「パクリ大国」「中国スゲー」に続く日本人の対中意識を予想してみる

いなたくんへ

最近の中国がスゴいらしい。報道ベースでみると、無人コンビニやシェア自転車といったイノベーションが生み出され、キャッシュレス化も進むなど、日本より進んだ生活が見える。深センの発展を目の当たりにした26歳の青年が「日本が中国に完敗した」と断じて話題になったりもした。

その一方で、昨今の「中国スゲー!」「深センスゲー!」論はちょっと浅いというか無責任じゃないのか、という声もある。現地文化を伝える古参ITライターの山谷氏は、かつての「中国と言えばB級」の時代にも照らして次のように述べている。

最近では中国の「社会信用システム」が話題だが(社会信用システムも日本では山谷氏が2015年に最初にレポートしていた)、次の記事の訂正をみると、当初報道で過大評価されていた様子がわかる。ちなみにこちらの記事の訂正内容は社会信用システムの現在がよくまとまっててむしろおススメ。

「中国スゲー論」の一部報道が飛躍にすぎないことは、「26歳青年」に対する反論を記した対談記事がわかりやすいしおもしろい。

あるいは、「海外ライターの暗黒面」を指摘した次の記載も参考になる。

最近、「中国すごい、それに引き換え日本は……」というネタをよく目にします。個人的にはあまりそそられない話です。中国は世界第2の経済体、日本は3位です。どちらの国にもすごいところはあって当然。そして世界中のどの国もだめなところはあるわけで、片方のいけてるところだけを集め、もう片方のだめなところをディスれば一丁上がりの話だからです。

ちょっと前まで「中国崩壊論」が流行っていましたが、その裏返しと考えればわかりやすいでしょうか。いいところだけをみるか、悪いところだけをみるか。僕も含めプロならば、「中国すごい」でも「中国まもなく崩壊」でもどっちでもすぐに書けます。良心さえ捨てれば、ですが。

『渾身の記事を書きました、「海外ライターの暗黒面」に陥らないために(高口)』より

 

かく言う私もこのブログでは「中国スゲー」のバイアスかけて記事書いてきたので何とも言えないんだけど(私の中国に対するスタンスはこちら)、ところでこの「中国スゲー論」、これが「流行」であるならば、次には何が来るのだろう。

冒頭の山谷氏のツイートの通り、一昔前には「中国と言えばパクリ」やB級ニュース、あるいは中国崩壊論があふれて、今では「中国スゲー」である。これが実中国からの乖離を含む「B級だからB級」「スゲーからスゲー」な流行ならば、これに連なる「次のトレンド」もあるはずだ。

そこで今回は、「中国パクリ」「中国スゲー」に続く対中報道トレンドを予想してみた。PVが稼げる次のネタが見つかるかもしれないし、日本人の将来の対中意識も見えるかも。

Summary Note

これまでの対中意識は「実情に無関心」「嘲笑」「自戒」と変化

次のブームは「中国コンプレックス」、そしてその次は…

追記:「中国スゲー」発信者マインドとイキりについての山谷氏指摘


これまでの対中意識は「実情に無関心」「嘲笑」「自戒」と変化

さきに挙げた『渾身の記事を書きました、「海外ライターの暗黒面」に陥らないために(高口)』では、こうした流行記事が量産される原因を次のように指摘する。

プロの書き手であっても、そういう記事を書きたい欲求に駆られてしまうことは多々あります。というのも大半の日本人読者は海外のことには本当の意味では興味がなく、「日本がやばい!」とか「日本すげー」とかいう切り口がなければ、読みたいという欲求がないからです。注目を集める記事を書くためには読まれる切り口が必要です。

『渾身の記事を書きました、「海外ライターの暗黒面」に陥らないために(高口)』より

結局のところ読み手が期待するのは「日本」であって、中国はあくまで対比の材料、ということだ。

すると中国報道の流行は日本人の対中意識のトレンドともとれそうで、そこでまずこれまでの対中意識ふり返ってみる。ソースは私なので議論が雑なのはごめん。

中国三千年のカンフーすごいアルよ!の時代

私が小さい頃の中国は、なんかカンフーすごくてキョンシーがいて、山水画世界の頂には仙人が住み、ラーメンマン的辮髪の人が「アイヤー!」「~アルよ」と言ってればよかったりした(※個人の感想です)。

およそ以下のイメージと合致する。

もちろん、日中戦争や国交正常化といった歴史の記憶をもつ上の世代にはまた違った中国観があり、当時のオトナ向けの雑誌・書籍には別の言説があったかもしれない。

が、今の子どもたちが大人の影響で「中国パクリ」と言うように、過去に我々に影響を与えたコンテンツを作ったのも当時の大人で、彼らが具体化したイメージとは上述の如きものだった。

辮髪の人々が大陸を支配したのは昔のことで、当時の中国には当然仙人もいないし、「~アルよ!」とか言ったりしない(ただし「アイヤー!」は言う)。にもかかわらず上述のようなイメージが成立したのは、「当時の日本人が中国を真剣に意識していなかったから」ではないか。正しさはどうでも良くて、「アフリカと言えばとりあえずサバンナ(※個人の感想です)」みたいな、ステレオタイプのファンタジーがまかり通った。

中国と言えばパクリ/中国崩壊論の時代

やがて中国の経済力が高まり、世界の工場として発展すると、段ボール餃子事件のような「B級ニュース」がクローズアップされ、「中国=パクリ」といった認知が広がる。

食品偽装は実はアフリカとか中国以外の新興国も相当やばいのだけど、何かにつけ中国に意識が行ったのは、地理的な近さだけでなく、実経済の重なりが増したことがあるだろう。中国の工業製品に日常的に触れるようになり、つまり「実際の中国」が視界に入り、その実態が無視できなくなったのだ。

そんなヤバい中国なのに、各種統計は中国の未来が経済大国化に向かうと示唆していて、数字はそうかもだけれどピンとこない。だから「中国崩壊論」を掲げて、統計と自分の感情との矛盾に折り合いをつけようとした。

中国スゲー!の時代 ←イマココ

やがて中国は実際にGDPで日本を追い越し、テクノロジーでも最先端に伍し始める。宇宙開発や原子力開発、遺伝子編集などの科学分野では目覚ましい進歩を遂げ、西欧民主主義国とは異なる社会体制や層の厚い帰国子女層も相まって、今後の成果に目が離せない。

「中国=パクリ」の裏返しもあり、「中国スゲー!」論が流行るわけである。

ただ私は、ここに日本人の余裕を見る。「中国スゲー!」論で日本と対比するとき、そこには「これまでは日本がすごかったのに」という枕詞が省略される。あるいは、「中国に追い抜かれる場面がでてきたけど、本来の日本はすごかったんだぜ(本来の日本はすごいんだからあの頃に戻ろうぜ)」的な、日本の失調を戒めるかのような文脈に感じることもある。あくまで感覚なんだけど。

しかしこれからはどうだろう。中国と日本の国のカタチがさらに変わっていったとき、日本人はなお「中国スゲー!」と言い続けていられるか。

「カンフーとか仙人とか(実情に無関心)」「中国といえばパクリ(嘲笑)」「中国スゲー!(自戒)」と対中報道・対中意識が遷り変ってきたならば、仮説のとおり、新たな言説の登場を考えるのが自然だ。


次のブームは「中国コンプレックス」、そしてその次は…

中国の未来はどうなるだろう。長期的には、いびつな人口ピラミッドや政治体制の変化により「中国崩壊論」の予想の如く失速する未来もあり得るだろう。

しかし少なくとも今後10年程度で考えるなら、おそらく中国はさらに先進国化がすすみ、その長所が嫌でも目立つようになる。もちろん、すべての面において他国を凌駕することはあり得ないが、文化・経済レベルの底上げと、得意領域の先鋭化により、「一部領域における」日本の敗北は決定的なものとなる。

すると対中意識として予想されるのは「中国に対するコンプレックス」だ。「中国スゲー!」はまだ余裕があるから言えたけど、本当に凌駕されたときにも無邪気に「スゲー!」と言っていられるか。

ここで参考になるのは、現在も一部の人が抱く欧米社会へのコンプレックスだ。そこでは大きく次のような言説が流行しているようにみえる。

  • (1)いわゆる出羽守による「〇〇国では~」論
  • (2)〇〇国なんて実は大したことないよ論

中国に対しても同じように、「中国では~」と中国が手本のように語られ、これに対して「中国なんて大したことない」という反論がなされることになる。

「中国では~」は現在の「中国スゲー」の深化版とも言え、コンプレックス拗らせちゃってもう本当に「中国様こそ成功の姿」と中国崇拝に傾き、中国リスペクトが前面に出て、手放しに日本を批判し、日本も中国のようになるべきと語る。これに対する反論派は、とにかく中国のネガティブな面をあげつらい、ともすれば日本のチャンピオンデータと比較して、幻想の勝利に留飲を下げる。

いずれにせよ、冷静とは程遠い分析が横行することになる。

1955年と1985年の対日感情

ある国に対する感情、という意味では、外国が日本をどう見たかも参考になるかもしれない。

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーpart3』では「日本製」が話題に上る。落雷により破損したタイムマシン・デロリアンの制御チップが日本製であることを発見し、1955年に生きる科学者ドクはバカにした様子でこう言うのだ。

「No wonder this circuit failed, It says “made in Japan”」
(どうりで壊れるわけだ、”日本製”とある)

ところが、1985年の未来からタイムスリップしてきたマーティはこう答える。

「What do you mean, Doc? All the best stuff is made in Japan」
(どういう意味? 良いものはみんな日本製だよ)」

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「安かろう悪かろう」な戦後日本製品に対するドクの見方は、一昔前の、あるいは現在の我々が”Made in China”をみる感情に符合する。その一方で、日本が経済的復興を遂げた1985年においては、日米貿易摩擦が最高潮に達し、米国では日本製品に対する信頼が高まる一方、ボイコットや破壊キャンペーンも起きていた。

日米の場合は経済や雇用へのダメージも背景にあったが、日本も将来の中国に対して、同じように複雑な感情を抱く可能性は十分にある。

では、そのさらに先はどうなるだろう。

1985年と2004年の仮想敵

マーティがトヨタの4WDに憧れた1985年、米国産業競争力委員会は競争力の低下した米国産業界の復興策を提言する。この政策提言書は、委員長を務めたHP社長J.A.Youngにちなんで「ヤングレポート」と呼ばれる。

ヤングレポートは序文で「この国に今日必要なもの」としてトヨタやソニーのウォークマンを名指しし、レポートを受けたレーガン政権は特許制度強化等の施策をうち、米国経済を回復させた。

時代は下り、ヤングレポートと対比してみられるのが米国競争力評議会による2004年の提言書「パルミサーノレポート」である。名前は委員長だったIBM社CEOのSamuel J. Palmisanoにちなむ。

パルミサーノレポートでは特許重視からイノベーション重視への変革が謳われてたりするのだが、その仮想敵は、失われた20年(当時はまだ「10年」と言われていたが)に苦しむ日本ではもはやなく、中国をはじめとする新興勢力に置き換わる。

やがて「パッシング・チャイナ」の時代へ

日本の中国に対する視線もまた、同じような変化をするかもしれない。

すでに述べた通り、中国の躍進はいよいよ本格化するように見える。が、高齢社会化や貧富差といった問題はあり、いつまで続くかはわからない。

「崩壊」するとは考えないが、20年のスパンではインドや東南アジア、あるいはトルコを中心とする中東が伸びるとの予想もあり、世界は多極化の時代を迎え、中国は相対的には存在感を落とすだろう。

もちろん日本も少子高齢化でさらに悪くなってる可能性もあるのだけれど、ともかく、「対中コンプレックス」の流行もまた長続きせず、そのさらに次には「パッシング・チャイナ(中国素通り)」の時代になるかもしれない。


まとめ

以上まとめると、日本の対中感情というか、中国報道の流行は次のように変化する。

  • 実情に無関心の時代
  • 嘲笑の時代(中国パクリ/中国崩壊論)
  • 自戒の時代(中国スゲー!、深センスゲー!) ←イマココ
  • 対中コンプレックスの時代(中国出羽守/中国なんて大したことねー!)
  • パッシング・チャイナの時代(中国より〇〇国でしょ)

今回の記事は、もともとは「中国スゲー!が一時的流行なら、その次の流行を予想すればPV稼げるのでは」みたいな動機で考えてみた。でも出羽守みたいに追従するのも、無意味に中国を落とすのも嫌だなあ…。大衆迎合記事は商業媒体に任せて、このブログでは引き続き好きなことを書くこととする。趣味だし。

一番好ましいのは、中国どうこうではなく、日本もまた盛り上がって、80年代バブルのように、肩で風を切るような国になることだ。私はそのように願いたい。

ところで「パッシング・チャイナの時代」は、ちょうど鷲尾野ゆずりはが女子高生の2040年頃に相当しそう。今回の記事も背景設定に活かしたい。


追記:「中国スゲー」発信者マインドとイキりについての山谷氏指摘

現在の「中国スゲー」について、山谷氏が発信者のマインドを分析されていたので追記する。中国に関する発信のトレンドはどう生まれているのか、というこの記事の主題に関して、非常に参考になる指摘だ。ありがたや。

ところでこの一連のツイート、イキった発信をすることに対して、背中を押してもらえるような温かみあるよね。このこと(中国)に限らず、私もイキれる限りはイキりたいと思った。

 

  

 

  • 「中国スゲー」発信者マインドについての山谷氏の分析ツイートを追記しました(2018/4/4)

 

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