「変わったもの」が未来に残り、「変わらないもの」は忘れられる(『SF作家に聞く2050年の技術』備忘録)

いなたくんへ

天文歴学者渋川晴海を描いた『天地明察』(2009)で本屋大賞を、『マルドゥック・スクランブル』(2003)で日本SF大賞を受賞した冲方丁が、電子情報通信学会誌の『SF作家が描く未来』なる特集記事でインタビューを受けていて、それがWeb記事になっていた。

2050年の技術、何が紹介されるだろう。やっぱバイオ系って言うかなーとか、あまり知られてないユニークな技術の紹介あるかなーとか、軽い気持ちで開いてみたら、期待と違った内容でおもしろかった。技術の紹介ではなく、未来を考えるうえでの「視点」を創作者の立場から挙げたものだった。

冲方丁は脚本を担当した『攻殻機動隊ARISE』(2013)では2027年を、著書『蒼穹のファフナー』(2004)では2146年の未来を描いているが、その未来観の根底には何があるのか。備忘録としてまとめてみた。

ところで冲方丁って「うぶかたとう」って読むのね。「おきかたちょう」だと思ってた。

Summary Note

1.「変わったもの」が残り、「変わらないもの」はゴキブリになる

2.ヒトをヒトたらしめるフィクションを機械は理解するか

3.SF作家が考える未来技術のディテール

追記:ヒトは変わるのか、変わらないのか


1.「変わったもの」が残り、「変わらないもの」はゴキブリになる

「未来のイメージをどんな視点で描いているのか」という質問に対して、冲方丁は「変わたもの」と「変わらないもの」の2つに注目すると答えている。

これについて、私は「変わらないもの」が普遍で未来にも残るもの、と考えてしまうが、冲方丁の答えは逆で、未来に残るのは「変わったもの」であるとする。

[冲方]いろんな作品でいろんな未来を見ようとしなければならないのですが、大事なのは「変わらないもの」と「変わったもの」が何であるかです。「変わらないもの」とは実は忘れられていくもの、「変わったもの」は残っていくものです。

人間は、その環境に合わせて変化していかないものを継承しません。SF世界の中で延々と変わらないものというのは、その環境ではもう要らないもの、忘れられたものであることが多い。私が未来のイメージを描くときには、「何が変わることができずに失われてしまったのか」、「何が積極的に変化していって、その環境に適応していったのか」ということをまず考えます。

単純に、「変わらない」=「普遍的」ではなくて、普遍的であるからこそ、どんどん変化をしていくので、それはしばしばストーリーの軸にもなります。

『SF作家に聞く2050年の技術』より(※筆者改行)

残るもの、普遍的なものとは、常に変化し続けるものである。

と言い換えるとわかりやすいかも。思い出すのは、480年の歴史を持つ和菓子の老舗とらやの家訓だ。

伝統は革新の連続である

とらやの家訓

とらやは常に新しいものを取り入れ、変化し続けることで残ってきた。未来を考えるにあたっても、普遍的なものは残り続けるが、しかしそのカタチは変化していると予想するのがよさそうだ。

「変わらないもの」は消えるのか

最近流行のコミュニケーションツールSlackが日本法人を設立。そこで同社CTOは「SlackはEメールを潰すか」という問いに対して、次のように答えたという。

「Eメールはインターネットのゴキブリのようなもの。みんな嫌いだが消えるものではない」

カルCTO

実は、WIRED創刊編集長ケヴィン・ケリーが生命とテクノロジーの進化の連続性を説いた『テクニウム』(2014)でも同様の表現がなされていた。曰く、進化が起こる領域は常に変化していて、レンガ、木、ハンマー、電気モーターなどのテクノロジーは、すでに進化が終わっている点で生物界の微生物に相当する。現代であればソフトウェア・プログラムは進化中だが、1000年後には「デジタルのゴキブリ」のようなものになっている。

現在のコンピューターでつかわれているUNIXのカーネルのようなプログラムのコードが、これから1000年経っても使われている可能性がかなりある(中略)。

それらはきっと2進数を使ったデジタルの細菌やゴキブリのようなもので、単純なテクノロジーはそのままで使えるから生き続けていくのだ。それらはより複雑になる必要がない。

『テクニウム』より

冲方丁は「変わらないもの」が「忘れられていくもの」であると指摘したが、これはゴキブリ説とも整合する。消えることなく存在はするんだけど、人はそれを意識することなく、いつかの先端テクノロジーであったことをただ忘れてしまうのだ。

「普遍的なもの」の物語における位置づけ

で、小説家であるから「物語づくり」という出口がきちんとあって、その中での「変わったもの(=普遍的なもの)」の位置づけも参考になったり。やはりその時代の「人」がどう変わってるかは重要だよね。

物語の中でお客さんを、最初の地点から物語の終わりに連れていかなければいけません。そのため、普遍的なもの、人の心、環境、それら三つの変化を軸にします。

例えば、地球の水が浄化されることが物語のクライマックスなら、その浄化するという考えが普遍的に受け継がれ、最終的に人の心や技術が高度に変化することで成し遂げられる、という考え方をします。

『SF作家に聞く2050年の技術』より


2.ヒトをヒトたらしめるフィクションを機械は理解するか

ホモ・サピエンスが生存競争で勝ち残れた要因の1つに、集団が同じ虚構を共有できたことが挙げられる。例えば『サピエンス全史』(2016)がそのあたりを丁寧に論証してたり。

で、冲方亭も同様の指摘をしつつ、「フィクション」を3つの類型に分けている。

[冲方] そもそも「フィクション」を信じる能力を我々の祖先は手に入れたのですよね。この「フィクション」とは何かを説明するとやや長くなるのでさくっと説明しますと、「今そこにないけれども、あると皆が共有できるもの」です。

『SF作家に聞く2050年の技術』より(※筆者改行)

1つが「歴史」である。たとえば共通の祖先の存在など、すでに消え失せていているが共有できる過去のことだ。

もう1つは「未来」だ。穀物を植えると来年も同じ実がなることなど、まだ起こっていない物事でも、我々は皆で信じてきた。

そして3つ目の類型として挙げられたのが「神話的なもの」だった。

そして、三つ目の大きな「フィクション」というのは、実証不可能な神話的なものです。それは正に魂などで、すごく原始的な信仰の中では、例えば我々の民族はライオンの生まれ変わりであるなど、そういうストーリーを作り上げることで一体感を得ています。

ただ、古くからの我々の「フィクション」はまだ生き残っています。今でも皆魂を持っているはずだとか、あるいは私たちが思考している、実感しているこの「私」という存在は、何かに根付いていて、そこから思考するエネルギーみたいなものを受け取っているはずだとか、こういったものは全部、実は実証不可能という点で「フィクション」なんです。

『SF作家に聞く2050年の技術』より

アンドロイドは電気羊の神話を持つか

そこで話が人工知能に移るのだけど、人工知能が人に近づくためには、あるいは人と共存するためには、人工知能にも「フィクション」を信じる能力が必要になると指摘する。

AIがそういう生命の感覚とか魂の実感、そういったものを理解するには、「フィクション」を、つまり、うそだけれども本当だと思い込む能力をどうやって手に入れるかが必要です。

これは例えば、もっと卑近な例で言うと金銭です。お金って巨大な「フィクション」で、基本的には嘘ですよね。お金って、現実的には、ただの紙と鉄じゃないですか。AIが、これは貴重なものだと認識して、より増やしたがるようになるかどうかですね。

『SF作家に聞く2050年の技術』より(※筆者改行)

ただ、これからどんどん人間も人工知能も接近していきます。倫理的にも道徳的にも、あるいは自律的にこの社会で生きるという命題も、AIと共有するようになっていく上で重要なのは、こういうゴーストとか魂とか、古くからあるけれども常に形を変えて生き残り続けてきた「フィクション」を、これからどう設定するかですね。

『SF作家に聞く2050年の技術』より

上述の通り、フィクションを信じ、共有する機能は、ヒトが進化の過程で獲得した能力であり、脳や遺伝子にハードウェア実装されたものである。その「ヒト」に似せることを目指すなら、あるいは「ヒト」の社会になじむなら、確かにヒトの集団がすでに持つフィクションにアクセスする能力は、人工知能にも必要だろう。

人工知能はすでにヒトの一部能力を凌駕するが、次の段階は「心」や「感情」の獲得だとか言われている。そのアプローチとして「フィクション」への注目はおもしろそう。

なお、冲方亭は次のように、人間が統一的な行動ができるならフィクションはもはや不要になる、と述べている。でも私はこれこそSF的思考実験に過ぎなくて、ヒトの少なくとも肉体はすでに進化を終えていて、変わることはないと思う。

その22世紀、23世紀の新しい神話を、どうやって科学者や哲学者が作り出していくか。もしかすると魂というフィクションの役割が終わる時代が来るのかもしれない。そういう物語がなくても人間は統一的な行動ができるようになるかもしれません。統一的な行動に必要な、相手への同情とか共感、理解しようという衝動、そういったものが物語の補助なしで働くようになれば、実は「フィクション」は要らないのです。

『SF作家に聞く2050年の技術』より


3.SF作家が考える未来技術のディテール

最後に、具体的な技術の未来にも触れていたのでまとめてみる。

電脳化の問題点

『攻殻機動隊』の脚本検討時に挙がったとされる課題。

まず、肉体を機械に置き換えられるとき「バージョンアップをどうするか」。確かに問題。

次に「社会の誰から普及するのか」。侵襲型デバイスはなんでもそうだけど、いきなり身体いじるのは厳しいよね。回答としては「まず戦争負傷者」次に「高齢者」というものだった。

それから「ペットはどうなっているのか」。確かに人間のポストヒューマン化を描くSFはいくつもあるが、だったらそれより先に動物がサイボーグ化してるのが自然かも。

光学迷彩の普及

SFでよく目にする光学迷彩だが、「動くものが消せるなら、動かないものはすぐ消せるはず」と指摘。確かに。冲方亭は消えるビルとか商業的にお金になるかも、と予想する。

あと次の指摘もおもしろかった。

更に言えば、人間は、透明なもの、透明だけれどそこにあるものを、価値があると勘違いする変な習性があるんですね。水晶とかガラスとか。光学的な透過は、何の変哲もないものをとても素敵なものに変える装置という気がします。

『SF作家に聞く2050年の技術』より

感情は工学的に利用できるか

「人間の感情の読み取り」は人工知能や脳科学分野で進んでいて、社会への実装は遠くなさそう。インタビュー記事では、『蒼穹のファフナー』に登場する「搭乗者の思考に基づき操縦可能な自動運転車」についてコメントを求めていて、以下が回答。

[冲方]これは、人間の感情というのは特定の動作をするために発達したという勝手なロジックで作っています。例えば恐怖は逃走を促すとか、怒りは人を闘争に赴かせるとかです。そこで、怒りで闘争に赴いたときの感情によって体がこう動くようになっているということを、巨大なロボットにそのまま投影させると楽になるのではないでしょうか。

『SF作家に聞く2050年の技術』より

これは「勝手なロジック」では決してなくて、感情の機能の1つとして特定の行動を促すことは知られている。『動物が幸せを感じるとき』(2011)では、4つの基本的情動システムとして「探索」「怒り」「恐怖」「パニック」を挙げ、例えば「怒り」が捕食者に捕まったとき逃げるための爆発的エネルギーを生む機能であると説明している。

こうして感情の本来持つ機能に着目すると、確かに工学的な利用もできるような気もしてきたり。未来はどうなるかな。

マクロ最適化の技術

冲方丁が発送したばかりの注目技術では「全体のユニットを常に最適化していく技術」を挙げていた。例えば複数台の自動運転車をシステムとして管理するような話で、これは実際に研究が進められているところだ。

そのさらに上位概念的な話として、次のような機械の進化の方向性が重要になりそう。

人間が本来調べて考えないといけなかったことを機械に代行してもらうという段階から、そもそも人間には不可能な視点で代行してもらう。

『SF作家に聞く2050年の技術』より

 

以上、自分用の備忘録として、興味深かった部分を抜粋しつつ、思ったことを書いてみた。特に最初の「残るものは変わっていくもの」という指摘は気づいていなかったので参考になった。

何が普遍的で、未来にはどんな形に変わっていくのか。想像したい。


ヒトは変わるのか、変わらないのか(2018/2/3追記)

この記事の公開のあと次のつぶやきをいただけたのだが、けっこう重要な指摘と思ったので追記したい。

変化するものが未来に残り、変化しないものが忘れられていくとして、人間存在は一体どちらにあたるのか。ヒトの未来を占ううえで「変わるのか、変わらないのか」を考えるのはおもしろい。以下のような場合分けができるだろう

ヒトは変わらない=残らない

テクノロジーの進化を論じた『テクニウム』(2014)では、生物の進化はヒトが最後で、その後は「テクニウム」と呼ばれる情報システムが進化を担うと仮説する。

ヒトが今後も変化しなかった場合、冲方丁の説明ではヒトは歴史に残らず、いずれ忘れ去られることになる。これは『テクニウム』の仮説ともきれいに整合すると思う。

ヒトは歴史に残る=変化する

ではヒトが未来にも存続するにはどうすればよいのか。変わるしかないのだ。もっとも、厳密には頭の中とか道具作りとか、「システムとしてのヒト」は10万年以来にも進化し続けているわけだけど、さらにドラスティックに、例えば遺伝子改変や機械との融合により「ポストヒューマン」と呼ばれる別の存在になったとしても、それは存続するという観点では自然な選択であるわけだ。

未来において、ヒトは変わっているのか、あるいは忘れられてしまうのか。とても気になるところだ。

 

 

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