを紹介する『ネット・バカ』(2010)の一節を以下に載せる。

古代世界に黙読の習慣はほとんどなかった。新しく登場した写本も、それに先立つ粘土板や巻物がそうであったように、読者が集団であろうとひとりであろうと、つねに音読されていた。聖アウグスティヌスは『告白』の有名な一節で、西暦380年ごろ、ミラノ司教アンブロジウスが黙読しているのを目にした時の驚きを書いている。「読みながら、彼の目はページ上の文面をたどり、彼の心は意味を探索していた。しかし声は沈黙し、舌も動いていなかった。彼に会いに行くと、そのように黙って読書しているのをしばしば見かけた。というのも彼は、決して音読することがなかったのだ」。この奇妙な行動に戸惑ったアウグスティヌスは、アンブロジウスは「声をからしがちだったので、発声を控える必要があった」のだろうかと考える。

『ネット・バカ』より

ニコラス・カー著『ネット・バカ』は、その邦題は激しく微妙ながら、インターネットが我々の脳をいかに作り変えているかを紹介した世界的ベストセラーだ。本書ではネットの影響を論じる前に、過去にさかのぼって、文字や本と言ったテクノロジーの影響も振り返っている。

我々は約10万年前にサルから分化しヒトとなった。我々の進化はそれで終わりだろうか。本書を読むと、その後も進化が続いていたことがわかる。形態的な進化、すなわちハードウェア的な変化こそ10万年を経ても目立たずにいるが、ソフトウェア的な進化、つまり脳内の配線が大きく入れ替わっていたのだ。

人工知能の台頭により、人間の存在の見直しが起きている。その中にはヒト自体がさらに進化するというシナリオもある。例えば人間と機械が融合したり、バイオ技術により人間自体が形を変えて、ポストヒューマンになるという仮説だ。
しかし自分たちがこれから「進化する」と言われてもいまいちピンとこない。そこで今回は『ネット・バカ』を参照し、私たちが数千年という短い期間でいかに柔軟に進化してきたかを確認したい。

Summary Note

「知的テクノロジー」は我々の脳を作り替えてきた

  • 文字が脳内回路の再接続を促した
  • 「書き言葉」の発明が文字による知の交換を加速させた
  • 本が、静かな空間で自力で連想し、自力で推論や類推を行い、自分独自の思考を育てる、心理的異常状態をもたらした

図書館は役目を終えつつあるのか

  • 黙読能力の獲得により、図書館は個人回廊から集団閲覧室へと形態を変えた
  • ヒトの認知能力の進化に伴い、次世代の図書館もまた適した形に変わる


「執筆の道具は、われわれの思考に参加する」(ニーチェ)

本書が明らかにするのは、テクノロジーが我々を作りかえてきた歴史である。
一例となるのが「地図」だ。地図学者ヴィンセント・ヴァーガは、地図が単に目的地までの道のりを導くにとどまらず、「空間内での経験を空間の抽象化へと転換した知的プロセスは、思考モードにおける革命」をももたらしたとしている。地図を使うことにより促進された脳内の変化が、抽象的思考など他の目的にも生かされるようになったのだ。

地図のような、知的能力の拡張や支援に用いられる道具は「知的テクノロジー」と呼ばれる。歴史を追うのが好きなので備忘録も兼ねて、本書記載に基づき、道具とヒトの進化史を整理してみる。

文字が脳内回路の再接続を促した

本書は最初の進化の例としてトークン(代用通貨)を挙げている。トークンはシンプルな記号が刻まれた小さな粘土板だ。これを読むためだけにも、脳内の回路構成には変化が必要とされた。
タフツ大学発達心理学者メアリアン・ウルフは「われわれの先祖が代用貨幣に刻まれたものを読めたのは、基本的な視覚野である第一次視覚野と、より精密な視覚処理や概念処理に関わる隣接する脳領域とを接続できたからだ」とする。

さらに、シュメール人の楔形文字やエジプト人の象形文字が、物や概念をも表象するようになると、脳は「見ることに関わる領野と認識関連の領野を結ぶだけでなく、聞くこと、空間分析、決定にかかわる領野をも接続させねばならなかった」。

知の交換媒体が「音声」から「文字」へと移った

いまは当たり前の「文字を読むこと」が、脳のハードウェア的変化により初めて実現した「進化」だった、というのは興味深い。
本書曰く「文字を記憶し、解釈することは大変な重労働」であり、「文字を使用できる人々は、時間と脳の力に恵まれた知的エリートに限られていた」。識字とは訓練の賜物であり、社会的には知的能力の象徴だったわけだ。

やがてアルファベットが登場し、「知が主に話し言葉によって交換される音声文化から、文字が思考表現の主要媒体となる文字文化へ」と移行する。文字文化の発展に伴い、脳はどう変わっていくか。

なお本書は文字の収蔵形態の進化も紹介していて、シュメール人が粘土板に「ページ」と呼ばれる番号を振ることで長い文章を収めたり、ローマ人が羊皮紙数枚を縫い合わせて束にし板2枚ではさんだ「本」を発明するなど、このあたりの紹介もおもしろい。

「書き言葉」は発明された

冒頭で、聖アウグスティヌスが黙読を目撃したときの驚きを紹介した。当時の人が黙読できなかったことにはもう1つの理由がある。それは文が黙読に適した形になっていなかったことだ。

あまり意識しないけれど、実は話し言葉と書き言葉は似ているようで異なっている。単語の間にスペースを入れる、特定の語順に従う(文法がある)、句読点を用いる、といった工夫は西暦1000年以後の「発明」であり、当初の文は人が発する音節のままにただ文字が羅列していた。

要するに初期の文というのはアナログ記録かバイナリ言語のようなもので、記録される記号を追っても再生(発声)するまで、一般人には内容がイメージできない。「文法」をはじめとするコーデックの発明がようやく、文を目で追っただけでも可読なソースコードに変えたのだ。

こうして文字や文は「耳だけでなく目をもターゲットとするものになった」。


いわゆる「連続記法」で書かれた、スペース・句読点のない古代の文章
(画像:Wikipediaより)

印刷機の登場と本の氾濫

15世紀になり、グーテンベルクが活版印刷を発明する。グーテンベルク以後50年で生産された本は、それ以前の1000年間に欧州全土で作られた本と同数とされる。

道具の進化としておもしろかったのは、1501年のイタリアの印刷工アルドゥス・マヌティウスによる、八折版書籍の発表だ。これはポケットサイズの本で、本書曰く「本はいっそう購入しやすく、持ち運びやすく、個人的なものにな」り、「読書を日常生活の中に織り込んだ」という。喩えるなら中世のウォークマンかな。

一方で印刷技術は扇動ジャーナリズムと大量のポルノを生み出したけど、本書は「コルセットを脱がせる話に夢中になっているのであろうが、聖詩集に没頭しているのであろうが、シナプスの効果はおおむね同じ」と肯定的。読み手の脳構造を作りかえる、という効果はその内容には依存しないというわけだ。氾濫する書籍により「我々の先祖は、以前より思索的で、反省的で、創造力のある存在になった」とする。

本が心理的異常状態をもたらした

本書『ネット・バカ』はインターネットが我々の脳に及ぼす影響を論じた一冊だけど、こうして長々と過去の歴史を振り返るのは、インターネット以前に我々の脳に起きた変化を示すためだ。その中でも重要な進化をもたらしたのが「本」である。本書によれば、本は我々に「心理的異常状態」をもたらした。

人間も動物であるから、脳は「注意散漫」が自然な状態である。周囲で起こる変化に気付くため、意識は常に様々な場所へ向かねばならない。にもかかわらず、読書時に「中断することなく単一の作業に集中できる能力」は、心理学者ヴォーン・ベルによれば「われわれの心理の発達史において、奇妙に異常な状態」であるという。

長い文章を黙って読み、自分を失うほどに集中して没頭する状態。こうした心的規律を発達させたのが「本」というテクノロジーである。というのが本書の仮説だ。
本書によれば、本が我々にもたらしたものは、「著者の言葉を得られる知」のみならず、「静かな空間で自力で連想し、自力で推論や類推を行い、自分独自の思考を育て」る能力である。読書の至宝が「集中状態」であり、この状態が深い洞察をもたらすのだ。

Girl reading in a intimate way
画像:pedrosimoes7

そして本書の主題は、インターネットがこの「心理的異常状態」、つまり集中できる能力を脅かすというものだ。これは次回紹介する。


ヒトは有史以後も脳の進化を続けていた

歴史を振り返って、有史以後も我々ヒトは進化し、能力を増してきたことがわかった。今は当たり前の読み書きも、進化により得られたチカラなのだ。

こうした進化は千年単位のみならず、世代間でも見られるようだ。
本書によれば、IQスコアの点数は第二次大戦のあと10年ごとに3点ずつ上昇しており、特に空間認識や論理的理解について成績が上がっているという。一方、記憶や語彙、一般知識を問うものはに変化は見られない。つまり一部の能力はなお向上しているわけである。

ただしこれは知性そのものの向上を意味するものではない。本書は「我々は両親よりも頭が良いわけではなく、違う点で頭が良いだけ」であること、「我々が「よりよい脳」を持っているわけではなく、違う脳を持っているだけ」であることを強調する。

ともかくも我々の脳は、世代を重ねるごとに変化している。

書き手の変化にみる「言語化」の重要性

ところで、本書では「本を読むこと」に伴う進化に重点を置いていたが、「書くこと」による進化にも触れている。本の入手可能性が増大した中世以降、自らペンを持つ人口が増えた。このとき書き手に起きた変化について、本書は次のように指摘している。

書き手は初めて草稿全体を見ることが可能になり、テクスト内部の相互関係を発展させ、冗長性を削除できるようになり、本で展開される議論は長く明確で、複雑で挑戦的なものになった。

『ネット・バカ』より

これは、抽象的思考を言葉として自分の外に置き、客観的に見られることの重要性を示唆している。言葉の形に整理することで思考が拡がり、深まることや、あるいはわかったつもりでいたのに言葉にしようとしたら全然わかっていなかったことに気付く、というのはよくあるよね。

言語の発明が人類の最初の特異点(シンギュラリティ)である、とする『テクニウム』(2014)でも同様のことが述べられていた。曰く、言語は知性に知性自身を問うことができるようにする芸当であり、我々は、言語の知的構造を用いることで自身の精神的活動にアクセスできる。

読書が培う精神状態もさることながら、思考を言語化することもまた、知を加速する。言葉はヒトが獲得した最も強力な道具の1つである。これを使わないのはもったいない。

ヒトは「テクニウム」との進化競争に落伍したわけではない

『テクニウム』はテクノロジーの歴史と未来を説いた一冊で、生命の進化の主体を「自己複製可能な情報システム」と定義する。仮説によれば、この「進化の主体」は言語の発明以来、生命からテクノロジーに遷移しており、ヒトはその過渡状態に過ぎない。


「自己生成可能な情報システム」の遷移

進化の系譜としてヒトは通過点である、とする『テクニウム』の仮説は私なりに残念だったのだけど、でも本書『ネット・バカ』を読むと、ヒトもまた進化を続けており、テクノロジーとの相互補完的関係を築いていることがわかる。

ヒトは今の形が限界だろうか。そんなことはないだろう。有史以来、あるいは文字の発明以来これだけ脳の構造を作り替えてきた人間である。まだまだ変化の幅はありそうだ。2000年後の未来の人は、現代の我々を遥かに超えた認知能力を持ち、想像もつかない情報処理と思索を実現しているのだろう。

と、想像したいのだけど、ヒトの脳に次なる進化をもたらすインターネットの影響を鑑みるに、雲行きはどうもあやしい。本書の主題となるこの予想は、次回紹介してみたい。


閑話休題:図書館は役目を終えつつあるのか

ところで、以上は道具としての言葉が我々を進化させたという話だけど、道具もまた我々の進化に伴い形を変化させてきた。「図書館」もまたそうした道具の1つだ。

本書によれば、冒頭で紹介した聖アウグスティヌスの時代、つまりヒトが黙読能力を獲得する以前には、図書館は今とは違う構造をしていた。当時は音読が基本だったから、声に出して読むための個人回廊や個人閲覧室が用意されていたという。その後黙読が普及して、、図書館の建築構造は現在みられる大きな集団閲覧室へと「進化」した。

インターネットは「図書館」の正統進化か

インターネットの普及により、図書館はさらに形態を変えようとしている。オンライン化である。今や図書館のPCブースは珍しい光景ではなくなった。もっとも本書は「図書館に置かれたコンピュータの多くは必ずしも学術的目的で使用されているわけではない」と批判的だが、しかし図書館の定義を考えると、インターネットそのものが次世代の図書館であるように思える。

としょ‐かん〔‐クワン〕【図書館】
図書・記録その他の資料を集め、整理・保管して、利用者の閲覧に供するための施設。

デジタル大辞泉

図書館が個人回廊から集団閲覧室へと形態を変えた歴史に鑑みれば、集団閲覧室もまた図書館の過渡的形態と考えるのが妥当だろう。我々の認知能力の進化に沿って、図書館もまたその形を変えるべきだ。

現代においては、物理的施設に図書館の役割を担わせ続けることに、もしかしたら無理が出始めているのかもしれない。個人的にはとても好きな空間だけど、子供のころのようには利用していないのも事実である。

次世代の図書館は、新たな認知に適したものになる

もっとも、インターネットが図書館の定義の通り、図書・記録その他資料を集積したものだとしても、これを閲覧できない可能性がある。本書によれば、本が「心理的異常状態」であるところの集中状態をもたらすのに対して、インターネットは全く逆の効用を持つ。その結果、ネット上に知が置かれても、その「理解」ができなくなるという。

本書の鳴らす警鐘は次回詳しく紹介するが、とはいえ我々の脳がこれからも変化していくのであれば、図書館もまた進化後の脳に適した、別の形態に再定義されるのが妥当と思う。我々はかつて黙読能力を獲得したように、新たな認知の方法を得つつあり、新しい認知に適した知の収蔵スペースこそが、次世代の図書館と呼ばれるべきだと思うのだ。

 

 

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