人工知能の性能が、2045年に人間のそれを上回るとする予測がある。米国の著名発明家レイ・カーツワイルが提唱する「2045年問題」だ。
今回紹介する『フィーチャー・オブ・マインド』(2015)は、理論物理学者ミチオ・カク氏による、人間の心や知性を「ソフトウェア」として、科学的に検証した一冊である。本書の定義に沿えば、人工知能の知性が人間に追いつくまでの時間軸は、引き直しが必要になりそうだ。そして人の心を工学的に利用できるようになったとき、どんな可能性が拓けるだろうか。
この春行われた第4回将棋電脳戦finalは、人間の勝利に終わった。プロ棋士とコンピュータとの5番勝負で、2012年の第1回以来、コンピュータが人間に勝ち越していた。今回はそれを人間が巻き返した形だ。
人工知能の性能が2045年に人間のそれを上回る、「2045年問題」と呼ばれる予測がある。提唱するのは米国の著名発明家レイ・カーツワイルだ。
本当だろうか? 確かにコンピュータは、ムーアの法則に沿って指数関数的に性能を伸ばしている。しかし本当にコンピュータは、あと30年という短い時間で人間に追いけるのだろうか。
人間とコンピュータを比較する前に、「知性」とはそもそも何であるのか、明らかにする必要がある。我々が持つ「意識」や「心」がどんな原理で生まれて、動いているのか、我々はよくわかっていない。
本書のテーマの1つが、人間の「心」や「意識」の正体を探ることである。「私」とは何者なのか、魂はあるのか、死んだらどうなるのか。こうした疑問に対して、理論物理学者である著者が科学的な論証を試みる。
科学者らしく、著者はまず「意識」「自己認識」「知性」の定義付けを行っている。ここに、著者の仮説である意識の定義を引用しよう。
意識とは目標(配偶者や食物や住みかを見つけるなど)をなし遂げるために、種々の(温度、空間、時間、それに他者との関係にかんする)パラメータで多数のフィードバックループを用いて、世界のモデルを構築するプロセスのことである。
「種々のパラメータ」とはつまり、自分と外部環境との関係である。著者は利用できるパラメータの数に応じて、意識のレベルを定義する。
植物は、温度などの限られたパラメータをもって世界を認識する(レベル0)。
昆虫や爬虫類などは移動できるので、さらに空間の変化も認識する(レベル1)。
猫など高度な動物になると、他の猫との社会的関係の認識も重要になる(レベル2)。
Cat “Mausi” / lilli2de
レベル3の意識を持つのが人間である。他の動物との違いは、「世界における自分の居場所のモデルを構築してから、大まかな予測をして未来に向けてのシミュレートをする」ことだ。このレベル3の意識をもって、人間の知性とする。
ちなみに、レベル1からレベル3への意識の変化は、脳の進化の歴史でもある。ムシからヒトに変化するにつれ、脳幹、辺緑系、新皮質と、脳は領域を拡大してきた。脳のこれらの領域は、それぞれレベル1から3の能力を司ることがわかっている。
人間の脳の重量の80%を占めるとされる新皮質は、未来のシミュレーションを司る。ヒト以下は新皮質が未発達のため、未来を認識する能力を「原理的に」もてない。
精神論や哲学でなく、神経科学の裏付けをもって意識や心、知識の問題を扱うのは、本書の醍醐味である。
著者に言わせれば、現在の人工知能の意識はレベル0から1の間である。つまり植物か、よくて昆虫並みだ。
最先端の人工知能は、Youtubeを観て猫を探し出したり、リアルタイムの自動翻訳を可能にするが、与えられたインプットに対する高度なアウトプットができるにすぎない。他者との社会的関係に悩んだり、昨日までの自分を振り返って明日を想像することもできない。人工知能は、未だに「自分」の存在にも気付けていない。
「2045年問題」は、ムーアの法則を根拠として人工知能の性能向上を予測する。ここでいう「性能」とは、あくまで計算能力に過ぎないようだ。
ヒトの脳は約1ゼタバイト(1憶ギガバイト)の情報を持つとされる。人工知能は2045年までに、ゼタバイト規模の情報を処理する能力を得るだろう。しかし意識レベルの定義に照らせば、「計算能力」と「知性」とが全く別のものであることは明らかである。
人工知能の知性について、著者は今後20年から30年で、ようやくネズミか、よくて猫程度のレベルに達すると見込む。自己認識できるロボットの登場は今世紀末まで待たねばならない。
長い道のりになりそうだが、しかし著者は、人間並みの人工知能の出現を否定しているわけではない。
2013年に、米国と欧州はそれぞれ、脳を解明する研究に数十億ドル規模の投資を発表した。脳のどの部位がどの機能を司るのか、心がどんなメカニズムで駆動するのか。これを突き止められれば、人の意識をトランジスタで再現できるようになる。
その意味するところが何であるのか。心や意識の正体をつかんだとして、一体何が起こるか。これが本書のもう1つのテーマだ。人工知能をめぐる議論は本書において、心や意識の正体を探るための、思考実験の1つに過ぎない。
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なお、意識レベルの定義と人工知能開発の現状、そして今後の展望については、次の記事でも詳述する。
著者が提示する可能性の1つとして、「記憶」の未来を紹介したい。映画「マトリックス」では、カラテのデータを脳に直接インストールして、瞬時にカラテの能力を獲得するシーンがある。本書を読むと、記憶のインストールがもはやSFではなくなることに気付かされる。
記憶のメカニズムはいまだ謎に包まれているが、少しずつ解明が進んでいるようだ。その一例が「忘れる」ことの研究である。
「百科事典の何ページの何段落目の記載はこうである」と言い当てられる天才がいる(「写真記憶」と呼ばれる)。彼らは、覚える力が高いのではなく、忘れる能力が低いのかもしれない。
「忘れる」というと、古い記憶から時間とともに、自然に風化していく様をイメージする。ところが研究により、忘却とは特定のドーパミン(DAMB受容体)を必要とする、積極的プロセスであることがわかった。わざわざドーパミンを分泌して、消しているのだ。このドーパミンを失うと、我々は「忘れる能力」を失くしてしまう。
脳内で起こる様々なメカニズムが解明されれば、アルツハイマーなど、種々の精神疾患・神経疾患の原因が明らかになる。原因がわかれば、治療ができる。
治療の他にもたらされる成果が「進化」だ。メカニズムが解明されることで、「心」や「意識」といったものが、エンジニアリングの対象となってゆく。本書には、人間の強化の可能性が多く示されている。
忘却の原理がわかれば、次に行うのはコントロールだ。ドーパミンの分泌を制御できれば、写真記憶の力を人工的に獲得できる。これは実際に、ショウジョウバエを用いた実験で確かめられた。
特定の遺伝子やたんぱく質を使ったり、磁場で脳の一部領域の働きを制限することで、一時的に脳の性能を上げることも可能だ。あるいは、ネズミの記憶をデジタル保存し、再びインストールすること、さらには偽の記憶を植え付けることにも成功している。
「マトリックス」は少し先にある未来なのだ。
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本書は脳や心の原理と、その解明に基づく様々な応用例を紹介していた。「記憶」以外の可能性については、次の記事にまとめてみた。
- 「心」のリバース・エンジニアリングが拡げる人の能力と可能性(『フューチャー・オブ・マインド』書評)(希望は天上にあり,2015/5/30)
- 心のリバースエンジニアリングがヒトを「ポストヒューマン」に変える(『フューチャー・オブ・マインド』書評)(希望は天上にあり,2015/6/3)
また、すでに実現しているという「夢のビデオ撮影」は特に興味深いものだった。夢のビデオ撮影が世の中にもたらすかもしれない変化について、次の記事で考えてみた。
- 実現する「夢のビデオ撮影」が世の中にもたらす6つの変化(希望は天上にあり,2015/6/8)
21世紀は「生物学の世紀」と言われる。しかしそれも前半だろう。世紀の後半には、科学の最重要テーマは「心」や「意識」を取り扱うものになるかもしれない。生物学が肉体、つまり我々のハードウェアを解明するものであるとして、その次にソフトウェアの時代が来るのだ。これは、IT革命で起きたのと同じだけの変化が、我々自身にも起こりうることを示している。
本書では、いずれ「心のリバースエンジニアリング」が完了し、我々が1ゼタバイトの「情報」として肉体を離れる未来を予想している。肉体の制約がなくなり、ただの情報になってしまえば、長い時間をかけて恒星間を旅することも難しくない。新しい器に入れ替えてもいいし、レーザ通信で送ることも可能だ。
科学技術の進展が生物学的限界を超えて加速するポイントを、「技術的特異点(シンギュラリティ)」と呼ぶ。これを起こすのは、人間並みの知能を獲得した人工知能や、あるいは知能増幅された人間であると予想されている。
人工知能による技術的特異点、すなわち「2045年問題」は、2045年には間に合いそうにない。技術的特異点は、機械よりも早いタイミングで、人間により起こされるだろう。本書を読むと、それほどに人間の心は奥深く、また可能性を秘めたものであると思い知らされる。
その一方で本書は、人間とは結局どのように定義されるべきものなのか、引き続き我々に問いかける。心の仕組みの解明は我々を死から解放し、別の存在に変えてしまう。0/1のレーザ信号になって宇宙を旅する「心」は、なお人間であると言えるのだろうか。
この記事は、2015/3/27にBiz/Zineに掲載された『「2045年問題」の時間軸を再考する-心のリバースエンジニアリング』の内容を加筆・修正して、当サイトに載せたものです。