人工知能は正否、当否、適否の順に判断能力を拡大させ、人間の労働領域はその先にシフトする

2014年も暮れまして、いよいよ2015年が迫ってきました。
さらに30年進んで2045年になると、コンピュータが全人類の知能を超えるようになると予想されています。いわゆる「2045年問題」、あるいは「テクノロジカル・シンギュラリティ(技術的特異点)」と呼ばれる予想です。提唱者は未来学者のレイ・カーツワイルで、彼は最近グーグルに加わったことでも話題になりました。

このAIの進化に関して、ちょっと興味深いツイートを発見。

契約実務は高度な専門性の要求される仕事ですが、こうした仕事もいずれはコンピュータに奪われてしまうのか。非常に興味深い問題です。この方はこのテーマについての考察を下記ブログにまとめておられます。

まとめておられますというか、当ブログの過去記事を参照する形で書いて下さってるんですよね。こんなブログをプッシュしていただいて、激しく恐縮しております(えへへ)。
補足すると、Memorandumさんは知財・法務関連の実務について様々なイシューを解説しているブログです。筆者は複数企業で20年以上の実務経験を積まれており、例えば契約書チェックリストとか、外国での実務とか、多岐に渡りながらも深い内容で参考になります。知財関係者には強くお勧めのブログです。

話が逸れました。
AIの能力向上に伴い、現状の人間の仕事がどれだけ奪われるのか、どのように奪われていくのか、私も少し考えてみました。せっかく知財をテーマにブログを書いているので、技術・法律・経営の視点から考えます。その上で、人間が取り扱うべき仕事がどのような領域にシフトするのか、希望的ではありますが仮説を述べてみます。

Summary Note

AIは正否判断、当否判断、適否判断の順に能力を拡大する

適否判断の次の段階が、間違いを犯す能力や、感情などの獲得になる

人間の労働領域は、知的労働から感情的労働にシフトする

 

AIは正否判断、当否判断、適否判断の順に能力を拡大する

知財の仕事をしていて面白いのは、仕事の領域が技術、法律、経営といった複数の領域にまたがる点です。3つの領域で総合的に判断し、事業をサポートするのが知財です。その判断に関して、かつて恩師からいただいた言葉を紹介します。

技術は正否を、法律では当否を、経営では適否を考える

恩師の言葉

正否 -科学技術は宇宙の法則の上に成り立っている

「技術」「科学」「科学技術」は厳密には分けて考えなければならないのですが、ここでは科学に裏打ちされたテクノロジー、科学的知識の個別領域における工学的応用、といった説明で描写される対象を「技術」あるいは「科学技術」と呼ぶことにします。

科学とは自然に属する対象の法則を明らかにする学問であり、科学技術はこれら宇宙の法則の上に成り立っています。したがって技術の判断においては、技術的、科学的に「正しいか否か」を考えることが可能です(もちろん未解明でまだわからないものもありますが)。

当否 -法律とはルールである

法は人間が作った規範です。法律判断とは、成文あるいは慣習の規範に照らして、判断対象が「妥当か否か」を考えることです。

法律はコンピュータ・プログラムにも似ています。法律の冒頭にはだいたい用語の定義があって、それから条件と効果の関係が列挙されます。条文は他の条文を参照し、論理的階層構造を形成します。
法律がプログラムと異なるのは、法律が人間社会を扱うルールであるがために、必ず隙があり、揺らぎがある点です。法律判断ではそうした不安定な部分を事案に応じて解釈し、判断が「妥当だろうかどうだろうか」と考えるわけです。

適否 -経営判断に正解はない

経営判断に法律のようなルールはありません。もちろん判断のための要素をかみ砕けば、そこには守るべき法律なり倫理なりがあるわけですが、経営判断することそのものを縛るルールはありません。
あるのは「利益を出すこと」というシンプルな基準だけであり、この基準に立って、経営者は様々な事象に対する判断を下します。
判断に正解はなく、それが「適切だったか否か」という幅のある評価がなされます。

Puzzle (Blender)
Puzzle (Blender) / FutUndBeidl

AIの進化の仮説

実務においては技術・法律・経営の3つに優劣はなく、状況に応じて判断の考え方を切り替えていくことが必要です。
一方、判断の自由度について考えると、技術、法律、経営の順で自由度が拡大することに気付きます。すると、AIが正否、当否、適否の順に判断能力を拡大していく、というのは有りうる進化の仮説ではないでしょうか。
AIが判断できるものが正否なのか、当否なのか、適否なのかを調べることは、AIの進化レベルを評価する上で参考になるかもしれません。

なお、例えば同じ適否判断でも、判断のた過程である思考パターンは人間とは異なるかもしれません。例えば機械学習や相関分析といった、アルゴリズムの上に成り立つ判断能力の獲得になるかもしれません。あるいは、ニューロコンピューティングといった技術により、人間と同様の思考回路を形成する可能性もあります。

 

AIは「不合理な判断」を犯すことができるか

判断の自由度が正否、当否、適否の順で拡大すると考えたとき、適否判断までできるAIは完璧と言えるでしょうか。私はこの先にさらに「不合理な判断」の課題があると考えます。

人間が行う判断について考えると、正否、当否、適否の3つには限られないことがわかります。例えばコンビニで衝動買いしてしまうとき、明日が論文の締め切りとわかりながらもMinecraftをプレイしてしまうそのとき、上記3つの基準での判断をしているでしょうか。
例えば経営判断においては「利益を出す」という明確な基準があります。しかし私たちは生活を送る上で、すべてについて何らかの基準をもった判断をしているわけではありません。

 なんとなく。
 気になるから。
 腹が立つから。

日々の行動の中には、言葉にできない理由があったり、感情に従ったり、あるいは何らの基準もなく不合理に行われるものがあるはずです。こうした無基準、あるいは言語化できない基準に基づく判断こそが、人間を人間足らしめるのかもしれません。
私はこうした「不合理な判断」を、適否判断よりもさらに自由度の高い判断能力と位置付けます。

AIにポストイットを発明できるか

接着剤の開発の失敗を活かしたポストイットの事例は有名です。
3Mは強力な接着剤を開発しようとして失敗し、粘着力の弱い接着剤を作りました。しかし同社はこれを本のしおりに使うことを思い付き、これが貼って剥がせるポストイットの大ヒットに繋がります。

正否・当否・適否の判断能力を兼ね備えるAIに、ポストイットを発明することはできたでしょうか。
このようなAIはそもそも開発に失敗しないか、失敗することが予測できた時点で開発を中止したでしょう。仮に粘着力の弱い接着剤が生まれてしまったとして、「これって何かに使えないのかな」と思えたでしょうか。「本のしおりに仕えるのでは?」という発想ができたでしょうか。
偶発的かつ直感的なひらめきができなければ、正否・当否・適否判断のプロセスだけではポストイットの実現に結びつけられなかった可能性があります。

City post-its: Wall
City post-its: Wall / Joybot

AIは我々の仕事をどこまで奪うのか

さて、冒頭で提示した「進化したAIに契約書作成ができるかどうか」を通して、人間の仕事がAIに奪われるのか、その先に我々の仕事が残されているのか、考えてみます。

契約実務はAIに任せられる

契約書作成では主として法律問題を扱うので、当否を考える場面が多くなります。ただし当否判断にあたっては、その背景となる経営問題や種々の事象を参酌する必要があり、最終判断を下さないまでも、経営判断(適否判断)をシミュレートできる能力が求められます。
したがって契約書作成に必要な最大能力は「適否の判断」と言え、AIが適否判断能力を獲得すれば、契約書作成をAIに任せることができそうです。

AIは人間の仕事を奪い、やがては経営者にもなれる

AIが人間の仕事を奪うことは間違いないように思います。

米国において1862年に90%だった農業従事者の割合は、現在は2%にまで減っています。仕事を奪われた人々は工場で働き、やがてオートメーション技術が工場の仕事も奪うと、労働人口は頭脳労働・知識労働にシフトしました。
テクノロジーが人間の仕事を奪うのは必然であり、知識集約型産業であるIT産業での労働や、今回例に挙げた契約実務といった頭脳労働も、人間の手からこぼれ落ちるのは時間の問題と考えられます。

これまでに述べた正否・当否・適否というAIの能力獲得プロセスの仮説が正しければ、やがては経営すらAIが主導するようになるはずです。

人間の仕事は感情や不合理な判断を扱うものにシフトする

とは言え、人類総失職な未来が来るかというと、私はそうも思いません。過去に人間が職場を移してきたように、新たな仕事が生まれるはずです。それはおそらく感情や、不合理な判断を扱う仕事になると予想します
上述した「不合理な判断」を下せるのが人間だけだと仮定したとき、このことが生み出す付加価値はあるはずです。

もしこの世の中に音楽が無かったとして、AIは音楽と言う概念を無から発想することができるでしょうか。
戦国時代の茶大名・古田織部介を描いたマンガ「へうげもの」では、常識や常道をいかに「外す」か、そこにおかしみが生まれる余地があると伝えています。
商品の背景に横たわる人間のストーリーは、そのものが付加価値として評価されます。
社会は合理的には動いていません。人間関係やちょっとした感情的な原因が人の社会活動に及ぼす影響は小さくなく、そのことが生み出すダイナミズムを、我々は歴史を通して知っています。

AIが能力を拡大させ、彼らに仕事を奪われることを通して、私たちは何が合理的判断に基づく価値で、何が不合理な判断に基づく価値か、より強く意識していくことになるでしょう。合理的判断はAIに任せ、人間が感情を扱う仕事を増やすことで、世界はさらに豊かに変わっていくことになります。

※じゃあAIが感情も獲得できたら?という未来はまた別途考えることにします。

 

シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき 東大准教授に教わる「人工知能って、そんなことまでできるんですか?」 (中経出版) 残酷な20年後の世界を見据えて働くということ
 

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