知財分業の担い手としてのパテント・トロール、他(『インビジブル・エッジ』書評)

今回は知財戦略を扱った『インビジブル・エッジ』を紹介します。
著者のマーク・ブラキシルとラルフ・エッカートの肩書きはボストン・コンサルティング・グループの知財ストラテジスト。本書巻末の紹介によれば、知財の専門誌「iam」では「世界最高の知財ストラテジスト」と称されているそうです。
ところで知財ストラテジストってどんな仕事なんですかね。要するにコンサルなんでしょうけど、大企業がメインプレイヤーの知財業界で社外の人にできることがどれだけあるのかはちょっと疑問です。

本書は特に「コントロール・コラボレーション・単純化」の3段階からなる知財活用論を提唱しており、様々な企業の事例を交えてその効果を説明していました。

インビジブル・エッジ

特許制度は創設しても廃止しても無責任

本書ではまず冒頭で蒸気機関の例などを挙げ、知財の必要性を説いていました
当然ですが著者はプロパテント(特許制度推進論)の立場のよ模様。戦後のアンチ・パテント時代の米国におけるゼロックスの例を紹介し、「特許制度が働かなければ競争力を維持できない」ことの根拠としていました。
ゼロックスの例はプロパテントの論拠として象徴的な事例だと思うのでここに紹介します。

圧力をかけられたゼロックスは、1975年に「自主的」に同意判決(反トラスト法民事訴訟の解決手段で、和解の一種)を受け入れる。競争相手はゼロックスの特許3件をロイヤルティ・フリーで使用でき、特許ポートフォリオ全体は売上高の最高1.5%のライセンス料でライセンスを受けられるという内容だった。(中略)

「強制的ライセンス供与」が行われた瞬間に、あらゆる悲劇的な予想を上回る勢いで事態は進行した。特許というハードルのなくなった市場に各社は殺到する。ゼロックスの誇る営業部隊も、経験も、ブランドも、何の役にも立たなかった。1972年にはゼロックスは普通紙複写機のシェアを事実上100%握っていたのだが、わずか4年後には14%を下回る。

ただし、著者が諸手を挙げて特許制度に賛成しているかというとわかりません。著者は、特許制度の権威とされるフリッツ・マッハループの次の言葉を紹介しました。

「もし特許制度が存在しないなら、経済への影響を知っているいまとなっては、制度の創設を進言するのは無責任なことだろう。だがすでに長年に渡って特許制度が存在する以上、現状を知っていながら制度の廃止を進言するのも、また無責任なことになる」

特許制度の効用については賛否両論あるところです。特許制度の要否は制度のもたらすメリットとデメリットを衡量し、どちらが上回るかを慎重い検証しなければなりません。しかし産業制度としての特許制度の効用は、机上で論じて答えを立証できるものではなく、非常に微妙な問題です。

「もし特許制度がなかったら」とあれこれ空論するよりも、「すでに存在してしまったのだからしかたがない」として、制度の存在を前提に戦略を考えるのは、建設的でいいですね。私は特にマッハループの言葉の「特許制度を全面的に認めるわけではないのだけど」という負け惜しみに似たニュアンスが気に入りました。

もちろん思考実験として特許制度無用論を考えるのは非常に大事なことだと思いますが、本書では現在の特許制度を前提として、制度をいかに有効活用すべきかを説明します。

Emergency ignored: Current status of the Patent Reform Act

オープン・ソースは共産主義思想と比べるべきか

アンチ・パテントの流れとして近年注目を集めるものにオープンソース・ソフトウェアがあります。これについて著者はリナックスを例に取り、オープンソースが世間で言われるような無償ボランティアによる成果でなく、従来型の組織構造により生まれた点を指摘します。

だが多くのオープンソース・プロジェクトをよくよく見ると、意外な事実が浮かび上がってくる。知的財産権の放棄だとか、利他的かつ献身的なボランティアによるコラボレーションといったオープンソース特徴とされるものは、ほとんど都市伝説のようなもので、実態とは程遠い。(中略)

共同作業の頂点には、コードの構成について決定権を持つ上位階層が明らかに存在していた。(中略)主力メンバーはほぼ全員、リナックス開発に膳時間を割くことに給与を支払ってくれる会社で生計を立てていた。要するにリナックスは完全にフリーではないし、中心メンバーはボランティアではない。

このオープンソースを巡る議論は、開発にかかわるプレイヤーが増えるほど取引コストが増えるので、単に人を巻き込めばいいわけではない、という文脈の下で述べられています。著者はジョイント・ベンチャーやアライアンスと言った組織間コラボレーションについて、実にその7割が失敗に終わったと指摘します。

ただオープンソースの重要な点は、プロトタイプの成り立ち出なく、その後の改良・発展が解放されている点にあるはずです。再配布に関するいくつかの条件にさえ従えば、誰でもその開発に従事できることで、開発が加速度的に進むわけです。
その点で著者の上記の指摘は少し的を外しているように思います。

組織論という点では、オープンソース擁護派のクリス・アンダーソンが著書『MAKERS』にておもしろい体験談を述べていました。開発に対するコミットメントに応じて、マグカップやTシャツをあげるか、給与や株式、組織内における地位を与えるかというように、インセンティブに重みを変えてみたというものです。
『インビジブル・エッジ』では関係者増加による取引コストの増大や意思決定の遅延を問題提起してますが、クリス・アンダーソンの仕組みはこの問題に答えたものとなっていますね。開発の中枢にいくにつれて組織化が進み、全体にヒエラルキーを持たせることで、意思決定や取引コストの問題を抑えるというものです。
そして何より重要なのは、開発者の裾野がインターネットを通して世界中に無限に開かれているという、オープンソースの利点が維持される点です。

Teaching Open Source Practices, Version 4.0

著者はフリーソフトウェア活動の中心的存在であるリチャード・ストールマンをマルクスに喩えて、オープンソースの思想を共産主義思想に重ねます。

彼はソフトウェア特許や過剰な著作権保護に対して反旗を翻し、革命を先導してきた。時代はちがうけれども、彼のやり方はカール・マルクスに似ていなくもない。マルクスは産業革命の頃に『共産党宣言』を書き、ストールマンは1985年にソフトウェアの自由な享有を主張する「GNU宣言」を発表した。

おもしろい比喩ですが、共産主義が自由競争を否定するのに対して、フリーソフトはむしろ競争を促している点で異なります。オープンソースの加速度的発展に際しては、特許制度はむしろ競争を阻害している可能性があるのです。

もっともここで注意すべきは、特許による競争阻害があくまで「可能性」である点です。
特許制度も基本的には、新規発明に独占権というインセンティブを与えることで、競争を促すことを目的とします。問題はソフトウェアに対して独占権付与がインセンティブとして働いているのかどうかですが、この点はよく検証しなければなりません。

分業の担い手としてのパテント・トロール

著者は本論にて「コントロール・コラボレーション・単純化」という知財の活用サイクルを提唱します。ただこれは要するにオープン領域とクローズド領域の棲み分けの話で、特段新しい物ではなさそうです。

すなわち

  • 特許などの独占権をもって事業領域をコントロールしなければならない
  • イノベーションはネットワークから生まれるので、他社とのコラボレーションを進める必要がある
  • ただし他社との協業は取引コストの増大や意思決定の遅延という問題があるので、どこまでを自社の事業領域とし、どこまでを他社に任せるかというようにビジネスモデルを単純化しなければならない

ということでした。

ここで「単純化」、すなわち事業モデルにおける自社と他社の棲み分けにあたって、パテント・トロールの効用を述べていました。

ビジネスの観点から言えば、テクノサーチ訴訟の論点は、倒産企業から破格の値段で買い取った特許で使用料をもらう権利はあるのか、ないのか、ということに尽きる。

先端設備と強力な販売網を持つ大手とは異なり、IMSのような小さな会社には、巨人相手に真っ向勝負を挑むだけの資金力がない。だが有能なエンジニアを抱え、投資家の支援を得、かつ強力なパートナーが現れたおかげで、IMSにも勝ち目が出てきた。直接対決も悪くないが、重要な問題の解決策を発見し、それを最大限活用できそうな会社にライセンス供与して間接的に戦いを挑むのも、有効な戦略である。(中略)

ただし誰もが解決を必要としている問題を、誰よりも速く解決しなければならない。

研究開発だけを行う会社として有名なのが、チップメーカーのクアルコムです。本書でも紹介されていましたが、クアルコムは特許からのライセンス料収入とCDMAチップ設計料が売上の9割を占め、売上高利益率は40%に昇ります。しかし自らは製造を行いません。
本書ではクアルコムCEOポール・ジェイコブスの次の言葉を紹介していました。

「われわれはイノベーションに専念し、製造は他社に任せる」

クアルコムの場合は自ら権利行使を行いますが、企業によっては権利行使専門の他社を雇い、自らは研究開発に専念するということも考えられます。この権利行使の役割を担うのが、パテント・トロールということになるわけです。

日本では知的想像サイクルとして「創造・保護・活用」を挙げますが、なにもこの3つを1つの組織が担う必要はないのかもしれません。このうち活用(ここでは権利行使)の部分を他社に外注したとしても、創造物を保護する知的財産権の資産価値を高めることは可能です。そしてこれにより「創造」が発展するのであれば、それは社会にとって必要なことと言えるでしょう。

 
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他に知財の金融商品化についても整理されていて、大いに参考になりました。この点は『パテント・トロールとハードウェア・ベンチャーにより、知的財産権の金融商品化が進む』でも紹介したところです。

事例ベースで議論が展開されていたので、知財の視点からいまの各社の事業戦略を読むことができて視野の広がる一冊でした。トロールとの付き合い方についてはまだ模索段階だと思われるので、今後も業界の動きを見ていきたいところです。
 
インビジブル・エッジ  MAKERS―21世紀の産業革命が始まる
 

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