棋士のAIに対する敗北で、私たちが失うものはあるのか

いなたくんへ

文明シミュレーションゲーム「Civilization4」のマルチプレイがおもしろい。Civ4は太古から現代まで文明を育てていくターン制シミュレーションゲームで、都市の育成のほか外交や戦争といった要素も強い。特に重要になるのがテクノロジー開発、という話は以前(特許制度に無理やり絡めて)書いた。

私はCiv4を大学時代の友人3人と、あわせて4人でプレイしている。
このゲームの難点は、1ゲームに長大な時間がかかるところだ。月に2回集まって、それぞれ2時間程度プレイしているのだけど、「近代」にたどりつくまでに半年ほどもかかってしまった。我が領土には鉄道網が発達し、電化も進むが、他国は核分裂に成功した様子。チャットとビール片手のマルチプレイは最高に楽しい。


島は経済的価値が低いが、海好きなので積極的に入植.
左下の島の近海で石油が出ているのが見える.
しかし兵站を考えると離島防衛はとても難しい.

前回のプレイでは戦争が起こった。現状では我が国は経済力・技術力ともに優勢の立場にあるのだけど、他の3ヵ国が私に隠れて同盟し、国境を越え攻めてきたのだ。後日談を聞くところでは、先月くらいからメールで攻撃の相談をしていたらしい。悲しい。
国境に集結する敵同盟軍と飛行船の爆撃には驚いたが、幸いなことに私も攻撃計画を進めていたので、後背地から強襲揚陸をかけて都市を占領。さらに外交(チャットでのご相談)で1ヵ国に参戦を取りやめさせ、1ヵ国とは早期講和し、結果的に最後の1ヵ国ともすぐ決着することができた。

自分がいかに平和を希求しても、戦争は起こるのだね。国際社会おそロシア。

マルチプレイで面白いのは性格が出るところだ。
1人は非常にドライで功利的。彼のメリットを把握し提示できれば、交渉は楽。そのかわり情に訴えても動かない。もう1人は堅実で防御に厚いが準備に時間がかかるので、そこに隙ができる。

そして最後の1人は楽観的に見え、「自分がやりたいこと」に傾倒しすぎているように思えた。
相手のいる戦いでは、「自分がやりたいこと」だけでなく、「自分がやられたくないこと」「相手がやりたいこと」「相手がやられたくないこと」の4つのバランスを考慮し、次の最善手を決めねばならない。例えば内政は楽しいけど、他国からの侵略(自分がやられたくなくて、相手がやりたいこと)を許したら勝利はできない。この土台を築くのが例えば孫子の「知彼知己百戰不殆」なわけである。

「自分がやりたいこと」「相手がやられたくないこと」を最大化し、「自分がやられたくないこと」「相手がやりたいこと」を最小化する。私がこの視点を学んだのは、囲碁からだった。


電王戦終局とAlphaGo引退で、起こり得ること

人工知能とプロ棋士が戦う「将棋電王戦」は2010年に始まり、2017年の戦いが最後となった。結果は佐藤天彦名人の敗北である。

さらに囲碁においても、Google DeepMindの人工知能AlphaGoが、レーティング世界1位の棋士柯潔に勝利し、そして引退した。

この敗北は何をもたらすのか。我々は何を失うのか。

ニュースをみて懸念したのは、囲碁・将棋の競技人口の減少だ。その世界で人間がトップに立てないなら、頂上が失われてしまっているならつまらない、目指さない、という人は一定数いるだろう。残念ながら「誰よりも強い最強の一手」は、人工知能に奪われてしまったのだ。

棋士が減り、棋界の活気が減ると、なぜ困るのか。子どもが囲碁将棋に親しむ機会が減ってしまうからだ。

囲碁将棋から学べることは大きい。局地戦で相手を上回るための読みの深さ・鋭さもさることながら、さらに大局をも考えること、相手と自分のバランスを熟慮し駆け引きすること、その上で自分の世界感を作ること、戦わなければわからない様々な要素がそこにある。

囲碁将棋に触れる機会が失われると、学びの機会が損なわれてしまう。


人工知能の脅威はフレームサイズの拡大による

テクノロジーの発達が、かえって人間の能力を失わせる。インターネットの脳への影響を論じたベストセラー『ネット・バカ』(2010)はこれを「テクノロジーの鈍感化効果」と説明する。例えば「時計」の発明は、「いつ食事し、働き、眠り、起きるか」の時間感覚を鈍らせた。

人工知能のプロ棋士への勝利により競技人口が減って、戦略眼や駆け引きと言いった能力を養う機会が減少し、さらにはこうした判断を人工知能に頼るようになれば、これもひとつの「鈍感化効果」となるだろう。

もっとも、機械が人間の能力を置き換えるのはこれが初めてではない。例えば電卓や表計算ソフトなど、これまでも機械は人間の知的能力を補い、開放してきた。それではなぜ人工知能が危惧されるのかと言えば、置き換えのレイヤーがより上位になってきたことによるだろう。

電卓が人から単純計算のタスクを奪うと、人間の仕事はより上位の知的労働にシフトした。意志決定や戦略立案もこれにあたる。しかし機械が高度化して、その上位の仕事までも置き換えたとき、人間にはさらに上位の仕事が残されるのか。人間がシフトしようにも上限はあって、いずれシフトできなくなり存在価値が損なわれてしまうのではないか。
要するに機械が処理できる「フレーム」のサイズが人間に近づいていることが、不安の正体だ。

囲碁将棋での人間の敗北は、単に人間が人工知能に読み勝てないという話ではなく、人間の知的能力が高い次元においても鈍感化され、侵されていく可能性を示唆する一端にすぎない。
単純計算の能力は、電卓に奪われてもかまわない。しかし、例えば囲碁将棋で培われる戦略眼や大局思考までも明け渡してよいのか。これが、棋士の敗北が投げかける問題である。


とは言え、そんなに悲観的になることはない

ここまでネガティブな話を書いてきたけど、ちょっと深呼吸して、楽観的に考え直してみる。

AIに敗けても競技人口は減らない

まず懸念として子どもが囲碁将棋に親しむ機会が減ること、囲碁将棋の競技人口が減ることを挙げたが、それは起こらないだろう。

例えばチェスでは、人類は20年前にすでに人工知能ディープ・ブルーに敗けている。1997年の、世界王者ガルリ・カスパロフの敗北である。しかしチェスの競技人口は減っておらず、Wikipediaの数字だが2012年時点で愛好者は7億人を数える。

ニュースを見ても、世間を賑わせているのは人工知能への敗北ではなく、弱冠14歳のプロ棋士・藤井四段の快進撃だ。カッコいいよね。

囲碁将棋でも人工知能に敗けた、というのはショックだけれど、このゲームの真価は、対局して考えていくその過程にある。勝ち負けではないのだ。冒頭で紹介したCiv4だって、上位プレイヤーは雲の上だ。でも、大学時代の友人と作る閉じられた世界で戦略を練るのはとても楽しい。

というかこの記事、「Civ4楽しー!!」というのを言いたくてまた書きました。すみません。

創作能力の置き換えに対する人類の対処

人工知能が置き換えようとする高度な知的労働には他に「創作」もある。人工知能は音楽や絵画といった創作分野においても、人間以上のパフォーマンスを出しつつある。それはまだ一部だが、やがて領域を拡大したとき、人間の創作意欲の減退が懸念される。

これについては政府のアプローチが参考になる。政府は著作権や知財の制度をうまく設計することで、人工知能が普及した社会においても、人間の創作意欲が担保される枠組みを目指している。人工知能を社会制度の枠組みに当てはめ、制御下に置こうというわけだ。もちろん制御と言っても「せっかくの人工知能の高い能力を制限する」という話ではなく、人間と人工知能とが協調して価値を発揮できる社会が目指されている。

 

というわけで、人工知能の進歩はその速度が甚だしいが、そう悲観的になることもなさそうだ。我々はこれからも囲碁将棋を楽しむし、創造力を保ちながら、未来の社会を生きるだろう。

以上雑感として。
つまりCiv4は楽しい。

 

  

 

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