脅威化する個人と、管理型民主主義へ移行する未来の国家

前回『欧米の国産テロが示唆する、正規戦に替わる未来の思想戦争』では、情報技術により個人が国家の安全保障を脅かす可能性を考えました。
最近ボストン、ロンドン、パリで起きたテロは、同国に国籍を持つ者による「国産テロ」という点で共通します。インターネットを通じて個人が影響を受け、扇動されることで、個人は国家にとって小さくない脅威となります。情報技術が個人による武器の製造・入手のハードルを今後大きく下げていくことも懸念点です。

こうした個人の台頭に対処するため、今後国家が国民の監視を強め、管理型民主主義と呼ばれる社会に移っていくことを予想します。
 

国家安全保障上の脅威となる「国民」たち

個人による脅威というと、例えば宗教を背景にしたテロリズムが思い浮かびます。しかし実際には、所属や思想だけで脅威を区別することは困難です(そもそも所属や思想で人を区別すること自体、差別に繋がり危険なことですが)。

例えば米国で頻発する銃乱射事件。最近特に増えてる気がして怖いんですけど、犯人たちを見ると、必ずしも特定の思想があるわけではなさそうです。彼らは「なんとなく」周囲の社会に不満を持っているだけで、事件の発生を事前に予測することは困難です。
銃乱射自体は、銃規制のない米国特有の脅威かもしれません。しかしネットワークを介して誰でも簡単に、銃よりも破壊力のある武器を手に入れられるとしたら、個人がもたらす脅威はどの国でも身近なものとなるでしょう。現在進んでいる製造技術のオープン化は、こうした懸念を現実のものとします。

「無人システムは、ティモシー・マクベイ(2001年、オクラホマシティの連邦政府ビルを爆破した)のような単独犯を、さらに恐ろしい存在にしかねない」。フィンケルスタインは「少数の素人が比較的簡単に、マンハッタンの機能を停止させる」シナリオについて説明する。(中略)

「現在は、ある種の技術が十分安くなれば、無数の人びとを恐ろしい目に遭わせられるのは国家だけではなくなり、犯罪組織が無数の人びとを恐ろしい目に遭わせる可能性もある。ある国を全滅させられるものを50ドルで買えるとしたら?言ってみれば、ツイてない1日を送っている人間は誰でも、国の存在を脅かす存在になる」

『ロボット兵士の戦争』より

なお、個人によるモノ作りの現状と未来は、クリス・アンダーソン著『MAKERS』で詳しく述べられているのでお勧めです。3Dプリンタを始めとする製造装置、小ロット生産とロングテールの流通、オープンハードウェアといった、製造業の未来について紹介されています。

MAKERS―21世紀の産業革命が始まる

脅威に対処するために採られる可能性の高い方法の1つが「監視」です。
個人による安全保障上の影響が無視できなくなったとき、国民はプライバシーと安全のどちらかを選ばざるを得ない日が来るでしょう。

庇護と暴力の国家による独占は、危険な新技術で力を手にした非国家集団やテロ組織のネットワークからも、さらに個人からも挑戦を受けている。他方、そういう危険な新技術に打ち勝つには、さらに新しい、よりプライバシーを侵害しやすい技術で対抗するしかない。だが、今度はこれらの技術が、国家から庇護されプライバシーを与えられているという各人の意識を損なう。要するに、個人を技術から守ることによって、個人という概念そのものを技術で破壊することになるのだろうか?

『ロボット兵士の戦争』より

ツイッター(バカ発見器とも呼ばれる)のように、監視を民意に委ねる方法も考えられるかもしれません。が、市民による監視は事後の状況追跡には強そうですが、未然に防ぐという点では、さらに踏み込んだ調査や、行為を停止させる権限が求められます。そのためには専門的な機関や、捜査権の行使が必要となるため、政府により運用される可能性が高いでしょう。
国家がプライバシーを侵す権利を持つことで、社会は「管理型民主主義」に移行していきます。このモデルには次の2つが考えられそうです。

 

(1)民主主義社会が自由を制限していく

監視に対する大きな反発は避けられず、踏み切るには多くのハードルがあるはずです。自由か規制かを巡る論争において、監視側を正当化する材料は「安全保障上の脅威が重篤であること」です。

米国の銃による死者数は他の先進国の20倍

個人による脅威が大きい先進国として、思い浮かぶのは米国です。米国における銃による死者数をみると、先進国の中では異常に高いことがわかります。「数字で見る米国の銃事情」で数字がまとめられていたので抜粋します。

  • 2011年に銃により殺害された人の数は、10万人当たり3.6人に相当する1万1101人
  • 銃の事故による死者は先進国で最も多い10万人当たり0.27人
  • 米国で2011年に銃で殺された人の数は1日平均23人(FBI調べ)
  • 米国人が銃によって命を落とす確率は他の先進国に比べて約20倍も高い

米国司法省の調査によれば、この30年で銃による死者数は大幅に減少したとされています。それでも他の先進国の20倍は多すぎる気が。そしてこれだけ死者数が多いにもかかわらず、銃の規制は進みません。コネティカット州銃乱射事件が全米で話題となった直後ですら、銃規制の法案は否決されました。

Welcome to America

銃規制が進まない背景として、武器の保持を保障した憲法があります。
米国は武力により独立を勝ち取った国なので、「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない」(米国合衆国憲法修正第二条・人民の武装権)として、人民(個人と解釈される)の武器保有が保障されているのです。
それにしても武装権とはなかなか聞かない言葉ですね‥。

静かに進められていた監視

しかし規制がされないまでも、安全は守らなければなりません。むしろ脅威があるからこそ、脅威を防ぐためにより強い手段が求められます。
最近、米政府が秘密裏に市民の監視を進めていたことが明るみになりました。

米国は過去に、有事におけるインターネットの遮断も検討しています。遮断の目的は、暴動などの際に市民同士の連携を立つことです。

ちなみにネット遮断についてはイギリスも検討した様子。

監視の目的は主にテロの予防で、イスラム系や移民を中心に監視している可能性があります。しかし、思想や所属でセグメントを分けられない「普通の米国人」が無視できない脅威に変われば、監視はより強化されざるを得ないでしょう。
「武器は持たせるが撃たせない」という状態を作るためには、引き金を常に見定めることが必要になるわけです。

銃犯罪の脅威が米国だけのものではなくなる

前提は、オープンソースを背景とした、武器の個人への流通です。
憲法による武器所持の保障や、それによる銃犯罪は、米国独自の背景かもしれません。しかし武器を規制する他の国でも、ネット技術により個人による武器の製造・所持のハードルが下がっていく可能性があります。規制だけで犯罪を防ぎきれなくなれば、各国もまた脅威に対処するため、個人の監視を遂行が必要になります。あるいは国民の側から監視社会を求め、容認する時代がくることも考えられます。

 

(2)共産主義社会がその名残を残しながら民主化していく

一方で、いまでも堂々と国民の自由を制限するのが社会主義の国々。
2013年6月4日、天安門事件から24年目を迎えたこの日、中国では「アヒル」という言葉の検索が制限されました。有名な「戦車を止めた男」のパロディ写真が出回ったのがその理由。こんな写真まで規制するとは、細やかなケアがなされてますね。(ちなみに中国のネット規制は人力(何万人の監視員がいちいちネットをチェック)という噂がありますけど本当でしょうか)

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「アヒル巨大アート」、中国ネットで検索規制 「天安門事件」コラージュ画像が原因だった
(JCASTニュース,2013/6/5)
より

IT技術により進む自由化

しかしこれだけ規制がされる中でも、インターネットの普及により着実に自由化は進んでいるようです。
たとえば若手小説家でブロガーの韓寒は、政治や社会に対する批判を行うことで絶大な注目を集め、米国タイム誌の「2010年世界で最も影響力のある100人」にも選ばれました。政府批判がタブーとされてきた中国で、彼が有名人としていられることは、かつての中国では考えられません。

また、市民によるネットを使った権力監視も影響力を発揮しています。

Google会長エリック・シュミットの”Don’t bet against internet”という言葉があります。直訳すると「インターネットの逆には賭けるな」。要するにネット技術に抗うことはできないという意味ですが、中国もネット技術がもたらす自由化を完全に抑えることはできないでしょう。

管理社会の仕組みは最後まで残る

自由化が進むとはいえ、共産党が倒れない限りは規制管理という前提が崩れることも難しそう。

中国では、電車に乗ったり、ホテルで宿泊するにも身分証の提示が求められます。日本だといちいち免許証出したりしないので、結構面倒に感じます。Facebookなど中国外のサイトもシャットアウト(なぜかmixiは大丈夫でしたが、影響力ないと見なされてるんでしょうか)。

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wikipedia – 中国人より

でも最初は不便に思っても、過ごしているとだんだん「またか」と慣れて、それが当たり前のように麻痺してくるから不思議。中国人はそんな環境で世代を重ねていて、話してみると、むしろ「なぜ身分証なしでホテルに泊まれるの?」と言われることもあります。他の国ではあたり前の自由を、想像すらできないわけです(元々知らなければ当たり前ですが)。

管理されることが当たり前の社会では、どれだけ自由化が進んでも、習慣化した管理社会の名残が残り続けるでしょう。他の社会主義国でも同様に、「今よりは自由化の進んだ管理型社会」というのが、将来たどり着く国の形ではないでしょうか。
このとき自由化を妨げる名分として、個人による国家への脅威も使われることになるかもしれません。

 

管理型社会の先には何があるのか

もし個人が社会に不安をもたらすほどの脅威となるならば、安全か自由かを選ばされる日は来るでしょう。
もちろん脅威を防ぐための様々な規制も敷かれるでしょうが、「技術のもたらす便利さ」をとどめ続けられるとは思えません。クリス・アンダーソン著『MAKERS』で語られるオープンハードウェアの世界は必ず(それも極めて近い未来に)実現するでしょう。インターネットの普及に伴い、違法コピーが一般的な犯罪になったように、社会が便利になるとき、悪影響もまた増大します。

国家が個人のプライバシーを侵す権利を持ったとき、何が起こるかは、戦前の日本や毛沢東時代の中国を見ればよくわかるかもしれません。しかし情報技術は、個人による自由を担保するための道具にもなるはずです。従って今後は、監視と自由が両立する枠組みを模索することが1つの方向性になるかもしれません。

 

ロボット兵士の戦争 監視デフォルト社会: 映画テクストで考える 一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

この記事は2015/7/11に一部加筆修正しています。

 

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