えんぴつ消しゴムは、いつできるのか

いなたくんへ

ものすごく頭にきて腹が立ってガッカリする出来事があったので、ここに愚痴というか陰口を書く。

もう1年半にもなるが、私は友人と共同開発のプロジェクトを進めていて、そこで起きた出来事である。いわゆる「音楽性の違い」系のお話。


優れたエンジニアの要件

いきなり余談から入るんだけど、私は仕事柄たくさんの発明者に囲まれ過ごしてきた。なので発明というのは、時間と適切な「場」さえあれば自然に生まれるものと考えていた。違いがあるとすれば、それが鳥肌の立つほど革新的な発明か(本当に感動する)、あるいは普通の発明か、だ。

しかし最近になって、どうも発明というか、アイディアを考えることが苦手な人も少ないことがわかってきた。その人たちの行動を見ると逆説的に「優れたエンジニアの要件」が見えてくる。

それは次の2つだ。

1.本質に向き合い、逃げない

アイディアを出せない人は、少しでも課題にぶつかるとそこで思考をやめ、別の課題に逃げたがる。そちらの課題も難しいので、結局次へ次へと移っていき、いつまでも「もう一歩」のところに到達できない。

優れた発明者やエンジニアは、課題に正面から取り組み、汗をかき、わずかでも新しいアイディアに結び付ける。

2.本質に結び付けて組み合わせる

アイディアが出せない人は、本質と離れたところで、新しいアイディアを求めたがる。いやそれとそれ組み合わせても効果ないでしょ、という話にばかり目移りをする。

優れた発明者やエンジニアは、解決しようとする課題をきちんと認識したうえで、そのために困難な組み合わせを行い、新しいものを作り上げる。

組み合わせの定番「えんぴつ消しゴム」

1と2は、特許法の発明の要件である新規性と進歩性に相当する。や、特許の審査基準て本とよくできてると思うんだよね。アイディアを考える立場になって痛感する。

進歩性(組み合わせのすごさ)の例示で定番なのが(定番だよね?)「えんぴつ消しゴム」だ。鉛筆の後ろに消しゴムがついてるアレね。

鉛筆と消しゴムとが個別にあって、携帯性なり利便性なりを高めようとしたとき、両者を組み合わせてしまうというのが着想だ。しかしその実現は、最初に行う者にとっては必ずしも容易でない。

そもそも組み合わせるとはどういうことか。
両者を接合するとして、鉛筆のどこに置くのか、あるいは消しゴムのどこに置くのか。
最適な消しゴムの形状は何か。あるいは鉛筆の形状を変えるべきなのか。
鉛筆後部に接合するとして、製造法はどうするのか。
接合できたとして、耐久性は確保できるのか。


えんぴつ消しゴムはいつできるのか

アイディアを出せない人は逃げたがる。「さあ、鉛筆と消しゴムを融合させよう、どうしたらできるか考えよう」としたとき、

「組み合わせはできたものと仮定して、ビジネスモデルを考えよう」と言い出す。

「ところで携帯性って本当に求められてるんだっけ」と言い出す。

「色鉛筆と組み合わせた方がおもしろそう」と言い出す。

「定規がカッコいいからやっぱり定規と組み合わせない?」と言い出す。

いいから腰を据えて考えようぜ。鉛筆の形を、消しゴムの固さを、つなげる場所を、その作り方を。

最近は機械学習なるものが登場したのでなお厄介だ。

「鉛筆と消しゴムを用意してとにかく使ってもらえば、組み合わせ方はおのずと見えてくる(だから考えるのをやめよう)」と言い出す。


私たちのプロジェクトで起きたこと

私はまだ見ぬえんぴつ消しゴムの価値を信じて、1年半アイディアを出し続けてきた自負がある。少なくとも上記の例で言えば、在るべき消しゴムの形状と「鉛筆の後ろ側につけるとよさそう」くらいまでは仮説を出したつもりだ。

あと少し、あと少しでプロトタイプが見えてくる。プロトタイプそのもは、実現すればすぐマネできるものかもしれない。しかしプロトタイプを作るまでの試行錯誤で得られた知見は、少なくとも一定期間の優位性を私たちにもたらすはずだ。

ところがその間、友人は一向にアイディアを出してくれない。上述の通り「本質とは離れた」アイディアばかり。だから私は検討対象を絞るなりして「次は消しゴム部分の形状部分にフォーカスしよう」と約束しても、翌週出てくるアイディアといえば「鉛筆から修正液出たらおもしろくない?」である。

いやおもしろいけど。おもしろいけど、それは目の前に立ちはだかる課題の解決策を見出した時のおもしろさとは違う次元の話なのよね。

専門家に任せる?

それでも私は「おもしろいね。でも今はえんぴつ消しゴムにもフォーカスしようか」と言っては軌道修正を図ってきた。それが昨日、どうやらそもそもえんぴつ消しゴムを考えるつもりがないらしいことがわかってしまった。

「それは専門家に任せればいいと思う」というのが言い分だ。

いやいや。そりゃ私たちは筆記具の専門家ではないかもしれない。でも新しいことを考えるのに資格は要らない。自分たち自身がやることにプロジェクトの意味がある。

私はこの分野の専門家ではないかもしれないが、それでも必死に調べて、いくつも仮説を立ててはつぶしてきた。君はその間に何冊本を読んで、何本論文を読んだんだ。GIZMODEの記事とかシェアしてくれたけど、そういうことじゃないんだ。

着想は新しい?

結局のところ、「鉛筆と消しゴムの携帯性があがったら、すごいよな!」「この着想に至った自分たちはすごい!」というWANTの話に終始して、具体的なHOWが出てこない。

そうこうしている間に「他の人もどうやら鉛筆と消しゴムの組み合わせの可能性に気づきだした。自分たちが先に考えたのに」と言い始める。

残念だけど、具体化できないなら、ただの着想に価値はない。

折に触れて激論を交わした。例えば私が「消しゴムと鉛筆の接合面について考えるべき」と主張すれば、「それは将来やればいい」と否定される。いやいや、それをいま考えずにいつ考えるんだ。

では代替案があるかと言えば「とりあえず鉛筆と消しゴムを用意しよう」のそれだけである。では用意するための計画を立ててくれるかと言えば、そうでもない。まあ忙しいから仕方ないよね。これ業務外だもんね。

それでも、そうした議論はアプローチの違い、作る順序や方法論の違いと信じてたけど、ついに、

「そもそも鉛筆と消しゴムを組み合わせる方法を考えるつもりはなかった」

と言われたのでガックリとした。


これからどうしよう

ちょっとしばらく手を抜いて、友人の方法論に任せようかなとも考えたけど、それだと「鉛筆と消しゴムのセット売り販売」というソリューションに落ち着くのが目に見えている。それを始めるのはもしかしたら私たちが最初かもしれない。が、翌日には模倣品が出回るだろう。

改めてえんぴつ消しゴムを「自分たちで作ること」の重要性を説得することもできるが、もうそのコミュニケーションコストを支払うのはいい加減に疲れた。

私が友人に頼らざるを得ないのは、私自身はコードを書けず、友人が「優れたプログラマ」だということだ。友人が「優れたエンジニア」であるかどうかは今回の件で疑問符を得たが、少なくともプログラマは必要である。

そして何より、やっぱり私は友人とプロジェクトを続けたい。それはここまでやってきたからということではなく、友人が友人として私にとって重要な存在であり、プロセスを共に楽しみ、完成したものを並んで見て、喜び合いたいからだ。

ということで、どうしようかなー。

 

  

 

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