ビットコインは「虚構」なのか?

いなたくんへ

8/1にビットコインが分裂し、従来型のビットコインと、新たに派生したビットコインキャッシュとに分かれた。この分裂騒動で「仮想通貨バブル」の崩壊を予想する声もあったが、実際にはビットコインをはじめとする仮想通貨市場全体が急騰する結果となった。

ビットコインをはじめとする仮想通貨はここ数年で現れた新たな概念であり、その素性を怪しむ声も少なくない。現実問題としても、マイナー(採掘者)のマジョリティは中国農村部で安い電気代と大規模計算資源を構築したやってたりして、アヤシイ、これはアヤシイぞ!

で、ビットコインを見て思うのだが、ビットコインを怪しむ姿勢には2種類あるように思う。1つは正しい根拠を持った批判。そしてもう1つが「妬み」。新しいものを見るとき、この2つは区別して考える必要がありそうなので、整理してみた。


怪しむ人の半分は「妬み」あるいは思考停止

政治の話はしたくないけど敢えて挙げると、政権批判する人がわかりやすい。身近にもいないだろうか、「政府は悪い」と言っているので根拠を聞くと「テレビがそう言ってるから」「誰々がそう言っているから」と答える人。

もちろん正しい根拠とロジックをもって批判する人はきちんといて、それは耳を傾けねばならない。でも「なんとなく」「政府は悪いに違い」「政府のやってることはおかしいのだ」と結論ありきで主張していて、話を聞くと根拠がなかったり、ロジックが破綻してたり、そんな人たちがいる。「それってなんでだっけ?」と聞くと言葉に詰まる。対案はない。

これってたぶん妬みなんだよね。自分の生活が大変だったり、うまくいかないことを、何かのせいにしたい。あるいはそうした理由すらなく、「とりあえず批判をしたい」だけかもしれない。

物事を考えるにあたり、対立する主張を戦わせるのは基本であるが、批判者の中にはこうしたノイズが多分に含まれるので、除かねばならない。

で、テクノロジーに対する批判的な姿勢も結局は同じで、大半はノイズであるように思う。得体の知れない何かで儲けている人たちがいる。なんだかわからない(理解するつもりはない)。わからないので(理解できないので)、きっとそれは実体のない「虚構」に違いない。つまりバブルで、いつかはじけるのだ、いまにみてろ、と。


ビットコインは現時点で1枚当たり約37万円の値段だが、Amazonだと仮想通貨4種で1,966円で買えるのでお得


ドットコム・バブルと「価値」

ただし、新しいテクノロジーはやはり得体が知れなくて、やはり理解が難しい。社会に普及する以前には実例もないから、よほどのことがない限り真価を見極めることは困難だ。

思い出されるのは2000年代のドット・コムバブルで、インターネット技術を用いたアイディアに投資が殺到し、はじけた。人々が実体のないアイディアと、価値のあるビジネスとを区別できなかった事例だ。

新しいテクノロジーがバブルをもたらしたのはインターネットが初めてではない。実は蒸気機関や電気といった偉大なる産業革命の果実も、その登場時にはバブルをもたらしてきた。蒸気機関も電気も、社会への普及はバブル崩壊の後だったりする。

そういうわけで、新しいテクノロジーが登場したときの熱気を見て「あれはバブルだ」と思うのは、間違ってはいないのだ。デジタル大辞林によれば、バブル経済とは「資産価格が、投機によって実体経済から大幅にかけ離れて上昇する経済状況」をいう。投資の対象が実体的な価値ではなく、流行に対して向かうわけだ。その意味で、仮想通貨の熱狂もまた、バブルである可能性はある。

必要なのは「価値」を見極めた批判

で、「ビットコインはバブルだから」で話を終えてしまうのが思考停止で、必要なのはそのうえで価値を見極めることだろう。私は仮想通貨のすべてが虚構だとは思わない。その中に実体的な価値があるはずだ。

例えばドットコム・バブルにおいて、「あんなのは流行だ、ソフトウェアには価値はない」と宣うハードウェア屋がいたらどうだろう。現在のわれわれは、ソフトウェアに価値があることを知っている。だから正しくは「あんなのは流行だ、でもソフトウェアには価値がある」と、バブル成分と実体的価値を正しく見積もらねばならない。


ちなみにドットコム・バブルのあと株価は当時の値をつけるに至ったが、これはバブルだろうか、それともインターネット技術がもたらした価値だろうか
(図:NASDAQ指数

ビットコインの「価値」は何か?

ブロックチェーンの代表的特徴は改竄困難性と透明性にあり、膨大な計算資源がこれを可能にしている。ビットコインの原価は計算のための電気代である、と言う向きもあったり。実際にサトシナカモトらが最初にビットコインを金銭化するとき、その交換レートは電気代から決めたという。

で、電気代を原価と仮定して、「改竄が困難で透明な分散台帳」はそれまで社会になかった技術である。新しい技術であれば、必ず新しい使い道があって、それはそれまでの課題を解決するものになる。さらにビットコインから派生して、契約をも格納するスマートコントラクトや、クローズドの分散台帳等、様々な形が模索されている。

ここに電気代以上の付加価値を見るのは不自然だろうか。その価値の全貌が見えるのはバブルがはじけた後を待たねばならぬかもだが、しかしそこに確かな価値がある、と私は思っている。


ところで「価値」ってなんだっけ?

価値とは何か。辞書から抜粋してみる。

(1) 哲学的には,人間主体の欲求や関心に対して対象のもつ意味をいい,それゆえ欲求や関心の度合いにより価値は相対的なものともなる。欲求や関心の種類に応じて,経済的,宗教的,理論的,道徳的などの価値に分けられる。古来,真,善,美,有用性などが哲学上の絶対価値とされてきた。

経済学においては有用性の面から物の価値がはかられ,生存における直接的有用性から評価される使用価値と,他の財との相対関係においてもつ交換価値に分けられる。これらの価値の成立,諸価値の体系化を試みる学を価値論 (→価値学説 ) と呼び,価値一般,すなわち真善美などの絶対的価値との関係においてなされる判断を価値判断という。後者は事実判断に対する語。

ブリタニカ国際大百科事典小項目辞典より抜粋(筆者改行)

ここでは「価値」を有用性に基づく使用価値として話したい。ただし辞書によれば使用価値は「生存における直接的有用性」と説明されていて、これだとマズローのピラミッドの一番下にしか当てはまらないようにも感じちゃうので、「価値」を「人間の社会活動全般において有用であると評価できるもの」と定義する。

価値はどのようにして生まれるのか。少なくとも2つが考えられそう。

1.それまで存在したけど使えなかったものが、使えるようになる

この例では毎回アルミの話を挙げている。アルミニウムは地球上において、酸素、ケイ素に次いで3番目に地球上に多く存在する元素だが、酸素と結合しやすい性質ゆえ、自然界では単体で存在することは稀だった。そのためナポレオン三世は、アルミニウムの皿を金の食器以上に高価なものとして、特別な客にしか出さなかったという。この状況を変えるのが1886年の電気分解法の発明で、アルミ製品は世界に普及した。

『楽観主義者の未来予測』(2013)ではアルミの例を挙げ、まだアクセスできないだけで眠っている価値がたくさんあると述べている。

インターネットの真価はここにあって、小さな需要と供給とを結ぶことで大きな有用性をもたらした。『オープンサイエンス革命』(2013)ではこれを17世紀科学革命に告ぐ革命としている。最近の例ではVALUとかタイムバンクの事例なんかも、それまで値段のつけられなかった「個人」を資源として市場化していておもしろい。成功するかは別として。

2.新たに生み出される

付加価値と言えばキャラクター商品がすごいよね。

この1万2千円の価値が何かというと、購入者が期待する体験であって、その体験を生み出したのはアニメ作品というヒトの想像力だったりする。誰かが考えた「物語」が、ほかの誰かにとって有用なものになっているのだ。(まあこの例では付加価値1万2千円が本当に見合うかどうかという話だけど、そこは神の見えざる手に委ねるとして)

「発明」と呼ばれるものの多くも基本的にはこれ、人の想像力に拠るものだろう。それまで世の中になかったものが、特許法が発明として定義するところの「技術的思想の創作」により生み出され、新たな有用性をもたらす。

つまりそれまでになかったものが突如社会に出現し、その有用性が認められ、価値を持つようになるわけだ。


まとめ

以上のように、価値とは新たに出現するものである。だからこそ人間の生活は有史以来変わってきたわけだけど、この価値を「虚構」と断ずるのは、人類史を否定することに他ならない。

これは主観だけど、ノイズ的批判をする人には悲観論者・終末論者も多い気がする。先に紹介した『楽観主義者の未来予測』によれば、ヒトの脳は危機管理の目的で悲観的にできており、さらには10万年間変化のない環境にいたから、産業革命以来の急激な変化についていけない。新しいものや変化に対して思考停止してしまうのも、こういう理由かもしれない。

だからこそ私は、未来に対して楽観的でありたい。新しいテクノロジーが生まれるときは大体見極めが難しいけど、それでも「あれは流行だから」「あれはバブルだから」と思考停止せず、新たに生まれた価値が何であるかの仮説は立てるようにしたい。仮にその仮説が外れるとしても。

 

  

 

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