算命学に基づき4ヵ国1組織の栄枯盛衰を確かめてみた(ソ欧中編)

いなたくんへ

算命学に基づく国家のトレンド予測がおもしろい。ということで、算命学の定める時代の遷移が本当に当たっているのか、過去の歴史を振り返ってみた。

算命学は証券・投資分野で活躍された菅下清廣氏による『一生お金に困らない「未来予測」の技術』(2014)で長期トレンド予測手法の1つとして紹介されていた。

算命学では、国家のトレンドを10年ずつ5つの時代に分け、合わせて50年を1つのサイクルととらえる。5つの時代は次のように推移する。

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日本と米国への当てはめは前回確かめた通りだ。

今回は続いてソ連、欧州連合、中国について、その歴史が算命学の流れに沿っていたのか見直してみる。


5.「鬼門」を通過できなかったソ連(1924~)

算命学のトレンドは社会主義の国でも成り立つのか。冷戦期の米国を見たので、そのライバル・ソ連も見てみたい。

ソヴィエト社会主義共和国連邦はロシア革命(1917)の混乱のあと、1922年に樹立が宣言された。憲法はその歴史において3度発布されているが、ここでは1924年の最初の憲法(ソヴィエト連邦基本法)の発効を動乱期の起算点とする。

動乱期(1924-1933)

私は「ソ連」というと貧しく遅れた印象を持つが、滑り出しは悪くなかったようで、第一次五ヵ年計画(1928年)で鉄鋼生産の増強、農業の集団化、工業化に力を注いだ結果、世界恐慌の最中には世界最高の経済成長を誇ったという。ただし農民層を強制的に工業労働者とした無理がたたって、1932年に大飢饉を引き起こす。社会主義の歪みが当初から現れていたことになる。

教育期(1934-1943)

1934年には国際連盟に加盟し常任理事国となり、再軍備を進める。世界大戦の時代であり、フィンランドをはじめ周辺祖国と紛争が起こり、1941年には独ソ戦(大祖国戦争)に突入する。

「鬼門」には30年代の大粛清が挙げられそうだ。スターリンによる大規模な政治弾圧であり、1937年から1938年にかけて134万人が有罪判決を受け、半数が死刑判決となっている。

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スターリンの独裁体制は1953年の死去まで続いた(画像:Wikipediaより)

経済発展期・平和期(1944-1953)/庶民台頭期(1954-1963)

ソ連は第二次大戦の戦勝国として国際的地位を確立し、戦後秩序の構築に深く関与することになる。国際連合を創設し、安全保障理事会常任理事国となった。

東欧諸国の衛星国化が進み、その支配圏が大きく拡張する。米国との対立は鮮明化し、朝鮮戦争(1950~)やキューバ危機(1962)が引き起こされた。核開発や宇宙開発では米国と争い、世界をリードした時代である。

政治的には、スターリン死去(1953)のあとフルシチョフ体制に移っている。
この時期の経済は悪くなく、50-60年代のソ連はGDPで米国を追い上げていたとされる。その背景には食料生産への注力があった。ただしこれは農地の非栄養化と砂漠化をもたらし、フルシチョフ失脚(1964)の原因となる。

権力期・爛熟期(1964-1973)/動乱期(1974-1983)

フルシチョフのあと最高指導者となったのがブレジネフである。算命学によれば、彼の時代にソ連は2回目のサイクルに入ることになる。
ブレジネフは権力期に権力基盤を固めると、2回目の動乱期が始まった1977に憲法を作り直す。その前文で「プロレタリア独裁の目的は既に達成され、ソビエト国家は全人民の国家となった」とし、新時代に移ったことを宣言している。

米国との関係では、ちょうど権力期にあたる60年代末からデタントと呼ばれる協調関係が始まっていた。しかしそれも1979年のアフガニスタン侵攻により終了することになる。2回目の動乱期に米ソ関係は再び悪化し、軍拡競争が激化する。

2回目の教育期(1984-1993)

ブレジネフ死去のあと、1985年にゴルバチョフの時代となる。ゴルバチョフはブレジネフ時代に腐敗した政治体制の改革(ペレストロイカ)を進める。

「鬼門」にはいくつか候補があるが、例えば1986年のチェルノブイリ原発事故は、ソ連の官僚主義体質を露呈した点でも大きな出来事だったとされる。そして民主化要求が拡大すると、共産党一党独裁体制の放棄(1990)、党内部抗争激化、リトアニアの連邦離脱(1990)と続き、1991年に連邦の解体が宣言され、歴史から消えることになる。

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庶民の文化的な盛り上がりがあったのかよく調べられなかったけど、ソ連の隆盛と衰退もおおむね算命学のリズムに当てはめられたように思う。動乱のあといちおうの経済の成長があり、そして権力期にはブレジネフという新たな権力者の時代を迎えた。この権力者による新時代移行宣言と憲法制定が、ちょうど2サイクル目の始まりに起きたのも興味深かった。

ソ連は残念ながら2回目の鬼門を通過することができなかった。同じようにいま2回目の鬼門を通過しようとする組織がある。次は欧州連合について見てみたい。


6.「鬼門」を通過できるのか欧州連合(1952~)

国家ではなく地域連合であっても、算命学の時代推移を当てはめることはできるだろうか。

欧州連合の場合、サイクルの基点となる憲法制定をいつに認めるかが問題だ。欧州憲法は2004年に調印されたが未発効。そもそも欧州連合が「欧州連合(European Union)」の名称を得たのは1993年のことで、これだと最近すぎて歴史を検証できない。

そこで今回は1952年の欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の設立を動乱期の始まりとした。欧州の組織的統合はそれ以前から動きがあったものの、「独仏の資源を共同管理することによる戦争抑止」の理念が形になり、実際に国際的部門統合となったのがECSCだったからだ。

動乱期(1952-1961)/教育期(1962-1971)

欧州石炭鉄鋼用胴体(ECSC)設立のあと、1957年に経済分野統合と資源共同管理の進展を目的としたローマ条約が調印され、欧州経済共同体(EEC)と欧州原子力共同体(Euratom)が発足する。
これら3つの組織が欧州諸共同体(EC)の下に統合されたのが1967年だ。また1970年には、欧州政治協力(EPC)発足や通貨同盟の試行もされた。

動乱期・教育期は、欧州の地域共同体が組織としての枠組みを拡大し、現在につながる基盤を作り上げた時期と言える。なお、鬼門通過に当たる事件は見当たらなかった。

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欧州連合加盟国の変遷(Wikipediaより)

経済確立期(1972-1981)/庶民台頭期(1982-1991)

6ヵ国で始まったECは1986年までに12ヵ国に増えていく。この20年に起きた動きは多くはないが、重大なものが2つあった。1つはシェンゲン協定のECへの組み入れ(1985)だ。これによりEC域内でも国境検査なく移動できるようになった。もう1つが単一欧州議定書(1986)で、共同市場設立が掲げられた。

権力期・爛熟期(1992-2001)

1993年のマーストリヒト条約により、欧州諸共同体(EC)は現在の欧州連合(EU)に姿を変える。12ヵ国で始まったEUは、1995年には15ヵ国に、そして2004年には25ヵ国に拡大する。

欧州中央銀行の設立と単一通貨ユーロ発行(1998)、欧州議会の権限強化や外交・安全保障政策の深化を規定したアムステルダム条約(1999)、そして欧州連合としてのユーゴ紛争対応など、関係が一気に深められた。

権力期は欧州連合の組織としての力が最大化された時期ともいえる。

動乱期(2002-2011)/教育期(2012-2021)

欧州連合の発展は順調かに見えたのだけど、2サイクル目に入ると方向性の修正を余儀なくされる。
契機となったのは、2004年に起草された欧州憲法条約に対する仏国とオランダの反対だ。欧州懐疑主義と呼ばれる勢力の動きにより、欧州憲法は未だ発行されていない。
そしてリーマンショックの影響を受けてアイスランドが債務不履行に陥ると、経済的な協力関係にも疑問が持たれることになる。

ちょうど2サイクル目の鬼門通過期にあたる2016年、英国は国民投票により欧州連合からの離脱を決める。この動きが他国にも波及すれば、組織としての欧州連合にとって深刻な事件とならざるを得ない。

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欧州連合の歴史がどこまで算命学のサイクルに沿っていたと言えるか、正直微妙なところかも。でも、順調に拡大を続けて1サイクル目の権力期に権限を最大化させるも、2サイクル目には潮目が変わり鬼門通過に苦しんでいる、という点ではある程度のサイクルが見られる。

今回は欧州石炭鉄鋼共同体設立(1952)を起点としたが、はじまりの定義を変えればまた違った景色が見えるかもしれない。


7.社会主義市場経済を確立させた新中国(1954~)

最後に確かめたいのは算命学の本場・中国だ。といっても中国3000年の歴史は3000年/50年=60サイクルから成ることになり、到底すべてを検証することはできない。ここでは現在の政体である中華人民共和国を見てみたい。

中華人民共和国は国共内戦のあと1949年に建国され、最初の憲法は1954年に採択された。それまでにも土地改革法による土地の再配分(1950)や朝鮮戦争介入(1952)、反共・反政府勢力の殲滅・処刑(1953)、新疆・チベット侵攻などイベントは盛りだくさんだったのだけど、共和国のサイクルは1954年からはじまることになる。

動乱期(1954-1963)

動乱期においては、百花斉放百家争鳴(1956)と大弾圧や、ソ連との対立、大躍進政策(1958-1961)の失敗による大飢饉など、まさに混乱が続いていた。インドとの武力衝突も起きている。

教育期(1964-1973)

教育期に起きたのが文化大革命(1966-1976)である。鬼門通過現象を挙げるにあたっては中ソ国境紛争(1969)も捨てがたいけど、国家に与えた影響の深刻さを考えれば文革が適当だろう。

1971年には国連安全保障理事会の常任理事国となり、1972年に日本との国交正常化を果たしている。

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経済確立期・平和期(1974-1983)

1976年には毛沢東死去と四人組逮捕という政変があり、鄧小平の時代にかわる。1978年の第11期三中全会で改革開放路線が採用されると、国民の生活は次第に向上していくことになる。1981年には国民の53%が貧困線以下の生活にあったが、2001年には8%以下に減少したという。

一人っ子政策(1979)もこの時期からだ。
対外的には中越戦争(1979)で大損害を出したりもした。

庶民台頭期(1984-1993)/権力期・爛熟期(1994-2003)

経済特区の設置(1984)や、胡耀邦による百花斉放百家争鳴の再提唱(1986)など、庶民にとって自由化が垣間見られた時代である。しかしこの期待に対して政府は天安門事件(1989)で応えることになる。

鄧小平は1992年に南巡講話を行い、「社会主義市場経済」が掲げられる。中国は経済的には急成長を遂げ、香港・マカオの返還もなされる。一方で貧困層の暴動や抗議デモも多発するようになっていく。

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新中国の50年は社会主義市場経済確立の時代だった

以上の50年を振り返ると、社会主義国として建国した新中国が政争と社会政策に悩みつつも、「社会主義市場経済」という答えに辿り着いた時代と読むこともできそうだ。

共産主義中国の「顔」と言えば毛沢東の印象が強いが、算命学のサイクルでみると、彼は教育期までの人である。鬼門となった文化大革命は、新体制の政策の矛盾や政治闘争を象徴する出来事となる。
この経験をした次の世代の指導者が、経済確立期には改革開放路線への転換をもたらす。一方で庶民台頭期に起こった自由への期待は、権力に抑えられる結果となった。

経済確立期は平和期とも定義される。70年代の中国が平和と言えたかわからないが、大躍進政策や文化大革命の混乱を経ての改革開放という流れを見ると、ああようやく平和が来たんだな、とは感じてしまった。

2サイクル目の中国は?

2000年代になると中流階級が本格的に増加し、インターネットにより新たな言論・文化の空間が生まれる。こうして人民の力が変化していく一方で、権力側もまたテクノロジーを社会の管理に使い始める。
2004年からはじまる次のサイクルでは、社会主義市場経済確立のあと、経済的に力をつけた人民と政府との対話がテーマになるのかもしれない。そんな見方をしたとき、最初の動乱の時代は山谷剛史著『中国のインターネット史』(2014)が参考になるのでおススメ。

中国のインターネット史 ワールドワイドウェブからの独立 (星海社新書)


免責事項(まとめにかえて)

以上、日本、米国、ソ連、欧州、中国の歴史について、算命学が規定する5つの時代に区分して眺めてみた。ここで2つほど注意点を書いておく。

まず1つめ。参考文献は主にWikipediaであり、それでも不足する知識はWeb検索で補った。つまりソースは正確なものではない。
Wikiに載ってるなら大事な事件だろーくらいの気持ちでまとめたけど、見落とした重大事件はあるだろうし、偏った歴史観に基づく記載も多分にある。特に景気に関しては、ある記事では「この時期は好景気だった」と書かれていても、別の記事では「まだ不況から脱却できずにいた」となってたりして、評価が一定しない部分もあった。

2つめに、私はなるべく事実だけを列挙し、各時代の景色を客観的に俯瞰しようと努めたけれど、それでも「算命学の定義になんとか当てはめようとして」無理やり流れを作ったところは否めない。占いと同じで見たいものを見ようとした。

私は各国・各時代ともに、概ね算命学の定義に沿っているという結論を得た。しかし以上の2つの理由から反証の余地は多分にある。算命学が本当に使えるかどうかは、自分で歴史を紐解き確かめてほしい。

最後に目次を再掲する。

日本・米国への当てはめはこちらから。

算命学に基づき未来の社会を予想してみる

今回の記事は自分のためにやったものなので大満足。歴史を振り返るにあたって、リズムをもって見直すことで新しい発見がたくさんあった。池上彰は「過去を知ることで現在がわかる」という趣旨のことを言ってたけれど、動乱・人材教育・経済確立・庶民台頭・権力締め付け、という算命学の流れでみると、これまた因果関係がみえてきておもしろい。

リズムと言えば、国家が50年単位のテーマを持つように見えたのも発見だった。大日本帝国であれば「近代化と国際的地位の確立」であり、日本であれば「戦後復興と経済による復活」だった。米国は西部開拓時代のあと、工業力を背景にして軍産複合体性を完成させ、次の50年では冷戦を闘い、覇権国となっている。もちろん結果論なところはあるけども。

それでは次のサイクルで、各国は何をテーマにするのだろうか。そして各国はいま算命学の5つの時代のうちのどのステージにいて、これからどう変わろうとしているのか。次回は算命学を背景にして、未来の国際社会を予想したい。

 

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