20年、あるいはひと世代を経ることに思う、時間のもたらす変化の大きさについて

新規発明の独占を認める特許権は、多くの国においてその期限を出願から20年としている。発明者はその発明が特許されれば、出願から20年間、その発明を独占できる。一方で、発明しても20年以内にその技術が普及しなかったり、製品化されなければ、特許を取得してもあまり意味がないということになる。

この「20年」とはいったいどういう時間だろうか。
今日この日から振り返ると、去年も、おととしも、同じ一つの時代に属する、といって構わないように思われる。2015年からみた2013年は「ちがう時代」と言えるだろうか? 時代という大きな言葉を持ち出すと、ちがうと言い切ることに抵抗がある。

ところが時間軸を20年まで引き延ばすと、そこには全く異なる時代が広がっている。
地政学に基づく未来予測を試みたジョージ・フリードマン著『100年予測』では、その冒頭で、世界がいかにダイナミックに変化し得るかを例示した。私は、時間というものの持つインパクトを表現したこの一節が好きなので、少し長いが、一部を中略して下記に引用する。

 

 想像してみて欲しい。今は1900年の夏。あなたは当時世界の首都だったロンドンに暮らしている。この頃、ヨーロッパが東半球を支配していた。ヨーロッパの首都の直接支配下に置かれないまでも、間接統治すら受けない場所など、地球上にはまずなかった。ヨーロッパは平和で、かつてない繁栄を享受していた。実際、ヨーロッパは貿易と投資を通じてこれほど深く依存し合うようになったため、戦を交えることはできなくなった、あるいはたとえ戦争を行ったとしても、世界の金融市場がその重圧に耐えきれなくなり、数週間のうちに終結する、といった説が大真面目に唱えられていた。未来は確定しているように思われた。平和で繁栄したヨーロッパが、世界を支配し続けるのだ。

 今度は、1920年の夏に思いを馳せて欲しい。ヨーロッパは大きな苦しみを伴う戦争によって引き裂かれていた。大陸はずたずたにされた。オーストリア・ハンガリー、ロシア、ドイツ、そしてオスマンの帝国はことごとく消え去り、何年も続いた戦争で数百万人の命が失われた。(中略)アメリカや日本など、ヨーロッパ勢力圏の周縁部に位置する諸国が、いきなり大国として浮上した。だが一つだけ確かなことがあった。不利な講和条約を押し付けられたドイツが近いうちに再び浮上するはずがないということだ。

 さて次は1940年の夏まで飛んでみよう。ドイツは再浮上したどころか、フランスを征服し、ヨーロッパを支配していた。(中略)ドイツに立ち向かう国はイギリスただ一国のみで、まともな人の目には、戦争はもう終わっているように思われた。ドイツの千年帝国があり得ないとしても、少なくとも今後100年のヨーロッパの命運は決まったようなものだった。ドイツがヨーロッパを支配し、その帝国を継承するのだ。

 続いて、1960年の夏だ。ドイツは五年とたたずに敗れ、戦争で荒廃していた。ヨーロッパはアメリカとソ連により占領され、二分された。ヨーロッパの帝国は崩壊の途にあり、その継承者の座を巡ってアメリカとソ連が争っていた。アメリカはソ連を包囲し、その圧倒的な核軍備をもってすれば、数時間のうちにソ連を全滅させることもできた。アメリカは世界の超大国として躍り出た。(中略)また内心では誰もが狂信的な毛沢東の中国を、いま一つの危険と見なしていた。

 次に、1980年の夏に身を置いてみよう。アメリカは七年間続いた戦争に敗れた。相手はソ連ではなく、共産主義国の北ベトナムだった。(中略)またアメリカはソ連を封じ込めるために、毛沢東の中国と手を組んでいた。アメリカ大統領と中国国家主席が、北京で友好会談を行ったのだ。急速に勢力を増していた強大なソ連を阻止できるのは、中国との同盟しかないように思われた。

 それでは今が2000年の夏だったら、と想像してほしい。ソ連は完全に崩壊した。中国は共産主義とは名ばかりで、実質は資本主義化していた。北大西洋条約機構(NATO)は東欧諸国だけでなく、旧ソ連諸国にまで拡大していた。世界は豊かで平和だった。(後略)

『100年予測』冒頭より

ジョージ・フリードマンはこうして過去を振り返りつつ、21世紀の100年がどれだけの変化を遂げ得るか、地政学に基づき予測を行っている。例えば近年のロシア・ウクライナ問題は、起きてみるまで信じ難い出来事だったが、予想に沿って進んでいると言えそうだ。『100年予測』の内容と現実との比較は、下記の記事でも紹介した。

100年予測 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

さて、同じようなことを、日本の近代史でも試してみたい。ここでは30年毎の日本を振り返ってみることにする。30年は、いわゆる「一世代」の定義とされる長さの時間だ。世代をひとつこえる毎に、日本はどのように変わってきたか。

1850年

嘉永3年である。
江戸時代の始期は、関ヶ原のあと、徳川家康が1603年に征夷大将軍に任ぜられたときと定義されるようだ。徳川幕府による封建体制が続いて約250年、ペリー来航よりも2年遡るこの年に、幕府滅亡を想像できた人はいたのだろうか。

1880年

明治13年。明治維新の革命戦争と、いくつかの乱および西南戦争を経て、武士は地上から消え去った。「藩」と呼ばれた270余国が県に統一されたのがこの9年前。
この時期の日本は、西欧列強の植民地化に抗うことに必至であり、不平等条約に喘ぐ、貧しく弱小な国だった。

1910年

日本列島有史以前より、皇帝の統べる中華文明は、日本をはじめとするアジア世界に絶大な影響をもたらしてきた。さらに西欧の強国、ロシア。この2つの国に戦争で勝利した自信は、日本をそれ以前の日本から大きく変えたに違いない。
この年には朝鮮半島を領土に組み入れ、世界に頭角を現し始めた。不平等条約はこの翌年までにすべて改正されることになる。

1940年

「降る雪や 明治は 遠くなりにけり」が詠われたのが1931年。
日本は国際連盟の常任理事国としてアジアや世界への影響力を誇ったが、脱退し、この年にドイツ、イタリアと同盟関係を結ぶ。
この時期、2・26事件や満州事変などを経て、日本は軍部の暴走を制御することができなくなっていた。軍部は司法や行政に対して強い立場を確立しており、統帥権の濫用が常態化していた。軍部暴走のきっかけの1つが、1905年の比谷焼打ち事件における行政戒厳令発動だとされる。一世代前の人々、1910年の日本人にとって、1940年の体制にどれほどの変化を感じるのか、興味深い。

1970年

太平洋戦争で一時は世界史上最大の版図を獲得した記憶を、1970年の日本人はどう回想するだろうか。神武・岩戸・いざなぎの3つの好景気を経て復興を遂げた日本。東京オリンピックがこの6年前になる。
フィリピンのルバング島で戦争を続けた小野田少尉はこの4年後、1974年に日本に帰国するも、戦後日本のあまりの変化に耐えられず、ブラジルへ移住した。

2000年

バブルは去り、失われた10年(後に20年とされる)が続く日本。
iモードがブームになり、IT革命が叫ばれ、プレイステーション2が発売され、ハリー・ポッターがベストセラーになった年。コギャルはすでに古い。これらのものをまとめて1970年に送ったら、どんな反応が得られるだろうか。

明治維新に2つの大戦という激動期を例にとったのはちょっと卑怯だったかもしれない。切り取ったのが江戸時代のどこかの150年だったら、こうも激しい変化は見られなかっただろう。
とは言え、1世代という時間は、国を別の形に変えてしまうほどの力を持っている。振り返るとそれがよくわかる。たまに、こうして歴史の大きさに酔いたくなる。今回は酔いに任せて、こうして記事を書いてみた。

「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもので、未来を考えようとするならば、これだけ大きな「振れ幅」をもって臨まねばならない。
今後10年、20年、30年を経て、日本や世界がどう変わっていくのか、楽しみでならない。

 

100年予測 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) 百年前の二十世紀―明治・大正の未来予測 (ちくまプリマーブックス) 2050年の世界地図―迫りくるニュー・ノースの時代

 

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