いなたくんへ
少子高齢化とか叫ばれてるけど実感わかないよね、ということで各種統計に基づき未来の日本を予想した『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』(2017)を読んでみた。本書は2065年までの出来事を年表形式でまとめたものだ。イシューとしてはざっくり8つが挙げられそうで、前回書いた。
経済冷却、社会インフラ老朽化、社会保障費激増、といった話はもちろんのこと、高齢化以上に「高齢者の高齢化」「労働人口における高齢化」が問題だとか、介護難民・介護離職増大の予想とか、輸血用血液不足・病床不足により「病院に行けば助かる」という常識が崩れるとか、地方自治体は半分消滅してヤバいけど東京はそれ以上にもっとヤバイとか、とかとか、悲観論者には強くおススメしたい一冊である。


本書も「ヤバいよヤバいよー」と煽るだけではもちろんなくて、具体的な対応策を提言している。賛否はあろうが、未来の方向性を考えるうえで参考になる内容だった。少しでも明るい未来を創造すべく、今回は本書が掲げる「処方箋」を紹介したい。
Summary Note
提言の大枠は「コンパクトで効率的な国への作り替え」
1.「高齢者」の数を減らし、出産にインセンティブを設定する
2.時間と空間をコンパクト化する
- 24時間社会の脱却と、非居住エリアの明確化による効率化を図る
3.地方と都市との戦略的連携と、地方への移動を促す
- 地方と都市とを飛び地併合する
- 日本版CCRCやセカンド市民制度により、都市から地方への移動を促す
補足:経済面の提案とか食料自給率とか、機械化老人とか
前回も書いたけど、少子高齢化に伴い予想される種々問題に対して、政府も指をくわえているわけではない。例えば「地域包括ケア」構想や、「50年後に人口1億人程度の維持」なる目標提示をしたりしている。
本書もこうした姿勢に一定の理解は示すものの、「現実逃避の心理が働くのだろうか、「目標」というより「願望」に近い甘い見通しや計画がなくならない」と、あくまで評価は辛口だ。
労働力不足に対する政府対策は大まかに「外国人労働者」「AI」「女性」「高齢者」の4点であるとし、いずれも必要性を認めつつ、以下の理由により「切り札」にまではなり得ないと指摘する。
- 新興国経済浮揚により外国人労働者にいつまでも頼れるとは限らない
- 人工知能は可能性が大きいものの、実用化可否は不透明
- 女性の労働参加を阻害する要因は根強い
- これから増えるのは75歳を超えた「高齢化した高齢者」であり、労働力として期待できない
本書の掲げる方向性は、「拡大路線でやってきた従来の成功体験と訣別」し、痛みを伴ってでも「戦略的に縮む」こと、「人口激減後を見据えたコンパクトで効率的な国」へ作り変えることである。
成長ベースで考えるのでなく、撤退戦を行うわけだ。
その具体的な内容について、以下に紹介してみたい。
まずは問題の根源にある少子高齢化対策から。
本書は現状の合計特殊出生率では少子化食い止めは不可能であるとしながらも、そのスピードを少しでも緩めて時間を稼ぐことは重要としている。
姥捨てではないですよ。高齢者の線引きを75歳へ引き上げるなど、「高齢者」の定義を変えるという提案だ。また、15歳で就職する人は減っているので、「子共」の定義も14歳以下から19歳以下へ引き下げる。
新たな年齢区分によれば、団塊世代が75歳以上となる2025年でも「3.7人で1人」を支え、65歳以上がピークを迎える2042年においても「3.2人で1人」を支えることになる。
なんだろう、この数字から感じられる安心感。分母が多い、分母が多いよ!

現在の超高齢社会の図(いらすとや)
本書は「もちろん、単に年齢区分を見直しただけではうまく機能しない」と断り、健康状態の個人差や、組織に高齢者が居座ることの弊害も指摘するが、一案としては面白い。
他に、空家をあてがい老後生活にかかる費用を少なくさせる、といったアイディアも書かれていた。
戦中戦前の「産めよ殖やせよ」のアオリじゃ成果出なかったし、必要なのは長時間労働是正とか環境だよね、とは指摘しつつも、「ありきたりの対策だけでは十分な成果を上げられない」と本書は指摘。
必要なのは「子供を持つことに大きなメリットを感じられるような対策」であるとして、一例として以下を提案している。
- 第2子が大学を卒業するまで所得税を大幅に下げる
- 第3子以降には、子供1人につき1000万円規模を給付する
気になる財源は「社会保障費循環制度」なる提案が述べられていた。ざっくり言えば相続税の見直しで、安心して老後を暮らせるようにして公費負担額の貯め込みを防ぐ、というものだった。
出産インセンティブに関しては似たような議論が最近あって、一定収入以上の子どもなし世帯に増税するとか、社会保険料負担を増額して教育無償化を目指すとか、色々提案されている。これが「子どもの有無による差別」とか「子なし税」とか批判を浴びたりするわけだ。
私としても、子どもの有無を基準に待遇を変えること自体はたしかに差別的かな、とは思う。望んでもできない人だっているわけだし。でもその上で、差別でも何でもいいので、どんな露骨な方法だっていいので、子どもを増やす方策には全面的に賛成したい。
人口は正義。子どもは正義。
そもそも子どもとは共同体で育てるものでしょ。その共同体の名前が「日本」だよ。
「戦略的に縮む」こと、つまり撤退戦の具体策が次の2案だ。時間と空間に関するものである。
日本はサービスの質が高く便利だが、労働力が減るのにいつまでも続かないよね、過剰サービス感もあるし「便利すぎる社会」はそろそろ見直したら? というのが本書の主張。具体例として「24時間社会の発想をやめる」ことを提案する。実際に、24時間営業を減らすファミレスも出ているそうだ。
本書が指摘するポイントは「顧客の意識を変えること」。
不要不急のサービスを見直し、「不便さ」を楽しむぐらいの社会としての余裕を持ちたい
『未来の年表』より。
「人口が激減し日本列島はスカスカな状況となった後も、人々が思い思いの土地に住むのでは、行政コストから考えてあまりに効率が悪い」ので、「居住エリアを決めて人々が市街地区域に集まって住むようにする」という案。
とはいえ住み慣れた土地から離れてもらうことの合意形成は困難なので、そこは法整備で対応する。例えば非居住エリアに住み続ける人には受益者負担として増税するとか、ディスインセンティブを与える。
「コンパクト化」はよく聞くけど、この2案は具体的にどう縮小するのかがわかりやすい。特に非居住エリアの話は今後のインフラ老朽化対策含めたサービス提供に効いてくるので、財政的なインパクト大きそう。その観点でもぜひ支持したい。
と言いたいところだが、私の実家とかまず消されそう…。都市に出てるとは言え地元には愛着あるし、自分事となると確かに「合意形成は困難」ですわ。という痛みが、これからの日本では頻発していくんだろうな…。
コンパクトシティの考え方として、次の「多極ネットワーク型」も面白かったので紹介。
コンパクトな街づくりといっても、駅前などの中心市街地に寄せ集めるばかりが方法ではない。一から開発計画を立てるのではなく、地域内に多数の拠点をもうけ、公共交通機関で結ぶ「多極ネットワーク型」のほうが現実的であろう。
『未来の年表』
地方の話が出たところで、半世紀来の論点である「都市と地方」に触れてみる。
その前に改めて問題を整理すると、次のように整理できるだろう。
- 地方の人口減少により、地方自治体が維持できず消滅する
- 地方の人口減少により、地方から都市への労働力供給や分業が成り立たなくなる
- 都市の高齢化比率上昇により、都市では高齢者への対応ができなくなる
本書は「都市への一極集中」には反対の立場で、地方に人を戻すべきだと考えている。そのうえで以上の問題について以下3案を挙げている。
昨今自治体の線引きの見直しがされているが、本書は「問題の本質は選挙区選出の参院議員が不在となる県が誕生することではなく、人口が激減する県が今後も行政機関として成り立つのか」と指摘。カイ・シデン風に翻訳すれば「死んじゃあなんにもならねえんだから」である。
「人口が減る隣接県が寄せ集まって「道州」を形成してみたところで、人口減少は解消しない」ので、本書は「遠く離れた自治体同士での広域合併」も選択肢に入れることを主張。
例えば神戸・広島・福岡の三都市合併による巨大都市化や、地方都市と大都市との連携が挙げられていた。特に後者は、地方側は土地や介護設備を提供し、大都市側が人的・財政的に支援するという補完的関係となる。
こちらは米国の大学連携型CCRC(Continuing Care Retirement Community)を日本でもやろう、という案。CCRCとは介護施設や病院と密に連携したケア付きの高齢者向け自治体で、米国では商業施設との連携が図られている。
本書著者提言がきっかけで石破茂地方創生担当大臣時代に法制化されたとのことで、以下はその素案。
ターゲットは「出世レースの先が見え、定年退職を意識し始める」けど「何かやり残したことがある」「年齢的にはラストチャンス」なサラリーマンだ。健康時から地方に移住してもらい、大学キャンパスと連携することで若い世代と連携したり、地域社会との共働できる。老人ホームとは異なる生き生きとしたイメージがポイントとのこと。
田舎暮らしは結局馴染めず都会に戻る人も多い。そこでまずは5年契約で都会の部屋を貸し出して地方に移住して、契約期間後に本当に定住するかを判断する。
本書によれば、自治体の長期ビジョンや行動計画を見ると、出生率向上や移住者増加を織り込み、人口減少に歯止めがかかることを前提とするところが少なくないという。これについて、「日本全体で人口が減るのだから、すべての自治体が定住人口を増やせない」と指摘。その上で、「今後は中途半端な定住人口増よりも、〝ファン人口〟の多い地方こそ生き残る」とする。
本書の提言は、結論から言えば税制の変更だ。各自治体が定住人口にこだわる理由の1つが住民税であるところ、そうではなく、居住実態に応じて、住民票のある自治体と「第2の居住地」の自治体とで按分する制度に改める。
これにより地方の自治体は、定住ではなくとも、リピートして街に来てくれる「ファン人口」を増やすことに注力する。これが「セカンド市民制度」である。
セカンド市民登録した人は「第2の居住地」での行政サービスの一部や交通手段優遇などが受けられ、かわりに町おこしのアイディア出しや地域イベントへの参加をする。これにより地域の活性化が図られる。
行政区分を都市と地方とでセットにする話は面白かった。従来より地方と都市とは補完関係にあるところ、そのバランスの失調が未来を暗くしている。であるならば両者を一体化させ、統一した経営の下に置くことで、戦略的な補完関係を築くことができる。
実際には1つの都市と1つの地方に限らず、1対多や多対多の組み合わせとか、表現型は色々バリエーションがありそう。
その上で、実際に都市から地方に人を移す枠組みも提言されていて参考になる。
将来日本の半数の自治体が消えるというが、その栄枯盛衰は人口の過多というよりは、より戦略的に立ち回れるかによるかもしれない。都市との戦略的提携や、CCRCのような体制構築、あるいはセカンド市民制度が機能するブランド形成である。
これができない自治体は、沈む。
敢えて本書認識の甘さを指摘するならば、以下の一文だ。
繰り返しイベントに参加すれば、あいさつする知り合いも増える。親しくなった地元住民と親戚のような付き合いになれば、家に泊めてもらうケースにも発展しよう。
『未来の年表』
いやいや、田舎の人の排外意識ってずっと根強いと思いますよ。
もちろん全員ではないだろうけど、外の人を受け入れられる程度に住民の意思を統一するの、大きな苦労が予想される。さらに言えば田舎に行く人も「お客さん」であっては成功しない。このあたりの当事者の意識改革がハードルと思う。
以上、絶望的な未来の予想に対して、本書が述べる解決案と、それに対する感想を並べてみた。提言に関しては他にも何点か補足したい。
本書は他に経済面での「処方箋」として以下3点を提言していた。
- 国際分業を徹底する
- 「匠の技」を活用する
- 国費学生制度で人材育成する
が、これらはちょっと微妙に思えた。要するに「選択と集中」を徹底するという話だけど、どの企業もどの国も、どこに集中すべきかの予想が難しいから苦労している。「選択と集中」は一種の投資判断だ。
また「匠の技の活用」とは、「匠の技」を活用した高付加価値の製品づくり、少人数で上質な製品を造る「少量生産・少量販売」のビジネスモデル、ということであったが、それで成功できるなら苦労しないというか、すでにやっている気が。
いずれも気持ちはわかるんだけど、このあたりに正しい勝ち筋というものはないはずで、試行錯誤していくしかない。その試行錯誤に必要なのが「一定の規模」で、それが失われるからヤバイ、という話だろう。
提言には食料自給率に言及したものもなかった。まあこれは自前で用意するか輸入するかの2択しかなくて、前者のためには地方を再生する必要があって、その地方再生自体が大問題なのでまずそこから、ということだろう。
ただし、『2030年世界はこう変わる』(2013)の書評でも述べたが、変数としては他にテクノロジーにも期待できる。まだスケールできてはいないものの、食料の工場生産は可能性があるし、水も海水淡水化などの手段がある。技術が進展しコストメリットを獲得できれば、朗報を聞くことができるかも。
テクノロジーついでにもう一つ。本書は人自体をどうこうする話はなかったが、例えばアシストスーツのような輔弼技術を用いて労働可能年齢を引き上げる、というアプローチも無しではないだろう。
もう機械化老人しかない(確信)、機械の力を借りて天に召される寸前まで自分の意志で動くのだ。
— ぽよぽよちゃん。 (@poyopoyochan) 2016年7月28日
もちろんこのアイディアだけでは、身体でなく認知機能の低下する75歳以上の活用の解決にはならないけれど、労働力の補充の意味では期待したい。
最後に、過去記事に照らして他の説もふり返ってみる。『リニアが日本を改造する本当の理由』(2013)では、地方創生は1962年から数度にわたり唱えられ失敗してきたことを指摘し、かつ国際競争力の観点から東京への一極集中を推していた。
ただ、その東京が超高齢化で正常に機能を維持できなくなるという話で、地方との連携は不可欠だろう。
『リニアが~』では都市が人口を吸い上げる「ストロー効果」を紹介しつつ、その例外として軽井沢と名古屋を挙げている。両都市とも東京を補完する特色を持っていて、事例として参考になる。
『2100年、人口1/3の日本』(2012)では、本書と同様に国立社会保障・人口問題研究所の統計をもとに少子化を危惧。解決策のうち、老人の定年人口引上げは本書に共通するが、「女性」と「外国人移民」に期待をかけている点は本書とは温度差があった。
東京一極集中と地方分散の2つのシナリオも比較していて、両者の予想とも本書と一致。改めて比べてみると、私はやはり地方分散の方が持続可能に思える。
*
少子高齢化とそれに伴う暗い未来は、予測可能な「事実」である。
これに対してどう対処するかは我々の想像力や努力次第で変わるものであるから、引き続き何ができるのか、それによりシナリオがどう変わるのか、考えたい。本書の提言はその例として参考になる一冊だった。