いなたくんへ
分子生物学者スティーヴン・フリーランドとローレンス・ハーストの実験によれば、化学的に成り立ちうる2億7000万の遺伝子コードを調べたところ、誤差発生率の少ない最も優れた形態は地球のDNAだったという。我々が情報の担体としてDNAを用いるのは必然であり、宇宙人もDNAに似たものを持つ可能性がある。
DNAはアニン、グアニン、シトシン、チミンの4つの塩基から構成され、そのコードは頭文字のA, G, C, Tで表される。映画『GATACA』(1997)のタイトルも、この4つの文字から付けられている。『GATACA』では、遺伝子操作によるデザイナー・チャイルドが普及し、生まれた段階で知力・体力や発病時期・寿命が明らかにされ、生物学的に優れた「適正者」と「不適正者」に分けられる社会が描かれる。
DNA解析が完全にできれば、人の「運命」は可視化され、『GATACA』の描く未来に進むだろうか。これを補完する話として今回は「エピジェネティクス」を紹介したい。
まずは『GATACA』の内容から紹介(ネタバレなし)。
主人公のヴィンセントは遺伝子操作されていない「不適正者」であるが、宇宙飛行士になる夢を持っていた。そこでDNAブローカーの仲介により、トップアスリートの生体情報を譲り受けて成りすます。ところが宇宙局「ガタカ」で殺人事件が起こり、現場から発見されたまつ毛からは「不適正者」ヴィンセントのDNAが検出される。
ヴィンセントはトップアスリート・ジェロームとして生きていて、彼の指紋や血液などを使って生体認証をくぐり抜けてきた。しかし捜査が進む中でついに、ヴィンセントは「不適合者」たる自身の生体情報を提出せざるを得なくなる。
と、これだけ書くとサスペンスっぽい感じだけど、この映画の素晴らしいのはプロットというよりは、人間の描き方にある。スポットライトはあくまで主人公・ヴィンセントの生きざまに当てられている。心臓疾患で30歳に死亡という「運命」と、そして社会に抗う彼の生命としての在り方が主題である。
ああ、思い出してまた泣けてきた。この映画は友人に紹介されて観たんだけど、SF映画としてではなく、泣ける人間ドラマとして紹介されたんだっけ。ラストの感動がやばい。「適正者」の弟と海で泳ぐシーンとか、挫折したアスリート・ジェロームが自身の身体を焼却するシーンとか、象徴的な描写も多かった。
あくまで人間ドラマであるが、「DNAに基づく運命の可視化」という重いテーマが、この作品をSF作品たらしめている。おススメの作品。
映画『GATACA』はNASAにより「現実的なSF映画」1位に選ばれている。DNAに基づく「運命」の可視化は、技術的には実際に発達してきた。例えば遺伝子検査は個人向けサービスが普及するに至っている。私はDeNAライフサイエンスによる解析サービス「MYCODE」を試してみた。
やり方は簡単で、申し込むと自宅に試験官が送られてくるので、これに唾液を入れて送り返すだけである。しばらくすると解析結果のページに結果が表示される。約3万円。
解析結果はおもしろい。重大疾病をはじめとした各種病気の発病リスクから、髪の毛や鼻の形と言った形質、あるいは体質まで、遺伝子解析に基づく様々な予測を見せてくれる。
コンテンツも興味深いのが用意されてて、祖先が辿ってきたルートの可視化なんかもあった。私の祖先はインド、中国南部を経て日本に渡ってきたそうだ。米国の類似サービス「23andMe」では、共通の先祖を持つ人同士のクローズドなSNSサービスなんかも展開している。
厚労省はこうした医療・非医療の個人データの一元管理を提唱し、データベース「PeOPLe」(2020年~)や、管理機関の設立を準備している。個人データの銀行のようなイメージだ。これらデータをビッグデータとして扱うことで医療が飛躍的に進むと予想され、私も賛成の立場である。
なおPeOPLeは「Person centered Open PLatform for well-being 」を略した仮名称とのことで、「PeOPLe」と読ませることの無理やり感は相当だ。最後の「e」はどっからきた?
保険もまた遺伝子解析で大きく変わるだろう。発病の確率がDNA解析でわかってしまえば、確率に基づき運営される保険の仕組みは変わらざるを得ない。
2018年には、個人の健康状態に基づき保険料が減額される「インセンティブ制度」が始まる。自動車にセンサを取り付け、安全運転なら保険料が減額されるという保険制度の、生命版だ。現時点ではもちろんDNA情報など見ないが、保険の確率計算に個人の生活習慣や行動が加味されるなら、いずれは遺伝子情報も、という未来はあり得るだろう。
「死」は究極にセンシティブな情報の1つである。映画『GATACA』で主人公ヴィンセントは自分の「死」を予告され、なおかつその情報は社会に共有されていた。
紹介した通り、DNA解析の技術は実際に進歩している。この情報が漏れたり、人の管理に用いられたならば、『GATACA』の描くディストピアは訪れ得る。例えばSNSも、登場当初は「民主化の武器」として使われたが、やがて各国政府側がキャッチアップして、いまは統制に使われている。DNA情報も同じ危険をはらんでいる。現代はよくても場所と時間が変われば、『GATACA』の世界が実現することはあるかもしれない。
前フリが長くなった。
そんな悲観的な予想に対して、1つの朗報と言えそうなのが「エピジェネティクス」だ。DNA情報にのみ基づいてヒトの一生を予想することはそう簡単ではない、ということを教えてくれる。
例えば女王蜂は、働き蜂と同じDNAコードを持っている。にもかかわらず、両者の形態や共同体での生態は大きく異なっている。これはDNAコードが変わらないまま、「細胞における何かが書き換えられ、それが長期間にわたって維持されうるメカニズム」をあるからだ。
『エピジェネティクス-新しい生命像を描く』(2014)によれば、エピジェネティクスは、ゲノムの塩基情報に書き込まれた遺伝情報「にさらに上書きされた情報」の存在を扱う。遺伝学(gentegics)を「越えた」(=epi)領域の学問である。エピジェネティクスに基づけば、生命の一生はDNAコードにのみ基づき予測することはできない。
エピジェネティクスが具体的にいかなる現象であるかは、そのメカニズムを知るのが手っ取り早い。本書に基づき紹介しよう。
まず前提として押さえたいのが「中心教義(セントラルドグマ)」だ。
我々の身体を構成する細胞はタンパクにより機能する。タンパクの合成は細胞質で行われるが、そのための命令を記述するのが細胞核に蓄えられたDNAだ。DNAに基づくタンパクの合成は次の2つのプロセスにより行われる。これが中心教義である。
- DNA(核酸)の塩基配列をRNA(リボ核酸)が写し取る(転写)
- 写し取られたRNA(リボ核酸)の情報に基づき、異なる種類の高分子(タンパク)を合成する(翻訳)
DNAに基づくRNAの転写は、原盤を型としてレコードを生産するのに似ている。RNAに基づくタンパクの合成は、レコードを再生して音楽を流すことに相当する。
ここでDNAからRNAへのコードの転写を制御するのがエピジェネティクスだ。その代表的な化学現象として、「ヒストンのアセチル化」と「DNAメチル化」が挙げられていた。
ヒストンのアセチル化とは、DNAの二重らせんを巻き付けた芯に当たる「ヒストン」にメチル基がつくことを指す。これが起きるとRNAが誘引され、転写が活性化することになる。
DNAメチル化はDNAにメチル基がつくことを指す。メチル化された部分はRNAへの転写ができなくり、遺伝情報が塗りつぶされた状態となる。
ヒトゲノムには約31億の塩基対があるとされるが、そのすべてのコードが読みだされるわけではない。ある領域では「ヒストンのアセチル化」により転写が活性化され、ある領域は「メチル化」して遺伝情報が塗りつぶされる。DNAに癌発病のコードが組まれていても、メチル化して塗りつぶされれば、そのコードは死ぬまで実行されないかもしれない。
DNAのアセチル化・メチル化といった修飾はたとえば発達段階に起こる。DNAの塩基配列がわかっただけでは、それが実際に「どう読まれるか」はわからない。人の肉体や性格、寿命や発病の可能性はこの「読まれ方」により制御されているのだ。
DNAコードにエピジェネティックな修飾があったとき、具体的に何が起きるのか。本書からいくつか例を紹介したい。
例えば母体内で低栄養にさらされ、低体重で生まれた赤ちゃんは、将来生活習慣病になりやすいという。これはインスリン分泌やインスリン感受性に関係する遺伝子のDNAメチル化状態に異常が生じ、それが影響したためだと考えられる。
また、生後一週間、よくかわいがる親に丁寧に育てられたラットは、ほったらかしの親に育てられたラットに比べて、ストレスに強いラットに育つ。これは、可愛がられたラットの場合には海馬のストレス反応調整遺伝子におけるDNAメチル化が低下し、活性化するためとされる。
この実験は、母親が子を育てるとき、自分が育てられたのと同じように接することの理由の1つともされる。
女王蜂と働き蜂の例では、食餌がカギをにぎるという。女王蜂となる幼虫は特別にロイヤルゼリーを与えらて育つが、これに含まれるロイヤラクチンというタンパク質が、DNAに対するエピジェネティックな修飾に影響を与え、個体を女王蜂化させる。女王蜂と働き蜂では、550個の遺伝子において、DNAメチル化のパターンに変化が生じているとされる。
DNAの塩基配列は発生段階で決まっている。しかし同じDNAコードを持っていても、胎内の環境や、生まれた後の育てられ方で、病気になりやすさや性格が変わってしまう。その要因となるのが遺伝子の発現制御、エピジェネティクスなのだ。
塩基配列(ジェネティクス)は薬剤によっては制御できないが、エピジェネティクスはある程度はコントロール可能であり、創薬のターゲットとして脚光を浴びているという。
まだ未発達の分野であり、未解明の現象もあるようだけど、生命現象を明らかにする切り口として、大いに期待される分野である。
ここではメカニズムや事例ともに代表的なものだけ説明したが、本書ではもう少し深いところまで踏み込んで教えてくれ、さらに今後の可能性にも触れている。興味があれば目を通してみるとよいかも。メカニズムのところがちょっとややこしいけど、新書なので決して内容は重くない。
ヒトゲノム計画により、ヒトの塩基配列は2003年時点ですべて明らかになっている。ただし配列がわかっても、配列の「意味」がわからなければ、ヒトゲノムを理解できたことにはならない。実際に遺伝子検査の結果わかる発病確率も、新たな研究論文が発表されると見直される。
そしてすべてのコードの役割が明らかになったとしても、エピジェネティックな状態を知らねば、人の病気や寿命、体質や個性はわからない。エピジェネティックな状態すら解析可能な未来はいずれ来るかもしれないけれど、先は長そうで。
「運命」が告知され管理される『GATACA』の世界は、まだしばらくは訪れない。
ところで、人のパーソナリティは大きく「気質」と「性格」に分けられるという。気質は遺伝子で決まるもので、3~5歳の幼稚園児なんかはむき出しの気質で生きている。しかしそれから社会に揉まれ、他人の眼に晒されると、ペルソナとしての性格が作られていく。
結局のところ人生とは人生を通して築かれていくものであり、先天的な要素で予測することは難しいのかもしれない。その点で映画『GATACA』は人生の主人公が自分自身であることを教えてくれる素晴らしい作品だった。