いなたくんへ
このブログでは未来予測や知財をテーマに記事を書いている。んだけど、その設定はちょっとガン無視してゲーム実況はじめたい。Civilization4(通称「Civ4」)という文明シミュレーションゲームがいかんせん楽しすぎるのだ。
というと唐突なので一応趣旨を書くと、未来を考えるためには過去に振り替えることもきっと重要で、だから歴史にフォーカスした記事もこのブログでは載せてきた。その一環として、Civilization4のプレイに沿って我々の文明を見直すことは、未来予測の観点でも価値のあることかもしれない。
では建前も書けたことだし、さっそくマルチプレイのマルチ実況はじめてみる!「マルチ実況」については後述するよ!
Summary Note
文明選択とプレイスタイル
B.C.4000天地開闢・異民族との遭遇
今後の戦略と「マルチ実況」について
コラム:「弦の民」の起源と農業革命
まず簡単に「Civ4」を紹介。ターン制シミュレーションゲーム「Civilization」シリーズの一作で、2005年にPCゲームとして発売された。全世界で150万本を売り上げ、Game of the yearにも選ばれている。紀元前4000年から始めて2050年の未来まで、ターンを進めながら街を作り、テクノロジーを開発して、文明を育てていくのが目的となる。シリーズでは「Civlizaion6」が最新。
シムシティと異なるのは他プレイヤーとの外交が重要な要素になる点だ。その手段として戦争もできるが、勝利条件はいくつかあって、むしろ同盟関係構築も重要になったりする。「N村をいっしょに攻めようぜ!」とチャットしながら逆に包囲網つくられ「よくもだましたアアアア!!」とか、大学時代の友人たちと外交やるの楽しすぎる話は以前書いた。
なおマルチプレイにあたってはすでに開発元はサーバを閉じてしまっているのだけど、有志が色んな工夫をして場を提供してくれており、ここで改めて感謝したい。
プレイ実況を始める前に、設定やプレイスタイルを整理しておく。
プレイヤーは私を含む人間4人。全員ほぼ素人でシングルプレイ経験なし。マルチプレイを一緒にやるのがこれで3回目になるが、前回、前々回とも途中でやめてしまったので、ゲームクリア経験者はいない。そういう意味では、経験者がこのブログ見てもイライラするかも。
人間だけも淋しいので、レベル低めのAIも生贄として1国含めている。
なお、Civilization4は拡張パックが出されており、今回プレイしたのは「Beyond the Sword(通称「BtS」)と呼ばれる版である。
このゲームでは初期設定としてプレイヤーごとに「文明」と「指導者」を選ぶことができる。この選択に応じて特殊ユニットが作れたり、最初に保有する技術や、プレイ中のボーナスが変わったりする。
私は「中国文明」の「始皇帝」を選択。調べると次の特性を持っていた。
- 「防衛」…弓術・火器ユニットに「都市駐留」「教練」のスキル付与
- 「勤労」…文化遺産の建設速度+50%
けっこう内向きというか、決して有利なキャラには見えないけれど、今回はこれでいってみたい。また、初期技術は以下を保有。技術はゲーム中で開発して増やしていける。
- 「農業」…農場を建設できる
- 「採鉱」…鉱山を建設できる
プレイと実況にあたっては、個人的に以下の縛りをかけようと思う。
- 世界観とか作戦名とか、厨二設定全開で行く
- テクノロジー開発は歴史も参考に、あまり不自然ではない形で進める
- 非対称性は十分に活用する
プレイヤーは全員社会人で様々な事情を抱えていて忙しく、月に1~2回、2時間程度しかプレイ時間が合わない。進行は遅くて、前回世界では「現代」まで進むのに1年程度かかった(そして途中でやめた)。
そんなわけでこのブログでは1年くらいダラダラと、文明の発展にお付き合いいただくことになりそうだ。
それではスタートしてみよう。時は紀元前4000年、遊牧の民として暮らしてきた人々が今、長年の放浪の旅を終えて定住し、最初の都市を築こうとしているようだ。
さっそく「戦士」(左)と「開拓者」(右)の登場である。戦士は攻撃力を持ったユニットであり、開拓者は定住して集落を作ることができる。まず最初に行うことは、開拓者による集落の形成だ。
長く暮らすには水がほしいよね。ということで我が「弦の民」は開拓者の初期位置、河沿いに最初の定住地を選んだ。「天元府」と名付ける。
集落ではユニット生産が可能になるので、さっそく「労働者」を作り始めた。
戦士に近隣を探索させていると「村」を発見。村は到達すると色々なイベントが起こるのだが、今回は移動力のあるユニット「斥候」を贈ってもらえた。
その斥候も使って探索を続けると、首邑・天元府の西方に異民族の姿を見つけた。
言葉は通じるだろうか。文明人たる我々から声をかけよう。
相手は「餃子の民」を名乗った。並行世界においては「孫子」「孔子」といった偉人が知られているが、「餃子」もその一種にちがいない。いずれにせよ彼らの居住地は遠くはないはずで、あとをつけるとすぐ東に彼らの生活圏を見つけることができた。
うーん近い。話はできるようだけど、好戦的な民族ではないといいな。
さて、この世界の特徴として、時間をかけることでテクノロジーを開発することができる。テクノロジーはツリー状に派生しながら高度化していく。必要な技術を手に入れるためには、その前提技術を習得している必要がある。
我が弦の民は初期保有技術として、天元府建設時より、畑を耕す「農耕」と鉱山を掘る「採鉱」の技術をもっていた。そしてそのあと得た最初の技術が「神秘主義」であった。自然からの採集で生命を繋いできた民族として、自然な流れといえるだろう。
「神秘主義」のあと、これを昇華し、「多神教」を創始した。多神教はこの世界で最初に生まれた宗教となる。
「宗教的なものを信じること」は実はヒトの脳に備えられた機能とされる。宗教がもたらす集団の団結は生存競争に有利であり、進化において獲得された能力なのだ。そういうわけで、世界で最初に宗教を発現した我が「弦の民」は生物的にも優秀であると言えるだろう。今後も自然の中に八百万の神々を見出し、尊んでいきたい。
なお「多神教」創始の前には村人から「石工術」を教えてもらえた。
周囲の探索を続けると、北方にて餃子の民とは別の異民族の居住圏を発見。挨拶したら「馬の民」を名乗った。こちらも近い。
この後、B.C.2800には異国の地で「仏教」が創始された。
天元府を流れる河は北に延びて肥沃な土壌を生んでいる。第2の定住地はこの河沿いに置くのがよさそうなのだが、東夷・餃子の民が気がかりだ。万が一彼らが西進してきた場合、我が首邑が直接異民族の脅威にさらされうる。
機先を取るべく戦士と開拓者を東に向かわせると、予想通りというか、手遅れというか、向こうも開拓者を出してきていた。
私はちょうど戦士の立つ位置に第2の定住地を作りたかったが、我が開拓者は森を進んでいるのため足場が悪く到達に3ターンかかる。餃子の民の開拓者はそれよりも先に着くだろう。
相手が今いる場所に定住するのか、それとも丘を越えてこちらの首邑を脅かそうとしているのか、意図はよくわからない。戦士を使って殺すことも考えたが、すれ違って殺し損ねて、こちらの候補地近くに定住されるリスクもある。そうすると手遅れになる。
仕方なく交渉することにした。
偶然か必然か、向こうもこちらの目標と同じ位置(戦士のいる位置)への定住を考えていたようだ。
このあと粘って交渉し、それぞれ一歩退き、重複しない位置に入植することで合意した。戦士の位置を基準として、餃子の民は東南に下がって「みんみん」を建設。我々は北西に下がってに第2の定住地「征餃子鎮」を建設。悔しさは定住地の名前に込めた。
餃子の民とは、両者の間に位置するこの峰(「戦士の峰」と呼ぶことにする)をそれぞれの生活圏の境界とすることについて合意。まあ平和がいちばんだね。
「多神教」創始のあと、「農業」技術の発展として「陶器」の製法を習得。これで農作物を効率よく貯蔵でき、穀物庫も建てられて、人口の増加に期待できる。それから「畜産」もできるようになり、これに伴い天元府北方に「馬」を見つけることができた。
再び村の発見があり、「狩猟」の技術も教わった。我々「弦の民」はもっぱら農耕民族だったので狩猟には疎く、この技術が得られたことはありがたい。
そして我が民は征餃子鎮にて「一神教」も創始する。
多神教と一神教の成り立ちにはこんな説がある。多神教は多様な自然と向き合わねばならない農耕社会の必要から生まれ、一神教は交易が盛んな地域における共通ルール(単一ルール)を持つことの必要から生まれた、というものだ。
以上は並行世界の話だけど、この世界においても餃子の民との定住地を巡る交渉が、一神教のような教えを必要としたのかもしれない。そういう意味では、神も知らぬ低文化レベルの餃子の民にもぜひ布教してやりたいところである。
テクノロジーを獲得すると、社会制度の設定ができるようになる場合がある。「一神教」創始に伴い「宗教の組織化」が可能になったので、この宗教制度を採用することにした。
社会制度改革を行うと若干の無政府状態を伴うのだが、「宗教の組織化」を採用すると、民の帰依する宗教(弦の民においては「多神教」)の布教された居住地において、建築物の建設速度向上が期待できる。すでに述べた通り、宗教は集団の団結を高める。「宗教の組織化」は組織によりさらにその効果を増すものと言える。
北西にて異民族の斥候に会う。相手は「シャカ族」を名乗った。
聞くと、B.C.2800に仏教を創始したのはシャカ族だったようだ。もしや王子が家出でもしたとか…?
仏教と言えば、並行世界における21世紀の技術を仏教の切り口からみた『高校生からわかる〈web仏教〉入門』(2017)を以前紹介したことがある。
本書を参考にするならば、仏教とは「生命の連続性」と「因果応報の責任」からなる輪廻からの解脱を目指すものである。すると、むしろこれらを尊重する我が多神教とは相容れない可能性が高そうだ。
いずれにせよシャカ族の居住地は未発見であり、警戒したい。
テクノロジーの獲得は、自然界に眠る新たな資源に気づかせてくれることがある。「畜産」の技術獲得により「馬」を発見することができた。これは、弦の民が「馬」を、自分たちにとって意味のある対象であると認識できたことを意味する。
ということで3つめの定住地は当初予定の通り、首邑北西の肥沃な河川地帯に置くことにした。
この地域は山岳も多く、高い生産力を発揮する可能性が高い。すると我が弦の民の兵員供給はこの場所に恃むこともあるだろう。そこで命名は並行世界の超兵器「木牛流馬」にちなみ、それに首邑に並ぶ行政区分「府」をつけて「木牛流馬府」とした。
というところで第1回のプレイはここまで。序盤はサクサク進んで34ターン消化できた。次に、次回以降の戦略というか方針について考えてみる。
内政においては首邑・天元府が未だ人口1なので、木牛流馬府と合わせて人口増加を図りたい。労働者を使うことで居住圏での農地開墾や鉱山開拓、小屋建設ができるものの、これらは人口が少なければ稼働しない。
異民族への防備のためにも生産力は必要だし、定住地が増えれば維持費がかかるので商業力も必要になる。そのためにはまず人口である。
「戦士の峰」への定住失敗は残念だったが、餃子の民と早々に境界を決められたことは、先に場所を取られたらどうしようとか神経を配らずに済むのでよかったと思う。
とは言え「みんみん」の勢力圏は我が「征餃子鎮」に食い込んでおり、次回以降は対策が必要になる。餃子の民はB.C.2320にストーンヘンジを完成させるなど、その生産力も侮れない。
我が民の生活圏・支配圏拡充のため、次回も第4、第5の定住地を建てていきたい。
東は餃子の民、北は馬の民と、いずれも夷狄の居住地なのでいまは刺激しないようにする。南は寒そうなので優先度は下がる。
天元府の北西、亥の刻の方角で見つけた海を「亥海」と名付ける。亥海へのアクセスはぜひ目指したいところだが、その間にはジャングルがあり、現在の我が民が生き抜くには少々荷が重いだろう。
西方が全く未開であるので、次回はこちらを最優先に探索することとして、川とか居住に適する場所を見つけていきたい。
さて、懸念すべきは西方に異民族がいた場合のことだ。東夷、北狄に加えて西戎まで存在するとなると、正直辛い。
ここで気になるのがシャカ族の出自である。あの斥候はどこから来たのだろうか。
彼の動きを見ると、馬の民の居住地域の西側を、海沿いに北から南下してきていた。馬の民の東、あるいは北東あたりからやってきて、さらに南に足を伸ばしている、というのが私の仮説だ。であるならば我が民の勢力圏とは隣接しない。
一方で、彼らの根拠地はやはり我が勢力圏の西側にあって、馬の民の居住地探索を終えて南西に引き返すところ、とかだと問題は大きい。そうでないことを祈りたい。
ところで記事タイトルの「マルチ実況」の意味だけど、これは「マルチプレイの実況」ではなくて、「マルチプレイのマルチ実況」を意味している。
シャカ族のプレイヤーはブログ『木牛流馬は動かない』の筆者氏であり、Civ4世界においてシャカ族視点では何が起きているのか、の舞台裏は氏のブログでも実況中だ。シャカ族がどこから来たのか、一足先に知りたい場合は次の記事へどうぞ。
なお、こうして実況するとお互いの手の内が見えてしまうので、記事の公開タイミングは実際のプレイ時からは相当のタイムラグを設けている。今回実況した第1回は2017/11/27にプレイした。もちろん実況記事自体はプレイ直後に書き上げている。
ということで今後も我が「弦の民」とシャカ族との両面から、この世界の発展を実況していきたい。
最後に、Civ4世界の文明について少しだけ考えてみる。弦の民にとってB.C.4000とはどのような意味を持つ時間だったか。
彼らが定住し最初の集落「天元」を建てたのは、農業革命成立に同期したものと考えられる。人類史において農業革命とは、『サピエンス全史』(2016)によれば「いくつかの動植物種の生命を操作することに、サピエンスがほぼすべての時間と労力を傾け始めた」ものであり、手に入る食料の総量を増やし、社会に「余裕」を生み出すことに成功した。
弦の民は狩猟技術は持っていなかったから、それまでは採集をもっぱらにして暮らしていたと考えられる。「採鉱」もその一環で獲得した技術だろう。そうして森や原をさまよい食いつないできた集団が、種を植え、環境を自らコントロールする「農業」を発明したことで、一つ所での生活を始めた。これがこの物語のはじまりである。
食料の安定供給は、戦闘と探索に専念する「戦士」や、さらには「開拓者」といった役割を成立させ、持続可能な生活圏の大きさや、社会の形を変えていく。農耕革命は新石器革命とも呼ばれ、未来学者アルビン・トフラーは世界的ベストセラー『第三の波』(1980)で「第1の波」と呼んだ。
あるいは、物理学者ミチオ・カクは畜産技術の獲得にも注目し、「それまで1/5馬力(自分の筋力)しかエネルギー消費できなかった人類が、はじめて自分の力を超えるエネルギー(家畜の1馬力)を手にした変革」と評価する。
こうした恩恵があった一方、『サピエンス全史』は次のようにも指摘してる。
人類は農業革命によって手に入る食糧の総量をたしかに増やすことはできたが、食糧の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生に繋がった。
『サピエンス全史』より
「弦の民」は今後どのような文明を育てていくのか、引き続き見守っていきたい。
次回はこちら。