『博士と彼女のセオリー』と、科学の世界に呼び戻された「神」

ブログのテーマである「未来予測」とは外れるけれど、閑話休題ということで、今回は映画の感想を。スティーブン・ホーキング博士を描いた『博士と彼女のセオリー』(2015)だ。

ホーキング博士は、ブラックホールの特異点定理の発表に始まり、宇宙に関する理論を前進させた物理学界の大家であり、「車いすの物理学者」としても有名だ。博士は若くしてALSを発症し、身体機能を著しく奪われ、発声することもできない。発症時は余命2年と言われたが、現在も存命である。

【映画パンフレット】 博士と彼女のセオリー

本作はホーキング博士と、その妻ジェーン・ワイルドを中心に、彼らの半生を描いている。物語において、2人の違いとして挙げられていたことの1つが、「神」に対する立場だ。

ホーキング博士が青年時代に出会い、妻となるジェーン・ワイルドは、教会に通うクリスチャンで、神を信じていた。彼女は後に、協会の聖歌隊を指導するジョナサンと重要な出会いを果たす。一方ホーキング博士は、科学で世界を説明しようと試みる無神論者で、神の存在を否定する。

ところが、物語が進むにつれて、ホーキングは神の存在に一定の理解を示し、ジェーンは彼の態度に好意を示す。ここで量子論が科学の世界にもたらした論争を思い出すと、無神論者だったホーキング博士の立場の変化を、少し説明できるかもしれない。

 

科学の世界に「神」を持ち込んだ量子論

物語の途中、ジェーンはジャガイモと豆を使って、マクロの世界とミクロの世界とではアプローチが異なることを説明する(このあたりの描写は残念ながらわざとらしかったし、うまく説明もできていなかった)。

マクロの世界は、ニュートンの運動方程式やアインシュタインの相対性理論で説明される。
宇宙はある「モデル」で表すことができ、このモデルは決まった解を示す。必要なパラメータさえわかれば、方程式を用いて、惑星の未来の位置や、あるいは過去の挙動まで知ることができる(決定論)。
あらゆる出来事は予め決められており、人間は科学のレンズを通してこれを知ることができる。そこに神の介在する余地はない。

ところが、ミクロ世界になると話が変わる。ハイゼンベルクの不確定性理論やシュレディンガーの波動方程式で説明されるように、物事は「確率」がなければ説明できない。解は必ずしも一定でなく、複数の可能性から選択されうる。
そして、この可能性を決めるのが誰であるかが、問題になる。

アインシュタインは「神はサイコロを振らない」として、確率の存在を嫌悪した。シュレディンガー自身もまた、「もし自分の方程式が物理学に確率を持ち込むことになるとわかっていれば、こんな式など作らなかった」と嘆いたとされる。


schrödinger’s cat / ** RCB **

シュレディンガーの猫とユージーン・ウィグナー

量子論における「シュレディンガーの猫」のパラドックスの解釈はこれまで多く語られてきた。
主流な解釈3つのうちの1つが、ノーベル賞受賞者ユージーン・ウィグナーの説である。観測者が箱を開ければ猫の生死を確認できるとして、観測者による観測結果を知るためには、観測者を観測する第2の観測者が必要になる(ウィグナーの友人)。このループは無限に繰り返され、結局、「宇宙の意識」や「神」の存在を考慮しなければ説明できない、ということになる。

量子論はこうして、科学の世界に「神」の存在を蘇らせた。

 

コペルニクス原理と人間原理

ホーキング博士がジェーンの信仰を認めるそぶりを見せた背景に、物理界におけるこうした論争があったことを考えると、物語の描写としてはおもしろい。
補足するならば、現実のホーキング博士は終始無神論を貫いているようである。神への理解は映画の中の演出であって、実際がどうだったかはわからない。しかし、科学界で上記論争が繰り返されていた中で、ホーキング博士もまた一定の影響を受けたことは予想できる。

科学の世界の論説を思わせる描写は他にもあった。コペルニクス原理と人間原理である。

物語の最後に講演で、ホーキング博士は宇宙についての自説を述べる。人間は世界の主人公などではなく、広大の宇宙の片隅にいるに過ぎない。その一方で、我々が今こうしてここにいることは、奇跡に他ならないのかもしれない。
前者はコペルニクス原理と呼ばれ、「人間が特別なものである」という考えを否定する。後者は人間原理と呼ばれ、宇宙は人間に適したものであり、人間が世界の中心にあるとする考え方だ。

科学界における対立する論説を、宇宙論の大家であり、数奇な人生を送ったホーキング博士に語らせたことは、興味深い描写だった。それも、彼の半生を描いたこの映画の締めくくりに持ち出している。
映画を見ればわかるけど、こうした背景も相まって、ジェーンとの人生を振り返る巻き戻しの描写に感動してしまった。

 

個人的に見所だったのはジェーン

ということで、科学における論説をうまく背景に盛り込んでいたように感じられ、ホーキング博士を題材にした映画として、楽しんでみることができた。

もっとも映画としてみると、ホーキング博士自身に大きな葛藤を持たせたようには見えなかった。もちろん、大病に悩み、失われていく身体機能にもめげず、常に前向きに進んでいく姿は感動的である。エディ・レッドメインの演技も素晴らしかった。

しかし私がそれよりも注目したのはジェーンだ。ホーキング博士や子供たちの世話に追われ、自分の時間を取れない中で葛藤する彼女。そこにジョナサンが現れ、エレインがやってくる。
ネタバレになるのでそれがどういう関係だったかは言わないけど、人間ドラマとしてはジェーンに視点を置いた方が楽しめた。彼女のとる選択がどういうものか、彼女の真意がどこにあるのか、目が離せなかった。

 

自然界に存在する全ての力を統一して記述する、統一場理論あるいは「万物の理論(Theory of Everything)」は、未だに完成を見ていない。ホーキング博士は、20世紀の終わりまでには統一場理論が見つかるだろうとかつて予測していたが、2010年の著書では「やっぱり統一場理論なんてないかも」と弱気な発言をしている模様。

マクロの世界とミクロの世界を同時に説明できる「万物の理論」が実現すれば、決定論と量子論に新たな視点をもたらし、「神」の実在をめぐる議論を進めることになるだろう。

ホーキング博士は今年で73歳になる。当初宣告された寿命よりもはるかに長生きしているものの、身体機能の低下はなお続いているそうだ。
Intelが協力して専門家チームを組織し、ホーキング博士のための新しいコミュニケーションシステムを開発しているという。この開発が進めば、ホーキング博士の研究がよりスムーズに進むかもしれない。また、同じように自らの身体に閉じ込められた人々の助けにもなるだろう。


飛行機の自由落下で無重力を体験するホーキング博士(Wikipediaより)

さらに驚くべき宇宙の秘密を教えてくれることを、ホーキング博士には期待したい。

 
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