シリコンバレーの政界進出は、知財制度にも影響を与えるのか

クーリエ・ジャポン2013年11月号で面白い記事が紹介されていました。シリコンバレーの起業家たちが政界に進出を始めているというものです。記事で挙げられていた内容は例えば次のようなもの。

  • 2012年におけるGoogleのロビー活動費は2300万ドル(約23億円)で、これはロビー活動で悪名高いボーイングやファイザーをも上回る
  • ロビー活動費を産業別にみると、コンピュータ・インターネット業界は2位で、3位の防衛業界を抜いている(ちなみに1位は石油・ガス業界)
  • Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグも「FWD.us」という政治団体を設立しており、大口寄付者にはGoogleのエリック・シュミット会長やヤフーCEOのマリッサ・メイヤーも名を連ねている
  • 音楽共有ファイルサイト「ナップスター」創業者でFacebook元会長のショーン・パーカーは、下院議員選挙で弁護士のロ・カナの擁立を目指している

元となったTIME誌の記事はたぶんこちらですかね。

 

IT業界の政界進出は、知財業界にも影響を与えるのか

記事を読んでおやと思ったのが、ナップスターの創業者ショーン・パーカーです。彼は90年代の終わりに音楽共有ソフト「ナップスター」で一躍名を馳せました。ところが、レコード協会をはじめとする既得権者たちから著作権侵害の訴訟を起こされ、操業停止に追い込まれます。これが20歳前後の出来事で、起業したサービスを潰されたのはけっこう苦い思い出なんじゃないでしょうか。

彼をはじめとしたシリコンバレーの人たちが、知的財産権制度についてどんな考えをもっているのかは、ちょっと興味深いところです。

IT業界は知財制度が嫌い

オープン化の文化のあるIT業界では、新しい技術を特許で独占することはあまり好まれていないようです。技術のライフサイクルが早いので、特許で20年間独占して他社の開発の足を引っ張る、というのはナンセンスと思われているのかもしれません。

このあたりは「Google特許検索(通称Googleパテント)を通して、Googleが目論んでいること」でも少し触れました。抽象的な特許を認めないよう働きかけたり、特許を無力化する仕組みを契約に盛り込んだりと、競争を特許権ではなくビジネスで行なう努力がされています。

Brigham Young University faculty survey seeks to advance open education through academic libraries

特許がなくともソフトウェア技術は発達してきた

発明者に一定期間独占権を与えることで、開発にかかった費用を回収する機会を与え、これをもって産業の発達を促進させる、というのが特許法の大まかな目的です。
ところがソフトウェアに関して言えば、ソフトウェアに特許が認められるようになったのは1981年以降のことで、コンパイラやGUIやオブジェクト指向や、主要な技術は特許の恩恵を受けていないんですよね。特許の独占なんかなくても十分発達してきたじゃないか、と。

マイクロソフト創業者のビル・ゲイツは次のように述べています。

「(ソフトウェアに関する)アイディアの多くが発明されたとき、特許が認められることがすでに知られていて、取得されていたなら、この業界はすっかり行き詰っていただろう」

ビル・ゲイツ

政界の考え方が内側から変わっていく

単純化して考えると、それまでIT業界はあくまで「政界の外」にあって、政界側としては「勢いのあるIT業界をどう使っていこうか、彼らの希望を聞いてやってもよいのではないか」という立場にあったはずです。

ところがIT業界の人々が政界の中に食い込み、あるいは政界への影響力が大きくなると、「IT業界の考え方=政界の考え方」に変わってきます。
例えば「ソフトウェアは知財権による独占の対象外にしよう」と誰かが言うとして、その発言者はルールメイカー自身の言葉になっていくわけです。

もちろん政界が一枚岩なはずがないので、IT業界出身者が発言したからと言って直ちに変わるわけではありません。しかし法制度決定のためのゲームバランスは確実に変わっていくことが予想されます。

まだ少数派のようですけど、オープン化を唱えるドイツの緑の党とか、世の中の考え方が少しずつ変化してきているようです。

 

「模倣はいけない」も数ある価値観の1つに過ぎない

そもそも「模倣はいけない」って普遍的なものではなくて、色んな考え方の中の1つに過ぎないんですよね。今はこの考え方が先進国に採用されて、私たちも当たり前のようにそうした教育を受けてきましたが、少し疑ってみてもいいのかもしれません。

先人に倣うためにこれを真似することは、先人に対する尊敬を表すので推奨されるべき、という考え方だってあるんです。

もちろん「模倣」と「パクリ」は分けて考える必要がありそうです。オリジナルを明らかにするための人格権は尊重されなければなりません。でも創作物そのものの独占を規定する財産権については、もっとオープンにされていってもいいのかもしれません。

という考え方を持つ人々が権力の立場を得て、世の中のルールを変えられるようになったとき、現状の知財制度がどのように変わっていくのか楽しみなところです。、

 

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2013年 11月号 [雑誌]

 

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