21世紀の日本の人口動態として、2055年に8993万人(中位推計)、2105年に4459万人(参考値)というちょっと衝撃的な数字を紹介していた『2100年、人口1/3の日本』。人が減っていくと日本はどのように変わるのか、という未来予想図が描かれています。
本書では、人口の増減は実は「時代の転換」に起因しており、人間が日本列島に住んで以来過去にも4回同じような波が来ていて、だから今回の人口減少が特別なわけではないんだ、と述べていました。
増減の善し悪しは別として、では「時代の転換」が人口変動の要因ならば、今後日本の人口が増えるには、新たに時代が変わることが必要とも考えられます。この新しい「時代の転換」について、私はハードウェアにおけるIT革命に答えを求めてみたいと思います。
「時代の転換」について詳しく述べられているのが、著者の前著『人口から見る日本の歴史』です。縄文時代以降において日本の人口がどう変化してきたか、それに伴い社会がどう変わってきたかの検証がテーマになっていました。
間引きの習慣とその効用、当時の結婚の実体、経済との密接な関わりなど、人口の観点から過去の日本の姿が浮き彫りにされていて、非常に興味深い1冊です。特に面白かったのは、気候が日本の歴史に及ぼしてきた影響です。寒冷期と温暖期がそのまま、戦乱期と文化の成熟期に相関したりしてて、社会が自然に依存してきたことがわかります。
著者は日本のこれまでの歴史を次の4つの区分しました。それぞれ社会の構造が大きく変化し、「時代」が変わるタイミングで、日本の人口は激増してきたとします。
- 狩猟採集社会の成立(縄文時代):数十万人
- 稲作農耕化(弥生時代~中世):220万~640万人
- 経済社会化(14、15世紀以降):1200万~2600万人
- 工業社会化(19世紀以降):1億人
これらの変化はエネルギーの転換とも言い換えられそう。稲作で食料を、経済社会化で価値を貯められるようになり、工業社会化で化石燃料という莫大なエネルギーが使えるようになりました。こうした進歩が社会に「余裕」をもたらし、人口の増加に寄与してきたわけです。
産業革命から始まった工業社会化の波がひと段落しつつあることが、現在日本の人口が、世界の人口が、停滞に向かっていることの説明です。新興国はまだ工業化の最中なので増えてますが、それも今世紀半ばまでには完了します。世界人口は2050年に89億に達し、以後2300年まで90億前後で変わらないというのが、2004年にされた国連の超長期推計による2300年までの人口変動予測です。
いま日本に起きている人口減少は、こうした大きな社会の流れの上にあることで、こうした停滞はこれまでの各時代にも起きてきた現象であり、慌てることはない、というのが著者の言葉でした。
これまでの人口増がその都度あった「時代の転換」に伴い起きてきたとするならば、工業社会化に次ぐ5回目の展開が起きれば、再び人口が増えることになるとも言えそうです。
エネルギーの観点では、再生可能エネルギーの利用や、宇宙開発なんかが大きな変化になりそう。植物工場による食糧生産や、海水の淡水化も、今後深刻化するとされる食糧問題・水問題を解決します。これも1つのエネルギー革命ですよね。
社会全体の構造が変わるほどの変化となると、私は今後ハードウェア分野で起きるとされるIT革命に期待できないかと考えます。他の記事でも何度か触れてきましたが、クリス・アンダーソン著『MAKERS』で詳しく説明されています。
『MAKERS』によれば、いま次のような変化が起きています。
- 3Dプリンタ等のデジタル工作ツールの普及で、低価格でのモノの加工がしやすくなっている
- デジタル工作ツールを利用するために設計図がデジタル化し、かつオープン開発の潮流によって、誰でも高度な改良製品を作れるようになっている
- 小ロット生産可能な工場設備・サービスが普及しはじめ、個人や小規模事業者でも量産品を作れるようになっている
- ロングテール商品をウェブ上で取引するための「場」が生まれてきている
- Kick starterをはじめとするマイクロファイナンスの仕組みが普及はじめ、銀行に頼らずとも個人が資本を手にできるようになっている
従来は、コストを下げるためには同一製品の大量生産が必要で、まとまった投資ができる事業者しかモノ作りができませんでした。ところが上記のような変化によって、個人でも比較的簡単にモノ作りを始められるようになっています。
IT革命がこれまでにどれだけ社会を変えてきたかは言うまでもありませんが、今日までに変わってきたのは、ソフトウェア産業とモノの流通です。これがいよいよ「モノの製造」までも変えていくだろう、というのが『MAKERS』の主張でした。
ちなみにモノの経済規模はソフトウェアの5倍とのこと。つまりIT革命がこれまでに変えてきた変化は序章に過ぎず、本当に社会が変わっていくのはこれからなのです。
工場による大量生産の時代から、個人や小規模事業者によるロングテール品生産の時代へ。これはモノ作りを始めるハードルが大きく下がることを意味しています。
設計図だけ描いてネットにアップロードするなど、工程の分業化も期待されます。オープン開発の流れがあるので、楽曲や動画がYoutube等にアップロードされてるように、こうした仕事は無償で行なわれるかもしれません。その代わり、新しい製品もまた極めて低価格で手に入れられるようになっていきます。
物を作って流通させるという社会の仕組みが変化し、それが世の中に余剰をもたらせば、これは5回目の「時代の転換」と言えるし、人口もまた増えていくんじゃないでしょうか。
こうした流れは「地方分散」のシナリオにも合致するように思います。
小規模な事業体でもモノ作りに参加でき、ウェブを通して取引や流通ができるなら、維持費の高い都市部で活動する意味はありません。
むしろロングテール品が普及する時代になれば、地方にいて、その場その場でニーズに合ったものを作ることが求められるかもしれません。
各地方自治体にはぜひ、こうした未来予測も1つ視野に入れて、地域振興策を立てていただきたいところです。
ちょっと楽観的な予想だったかもしれませんが、テクノロジーは日々進歩しており、それに合わせて社会のあり方も変わっていくはずなのです。そうした変化がいずれ「時代の転換」を促し、悲観的な予測を覆してくれることを期待してやみません。
ただ、記事の最後でこんなこと言うのもアレなんですけど、「そもそも人口が減ることは悲観すべきことなのか?」って論点はあるんですよね。
例えば著者は、江戸時代後期に間引きなどにより積極的な人口抑制がされたことで、一人当たり所得(=文化的水準)が向上し、明治以降の発展の土台を作ったと指摘しています。
本書での著者の主張も、人口の増減そのものを問題にするのではなく、減っていく人口に合わせた持続的社会を考えていこうじゃないか、というものでした。
2050年も、2100年になっても、夢のある日本であって欲しいと願います。