「宗教の時代」「政治の時代」「経済の時代」を支えたもの、競争力となったもの(『先端技術のゆくえ』書評)

今回は坂本賢三著『先端技術のゆくえ』を紹介します。
本来全く異なるものだった「科学」と「技術」が、20世紀後半になりようやく融合して「科学技術」となったとし、その行く末について論じた一冊。初版は1987年と、25年も前に書かれた本です。が、今でも通じるというか、むしろ現在や、これから起ころうとしていることを言い当てているように思うのですよ。その未来観が興味深いものだったので紹介します。

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絶版気味なのが悔しい一冊

本書は独特の歴史観に基づき、これまでを3つの大きな時代に分類します。

  • 宗教の時代: 神が絶対者
  • 政治の時代: 国家(王・権力者)が絶対者
  • 経済の時代: 企業(金銭)が絶対者

そして次に来る時代が、経済的利潤追求のためではなく、技術のために技術が開発されていく、技術者が中心となる「技術の時代」と予測。この変化は、それまでの時代の転換で起きた変化と同様に、世の中の価値基準や枠組みが根底から覆る、革命と呼べるほどの変革です。

本書が刊行された1987年時点では、著者は「そういう時代がこれから来るのではないか、あるいはもう変化が始まっているのかも」と述べるに留まっていました。これが2013年のいま言われてみると、著者の予言が現実のものになりつつあるように感じるわけです。今後の未来を予測をしていく上でも重要な視点になりそう。

ということで今回はまず「宗教」「政治」「経済」の3つの時代を紹介。これらの時代を支えたもの、競争力の源なったものを並べてみると、著者の予想する次なる時代の特徴が見えてきます。

 

宗教の時代~政治の時代

まず最初の「宗教の時代」。14世紀頃までの、神が絶対者とされていた時代です。
例えば原始日本には邪馬台国の卑弥呼がいて、彼女は神を祀るシャーマンでした。本書においては、武家政治の基本法「御成敗式目」の冒頭で「神社を修理し、祭祀を専らにすべきこと」と規定していたことを挙げています。

この時代、「技術」の中核を成していたのは、教会・寺社において神の栄光を讃える建築(とこれに付随しての彫刻や絵画)でした。
「政治」(朝廷や王室)は神を祭ることを仕事とします。もちろん人間の王も大きな権力を持ちましたが、神への畏怖の方が優先された時代です。

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絶対君主による政治の時代の始まり

中世になると、台頭した諸侯を制した王が絶対君主となり、教会・寺社権力を支配下におくようになります。西欧においては教皇と皇帝の対立があり、日本では信長の本願寺攻めなどがありました。
その結果、絶対主義国家が誕生し、政治が全てを決定する「政治(国家)の時代」に移ります。神への畏怖よりも、王の持つ「権力」が畏れられる時代です。
哲学も、それまで主流とされた神学から、国家論が盛んになります。

前時代の絶対者「宗教」の位置付け

ここで注目したいのが、「政治の時代」の前の時代に絶対者であった「宗教」の位置付けです。時代が変わることで「宗教」がなくなったかと言うとそんなことはなくて、むしろ王の権力に正当性を与える裏付けとして使われた、というのが著者の指摘。

近世国家のはじめにおいて、エリザベス女王は女神であったし、ジェームズ一世は王権神授説を唱え、ルイ14世は「朕が国家なり」と称し、徳川家康は権現様として崇拝された。国家を代表する王は、触れただけで病気が癒されるほどの宗教性を持っていた。

競争の源としての「経済」

もう一つ気にしたいのが「経済」です。「政治の時代」における「経済」とは、絶対者である王の力の源泉、競争力を保ち支配を実効させるための武器でした。この辺は、経済力を重視して成功した織田信長なんかも思い浮かびますね。

絶対主義国家はみずから経済活動を行なった。各国は海賊に出資し、植民地活動を援助し、国家として貿易を行なった。税収を投資して国営工場を営むフランスのような例もあった。

「技術」は、戦車、軍艦、大砲、築城といった、国家を支える軍事技術が中心となります。ちなみに、人を驚かす技術(=軍事技術)の開発者はアイディア・マンと呼ばれ、そのラテン語「インゲニアートル」が英語の「エンジニア」の語源となったそうです。へぇー。

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経済の時代(現代)

いま我々が生きる現代を著者は「経済の時代」と定義します。「政治の時代」からの転換点となったのは、19世紀頃の「国民国家」の登場です。絶対者としての王を戴くそれまでの国家と変わって、主権が国民・市民に移るようになりました。
この革命の結果起こったことは、「国家権力の規制を廃し、自由な経済活動を営めるようにすること」だったと著者は述べます。そして経済活動の主体となったのが「企業」でした。

宗教の時代を体現していたものが教会、政治の時代を体現していたものが国家であったとすれば、経済の時代を体言するものは企業である。政治の主体が国家であったように、ここでは企業が経済の主体である。

実際に世の中を見てみると、我々の生活の実態を動かしているのは企業活動にほかなりません。20世紀は戦争の世紀でもありましたが、著者は「国民国家も単一市場の形成にほかならず、国家間の戦争も市場の拡大をねらう闘争であり、賠償金は投資のための資本なのであった」という見方をしています。
このあたり、「あの戦争を引き起こしたのは『会社』だ」「軍閥でも国家主義者でも革新官僚でもなく、「会社」が戦争の原因を作ったのだ」と述べる次のまとめも参考になりそう。

哲学も、神学、国家論から、新しい社会での個人の運命に関わるものが主になります。

前時代の絶対者「政治」の位置付け

「経済の時代」において、前時代の絶対者「国家」はどのような役割を担っているか。「政治の時代」の「宗教」と同様に、「国家」は絶対者ではなくなったけれども、「経済の時代」を支える重要な機能を任されます。

フランス革命以後、国家の任務は、経済外的強制をできるだけ排除し、経済発展のための条件づくりに奉仕し、経済発展を援助・推進する機関になった。(中略)

経済の時代は宗教や国家を補完物として必要とする社会であり、否定するのもではなく、奉仕するものとして温存するのである。(中略)

経済の時代の根強い傾向は、安上がりの政府、「夜警」を任務とする国家への期待なのである。国家に望ましいのは、治安の維持、国家による教育と研究、国家による障害物の撤廃であって、それ以上のことではない。

要するに「国家」は、「経済」を支えるための安全弁として、依然として欠かせない存在であるということです。 Government spending

経済後発国における「国家の力」の利用

ちょっとおもしろかったのが、経済後発国が経済的に追いつくために、「国家」をイデオロギーとして利用していた、とする指摘。

後発国共通の問題は原料供給地および製品消費地としての植民地を持たなかったことで、先進国に追いつくために、既存の世界秩序を改変し、植民地の再分割をねらって、軍備を強化し対外侵略に乗り出した。その際の大義名分としてイデオロギーとしての「国家主義」が登場したのであって、これは後発国に特有のものであった。

これは一見「国家の時代」への逆戻りにも見えるけれども、「実際は経済の時代特有の現象」であり、「ちょうど、国家の時代の成立が遅れた地域ほど宗教の力を借りたのと同じである」とのことです。正当性を裏付けるために前時代の絶対者の名前を使う、というのは確かに「国家の時代」の王たちがしていたことと似てますね。

競争の源としての「技術」

「経済の時代」に競争力の源となったのが「技術」です。絶対者である「企業」が経済的優位性を保つには、誰よりも新しい「技術」を持つことが重要な競争要因の1つでした。

経済の時代は進歩と切り離すことができないのであるが、その根底にあったのは技術であり、経済の時代とは、技術を全面的に奉仕させ、それと一体になった時代なのである。したがって経済の時代とは工業の時代といってよい。

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3つの時代を並べてみると

「経済の時代」においては、企業による利潤獲得が至上命題でした。技術はその競争力を支える重要な道具でしたが、とは言えいち手段に過ぎません。しかし今後は「技術そのもの」が企業に代わり絶対者になっていく、というのが著者の予測です。

技術の時代とは具体的にいったいどんな時代になるでしょうか。ここでこれまでの3つの時代を並べてみます。するとどうでしょうか。何か傾向があるように見えてきませんか。

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今回は著者の述べる3つの時代の変遷を紹介しました。次回はこの3つの時代を俯瞰して、次なる「技術の時代」がどんな時代になるのか、著者のいう変革が実際に起きていると言えるのか、考えてみたいと思います。

 

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この記事は「宗教の時代・国家の時代・経済の時代に続く、第4の時代への転換が始まっている(1/2)(『先端技術のゆくえ』書評)」(2013/8/7掲載)について、2016/6/7に図の追加と一部加筆、改題を行ったものです。

 

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